とある転移してきた令嬢の話
ヤンデレと依存体質の組み合わせ
かつて私は地球の日本という国にいた。十八歳の冬、私はこの世界に落ちてきた。高校の卒業を控えていた私は搾取される為に育てられていた。
家の中心は姉で、姉の為に私は高校に通いながらバイトをして、そのお金をすべて姉に献上させられていた。
当然大学進学など出来ない。高校に通っていたのは中卒だと働く場所が限られるのと、あとは世間体の為だけで、家から近い所謂底辺高校と呼ばれるところを受験させられ、そして学校が終わり次第直ぐにバイトに行けと言われていた。
姉には惜しまずお金を使い、セレブ校と言われるところに入れ、大学も有名私立大学に入学させ、私の稼いだお金は姉のブランド品や化粧品代の為に消費されていた。
私がこの世界に来たのは、真冬の寒い時期に姉が池に突き落としたからだ。池とはいっても精々腰くらいまでの深さで、要は冷たい水に突き落としてずぶ濡れにさせたかっただけなのだろう。
だけど私は池に倒れ込んでそのままこの世界に落ちてきた。
あの時、私が突き落とされるのを見ていた人がいた。悲鳴を上げていたから、きっと警察にでも証言してくれるだろう。ネットに書き込んで拡散してくれていたらいいのに。
落ちてきた私は三歳くらいの子供になっていて、偶々落ちてきたのを見た貴族の夫婦が哀れに思ってそこの家の子供にしてくれた。
彼らにとって私はいきなり空から落ちてきた子供だけど、稀にあるらしい。渡り人という異世界から来る人間。
この世界は地球のパラレルワールドなのかもしれない。大陸とか違うけれど、太陽と月があり、人間が存在していた。枠は同じで中身が違う、そんな感じ。
後に、ここが乙女ゲームの世界かもと気付いた。
ただの推測だけれど、この世界と元の世界はとても近くて、この世界の事を元の世界のゲームシナリオの人が感じ取ったのか、それともゲームの世界をトレースしたのか。とにかく、ゲームの大枠があった。
私自身はゲームをしていた訳ではないけれど、バイト先の子がハマっていて、休憩中や仕事帰りに色々教えてくれたし、画面とか見せてくれた。
スマホは連絡の為に渡されていたので、夜中にこっそり少しだけ調べたこともある。バイト先の子と少しでも話したくて。
朧気な記憶だったけれど、何となく見知った国の名前。何となく見た事のある顔。何となくの既視感。
私を養子にしてくれたのは侯爵家の方で、兄が跡取りで、渡り人は丁重に保護するように、という決まりがあったけれどそんなの関係なく大事にしてもらっていた。
子供の姿になっても姉のストレス発散で付けられた傷が背中や太ももに沢山残って居たからかもしれない。姉は親に隠れて喫煙をしていて、火傷の痕だって残っていた。
明らかに虐げられていた渡り人の子供を、両親も義兄も絶句した後に抱き締めてくれた。言葉が通じた理由は分からないけれど、会話だけは出来た。文字は読めなかったけれど。
善良な家族のおかげで渡り人として届け出を出し、貴族の令嬢として教育を受け、私は学園に通う事になった。
学園に通うのは十五歳からの三年間。
私がここに落ちてきたたのが三歳くらいだと判断され、十二年の時間があったので友人が出来た。おかげで学園で一人ぼっちは避けられる。
この世界は元の世界よりも生きやすかった。孤独を感じなくて済むから。
私が学園の門の前に立った時、既視感に襲われた。見た事がある。
そして私は乙女ゲームの存在を思い出した。良く考えれば義兄は攻略対象だった。
ゲームのストーリーはうろ覚えだけれど、ヒロインが入学して、ステータスを上げながら恋愛をするんだけど、事件とか起きてそれを解決するとかそんな話。
こてこてのテンプレ系だけど、バイト先の子がこのゲームにハマっていたのが、ただの乙女ゲームではなくて、掠奪ゲームだったからだ。あの子はそういうのが好きだった。
攻略対象には婚約者がいる。その婚約者から攻略対象を略奪する為にありとあらゆる手段を講じるのだ。
当時は彼女が楽しそうだったからすごいゲームがあるんだなぁと思っていたけれど、今はとんでもないテーマのゲームだったんだな、と思うわけで。
イラストレーターと声優がバイト先の子の好きのオンパレードで、確かにビジュアルが良かった。
義兄が攻略対象なのに気付かなかったのは子供の頃のイラストなんて無かったし、十二年もこちらで生きていたら元の世界のことなんか曖昧で忘れている事が多くなっていたからだ。
正直、やられたことは覚えているけれど家族の顔なんかもう朧気だし、高校の時のクラスメートの名前とかも覚えていない。バイト先の子の名前も顔も忘れかけているけれど、ゲームに関しては話をするために暗記したのが思い出されたからかそこそこ思い出せた。後は唯一ほんの少しだけ触れたゲームだからか。プレイはしていないけれど。
ヒロインのビジュアルは何となくわかる。でも関わりたくは無い。無理だけど。
だって私はその義兄の婚約者だから。
両親が私を手放したくなくて義兄と結婚させる話になった。義兄も反対どころか、その方がいいと言って受け入れていた。
ゲームだと私という存在は無く、他家の令嬢が婚約者になっていたから、この時点でイレギュラーになっている。
詳細はあまり覚えていないけれど、ネタバレだと義兄ルートは婚約者とビジネスライクだったので、ヒロインが攻略するのはそこまで難しくは無いけれど簡単でもなかったらしい。
家の利益の為の婚約だから、それを上回る利点を示さなければならない、だったはず。
仲の悪い所は難易度低めで、仲が良い所は難易度が高かったはず。
今の義兄を狙うなら難易度は激ムズだと思う。自分で言うのは恥ずかしいけれど、私は義兄に溺愛されている。あまり詳しくはないけれど、おそらくヤンデレと言うやつなんだと思う。
女の子の友達を作るのは許してくれたけれど、どこも一人娘とか女の子しかいない家で、男の子の知り合いを作ることはまず不可能だった。
両親は過保護すぎる義兄を止めなかった。全力で皆が私を家に囲っているので、ここに割り込む難易度はかなり高い。
私と義兄の年齢差は一つで、ゲームでは一つ年上の先輩として義兄がいたから、ヒロインは同じ学年のはず。
ここが乙女ゲームの世界と全く同じように進むのかと言えば無理だろうと思う。ゲームはご都合主義ばかりだから。実際には有り得ないことをヒロインはしている。
貴族は厳格な身分差がある。ヒロインの設定は男爵家の娘で、夢と希望に満ち溢れながら略奪愛を狙うとんでもない女だとこの世界に生きていて思う。
ヒロインは事ある毎に身分の高い令息に遭遇していたし、そうなるように行動管理するらしいけれど、実際にやったらダメな事ばかり。
きっとヒロインは転生してきたのかもしれない。転生という言葉は知っていた。確か、高校の同級生がスマホで読んでいた小説がそんな話だったする。何となくだけど。
私は忘れない。ヒロインに「誰よあんた!クロードに妹なんて居ないはずなのに!それが婚約者だなんて有り得ない!」と叫ばれた事を。
まあ、義兄が私を本当の意味で一人にするはずがなく、義兄の子飼いの誰かが私を陰ながら護衛しているのか、報告がなされたのだろう。ヒロインは消えた。文字通り学園から消えた。
幸いにしてまだ誰も攻略されていないどころか、男爵家の娘が馴れ馴れしく近寄って来て警戒しないわけが無いので近寄ることもなかったらしい。
王子に至っては護衛がいるから近寄らせるわけがないのに。
学習機会においての平等はあっても身分による明確な区別はしっかりとあるのに。
私が渡り人というのは隠していない。黒髪に黒目の割と薄顔で日本人らしいのに、あのヒロインは知らなかったようだ。恐らくヒロインも日本人でその記憶があったからおかしいと思わなかったのだろう。日本人が日本人の顔だらけの中で生きていたから無意識に違和感を抱かなかったのかもしれない。
「お兄様、あの方は生きていますの?」
「お前が知る必要はないよ。サーシャの人生に不要なものだっただけだよ」
「怖いことは嫌ですよ」
「分かっているよ。それよりも、そろそろ名前で呼ぶようにならないのかな?」
「……もう少し待ってくださいませ」
サーシャと呼ばれているけれど、本当はサヤという名前だった。発音がしにくかったらしく、サーシャになったけど新しい自分になれたようで抵抗はなかった。
今の問題は、お兄様と呼んでいた義兄から名前呼びを強要されていることだ。大変整った、攻略対象にされるだけある顔を近付けられる。
自宅である屋敷の自室にやってきた義兄と二人きりなのは本来はありえないことだ。だけど婚約者で誰も反対していないからと侍女が部屋を出ていき二人きり。
近過ぎる顔に少し身を引けば、更に近寄られて両手で頬を挟まれるとあっさり唇を重ねられる。まだ15歳なので貞操は無事だけど、成人したらどうなるのかわからなくて怖い。
元の世界で私は生きている実感が無かった。どれだけ頑張って働いてもお金を奪われ、私自身は否定され、姉だったモノに虐げられていた。逃げる選択肢は思い付かなかった。思い付かないように洗脳されていた。
池に落とされ、この世界に落ちてきた私は救われて普通に生きることを教わった。
生まれてから初めて大事にされて、私を私として愛してくれる人達に出会えた。
友人だって出来たし、未来を夢見ることだって出来るようになった。
私はやっと手に入れた、私を私として認めてくれたこの世界を愛している。
「だからね、姉だったひと。貴方は邪魔なの」
「ひっ、あ、あんた、なに、偉そうに」
「お父様、お母様、お兄様。コレが私に消えない傷をつけた女です」
渡り人はそう珍しくない存在で、丁重に保護するように、という決まりはあるけれど、その渡り人が罪を犯したものであれば適用外となる。
いつも傲慢で私から全てを奪い尽くしてきた姉だった女は年をとっていた。私は子供に戻ってから育ち直したから池に突き落とされた時と変わらない見た目をしているし、大事にされているから髪も肌も整っている。
でも、姉は、姉だった女は三十を超えて若作りをしているけれども年をとったのがわかる顔。高校生がフルでバイトをいれて稼いだお金を馬鹿みたいに使っていた女は、搾取していた妹がいなくなってどうなったのかな。
その前に、真冬の冷たい池に故意に突き落としたのは見られていたけど、その後どうなったのかな。
まあ、聞きたくない。
忘れようとして半ば忘れていたのに、この女が突然現れて私に向かって「サヤ」と叫んだから。
私の奥底に潜んでいた、積み重なり続けて見ないフリをしていた憎悪が一気に溢れかえった。
名前さえ呼ばなければ何とか生きていけたかもしれないのにね。忘れていたのだから、知らないフリをしていれば保護されてどこかで生きていけたのに。
私に優しい家族。私の体に残された消えない傷跡を知る家族。とくに旦那様になる義兄から吹き出す怒りに私の心が慰められる。
姉だった女は拘束され、口を塞がれてどこかに連れて行かれた。
義兄は私を大事にしてくれるし、これからも大事にしてくれると約束してくれた。
だから、私の体に残された傷と同じ傷をつけられた女の死体が一つ出来上がり、それは縁者の居ないものが弔われる共同墓地に無名の女として埋められて土の下。
見窄らしくなっていたからきっとまともには生きていなかったのだろうけれど、甘やかしていた両親のいない、誰も知らない場所で殺されるなんて思ってもいなかっただろう。
私は幸せになる。
私を幸せにすることを幸せだと感じる義兄が、ヒロインと姉を排除してくれたから。
「サーシャ」と甘い声で私の名前を呼ぶ家族に私は笑顔を向ける。「サヤ」はもういない。
「大好き、クロード」
初めて呼び捨てで名前を呼んだら、喜んだ彼に私は強く抱き締められて、少しだけ体が痛かったけれど幸福に満ちていた。
記憶なんてすぐに曖昧になるけど、何故かゲームや漫画は昔のでも覚えていたりする。
人の顔は忘れるのに。




