第85話 ナイトのやらかし
その頃、タンザナイトは自分の部屋で、昨日の自分の行動を思い出そうとしていた。
しかし、マヤリィの『完全消去』魔術がそれを阻む。
(…駄目だ。どうしても思い出せない)
気付いた時には自分の部屋にいて、ベッドの傍にはマヤリィがいた。昨日の記憶はそれだけである。
(その前のことなら覚えてるのに…)
一昨日、ルーリとリッカの要望に応えてドレスを着ると言ったことは覚えている。代わりに氷系統魔術を教えて欲しいと頼み、マヤリィに許可を求めた結果、リッカが流転の國に長期滞在することになったのも覚えている。
(まさか僕がドレスを着ることになるなんて…。はぁ、これは思い出したくないな)
女王様の役に立てたのは嬉しいが、自分のドレス姿が『記憶の記録』に残っていると思うと嫌になる。
とはいえ、ドレスアップしたタンザナイトは、華やかな美貌を持つリッカでさえ嫉妬するほど美しく、なぜ普段からドレスを着ないのだろうと思わせるくらい似合っていた。ルーリに至っては、可愛すぎるタンザナイトを抱きしめたい気持ちを必死で我慢し、人知れず欲望と戦っていたのだ。
けれど、本人はあくまで『女王様の目的の為』の仕事と割り切っており、その後リッカに見せた微笑みも、甘く優しい声も計算ずくだった。
(そういえば、ルーリ様がヘアメイクして下さったんだっけ…)
ナイトの少し伸びた髪をドレスに合うよう巧くアレンジし、可愛らしいヘアスタイルに仕上げたルーリ。
(ルーリ様もリッカ様も褒めて下さったのに、どうして僕は喜べなかったのかな…)
結局、タンザナイト本人は自身のドレス姿を一瞥しただけで、その後は仕事に専念した。貴女の氷系統魔術を楽しみにしています、と言ってリッカに念押ししたのだ。
(まぁ、これでルーリ様も大人しくなるだろうし、僕は二度とドレスを着なくて済みそうだな…)
そう思った時、マヤリィの言葉が脳裏をよぎる。
『「タンザナイト、貴女は自由に生きるのよ。私のことも他の誰かのことも気にしなくていい。貴女の好きなように生きて、願いを叶えて、幸せでいて欲しいの」』(第43話)。
(そうだった…。僕は髪を切りたいと思ってたんだ)
その後マヤリィの魔力を辿って第7会議室に行こうと思ったことは忘れたまま、タンザナイトは自分のやりたかったことを思い出す。
(今から母上様に念話を送ろうかな…。でも、お忙しかったら申し訳ないし…)
昨日、マヤリィが『ゆっくり過ごしなさい』と言い残してすぐにどこかへ『転移』していったことを考えると、念話を送るのも躊躇われる。
(どうしようかな…)
逡巡したのち、タンザナイトは良いことを思い付く。
(…そうだ。自分で切ってみよう。もし失敗したら…その後考えればいいか)
『マヤリィの娘』らしく、髪が短くなることに全く抵抗を感じないタンザナイト。
(こうしてみると、僕の髪も伸びたんだな…)
改めて鏡を見て、造られた時よりも長くなっていることに気付く。…だからヘアアレンジも可能になったのだが。
(母上様、事後報告になってしまうことをお許し下さいませ)
ナイトは心の中でマヤリィに謝ると、洗面台の引き出しの中にあった鋏を手に取り、自身の髪を掴んで切り落とした。
ザクリ。
重い音の直後、髪の毛がはらはらと散ってゆく。
(結構、楽しいかも…)
新鮮な感情を抱いたタンザナイトは、手を止めることなく髪を切り続けた。
ジョキッ、ジョキッ……
当然、セルフカットの方法など知らない。
しばらく手を動かした後で、ナイトは首を傾げる。
(あ…これはもしかして失敗…?)
もしかしなくても失敗である。
それに気付いたタンザナイトは鋏を置き、すぐに念話を送った。結局、マヤリィに連絡することになってしまった。
《こちらタンザナイト。母上様、今お忙しいでしょうか?》
《こちらマヤリィ。今は大丈夫よ。何かあったの?》
ちょうど自分の部屋に帰ってきたところだ。
《はい…。僕は…大変なことを仕出かしてしまいました》
《えっ…?》
《申し訳ありません、母上様。今から僕の部屋に来て頂くことは出来ますか?》
《た、大変なことって…貴女、大丈夫なの?怪我してるの??》
《いえ…怪我はしておりませんが…》
《分かった。分かったから、とりあえずそちらに行くわ。待ってて頂戴》
そして、次の瞬間マヤリィはナイトの部屋に現れた。
「ナイト、一体どうしたと言うの!?…あら」
そこには、髪が不揃いになったナイトの姿があった。
「申し訳ありません…!母上様の許可も取らずにこんなことをしてしまいました…」
ナイトはそう言って深く頭を下げるが、マヤリィは思わず微笑んでしまう。
「ふふ、そんな顔しないの。…言ったでしょう?髪を切るのに私の許可なんて要らないのよ」
マヤリィは優しい声で言い聞かせる。
「貴女が謝る必要なんてどこにもないわ。これからジェイを呼んで整えてもらいましょうね」
「はい…!ありがとうございます、母上様」
ナイトの安心した顔を見て、マヤリィも安心する。
「…ふふ、やはり貴女は私にそっくりね」
以前、マヤリィも盛大なセルフカットを行って失敗してジェイに整えてもらったことがある。…マヤリィの場合は積年の恨みがある分、ナイトよりも派手にやらかしたのだが(番外編全集)。
それでも、髪を切りたいあまりに自分で鋏を取ってしまったことは同じ。
「そうよね。切りたかったのよね」
マヤリィはナイトを抱き寄せ、不自然に短くなった髪を愛おしそうに撫でる。
その時、
「タンザナイト、お邪魔します。姫、何事ですか?」
直接ナイトの部屋に転移してきたジェイはまず挨拶すると、次にその姿を見て呆気に取られる。
「申し訳ありません、ジェイ様。実は…自分で髪を切ってしまって…」
「そういうわけなの。よろしく頼むわよ、ジェイ」
「はい。畏まりました」
こういう事態は初めてではないので、ジェイは何も聞かずにヘアカットを引き受けた。
「一番短い部分に合わせるしかないけど、こんな風にしたいとか希望があれば言ってね。出来る限り近付けるからさ」
ジェイは優しい声で言う。
「はい。出来ましたら女王様のような髪型にしてみたいです」
「うん、それなら出来るよ。バリカン使うけど大丈夫?」
「はい。よろしくお願いします」
「了解。じゃあ、早速刈り上げていくね」
(さすがは姫の娘っていうか…なんでこんなところまで似てるの?)
ジェイは不思議に思うが、ナイトが嬉しそうにしているのを見て、それ以上考えないことにした。
適当に切って不揃いになってしまった髪も、ベリーショートにするとなればまだまだ切る箇所は沢山あった。ジェイは途中でバリカンを置き、鋏に持ち替えると、さらにナイトの髪を短くしてゆく。
床にはライトブラウンの残骸が散らばっている。
「どうかな?後ろはこんな感じだよ」
しばらく経って、ジェイが仕上がりを見せる。
後頭部をすっきりと刈り上げたナイトは、首の長さが際立って一段と美しい。男子のつもりで造られた時よりも短いのに、女性らしさが増した気がする。
「君はベリーショートも似合うね」
今日はいつものジェイなので、本当のことしか言わない。
「ありがとうございます、ジェイ様。凄く…嬉しいです」
そう言って自分の首筋に手をやるナイト。
(気持ちいい…)
新鮮な感覚に出会い、思わず笑みがこぼれる。
(タンザナイトが…笑った…!)
新鮮な表情に出会い、ジェイも笑顔になる。
「気に入ってくれて僕も嬉しいよ。…姫、終わりました」
ヘアカットの間、ソファで寛いでいたマヤリィはジェイの声を聞いて立ち上がり、ナイトを見に行く。
次の瞬間、マヤリィは完全に母親の顔になった。
「ナイト…!可愛いわ…!」
と言いながら、自分自身も可愛らしい微笑みを浮かべている。
「母上様、僕の願いをお許し下さり、ありがとうございます。…似合っているでしょうか?」
「ええ、凄く似合うわ。頭の形も良いし、本当に素敵よ。さすがは私の娘ね♪」
…まぁ、設計したのはマヤリィ様なんですが。
「本当に可愛いわ。…ねぇ、もっと近くに来て頂戴」
「はい、母上様」
そして、マヤリィはナイトの短くなった髪を撫で、刈り上げた部分を撫で、最終的には愛おしそうに抱きしめた。
「…ジェイ、この子の髪を切ってくれてありがとう」
「こちらこそ、喜んでもらえて嬉しいです。貴女の可愛い娘のお願いを聞いてあげられてよかった…!」
ジェイはいつになく嬉しそうなマヤリィの笑顔を見て、自分も笑顔になる。
「可愛い…。もう貴女を離したくないわ…」
「はい。僕も母上様から離れたくありません」
そんな母娘の様子を見て、
(昨日の出来事を忘れちゃうくらい平和だな…)
とジェイは思う。
実際、タンザナイトは全て忘れているのだが。
「今日は貴女の部屋に泊まるわ。今度こそ、一緒にお風呂に入るわよ?」
「母上様、覚えていらっしゃったのですか?」
お風呂、というワードを耳にして頬を染めるタンザナイト。
前にもこんな話をしたが、結局入らず終いだった(第52話)。
「もう、女同士なんだから恥ずかしがらないの」
「はい…」
ナイトは耳まで赤くしていた。これまでは髪で隠れていたが、もう隠すことは出来ない。
(今日はタンザナイトのいろんな表情が見れるな…)
ジェイはそんな彼女を可愛いと思いつつ、タイミングを見計らって自分の部屋に戻ることにした。
「では、僕はこれで失礼しますね。姫、また何かあったら呼んで下さい」
「本当にありがとう、ジェイ。また後で連絡するわ」
そう言ってジェイを見送ったマヤリィは早速ナイトをバスルームに連れ込み、まずは短くなった髪を洗う。
「母上様、畏れ多いです」
「いいのよ。お母さんに全部任せて頂戴」
「はい…」
初めて見たマヤリィの肌は白くきめ細やかで綺麗だった。しかし、手首や脚の至る所に傷痕がある。
(きっと母上様のご病気と関係があるのだろう…)
ナイトはそう思うと心が痛んだが、マヤリィに呼ばれ、お湯に浸かる。
「たまにはこうしてゆっくりするのも悪くないわね…」
「はい。とても温かいです」
初めて湯船に浸かったタンザナイトは、改めてマヤリィの顔を見る。こんなに近くで彼女を見つめるなんて、そうそう叶うことではない。
(濡れた髪の母上様もお美しい…)
新鮮な気持ちを抱き、マヤリィの横顔に見とれるタンザナイトだった。
昨日のことを思い出すと、とりわけ今日の出来事が嬉しくなるマヤリィとジェイ。
普段はあまり気持ちの揺れないタンザナイトですが、今日は髪を切ることが楽しかったり、マヤリィの美しさに見とれたり、幾つもの新鮮な感情に出会いました。




