第71話 幻の潮騒
「ご無沙汰しております、マヤリィ様。此度は叔母が我儘を言いまして誠に申し訳ございません。遠路遥々お越し下さり、感謝致します」
桜色の都に着くと、ヒカルはそう言って深々と頭を下げた。
「気にしないで頂戴。貴方の叔母様のことはジェイとクラヴィスから聞いているわ。機会があればぜひ会いたいと思っていたのよ」
マヤリィは小さくなっているヒカルに微笑みかけると、その隣にいる女性を見て、挨拶はまだかしら?という顔をする。
クラヴィスから報告を受けた通り、金色の長い髪を持つ美しい女性である。
「流転の國の主様、お初にお目にかかります。私はリッカと申します。先日は突然の連絡を大変失礼致しました」
「初めまして、リッカ殿。私は流転の國の女王マヤリィ。貴女の書状にあった通り、宙色の大魔術師なんて呼ばれ方もしているみたいね」
マヤリィは優美な物腰で挨拶するが、その目は笑っていない。
(この間のこと、実はマヤリィ様怒ってたのか…?)
流転の國の女王であるマヤリィ宛に届いたのは、国王のヒカルではなくリッカからの書状、しかも一方的な実戦訓練の誘いだった。ジェイとクラヴィスの報告を受けた時からリッカに興味を持っていたマヤリィは快く承諾したが、返事は国王陛下に渡すよう使い魔に指示していた。
(まぁ、普通に考えたら陛下の言う通り我儘だよな…)
などとルーリが思っていると、
「マヤリィ様…!」
圧倒的な輝きを纏って彼女が現れた。
「ご無沙汰しておりますわ、マヤリィ様。お会い出来て光栄にございます…!」
「ええ、久しぶりね、シャドーレ。私も貴女に会えて嬉しいわ」
マヤリィは笑顔で答えると、いきなりシャドーレを抱きしめた。
「マヤリィ様…♪」
シャドーレは特に驚くこともなく、嬉しそうな顔でマヤリィに身体をあずける。
東洋の美女マヤリィと男装の麗人シャドーレが揃った絵面は、誰もが魅了されてしまう生ける芸術である。
女神のように美しいと謳われるルーリも、華やかな美貌を持つリッカも、今はなぜか霞んで見える。
二人の抱擁を前にして、
(マヤリィ様、私もシャドーレを抱きしめたいです…)
寂しくなるルーリ。
(シャドーレ、少しだけそこを代わってもらえませんか…?)
羨ましくなるヒカル王。
(流転の國の主様は美しい御方だな…)
今更ながら見とれるリッカ。
マヤリィはそんな三人の視線に構うことなく、シャドーレと話す。
「今日はずっと一緒にいてくれるの?」
「はい。マヤリィ様がいらっしゃるとのことで、陛下が私を呼んで下さったのですわ」
ジェイとクラヴィスが来た時には珍しく不在だったシャドーレだが、マヤリィが来るとあらば呼ばないわけにはいかないとヒカル王は思ったのだろう。
「そうだったのね。ありがとう、ヒカル殿」
「いえ、とんでもございません。貴女様に喜んで頂けて何よりです」
ヒカル王は叔母の我儘にマヤリィを付き合わせたことを申し訳なく思っていたので、彼女の様子を見て少し安心する。
「畏れながら、マヤリィ様。貴女様の後ろに控えておいでの美しい方を紹介して下さいませんか?」
今もシャドーレを見るのがつらくてマヤリィの後ろに隠れるように立っているルーリだが、その美しさは隠しきれるものではない。
「彼女の名はルーリ。私の側近で、雷系統魔術の適性を持つ魔術師よ」
「…もしや、先日クラヴィス殿がおっしゃっていた、もう一人の側近の方でしょうか?」
シャドーレはこの前クラヴィスに会った時の話を思い出して訊ねる。…その時のクラヴィスの中身はルーリだったのだが。
「はい。ジェイと共にマヤリィ様の側近を務めております、ルーリと申します」
「…では、貴女様が最高権力者代理を務めた経験をお持ちの悪魔種の女性でいらっしゃるのですね」
《ちょっと、ルーリ。どこまで個人情報を喋ったのよ?》
《申し訳ございません、マヤリィ様…》
そこまで詳しく聞いていなかったマヤリィは呆れるが、開き直って、
「ええ、そうよ。ルーリは『魅惑』の特殊能力を持つサキュバスなの」
全ての情報を開示することにした。
「流転の國にも様々な種族が存在するわ。そして、その一人一人が特殊能力を与えられているのよ」
…マヤリィ様、半分くらい嘘で構成された台詞を堂々と言わないで下さい。
「そうなのですね。我が桜色の都にも人間以外の種族は多数存在しますが、彼等も特殊能力を持っているのでしょうか…?」
ヒカルは神妙な顔で考える。
「ええ。私達が知らないだけで、色々とあるのかもしれないわね」
マヤリィも真面目な顔で答える。
その時、
「畏れながら、マヤリィ様。そろそろ実戦訓練に移られてはいかがでしょうか…?」
完全に置いてけぼりになっているリッカを気遣ってルーリが言う。
ヒカルは(あ、叔母上のこと忘れてた…)と思う。
マヤリィも(都に来た目的を忘れるところだったわ…)と思いつつ、
「話し込んでしまってごめんなさいね。今日は私と実戦訓練をしたいとのことだったけれど、準備は出来ているかしら?」
ようやくリッカの方を見る。
「はい…!よろしくお願い致します」
さすがのリッカもマヤリィを前にしては大きく出られず、畏まった様子でお辞儀する。
それを見たヒカルは、
(いつもマヤリィ様がいて下さったら叔母上も静かなのに…)
と、密かに思うのだった。
「こちらですわ、マヤリィ様、ルーリ様」
シャドーレに導かれ、マヤリィとルーリは王宮内にある訓練所に入った。
「では、私達はここで見るとしましょう。…さぁ、ルーリ殿もおかけ下さい」
「はっ。失礼致します…」
隣に座るようヒカル王に促され、ルーリは席についた。確かに、ここからなら二人の戦いがよく見える。
「…ところで、貴女の魔術適性を(貴女自身からは)聞いていなかったわね」
マヤリィにそう言われ、リッカは魔術具を取り出す。
「私の適性は氷系統魔術にございます。このマジックアイテムは『スノーレイピア』。同じく氷系統魔術師だった私の兄から受け継いだ物です。…畏れながら、マヤリィ様の魔術適性を伺ってもよろしいでしょうか?」
その瞬間『宙色の耳飾り』が輝く。
「全属性、と答えれば分かってくれるかしら?…私はこの世界に存在する全ての魔術を司る『宙色の魔力』を与えられし者。この私に発動出来ない魔術なんて存在しないわ」
マヤリィは無謀にも自分に挑んだ魔術師を相手にそう言い放った。
「…けれど、今日は攻撃魔法を使うつもりはない。覚悟はいいわね?」
返事を待たずにマヤリィは指を鳴らすと、
「『潮騒の幻惑』発動せよ」
いきなり幻系統魔術を発動する。
「『氷壁』!!」
リッカは咄嗟に防御魔法を発動し、自身の身体を氷に包む。
堅固な氷に包まれたリッカはスノーレイピアを構えるが…。
「っ...。これは...潮の香り...。波の音まで...」
マヤリィの『幻惑』は氷壁を容易くすり抜けてリッカに迫る。
「違う!私は海になど来ていない。...『粉雪乱舞』!!」
かろうじて平静を保ち、リッカは攻撃魔法を仕掛ける。
「ふふ、私の幻惑を受けながら魔術を使うなんて、誰にでも出来ることじゃないわ」
一応、最上級の褒め言葉である。
マヤリィは余裕の微笑みを浮かべ、優しい声でリッカを惑わす。
「リッカ殿、ここは船の上よ。輝く太陽の下、私達は海を渡っているの」
むせかえるような潮の匂い。穏やかな波に揺られている二人の船。
「っ......」
リッカの氷壁が溶ける。粉雪も消えてなくなる。
「攻撃魔法ではないのに……」
意識が朦朧とする。
スノーレイピアを地面に置く。
その場に膝をつく。
「海が見える...。ここは一体どこなんだ...」
そして、リッカが意識を失う直前、
「そろそろ終わりにしましょうか」
マヤリィは指を鳴らし、魔術を解く。
直後、海は消える。潮の香りも消える。波の音も消える。
幻惑から解放されたリッカは深呼吸すると、辺りを見回した。紛れもなくここは訓練所である。
「私は今、確かに海を見ていた。...もしや『空間転移』魔術を使ったのですか?」
「いいえ、違うわ。私達はここから一歩も動いていない」
それを聞いたリッカは信じられないという顔をする。
「では、今の景色は全て幻覚だったのですか?私は…波の音を聞いていたはずなのに…」
今振り返ってみても、本物としか思えない。
そんなリッカにマヤリィは言う。
「先ほどの答えには補足が必要ね。…私に与えられた一番の適性は幻系統魔術よ。状態異常付与も出来ず、ダメージを与えることも出来ないけれど、私の幻惑にかけられた者は決して戻ってこられないわ」
リッカは混乱していたが、よくよく確認すれば、全くダメージを受けていないことに気付く。
それでも、幻を見せられている間はほとんど何も出来なかった。
「貴女様の魔術は恐ろしい…。あのまま幻の海を見続けていたら、私はどうなっていたのでしょうか…」
「さぁ?どうなっていたかしらね…」
幻惑魔術はマヤリィの主戦技だが、中でも『潮騒の幻惑』はマヤリィの十八番。
果てしない海へと人をいざなう恐ろしくも美しい幻系統魔術だ。
「マヤリィ様…此度は貴女様の魔術を体験させて頂き、ありがとうございました」
ようやく立ち上がったリッカは姿勢を正し、深々とお辞儀した。
「ええ、こちらこそ。私も貴女の魔力を知ることが出来てよかったわ」
『幻惑』の最中、リッカが必死で発動した氷系統魔術や、そのマジックアイテムの強さをしっかり測っていたマヤリィ。今度は友好的な微笑みを浮かべてリッカの言葉に答える。
そして、二人が握手を交わしたところで訓練は終了した。
視覚、嗅覚、聴覚など全ての感覚を狂わせる『幻惑』魔術。
『雪原』『花園』『星空』など様々なバリエーションが存在しますが、中でもマヤリィは『潮騒』が気に入っているようです。




