㊲ルーリの悲哀
今日もルーリは第7会議室で作業を続けていた。
そこへ、ジェイが突然『空間転移』してくる。
「…ジェイか。念話もせずにどうした?何かあったのか?」
ルーリはさほど驚いた様子もなく、ジェイに訊ねる。
「ううん、特に何もないけど。…最近、君の姿を見かけないから元気かなって思ってさ」
ジェイはそう言ってカフェテラスからテイクアウトしてきたコーヒーを差し出す。
そして、二人はその場で話を始めた。
「タンザナイトとクラヴィスが桜色の都に?そんなこと、いつの間に決まったんだ?」
近況についてほとんど知らされていなかったと見えて、話し始めてからのルーリは驚いてばかりだった。
「君が第7会議室で奮闘している間に色々とあったんだよ」
「…で、タンザナイトはうまくやれたのか?」
招待を受けると決めた時、タンザナイトの服装やよそゆき顔はルーリに…とか言っていたのに、結局その話は彼女の元には来なかったらしい。
「国王陛下相手に複合魔術を見せたとか言ってたな…。帰還後、姫は凄く喜んでたらしい」
「…そうか」
ジェイから事後報告を受けたルーリは寂しそうな顔をする。
「…では、この間感じたあれはナイトの魔術だったのか…。西の方向から物凄い魔力を感じた日があったんだが」
「うん。それ、タンザナイトが都で披露した複合魔術だと思う」
「…そうか」
それを聞いたルーリは俯く。
「今まで知らなかったよ。マヤリィ様も教えて下さらなかったし…」
話せば話すほどルーリの悲壮感は増していくが、もっと後で聞いたら余計に傷付くだろう。
「仕方ないよ。新しい会議室を作るのは簡単じゃないし、君にしか任せられない仕事なんだから。…姫はルーリに集中して欲しいと思って、敢えて伝えなかったんだと思う」
「…お前、本当にそう思っているのか?」
「えっ?」
「実は私を慰めに来たとか、そういうんじゃないだろうな?」
ルーリは懐疑的な目でジェイを見る。
「何言ってるんだよ、ルーリ。僕のことを疑う気なの?姫から『貴方は嘘をつかない人』というお言葉を賜った僕を疑ってるの?」
真剣な眼差しを向けられ、ルーリは素直に頭を下げた。
「…すまない。ここしばらく一人で作業しているせいか、疎外感を感じることがあってな。つい、今の話が羨ましくなってしまった」
ルーリは言う。
「私は立場上、流転の國から一歩も外に出ることが出来ない。当然、桜色の都にも行けないし、エルフの集落を訪ねることも出来ない。…顕現してまもない頃に都との国境線まで行ったことはあるが…。あの時会ったマンスも私のことなど覚えていないのだろうな」
「それって『vol.1』の話だよね?マヤリィ様も覚えてないんじゃない?」
「…お前、本当に私をフォローする気ないんだな」
「だから、言ったじゃん」
ジェイの言葉を聞いてため息をつくルーリ。
「誰かに『変化』したら…マヤリィ様は私が外に出ることをお許し下さるだろうか」
ルーリは特殊能力の『夢魔変化』だけでなく、普通の『変化』も出来る。それを発動すれば流転の國の誰かに姿を変えることも可能だが、実際に使ったことはない。
「ルーリは…外に出たいの?」
「…分からん。ただ、玉座の間で待機することしか出来ない自分が時々哀しくなるだけだ」
流転の國のNo.2。
マヤリィの切り札。
国家機密。
何があっても揺らがない精神力の持ち主だと思っていたが、今のルーリはとても不安定だとジェイは思った。
「いつも一人で書類仕事に明け暮れていたミノリもこんな気持ちでいたのかな…」
第7会議室での仕事を任され、桜色の都の動向を知ることもなく、一人で仕事を始め一人で部屋に戻る毎日。
勿論、マヤリィへの報告は毎日欠かさないが、事務的なやりとりで終わる。
「最近、マヤリィ様のお部屋にも呼ばれない…。訓練に関するご命令もない…」
美しい瞳が虚ろに揺れている。
「私は忘れられているのだろうか?私は要らない存在なのだろうか?教えてくれ、ジェイ……」
ルーリは縋るような目でジェイを見る。
その時、ジェイはようやくルーリの顔を間近で見た。彼女の美貌は変わらない、と言いたいところだが、この短期間にルーリは変わってしまった。
目の下には隈があり、肌はくすんでおり、顔はやつれている。ドレスはこの間見たのと同じだし、ウェーブの取れかかった髪は乱れている。ベッドに入らない限り脱ぐことのないハイヒールも床に転がっている。
(なんで今の今まで気付かなかったんだろう…)
ずっと話をしていたのに、ルーリの姿を見ていなかったことに気付くジェイ。
(毎日報告すると言ってたけど、姫はルーリのことを見ていないのか…?それとも念話で済ませているのか…?)
ジェイは疑問や戸惑いを振り切って、ルーリの手を握る。とても冷たく、所々ひび割れている。
「ジェイ……?」
不思議そうな顔をするルーリに、ジェイは優しくも力強い声で言い聞かせる。
「ルーリ、これだけは言わせて欲しい。君が忘れられることなんて有り得ないよ」
そのまま彼女を抱きしめるジェイ。普段は絶対こんなことしないのに。
「僕に言われても嬉しくないだろうけど、僕はルーリが大好きだよ。ルーリがいなくなったらきっと立ち直れないと思う」
ジェイは自分でも気付かないうちに泣いていた。
「お願い。自分を要らない存在だなんて言わないでよ。僕まで悲しくなるじゃないか」
「ジェイ……」
思いがけずジェイに抱きしめられ、温かい真実の言葉に包まれ、ルーリはしばらく何も言えなかったが、やがて彼の果てしない優しさを受け取った。
「ありがとう、ジェイ…。私も、お前が大好きだよ」
いつになく悲しそうなルーリの心を優しさで包み込んだのは、マヤリィではなくジェイでした。
マヤリィはルーリが寂しがっていることにさえ気付いていないようです。




