⑭貴賓室にて
マヤリィはヒカル達を『長距離転移』させた後、ルーリと『念話』で話し、待機していたクラヴィスを呼んで流転の國に帰還させた。
その後は特にすることもなく王宮の入り口に佇んでいたのだが、流転の國の女王を放っておけるはずもなく、一人の男性が近付いてきた。
「マヤリィ様。畏れながら、貴賓室へご案内させて頂いてもよろしいでしょうか?」
マヤリィはその声を聞いて振り向く。
「貴方はウィリアム隊長…。いえ、レイヴンズクロフト公爵ね?」
…そう。彼はシャドーレの夫である。
「ご存知でいらっしゃいましたか…」
「ええ。…ヒカル殿は教えてくれなかったのだけれど、前に都を訪れた時、私の側近がシャドーレ本人から聞いたの」
そう言ってマヤリィは微笑む。
「さぁ、貴賓室に連れて行って頂戴。そして、シャドーレの話を聞かせてくれると嬉しいわ」
ウィリアムは知る由もないが、マヤリィと流転の國にいた頃のシャドーレは主従関係を越えた深い仲にあった。…お互いに浮気性なので。
「畏まりました、マヤリィ様。では、こちらへ…」
恭しくお辞儀すると、ウィリアムは女王を貴賓室に案内するのだった。
「ご無沙汰しております、マヤリィ様。わたくしの魔術適性を取り除いて下さった際にはきちんとご挨拶も出来ず、申し訳ございませんでした。貴女様に再びお目にかかれましたこと、大変嬉しく思っております」
貴賓室に入ってしばらくすると、お決まり通りにメイドがコーヒーを持って現れた。シャドーレの邸で働くミノリ・アルバ嬢だ。
「久しぶりね、ミノリさん。私も貴女に会えて嬉しいわ。せっかくだから貴女の話も聞かせて頂戴。…ウィリアム殿、いいわね?」
「はい。貴女様のお望みとあらば、お断りする理由はございません」
本来は他国の女王と公爵が二人で話すこともないし、ましてやメイドが同席して話に加わるなど有り得ない。しかし、マヤリィはそんなことなどお構いなしに身分違いの者にも分け隔てなく接する。今この場では桜色の都の常識は適用されず、マヤリィの言葉が法律である。
「有り難きお言葉にございます、マヤリィ様。それでは、失礼申し上げます」
その時、ミノリ嬢は初めてマヤリィに出会った時の言葉を思い出す。
『「流転の國では、私が許したことは言葉通り受け取ってもらうようにしているの。桜色の都の常識とは違うかもしれないけれど」』
「畏れながら、マヤリィ様。貴女様は初めてお会いした時と何も変わっていらっしゃらないのですね…。その類い稀なるお美しさも慈悲深いお心も、わたくしの思い出の中にいらっしゃるマヤリィ様そのままにございます」
もう二度とお会い出来ないと思っていた麗しき女王様が今目の前にいる。
ミノリは思わず涙ぐむ。
「時折シャドーレ様はマヤリィ様のお話をされることがあります。それを聞くたび、畏れ多いことながらわたくしも流転の國に行ってみたいと思うのです」
「確かにメアリー…いえ、シャドーレは流転の國にいた頃のことを話してくれます。彼女にとって、マヤリィ様にお仕えしていた日々の記憶は本当に大切なものなのだと思います」
ウィリアムはそう言って微笑む。
「…それは嬉しいわ。シャドーレは今も流転の國を思い出してくれることがあるのね。私にとっても、彼女と過ごした時間はかけがえのない大切な思い出よ」
ミノリ嬢もウィリアムも知らないシャドーレをマヤリィは知っている。
「ところで、ウィリアム殿はいつも彼女のことをメアリーと呼んでいるの?」
「は、はい…!結婚する前からそうでしたので…」
急に夫婦の話になり、ウィリアムは頬を染める。
「えっと、その…初めて彼女と二人で出かけた時、私がシャドーレ様とお呼びしたら…」
『「それでは私が『クロス』の隊長だとバレてしまいますわ。今日は、そうですわね…私のことはメアリーと呼んで下さい」』
そう言われたウィリアムは彼女をメアリー様と呼び始め、やがて仕事以外の時間はメアリーと呼ぶようになった。…時々『クロス』の宿舎にいるのを忘れて抱き合ったりしてるけど。
「旦那様、今のお話は初めて伺いました!」
一緒に話を聞いていたミノリ嬢が言う。
「貴方様が公爵家に婿養子として入られる前から、お二人は付き合っていらっしゃったのですか?」
「えっ?知らなかったの?」
「はい、存じ上げませんでした。旦那様はシャドーレ様には敵わないまでも実力と身分を兼ね備えた殿方ですから、公爵家の跡継ぎに選ばれたとばかり思っておりました」
「…じゃあ聞くけど、家の事情だけでメアリーが結婚すると思う?私が公爵家に入るという話が持ち上がる前から、メアリーと私は愛し合っていたんだよ」
二人が交際を始め、頻繁にデートするようになった頃、ミノリ嬢は魔力事故で負った傷を治してもらう為にエアネ離宮のツキヨの元にいた。だから、その頃のシャドーレについては何も知らない。
「確かに、シャドーレ様は旦那様を心から愛していらっしゃると思います…」
ミノリ嬢は少し悔しそうな顔をする。
「しかし、お二人が恋愛結婚であったとは思いもよりませんでした。桜色の都でも同性愛が認められる日が来たら、わたくしは畏れ多くもシャドーレ様にプロポーズするつもりでおりましたのに…!」
(…シャドーレ、貴女達は楽しく暮らしているようね)
マヤリィはミノリ嬢とウィリアムの会話を微笑ましく聞いている。
「ここだけの話、国王陛下もメアリーを王妃にしたくて仕方なかったみたいだよ」
「えっ…そうなのですか?」
「どうやら私の妻は罪な女性みたいだね…」
「旦那様、今目の前にマヤリィ様がいらっしゃることをお忘れではございませんか?」
ミノリ嬢が呆れたように言うと、マヤリィは楽しそうに微笑んだ。
「ふふ、貴方達と一緒なら、シャドーレも幸せに暮らせていることでしょうね。安心したわ」
そう言うと、突然ミノリ嬢の髪に手を伸ばし、頭を撫でる。
「可愛いわね、ミノリさん。貴女は今も理髪店に行っているの?」
ミノリ嬢の髪は初めて会った時と同じベリーショートである。
「はい…!一番最初にわたくしの髪を切って下さった理髪師の方のお店に通っております」
マヤリィに頭を撫でられて真っ赤になりながらミノリ嬢は答える。
「シャドーレ様が連れて行って下さるのです。わたくしが髪を切りたくなるタイミングをあの御方はよくご存知でいらっしゃいます。…畏れながら、マヤリィ様は今も側近の方に…?」
あの日、側近に手入れさせていると言ったマヤリィの言葉をミノリ嬢は覚えていた。
「ええ、今も変わらないわ。私は彼を信頼しているから」
マヤリィはそう言って微笑む。
女王の背後で鋏を持つのだから信頼出来る人物であるのは当然だが、ジェイを思い浮かべながら発した今の言葉は少し違った意味を持つ。
(ジェイに、会いたいわ…)
ほんの少し離れているだけなのに、思い出すと急にジェイの顔が見たくなってきた。
(…けれど、今は流転の國も穏やかではなさそうだし、桜色の都に呼ぶわけにもいかないわね)
それでも、声くらい聞きたいとマヤリィは思った。
「…今、流転の國から『念話』が入ったわ。少しの間、失礼するわね」
マヤリィはそう言って席を立つと、貴賓室を出て『念話」を送った。
《こちらマヤリィ。…ジェイ、貴方に会いたいの。声だけでも聞かせてくれたら嬉しいわ》
その様子を見ている者は誰もいなかったが、彼を想う今のマヤリィは艶っぽい美しさを放っている。
とても寂しげなマヤリィの甘い声。それは確かに流転の國のジェイまで届いた。
ルーリとは少し話したけど、ジェイの声はしばらく聞いてない…。
少し離れているだけでも、貴方が恋しい……。
愛するジェイの顔を思い出したマヤリィは、いてもたってもいられなくなり、彼に『念話』を送るのでした。




