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流転の國 vol.8 〜桜色の都の救世主〜  作者: 川口冬至夜


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第106話 ルーリの美容室

次の日、リッカは第7会議室を訪れた。

そこはルーリが室長を務めるヘアメイク部屋だ。

先ほど『念話』を送っていたので、ドアをノックするとすぐにルーリが出迎えてくれた。

「私の美容室へようこそ」

慣れたようにそう言うが、ルーリが『美容室』という言葉を覚えたのは最近のことだ。

(使い方、間違ってないよな…?)

先日、ジェイに訊ねた時のことを思い出す。

「ジェイ、教えてくれ。ヘアメイク部屋を言い換えるとしたら、どんな言葉があるんだ?」

ルーリは流転の國に存在する言葉しか知らない。つまり、美容室という言葉を知らなかった。

「そうだね…姫と僕が『元いた世界』で言うところの美容院かな。もしくは…美容室?」

「ビヨウシツって言うのか?」

「うん。言い方が違うだけで、流転の國のヘアメイク部屋とやることは同じだよ。髪を切ったり染めたりセットしたりね」

ジェイは言う。

「やっぱり、第7会議室って名称は微妙だよね」

「いや、第7会議室も素晴らしい名前だが、もっと分かり易い呼び名があっても良いのではないかと思ってな。本名が第7会議室で、あだ名がビヨウシツ…みたいな?」

元々『第7会議室』と言い出したのはマヤリィなのでルーリは少し焦るが、

「うん。いいんじゃない?ルーリの美容室。姫もきっと気に入ってくれると思うよ」

ジェイの言葉を聞いて安心する。

「では、これから誰かを迎える時はそう呼ぶことにするよ。ありがとな、ジェイ」

…というわけで、ルーリの辞書に『美容室』が加わった。

「突然、念話を送ってすまんな。前々から気になっていたんだが、ようやく来ることが出来たよ」

リッカは緊張しつつも笑顔で答える。

何せ今のリッカには傷痕がない。今まで首の後ろの傷痕を隠す為に襟の高い服を選び、決して髪をアップにすることもなかったが、これからは自由なヘアスタイルに出来るのだ。

「そこに座れば良いか?」

「ああ。楽にしていてくれ」

ルーリはリッカの緊張を解すようにいろんなことを言う。

「いつものようなストレートのダウンスタイルも素敵だが、これだけ長いといろんなアレンジが出来そうだな。ウェーブをかけるか?それとも、結い上げてみようか?」

改めて見ても、ブロンドのロングヘアは本当に綺麗だ。腰を超える長さだというのに、毛先まで美しく艶々としている。

「桜色の都の風習というのはある意味素晴らしいと思う。皆、リッカのように長く美しい髪をしているんだよな?」

「ああ。桜色の都の女は髪を長く伸ばすのが常識だと思っている。 それも少しずつ変わってきてはいるようだが、今でも貴族の娘にとって長い髪は何より大切なものだろうよ」

魔術師を目指す学生の間ではショートヘアが地味に流行っているようだが、そうでない令嬢は変わらずロングヘアを保っている。昔から続いてきた風習はそう簡単に変わるものではない。

「…そうか。流転の國では考えられないな」

ルーリはマヤリィの短い髪を思い浮かべる。

時折、ロングヘアのマヤリィ様を見てみたい気分になるが、決して口に出すことはしない。

マヤリィの髪を褒めたり、伸ばしてはどうかと進言することは、確実に彼女の心を傷付ける。ジェイが言っていた通り、ルーリも分かっている通り、『マヤリィ様に言ってはいけない言葉』は存在するのだ。

「ルーリ、頼んでいいか?」

リッカの言葉で我に返るルーリ。

「実は、ヘアセットをしたくてここに来たのではない。私は…髪を切りたいのだ」

「えっ…?」

思いがけない言葉にルーリは驚くが、

「毛先を整えるとか…そんな感じか?」

平静を装ってリッカに訊ねる。

「いや、違う。髪型を変えてみたい…」

リッカは手を握りしめ、やっとの思いで希望を伝える。

先ほどの会話の後ではとても言いづらいが、

「出来たら、ショートヘアに……」

若干小さな声でリッカは言う。

「首が見えるくらいに切って欲しい…」

首の後ろから背中にかけて残っていた傷痕を完全治癒魔術によって消してもらったリッカは、これを機にアップスタイルで過ごそうかと思った。

が、マヤリィの姿を思い出して気が変わった。

「今はもう大丈夫なのだが、実は…私はわけあって首や背中を露出させることが出来なかったのだ」

「…それは、お前が衣装部屋でいつも襟の高いドレスを選んでいたのと関係があるのか?」

今まで何も聞かなかったが、ルーリは不思議に思っていた。なぜいつも襟の高い長袖のロングドレスばかり選ぶのかと。

「その通りだ。実は……」

そこでリッカはルーリに全てを話した。

天界との戦で負った傷痕が身体のあちこちに残っていたことや、それら全てをマヤリィの完全治癒魔術によって消してもらったことを。

「だから全身が隠れるドレスを着ていたのか」

ルーリは納得する。

「ずっとつらかったんだな、リッカ」

「ルーリ……」

「何度も一緒に衣装部屋に行ったというのに、気付いてやれなくてすまなかった」

「いや、貴女が何も聞かないでくれて良かったよ。私も…マヤリィ様に聞かれるまでは隠し通すつもりだった」

リッカは言う。

「されど、あの御方は私を気遣いながら、完全治癒魔術を受けてはどうかと言って下さった。ご自身の傷痕には効かぬにもかかわらず、私を癒して下さったのだ」

「…では、見たのか?マヤリィ様の傷痕を」

「ああ。手首に…無数の切り傷があった。見ているだけで痛かった…」

「…そうだろうな。だが、手首だけじゃないんだ」

「えっ…?」

「マヤリィ様の傷痕は腕や脚にも残されている。シロマの完全治癒魔術でさえ消えない傷痕がな」

「そんな…!」

手首だけだと思っていた。

無数の切り傷が刻まれた異様な傷痕を思い出すと、リッカは申し訳なくも気分が悪くなる。

何で切られたら、何度切られたら、あのような傷痕が残ると言うのだろう…。

「何ゆえ、マヤリィ様はそのような傷を負われたのだ?ルーリは知っているのか?」

「直接は知らない。…だが、マヤリィ様のご病気と関係があることだけは確かだ」

「ご病気……」

リッカはそう言うと胸を押さえる。

「大丈夫か?顔が真っ青だぞ?」

「すまん、ルーリ…。あの御方の傷痕を思い出すと……」

(リッカから見れば不可解な傷、ということか。それも無理はない。あれは…自傷痕なのだから)

しかし、本人がここにいないのに詳しく説明するのも憚られた。

「もう考えるな、リッカ。…話を戻そう。お前がここに来た目的を果たさなければな」

ルーリは先ほどのリッカの言葉を思い出す。

「確か、ショートにしたいと言っていたな?」

「あ、ああ…」

リッカが頷くと、ルーリは念の為聞いた。

「短く切るのは良いが、一応聞いておくぞ。お前にとって、この長い髪は大切なものなんじゃないのか?」

以前は断髪する女性の気持ちが分からないと言っていたのに、どういう心境の変化だろうか。

「確かに、かつてはそうだったかもしれんが、今の私は流転の國の一員。もう桜色の都の女の面影など要らぬと思ったのだ」

そう言って長い金髪に指を通す。

「それに…マヤリィ様を拝見するたび、髪の短い女性のなんと魅力的なことかと思ってしまう。いい歳をしてこんなことを感じるのも可笑しい話だが、私は短い髪に憧れてしまった…のかな」

リッカは鏡に映る自分の姿を見ながら、期待と不安の入り交じった声でルーリに告げる。

「頼む、ルーリ。私の髪を切って欲しい。似合わなくても構わない。絶対後悔しないから…!」

人間種であるリッカは見た目こそ悪魔種のルーリより年上だが、ルーリにしてみれば16歳も年下の相手である。元の身分が違うとはいえ今は対等な関係。だから、望みは叶えてやりたいし、守ってあげたいと思う。性格は全く似ていないのに、歳の離れた自分にも遠慮なく話しかけてきた書物の魔術師ミノリと、目の前のリッカが重なって見える。

「…了解した。お前に似合うように切るから心配するな。私に全て任せろ」

ルーリの頼もしい言葉を聞いたリッカは笑顔で礼を言う。

「ありがとう。どうか、よろしく頼む…!」

第7会議室の明るい照明に照らされ、リッカの長い髪は光り輝いている。この先の運命も知らず、美しくたおやかに持ち主に寄り添っている。

思えば、リッカは物心つく前から長い髪だった。それが桜色の都女性の常だが、死ぬ時まで長い髪を保つという常識は破ることにした。

(とっておきたいくらい綺麗な髪だが…無粋な提案はしたくないな)

ルーリも覚悟を決め、鋏を手に取った。

「…それじゃ、始めるぞ」

リッカはマヤリィと同じ人間種の35歳。

ルーリは人間種換算で20代後半の悪魔種の51歳。


顕現当初から今まで、変わらず流転の國最年長であるルーリは、年下の仲間達を見守り、時には的確なアドバイスをする面倒見の良いお姉さんです。

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