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流転の國 vol.8 〜桜色の都の救世主〜  作者: 川口冬至夜


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第105話 宙色の完全治癒魔術

「マヤリィ様、お呼びでございましょうか?」

「ええ。よく来たわね、リッカ」

「はっ」

第4会議室に呼び出されたリッカはマヤリィの前に跪く。

二人の他には誰もいない。

一体ここで何を命じられるのだろう。

リッカはマヤリィの顔を見る。

(私が何かやらかしたわけではなさそうだな)

怒っている様子ではないのを確認してリッカはひと安心する。が、残念ながらマヤリィ様は本気で怒っていても全く怒っているようには見えない御方なのです。

…というのは蛇足で、マヤリィは穏やかな表情でリッカを見つめ返す。

(本日もご機嫌麗しく…とか言うべきなのか?誰かに仕えたことなんて初めてだから作法が分からん)

長年レイン離宮で隠居生活に等しい暮らしをしていたとはいえ、元は桜色の都の王女。こういう場合、他に何か言うべきなのか、それとも女王の言葉を待つべきなのか、リッカは超短時間の間に迷う。

しかし、心配は無用であった。

「…リッカ。実は貴女に受けてもらいたい魔術があるの」

マヤリィが話を切り出した。

「貴女、傷痕があるでしょう?」

「えっ…」

「いきなりごめんなさいね。実際に見たわけではなく、私の予想なのだけれど」

マヤリィがそう言うと、リッカは頷いた。

「はっ。貴女様のおっしゃる通りにございます。確かに、私の背中には戦で負った傷痕が残っております」

それは、十年以上前の『天界との戦』の最中、敵に挟み撃ちされ、斬り付けられた時のものだ。すぐに回復魔法を受けることが出来たので命は助かったが、首の後ろから背中にかけて深い傷痕が残ってしまった。

「…されど、何ゆえ貴女様がご存知なのですか?この傷はヒカルでさえ知らないはずです」

「知っていたわけではないわ。私の予想だと言ったでしょう?」

マヤリィはそう言うと、袖を少し上げて自分の手首を見せる。

「マヤリィ様…!それは…!?」

リッカはそう言ったきり、言葉を失う。

初めて見たマヤリィの白い肌。

そこには幾つもの切り傷の痕があった。

何度もナイフで線を引いたような細い切り傷は、広範囲に及んでいるだけでなく、重なり合っている部分もあり、とても数えきれない。

(幾度切られたらこのような傷痕が残るのだ…?)

リッカは傷を負った時のマヤリィの痛みを思うと、胸が締め付けられるようだった。

「私が長袖しか着ない理由よ。…もしかしたら貴女もそうなのではないかと思ったの」

リッカがルーリに誘われて衣装部屋に出入りしていることはマヤリィも知っている。だが、決まってリッカは肌を全て覆い隠すようなドレスを選ぶのだ。それに気付いた時、マヤリィは察した。

「背中以外にも傷痕がある。違うかしら?」

マヤリィが聞くと、リッカは黙って頷き、ドレスの裾を上げようとする。が、止められた。

「見せなさいなんて言ってないわ。…貴女に受けてもらいたい魔術があると言ったでしょう?」

そして、最初の言葉に戻る。

「その魔術の名は『完全治癒』。それを発動すれば貴女の傷痕を全て消すことが出来るわ。…勿論、無理強いはしないけれど、傷痕が消えることで貴女の心が楽になるのなら受けて欲しいと思っている」

「完全治癒……」

リッカは昔の傷痕を消せるという俄には信じ難い話を聞いて戸惑い、初めて聞いた魔術の名前を頭の中で繰り返していたが、やがて当然の疑問に行き着く。

「畏れながら、マヤリィ様。何ゆえ貴女様は『完全治癒』魔術を受けていらっしゃらないのですか?」

今ここにルーリがいたらリッカの残酷な問いかけを止めていただろうが、マヤリィにしてみれば想定内の質問である。

「単純な話。私には、完全治癒魔術が効かないのよ」

「えっ…」

「けれど、安心して頂戴。今までにこの魔術を受けた者は何人もいるし、その全てが成功している。…ただ、私には効かない。それだけよ」

「そんな…!」

リッカは残酷な答えを聞かされ、マヤリィの前にひれ伏す。

「申し訳ございません、マヤリィ様。貴女様のお苦しみも知らず、大変なご無礼を申し上げてしまいました」

「気にしないで頂戴。貴女が不思議に思うのも無理ないわ。私だって、いまだにそれがなぜなのか分からないもの」

マヤリィはそう言ってリッカに手を差し伸べる。

「顔を上げなさい。私は貴女にそんな顔をさせる為にここへ呼んだわけではないのよ?」

「はい…申し訳ありません…」

リッカが顔を上げると、マヤリィはいつの間に取り出したのか杖の形をした魔術具を持っている。

「マヤリィ様、それは…?」

「これは『流転の星杖』。シロマから借りてきたの」

マヤリィには『宙色の魔力』があるから白魔術具がなくとも完全治癒魔術を施すことは可能だが、リッカを安心させる為に持ってきたのだ。

「貴女様は…白魔術もお使いになられるのですね…」

「ええ。私はこの世界に存在する全ての魔力を司る魔術師だから、完全治癒も使えるのよ。…リッカ。私の言葉を信じてくれるなら、貴女に魔術をかけさせて欲しい。貴女の身体から戦の痕跡を消したいの」

(私は触れてはいけないことに触れてしまったかしら…)

正直な所、マヤリィは悩んでいた。この話題に触れることで、リッカのつらい記憶を呼び起こしてしまうのではないか。

それでも、消せるものならば消したいと思い、意を決してリッカを呼び出したのだ。

いつものようにシロマを呼ばなかったのも、傷痕を隠しておきたいであろうリッカの気持ちを考えてのことであり、本人の気持ち次第でマヤリィ自ら完全治癒を発動することを決めていた。

(この傷痕のせいで私は嫁に行くことも出来ず、一人きりで隠れるように暮らしてきた。戦が終わってしばらくの間は自分の身体を見るたびに苦しい記憶に苛まれた。…とうに諦めていたことだが、今の私はマヤリィ様の配下。この御方になら、私の全てを委ねられる)

心を決めて顔を上げたリッカは、この上なく慈悲深い眼差しに出逢った。今まで生きてきた中でこんなにも優しく見つめられたことはない。

(マヤリィ様…。貴女は女神様の化身であらせられるのか…?)

リッカはそんなことを思いながら、

「マヤリィ様。私は貴女様を信じております。どうか、私の傷痕を消して下さいませ。よろしくお願い申し上げます…!」

ゆっくりと頭を下げた。

次の瞬間、マヤリィは安堵の微笑みを浮かべる。

「ありがとう、リッカ。貴女の気持ちに応えられるよう、私も全力を尽くしましょう」

…待って。マヤリィ様が全力出したら色々と怖いことが起きそう。

「服は…脱いだ方がよろしいでしょうか?」

「いえ、そのままで大丈夫よ。楽にしていて頂戴」

リッカが着ているロングドレスは襟が高く袖も長く肌の露出が一切ない。その中にどれだけの傷痕が隠れているかはマヤリィにも分からないが、肝心なのはそれらを全て消すこと。つまり、身体全体に完全治癒魔術をかける必要があるのだ。マヤリィの魔力をもってすれば、服の上からでもそれが可能である。

「…大丈夫よ。すぐに終わるわ」

マヤリィはそう言うと、詠唱もせずに完全治癒魔術を発動した。

直後、リッカの身体は眩いばかりの治癒の光に包まれる。

(全然痛くないな…。それに、何やら不思議な感覚だ…。このまま眠ってしまいそうだ……)

まもなく、リッカは本当に眠ってしまった。


「ここは……」

気付いたらベッドの上にいた。

傍らにはマヤリィの姿があった。

「マヤリィ様…!」

リッカは飛び起きるが、

「大丈夫だから、楽にしていなさい」

優しい声でそう言われ、もう一度横になった。

そして、訊ねる。

「畏れながら、マヤリィ様。ここは第4会議室ではございませんよね…?」

完全治癒魔術を受けた時は確かに『結界部屋』こと第4会議室にいたのに、ここは立派なベッドのある見知らぬ部屋である。

「ええ。ここは『第2休養室』。実戦訓練等で怪我をした時の為に新しく作った部屋よ」

マヤリィは言う。

ジェイとシロマが作った『休養室』を皆にも使わせてはどうかとマヤリィが言った時、

「いいえ、ここは女王様専用の休養室ですので、配下が使うわけには参りません」

という返事が返ってきた。

「けれど、皆の為の休養室もあった方が良いのではないかしら。以前、タンザナイトが重傷を負った時も、きちんとした設備が整っていれば、シロマも治療し易かったはずよ」

ルーリとの実戦訓練で右腕が吹き飛び、魔力を使い果たして意識不明の重体に陥ったタンザナイト。あの時、彼女は訓練所に寝かされたまま、シロマの治療を受けた。最上位白魔術師の力によって全て元通りになったが、血塗れの身体をすぐに綺麗にすることは出来なかったし、着替えを用意することも出来なかった。

「確かに、今後もあのような事態が起きる可能性はございます。…ですが、よろしいのでしょうか?配下の為の休養室を設置するなど…」

「いえ、本当はもっと早く設置しておくべきだったのよ。最初は『回復部屋』という名の部屋があったのだけれど、ほとんど使わないうちに別の部屋にしてしまったのよね…」

マヤリィは顕現してまもない頃を思い出す。

白い部屋と呼ばれる不思議な空間もあったが、配下が増えるにつれ、使わない部屋を改装していった結果、流転の城の中身は少しずつ変わっていった。

変わらないのは玉座の間をはじめ、顕現してから今まで流転の國に存在している女王や配下達の個人部屋と、番号の付いた会議室や訓練所や衣装部屋や『潮風の吹くカフェテラス』など、いざ数えてみれば沢山の部屋がある。

一方、最近なって新設されたのは女王専用の休養室と、配下達の為の第2休養室。

…第7会議室も忘れてないよ、ルーリさん。

「綺麗なお部屋にございますね…」

リッカは横になったまま、第2休養室を眺める。

ジェイ監修の可愛らしい女王様の休養室とは違い、ここは至ってシンプルな部屋だが、穏やかな照明とさりげない模様の入った優しいアイボリーの天井や壁が患者を安心させる。

(私も来るのは二度目だけれど…シロマが監修しただけあって無駄がないわね。シンプルながら優しさや温かさが感じられる部屋。さすがはシロマといった所かしら)

マヤリィはリッカが目覚めるまでの間、部屋の中を見て回り、第2休養室の仕上がりに感心していた。

「リッカ、この部屋にはお風呂もあるみたいよ?もう少し落ち着いたら浸かっていくといいわ」

マヤリィはそう言うと椅子から立ち上がる。

「では、私は玉座の間に戻るわね。この後は自由時間にして頂戴。部屋はこのままにしておいて大丈夫よ」

「ありがとうございます、マヤリィ様…!」


マヤリィが『転移』した後、言われた通りバスルームに向かうと、既に浸かれる状態になっていた。

(マヤリィ様…私などの為にここまでして下さったのか…)

リッカは感動しながら、長い金髪を纏め、服を脱ぐ。その時、リッカは信じられない光景を目にした。

バスルームの大きな鏡に映っているのは確かに自分だが、肌には傷一つない。見るに堪えなかった身体は生まれ変わったように綺麗になっていた。

(これが…私なのか……!?)

怖々と後ろを確認すると、背中にあった深い傷痕も消えている。触っても分かるほど酷い傷痕だったのに、完全に消えている。

(マヤリィ様……!!)

これが完全治癒魔術なのだと実感したリッカは喜びのあまり涙を流す。

そして、あの忌まわしい記憶が遠ざかっていくのを感じた。

『天界との戦』が終わった後、リッカは命を賭して国を守った王女として国民から温かく迎えられたが、王宮の者は冷ややかだった。着替えを担当したメイドの口から傷だらけの王女の噂が広まり、居たたまれなくなったリッカは兄ツキヨの即位を見届けることもなく逃げるようにレイン離宮に移り住んだ。その後、降嫁する予定だった公爵家からは破談の知らせが届いた。

それから先はもう何も考えず、離宮に籠って一人で暮らしてきた。戦の功労者であるリッカをそのまま放っておくことも出来ないのでツキヨが陰ながら生活の支援をしてくれたが、リッカが王宮に戻ることはなかった。…そう、あの時までは。

(結局、ヒカルの役に立つことは出来なかったが…私はマヤリィ様と流転の國の皆に救われた。そればかりか、マヤリィ様は私の身体に刻まれた戦の痕を消して下さった。ああ、今日はなんて素晴らしい日なのだろう…!)

リッカは自身の綺麗な肌を眺めながら、シャワーを浴び、お湯に浸かった。今までの苦しみや悲しみが全て洗い流され、つらい記憶は溶けて消えた。

代わりに、先ほどのマヤリィの声が甦る。

『「私の言葉を信じてくれるなら、貴女に魔術をかけさせて欲しい。貴女の身体から戦の痕跡を消したいの」』

(マヤリィ様…本当にありがとうございます……!)

リッカは喜びを噛みしめながら、改めてマヤリィに感謝の言葉を伝えたいと思うのだった。

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