出会い
「……生きているのか?」
どこか幼さの残る声が、意識の奥に届いた。
「……ぅ……う……」
ルシファーはかすかに呻き声をあげた。頭が割れるように痛い。だが、確かに生きていた。
目をゆっくりと開けると、逆光の中に、一人の人影が浮かんでいた。
「……気がついたかい?」
その人物は、青年だった。
「……貴様……何者だ……?」
「今はそんなことを気にする前に、自分の心配をしてくれよ。」
「ああ……だが、お前のその背中に下げている剣…」
そうだ、金髪に澄んだ蒼眼、陽のような清潔さを持つその姿に、紋章をつけた立派な一振りの剣、まさに“勇者”の称号にふさわしいものだった。
「……お様……勇者か……?」
「そうだよ。でも、安心してくれ。君を殺すつもりはない」
「何を言っている……貴様ら勇者は……我ら冥界の者に仇なす存在のはず……」
「たしかに。でも、今の君を見て、敵だなんて思えなかった」
ルシファーは信じられないというように目を見開いた。
「冗談を言うな……私は、冥界の第一級魔導士。貴様らの仲間を、幾百と殺してきたぞ……」
「そうかもしれない。でも今、君は血まみれで、誰にも助けられず、道の果てで倒れていた。ただ、それだけだ」
ルシファーは拳を握った。自らを殺す絶好の機会だった。それでも、この男はそれをしなかった。
(なぜだ……こいつは、なぜ私を……)
「俺の名はリアン=アルフォード。かつて“勇者”と呼ばれた男だ」
「かつて……?」
「ああ、もう俺は正式な勇者じゃない。軍から離れて、たった一人で旅をしてる。……目的もなく、な」
リアンの目に浮かぶ影。それは、理想と現実の狭間で失ったものの重みを物語っていた。
「君は?」
「……ルシファー・ノクス。冥界に仕えし者だった」
「だった?」
「ハデスを討つために、私は冥界を捨てた……」
「……!」
リアンは目を見開いた。
「理由を聞いても?」
「裏切られた。すべてに。神に、妻に、そして……自分の信じていたものに」
しばし、風だけが吹き抜けた。
「似ているな、俺たち」
「……は?」
「俺も、信じていた“正義”に裏切られた。勇者は正義の象徴だ。でも、ある日気づいたんだ。俺たちが倒してきた相手の中には、ただ家族を守ろうとしていただけの者もいたって」
「……!」
「だから、今はただ歩いてる。何かを探してな」
リアンは微笑み、手を差し出す。
「君がハデスを討ちたいというなら、協力するよ」
「……勇者が、悪神の元配下に、手を貸すというのか?」
「俺たちは、名前の上では敵かもしれない。でも、今ここにいるのは、ただの“復讐者”と“放浪者”だろ?」
ルシファーはその手を見つめた。憎しみの海に沈んだ彼にとって、それはあまりにも異質で、温かい光だった。
「……私は、悪の権化だぞ。いずれ後悔する日が来るかもしれん」
「なら、その時は……もう一度ぶん殴って目を覚まさせてやるよ」
そう言って笑うリアンに、ルシファーはしばし沈黙し、やがて小さく——それでも確かに笑った。
「……面白いな、貴様」
こうして、かつての魔導士と、かつての勇者——正と邪の名を捨てた二人の男は、手を取り合い、同じ敵へと歩き出す。
目指すはただ一つ——冥府の王、ハデス。
その歩みが、冥界と地上、そして天界をも巻き込む戦火の序章となるとは、まだ誰も知らなかった。