魔王の行く先
「ハデス討伐、やむなし」
その言葉が口をついて出たとき、ルシファー・ノクスはもはやかつての悪神への忠誠心など忘れてしまっていた。
それは、かつての栄光の鎧を脱ぎ捨て、怒りと屈辱の黒衣をまとった新たな魔導士としての姿だった。
「だが……あまりにも力が足りぬ」
そう、怒りのままに飛び出したところで、相手は冥界を統べる神。
その権能、軍勢、圧倒的な信仰を背負う存在を倒すには、たった今ひとりで挑んで何とかなる理屈など存在しようはずもない。
「そうだ、あそこに行けば・・・!」
城を脱し、裏門から雪に足を取られながらも彼は馬を走らせた。
向かう先は、冥府の北西にある〈黄泉の谷〉。
そこは冥界と地上介の間に位置する、ルシファーにとって「唯一の希望」の場所だった。
◇◇◇◇
ハデスからの追手が迫る中、ルシファーは懸命にその場所へと向かう。
「・・・っくっ!」
追手に対して懸命に攻撃魔法を当て続けるルシファー、だが、防御魔法を自らに施すまでは手が回らない。
ルシファーの騎乗する馬に、追手の放つ弓矢が何本か刺さる。
馬はその場で暴れだすが、懸命にしがみついて、それでも何とか先へと進もうとする。
「よし、いいぞ!このまま進めぇ!」
<黄泉の谷>へと通ずる最後の橋が見えてきた。
息も荒く、持てる力を振り絞る愛馬。
・・・だが、それは一瞬の出来事だった。
ギュィイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!
すさまじい轟音とともに、辺り一面が暗闇に包まれる。
と同時に、なにかとてつもない力によって、橋が、空気が、いやその場全体が引き裂かれていく。
全てが崩れ去っていくその様は、いまだかつて見たこともない「厄災」だ。
「!!!!!!」
声を発する間もなく、今まで橋であったであろう場所から落ちるルシファー。
いやそれは、「落ちる」と表現するのが正しいかどうかもわからない。
そこでは空間が捻じれていた。
色も音も、そして時間すらも、すべてが混ざり合い、渦巻いていた。重力が狂い、視界は上下左右の区別を失い、何かに呑み込まれていくような感覚だけが、ルシファーを支配した。
「……ここ……は……?」
ようやく身体が何かに触れ、彼は自分が大地のようなものに倒れていることに気づく。土でも石でもない、しかしどこか懐かしさを感じる柔らかな感触。
そこに、光が差した。
それは冥界ではあり得ない、温かく、包み込むような“陽”の光だった。
だが、ルシファーの意識は暗い闇へと沈んでゆくのだった。