牢獄
ルーが聖都に戻ったのは、黄昏が石畳を赤く染める頃だった。凱旋の報せもなく、静かに門を潜った彼を待ち受けていたのは、不穏な知らせである。
「――ミュリエルが、反逆容疑で拘束された」
その一言に、ルーの瞳は氷のように冷たく光った。
聖騎士団の誇りであり、清廉を絵に描いたような彼女が、裏切り者として名を挙げられるなどありえない。
捏造だ。上層部が、自らに逆らいかねぬ存在を潰そうとしているのは明白だった。
リアンと顔を突き合わせたルーは、静かに息を吐き出した。
「参謀を……潰すしかないな」
その声音には、憤怒も悲嘆も混じってはいない。ただ冷徹な決断だけがあった。
リアンもまた、言葉を返すことなく頷いた。二人は暗殺の手筈を整え、翌夜、闇の帳の中で行動を起こすはずだった。
だが――日が沈むその日、計画は無残に崩れ去った。
「リアン・アルフォード、反逆の嫌疑により拘束する!」
広場を包囲した聖騎士団の鎧の音が、無情に響く。リアンは抵抗する間もなく押さえ込まれ、鉄の枷をはめられた。誰かが情報を漏らしたのだ。罠は周到に仕組まれていた。
ひとり取り残されたルーは、拳を握りしめる。怒りに血が沸き立つのを押さえ込み、瞼を閉じた。
「なぜ、私だけを狙わない!私の首を真綿で締め上げるかのような、このやり口…………しかし、私が捕らえられなかったのは、幸いかもしれん…」
感情に任せて突撃しても、牢に囚われた二人を救うことはできない。必要なのは――冷静な策。
◇◇◇◇◇◇◇◇
地下牢。湿った石壁を隔て、ミュリエルとリアンは背を合わせるように囚われていた。暗闇に響いたのは、彼女の疲れた声だった。
「リアン……私は、何が起きているのか全く……」
「気付かなかったか。全部、参謀の仕掛けた策だ」
壁越しに届いた彼の声は低いが、はっきりとしていた。
「お前を陥れ、俺を捕らえ……次はルーを孤立させる。そうして冥王軍の脅威を内側から消すつもりなんだ」
ミュリエルは目を閉じた。潔白を疑わぬ信念が、音を立てて崩れ落ちる。信じていた組織そのものが罠を張り巡らしていたなど――。
「……すまない、リアン。私がもっと早く気づいていれば」
「謝るな。今は生き延びる方法を考えろ」
二人は鉄格子越しに言葉を交わし続けた。鍵を奪う策、看守を欺く策……しかし、どれも実現の糸口は見つからない。焦燥だけが積み重なり、夜は更けていった。
そのとき。
カサリ、と小さな気配が石床を這った。闇の奥から忍び寄る影。蝙蝠にも似た黒き使い魔が、鉄枷を噛み砕き、呪鎖を断ち切っていく。ミュリエルとリアンは息を呑んだ。
やがて鉄格子が音を立てて外れ、月明かりを背に黒衣の魔王が姿を現す。
「立て」
「奴らは俺があらゆる使い魔を使いこなせることを知らない。そして、それが奴らの敗因となるのだ…」
その言葉に、すべてが込められていた。
ミュリエルは剣を握り直し、リアンは枷を捨てて立ち上がる。
参謀の策謀を白日の下にさらし、必ず決着をつける。その決意が、牢獄の冷たい空気を戦場の熱へと変えていく。
遠くで警鐘が鳴り響く。だが、ルーの背は微動だにしない。
その後ろに並び立つ二人もまた、反逆者の烙印を背負いながら、誓いを新たにした。




