黒き守護者と監視者
聖都の石畳を抜ける風が、陽光をまとい、柔らかな温もりを街に運んでいた。
広場の中央では露店が色とりどりの布を翻し、香辛料の匂いと焼き菓子の甘い香りが鼻をくすぐる。
遠くからは楽団の弦楽器と笛が重なり合い、祝祭にも似た賑わいを作り出していた。
「見て!黒き守護者よ!」
「火事の家から子供を抱えて出てきたんだぞ!」
「いや、聞いたぞ。あの人、魔獣を一撃で消し飛ばしたんだ!」
行き交う人々の口から、その名は何度も繰り返される。もっとも、その話には尾ひれも背びれもつき、もはや半分は英雄譚になってしまっている。
通りの一角では、子供たちが黒い布をマント代わりに羽織り、木の棒を剣に見立てて遊んでいる。
「闇から現れ、悪を斬るのだ!」
嬉々とした声を上げ、石畳を駆け回る小さな足音が響く。
ルーは足を止め、その光景を見つめた。
目元にかすかな苦笑を浮かべ、頭をかく。
(……俺はそんなもんじゃない)
胸の奥で、言葉にならない。
その様子を、少し離れた路地からミュリエルが見ていた。
夕陽が剣のつばを赤く染め、彼女の瞳には複雑な光が宿る。
眉間に刻まれた皺は深く、握る剣の柄に自然と力がこもった。
「……英雄扱い、か。冥王が」
吐き捨てる声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。
◇◇◇◇◇◇◇
夜、聖騎士団本部。
厚い石壁に囲まれた奥まった会議室は、外界の喧騒からは遠く隔てられている。
壁には金糸で刺繍された聖騎士団の紋章旗が掲げられ、蝋燭の炎がおぼろげに揺らしていた。
大理石の机の奥に座る団長の眼差しは鋼のように冷たく、その隣に控える騎士団参謀は羊皮紙を静かに広げる。
「ミュリエル」
低く抑えた声が、部屋の空気を一段と重くした。
「お前に極秘任務を与える。――ルー=ルシファーの弱みを探れ」
「……弱み、ですか」
「そうだ。あの男は危険だ。民衆はすぐ感情で動く。あの者の人気は、やがて聖騎士団の権威を揺るがすだろう」
参謀が静かに言葉をつなぐ。
「もし奴が再び牙を剥けば、我々は一刻も早く排除せねばならぬ。そのための材料を、今から集めておけ」
ミュリエルは唇を結び、返事をしなかった。
(弱みを探す…? それは本当に聖都のためか。それとも……)
疑念が胸に沈殿し、重い澱となって広がっていく。
やがて彼女は、わずかに顎を引き、短く答えた。
「……了解しました」
その瞬間、冷たい鎖が心に巻きつく音がした気がした。