第5話『対話の破綻』
これは、ゲームで築いた“城”と“仲間”をそのまま引き連れて、異世界に降り立った一人の男の物語――。
五感同期型VRMMORPG『エクリプス・オンライン』の最終夜。
玉座に座していたギルドマスターは、世界の終わりと共に新たな現実を迎える。
「ようこそお戻りになられました、我が主よ」
異世界で目覚めた彼の名は、“マグナス”。
深淵を呼ぶ魔王として、そしてかつて人間であった者として、
支配と守護、二つの選択肢の狭間で揺れる覇道が今、幕を開ける――。
漆黒の魔城――その最深部に位置する玉座の間には、重々しい静寂が支配していた。高くそびえる尖塔の広間は黒大理石で築かれ、足元には長大な深紅の絨毯が敷かれている。両側の壁に灯る青白い魔導灯がゆらめき、亡霊のような微光が空間を照らしては消えていく。その中央に据えられた闇に沈む玉座には、一人の男が腰掛けていた。魔王マグナス――この黒城の主にして、新たに蘇りし魔王である。
扉が軋む音と共に、玉座の間へ四つの人影が足を踏み入れた。勇者一行だ。勇者アレン、聖騎士レオンハルト、宮廷魔術師イリス、そして僧侶セシリア。彼らは未知の脅威に備えるように隊列を組み、慎重な足取りで広間へと進み出た。かつて猛威を振るった異形の魔物たちが徘徊していた城内も、今は嘘のように静まり返っている。四人はかえって張り詰めた緊張を感じずにはいられなかった。まるで全てが彼らを待ち受けていたかのように……。
「……あれが魔王マグナスか」アレンが低く呟いた。薄明かりの中、玉座の上の男の姿を見定める。
玉座に鎮座する魔王は、漆黒を基調とした重厚な魔導士のローブに身を包んでいた。その布地には赤紫の不気味な紋様が幾重にも描かれ、淡い燐光を放っている。フードの奥から覗く瞳は紅玉のように輝き、まるで闇そのものに魂を宿したかのようだ。露わになった両手や喉元の肌には複雑な魔法陣の刻印が浮かび上がり、脈動するように妖しく光っている。更に彼の全身を黒い霧が取り巻いていた。常闇の靄は男の周囲の空間を歪めるほど濃密で、見る者に得体の知れぬ威圧感を与えている。玉座の傍らには一本の長杖が立てかけられていた。黒曜石で作られたその杖は先端に血染めのように赤い水晶玉を戴き、微かな魔力の燐光を湛えている。それら全てが異様な光景を形作り、四人の侵入者を迎え撃つかのように暗闇の中に佇んでいた。
勇者一行は足を止め、魔王から十数メートルほど離れた位置で対峙した。生易しい相手でないことは、この場の空気が雄弁に物語っている。レオンハルトは鋭い碧眼を光らせ、アレンの肩越しに玉座の魔王を睨み据えた。イリスは緊張を隠せない面持ちで宝杖を握り締め、セシリアは祈祷師の法衣に身を包んだ小柄な体を精一杯に伸ばすようにして、震える手で聖印を握りしめている。全員がそれぞれに武器と術式の準備を整え、いつでも戦闘に移れる態勢を取っていた。
しかし、魔王マグナスは微動だにしない。薄闇に沈む玉座に深く腰掛けたまま、静かに彼らを見下ろしていた。その態度には焦りも敵意もなく、まるで来訪者との謁見を待っていたかのようである。英雄譚で語られる邪悪な怪物のイメージとは程遠い静けさと威厳——それが逆に、勇者たちの警戒心をより一層掻き立てていた。
「魔王マグナス!」レオンハルトがまず一歩前に出て、鋭く呼びかけた。甲冑が擦れ合い、玉座の間に澄んだ金属音が響く。「貴様の企みもここまでだ。我らがこの城に踏み入った以上、もはや逃れはしないと思え」
凛とした聖騎士の声に、僅かに魔導灯の揺らめく音だけが答える。一拍の沈黙。玉座の上の魔王は、ゆるやかに片手を動かした。傍らの長杖を手に取るでもなく、ただ空中で静止させるような仕草。そして静かだが底冷えのする声音で口を開いた。
「よく来たな、人間たちよ」マグナスの声音は落ち着き払っていた。低く抑えられた声は玉座の間の隅々にまで染み渡り、石壁がわずかに共鳴するほどだ。「ここまで辿り着いた勇気と執念……称賛に値しよう」
その物静かな響きには嘲りの色はない。むしろ淡々と事実を述べているだけにも聞こえた。しかし勇者一行は揃って身構える。魔王の何気ない言葉さえ、彼らには底知れぬ威圧と威嚇に感じられるのだ。
「フン、負け惜しみを……!」レオンハルトが忌々しげに言葉を吐き捨てた。「結界を張り巡らせ、我らを迷わせておきながら……いざ踏み破られれば大人しく降参か?」
鎧越しに握り締めた拳が震えるのを、アレンは感じ取った。レオンハルトは先程までの迷宮の如き結界に散々苦しめられた怒りを露わにしている。実際、彼らはこの玉座の間に至るまでに長い時間を費やしたのだ。強力な空間魔法による結界迷路、それを突破できたのは奇跡にも近い偶然――否、神の導きと信じたい出来事があってこそだった。レオンハルトにしてみれば、一行を散々弄んだ挙句に悠然と待ち構える魔王の態度は、傲慢不遜に映ったのだ。
マグナスは穏やかにかぶりを振った。「降参…? 誤解しているようだな、聖騎士よ」
絨毯の上に垂れた魔王の右手指先がかすかに動いた。その瞬間、先程まで灯っていた青白い魔導灯の火がメラ、と大きく揺らめいたように見えた。「私は貴公らと無意味な戦いをするつもりはない。ましてや降伏する気など毛頭ないが……できれば剣を交える前に、話をしたいと思っている」
穏やかな声音とは裏腹に、その発せられた内容は勇者たちを愕然とさせた。話だと?
真正面に相対した宿敵と言葉を交わすなど、想定すらしていなかったのだ。アレンは訝しむように眉をひそめ、正面の魔王を見据えた。
「……話、だと? 一体何のつもりだ」
「何のつもりでもない。文字通りの意味だよ、勇者アレン」玉座の上の魔王は静かに答える。その男の瞳がわずかに細められたように見えた。
「私はお前たちに提案をしたい。愚かな争いを避けるための、和平の提案を」
「和平だと?」アレンは驚愕を隠せず声を上ずらせた。「ふざけるな! 貴様は魔王だぞ。人間に降伏を乞うつもりか?」
「降伏ではないと言ったはずだが?」マグナスの声色は冷静だ。しかしその紅い双眸には微かな光が宿っている。「私はこの地で静かに暮らすことを望んでいるに過ぎない。お前たち人間の領域を侵せば争いになることは理解している。だからこそ、無用な戦いを避けたいのだ」
淡々と告げられる魔王の言葉に、四人は互いに顔を見合わせた。想像していた対決の様相とはあまりにかけ離れている。あろうことか魔王自らが和平を口にするなど――。レオンハルトは「馬鹿な…」と呆れたように吐息し、イリスも困惑の色を浮かべて魔王からアレンへと視線を移した。だが僧侶セシリアだけは、険しい表情を崩さずにマグナスを凝視している。その眼差しには強い敵意と嫌悪が滾っていた。
アレンは喉を鳴らし、一歩踏み出して叫んだ。「例え何を望もうと、お前が存在するだけで人々に災いを振り撒いているんだ! 和平? そんなもの、信じられるものか!」
険しい声には動揺と怒りが入り混じっていた。現に、黒城出現以降周辺では異変が相次ぎ、多くの無辜の民が怯えているのだ。黒城の瘴気に当てられた魔物による被害、行方不明となった者たち——伝え聞く悲劇の数々がアレンの脳裏を過る。そして何より、アレン自身もこの結界迷宮で味わった恐怖を忘れてはいなかった。「貴様が静かに暮らすだと? 笑わせるな。配下の魔物どもに人を襲わせておいて、何が平和だ!」 激しい非難に、マグナスは目を伏せた。ローブの下で拳が淡く握られる。「……確かに、城の出現によって周囲に影響が出ていることは否定しない。無関係の者たちに被害が及んだことは遺憾だ」
意外にも素直なその返答に、勇者一行は再び言葉を失った。魔王が人間の被害を“遺憾”とまで言ってのけるとは。しかしマグナスは続ける。「だが誤解しないでもらいたい。私は好んで人間を害したわけではない。配下の魔物たちには厳命し、領域外で勝手な行動を取ることのないよう統制してきたつもりだ……実際、私はむやみに人間社会へ攻め入ったりはしていないはずだ」
それは事実だった。マグナスは自ら人間の領土への侵攻を命じたことはない。むしろ先ほどまで、忠誠厚い副官ルシエラの「版図拡大」の進言にすら逡巡を覚えていたほどだ。ドラガンによる人間斥候の排除も、彼自身は内心で苦々しく受け止めていた。彼は極力、人間との不毛な衝突を避けたいと願ってきたのだ。しかし――。
「言い訳か?」レオンハルトが語気荒く遮った。「では問おう、魔王よ。貴様が現れて以降、各地で増殖した魔物どもは何なのだ? 先ほどお前自身が見せたこの邪悪な結界は? それら全てが人々を苦しめているという現実を前にして、なお貴様は善良な隣人を気取るつもりか!」
その声には怒りと侮蔑がにじんでいた。正義感に篤い聖騎士にとって、自らの大義を踏みにじる存在と言葉ほど許しがたいものは無い。目の前の魔王は、どこまでも欺瞞に満ちているように思われた。
マグナスは静かに嘆息した。蒼白い灯火が揺らめき、彼の影が背後の壁に幽鬼のように伸びる。「私は欺いてなどいない。私の城がこの地に現れたことで、周囲に異変を及ぼしているのは事実だろう。そして人間がそれを脅威とみなすのも理解している。だからこそ……こうして話し合いの場を設けているのだ」
彼は玉座の背にもたれかかり、冷徹な眼差しで勇者一行を見渡した。「私が望むのは互いに干渉せぬ平穏だ。これ以上、双方に血が流れることを避けたいと考えている。それが不可能だというのなら……」
そこで言葉を切り、マグナスはわずかに間を置いた。重苦しい沈黙が広間を包む。遠くで滴り落ちる水音が響き、緊張がいや増す中、イリスが小さく息を呑んだ。魔王の言葉を待つ彼女の胸に、奇妙な疑念が芽生えていたからだ。本当にこの魔王は人間との和平などと――だが思考は最後まで形を成さなかった。 「双方に血が流れることを避けたい、だと?」セシリアが静かに、しかし明確な怒りを孕んだ声を上げた。「笑わせないでください、魔王。あなたのような穢れた存在がいる限り、人間に真の平穏など訪れはしない!」
彼女は握り締めた聖印を高く掲げ、一行の前に進み出た。聖なる光を宿す瞳が、糾弾するようにマグナスを射抜く。「女神は仰せです……闇に跪く悪しき者に、救いの道などないと! あなたは生きとし生ける者すべてを脅かす忌まわしき闇。その息吹一つで大地は穢れ、歩むだけで死を撒き散らす禍そのものなのです!」
セシリアの叫びに呼応するように、聖印から聖なる光の粒子が散った。純白の輝きが彼女の周囲に降り注ぎ、まるで無数の火花が弾けるように四散する。彼女の激情が祈りの力を増幅させているのだろう。「そんな存在を生かしておくことこそ、人間界への最大の脅威! 我らが為すべきことはただ一つ、あなたを神の名の下に討ち滅ぼすことのみです!」
冷たい静寂が流れた。セシリアの非難の言葉は、玉座の間に鋭い刃のように突き刺さった。その場の全員が言葉を失うほどに、彼女の叫びは苛烈で、そして悲痛だった。誰よりも清浄なる神の教えを信じる彼女にとって、目の前の魔王は決して相容れぬ「穢れ」そのものでしかない。和解などという語は、耳にすることすら耐え難い冒涜だったのだ。
マグナスはゆっくりと瞼を閉じた。かすかな痛みのようなものが、胸の内に広がるのを感じる。穢れた存在——僧侶の口から吐き捨てられたその言葉が、重く心にのしかかった。喉元に刻まれた召喚陣の紋様が脈打ち、彼の周囲を立ち込める黒霧がざわめく。次の瞬間、バチッ…と空気を裂くような音が響いた。張り詰めた闇の中で、見えざる魔力の火花が散ったのだ。
「…そうか」マグナスの声は先程までの静けさを失くし、低く押し殺されていた。「貴女は初めから、そのように考えていたのだな」
閉ざされていた瞼が開かれる。覗く双眸には、先程までの落ち着いた光は無い。微かな怒りと、深い失望の色だけが宿っていた。「穢れた存在、か……人間とはつくづく独善的なものだ。貴公らは私の姿形だけを見て、生まれながらの悪と決めつけているのだからな」
その声には冷たい響きがあった。徐々に、玉座の間の空気が変わってゆくのを勇者たちは感じた。先程までの静謐は消え去り、代わりに肌を刺すような緊張感が満ち始める。イリスが思わず身震いし、セシリアもまた聖印を掲げた腕を固く強張らせた。マグナスはなおも玉座に腰掛けたまま、しかしその周囲に集う黒霧が渦巻き立つのが見て取れる。彼の内なる魔力に呼応して、空間そのものが軋みを上げるようだった。
「もはや対話は無意味、ということか」マグナスが静かに言い放った。
凍てつくような声音に、アレンはハッと息を呑む。魔王の纏う瘴気がじわじわと広間全体に広がり始めていた。出口側に立つ勇者一行へと押し寄せるように、濃密な暗黒の気が波動となって押し寄せる。それは目に見えぬ刃となって四人の肌を刺し、重圧となって肩にのしかかった。
「なんという魔力……っ」イリスが額に汗を滲ませながら呟いた。湧き上がる敵意に呼応して、魔王の放つ魔力が増幅している。彼女は慌てて宝杖を振り上げ、結界魔法の詠唱を開始した。「このままではまずいわ……防御を固めないと!」
「くっ……」レオンハルトもすかさず盾を構え直し、一行の前に出て身を固めた。「全員、陣形を維持しろ! 魔法による攻撃に備えるんだ!」
四人は即座に戦闘体勢へと移行した。イリスの周囲には光の紋様が浮かび上がり、セシリアも震える声で祈祷を唱え始める。アレンは聖剣を抜き放ち、レオンハルトと共に前衛に立った。蒼白い結界の光が四人を覆い、聖なる守護の力が降り注ぐ。勇者の手に握られた大剣が銀色の輝きを帯び、レオンハルトの長剣にも聖騎士のオーラが漲ってゆく。
マグナスはそんな彼らの様子を冷然と見据えていた。わずかに首を傾げ、静かに呟く。「…正義、か」
その一言は小さかったが、広間に明瞭に響いた。「お前たちは自らを正義と信じ、そして私を絶対悪だと決めつけているようだな」
彼の言葉に答える者はいない。ただ全員が緊張の面持ちで魔王の動向を注視している。だがマグナスは臆する様子もなく続けた。「だが…問いたい。人間よ、お前たちの言う正義とは何だ? 己と異なる存在を初めから排斥し、対話すら拒むことが正義だとでも? 自ら脅威とみなしたものを力ずくで滅ぼすことしか能がないというのなら…それこそ、貴様らが忌み嫌う『悪』と何が違う?」
重低音のような問いかけが玉座の間に響き渡る。アレンは歯噛みした。「…黙れ、魔王!」
しかしその声には先程までの勢いが感じられない。マグナスの放つ圧力に押され、額には冷たい汗が滲んでいた。「俺たちは、人々を守るために――」
「人々を守る?」マグナスの唇が嘲弄とも取れる笑みを刻んだ。「そうだろうな。貴様らは自分たちの大義に酔っている。守るためならば、何をしても許されると思っている」
「……違う!」アレンはかぶりを振った。「魔物どもが害をなすから、だから討つんだ。それが悪を挫き、善を成すということだ!」
「善? 確かに民を守る行為は善だろう。しかし私から見れば…お前たちのしていることは“恐怖”に駆られた暴力だ」マグナスの双眸が鋭く光る。「己の平和を脅かすものを力で排除しようとする。その根底にあるのは正義などではない。未知なる存在への恐怖と、憎悪だ」
「詭弁を――!」レオンハルトが叫びかけたが、その声は最後まで言葉にならなかった。突然、玉座の間にビリビリとした魔力の震動が走ったのだ。マグナスの周囲の黒霧が一際濃密に渦巻き、圧縮された闇が稲妻のようにほとばしる。「…っ来るぞ!」レオンハルトは直感的に悟り、聖剣の柄を握り締めた。正面の魔王から放たれる殺気とも言うべき瘴気の奔流——生半可な防御では防ぎきれぬ圧倒的な力の片鱗が、空気を震わせている。
その時、マグナスの脳裏では別の声が木霊していた。過去の自分自身の声——田中守としての心の声だ。「……俺は……どうすればいい?」暗く孤独な問い。かつて彼が現実世界の人間だった頃、当たり前に享受していた平穏と理性。それらは魔王という存在になった瞬間に断ち切られ、この異世界で戦いに身を投じる宿命を背負った。
彼は思い出していた。異世界に転移し、この城で目覚めた最初の夜を。仲間たちの誰もいない玉座の間で、一人途方に暮れた自分を。無数の忠実な配下NPCたちに囲まれ、彼らから「陛下」と崇められながらも、心の中では戸惑いと不安に押し潰されそうだった時のことを。
——望んで得た力ではない。それでも、与えられてしまった運命。
マグナスは心の内で静かに呟く。(俺はこの力を振るうべきなのか? 本当に、世界を征服する魔王になってしまっていいのか?)
それはこの城に来て以来、幾度となく自問してきたことだった。彼は人並みの良心と道徳を持つ人間・田中守としての自我を、未だ手放せずにいたのだ。
だが——勇者たちを目の前にした今、この瞬間。彼の心中で何かが音を立てて崩れていく。セシリアの叫んだ「穢れた存在」という言葉、その揺るぎない敵意が突き刺さった時から、彼の中で燻っていた迷いは怒りの炎へと変わり始めていた。
彼らは結局、対話を拒み、己の正義を振りかざしているだけではないか。こちらがどれだけ譲歩しようと、初めから応じる気などなかったのだ。魔王という存在に生まれ落ちた時点で、自分は無条件に“討つべき悪”と決めつけられている……。
もし仮に、自分が彼らと同じ人間の立場であったなら? マグナス——いいや、田中守は即座に理解した。自分もまた、正義の名の下に魔王を斃そうとしていただろうと。彼らと自分は、立場が違うだけで本質は同じなのかもしれない。
それでも——彼は唇を引き結んだ。穏やかな話し合いで分かり合えぬのなら、もはややれることは一つしか残されていない。すなわち力の行使だ。自らが忌み嫌ってきた解決策であるにも関わらず、今この状況を打破するには他に術がない。
一度は手を取り、歩み寄れる可能性を模索した。だが彼らはそれを足蹴にし、最初から斬り捨てようとしているのだ。ならば……抗うまで。自分と、自分の守るものを守り抜くために。
マグナスは暗い笑みを浮かべた。皮肉なものだ、と心中で嘆息する。結局自分は魔王であるほかないのだ。そう、魔王として——この世界で生きる全ての配下や民を背負う王として、覚悟を決めねばならない。
背後の虚空に控えているであろう忠臣たちの顔が脳裏に浮かぶ。ルシエラ、ドラガン、ゼルガド、ヴィクター……皆、自分を疑いなく魔王と信じ、その理想のために命を賭して仕えてくれている者たちだ。彼らの期待に応えずして何が王か。己の迷いで主君を見失うことこそ、裏切りではないのか。
そして何より——たとえ人間であった頃の良心が痛もうとも、今この場で敗北するわけにはいかない。もしここで自分が斃れれば、残された配下たちは行き場を失い、無慈悲な人間たちの報復によって根絶やしにされるだろう。それだけは絶対に避けねばならなかった。
「……もういい」マグナスは静かに呟いた。その声は玉座の間に木霊し、不思議なほど澄んで聞こえた。抑揚の無い平坦な響きに、勇者たちは一瞬戸惑う。「マグナス……?」アレンが眉をひそめ、様子を窺うように声を漏らす。
だが次の瞬間、マグナスの纏う黒霧が爆発的に広がった。ぼうっと燃え上がる漆黒の炎の如く、玉座を中心に濃密な闇が膨れ上がる。「―っ!」イリスが思わず目を覆った。凄まじい魔力の奔流に空気が揺らぎ、床石がビリビリと震える。セシリアが祈祷の呪をかき消され、「きゃっ…!」と小さく悲鳴を上げて跪いた。
マグナスの瞳が妖しく爛々と輝いた。その瞳に先ほどまでの迷いや憂いは一切ない。あるのは冷徹なる決意と、魔王の威厳のみ。彼はゆっくりと立ち上がった。玉座のクッションを押しのけるようにその長身が伸び上がり、暗黒のローブが波打つ。傍らの『深淵の杖』が主の手に呼応して宙に浮き、しゅっという音と共に彼の右手に吸い寄せられた。掌が杖を握るや、赤い水晶玉がギラリと輝きを増す。まるで魔王の闘志に応えるかのように。
「貴様らの望み通り、力で語るとしよう……」マグナスの声は玉座の間に轟いた。その一言一言が空気を震わせ、圧となって四人に降り注ぐ。「だが勘違いするな、人間ども。我が怒りに任せて貴様らを屠るつもりはない」
アレンたちは猛烈な魔威に晒されながらも懸命に踏みとどまり、剣先を震わせていた。マグナスは彼らを見下ろし、宣言する。「お前たちには生きてもらう——このマグナ・ドミニオンに捕らわれの身としてな」
その言葉に、勇者一行の顔色がはっきりと変わった。「な……に?」レオンハルトが驚愕に目を見開く。「生け捕りだと……?」
マグナスは応えない。ただ深紅の瞳を細め、冷笑とも取れる表情を浮かべた。彼なりの譲歩であり慈悲であったが、人間側にとっては己を侮られたも同然だった。屈辱と憤怒がアレンたちの胸に込み上げる。「このっ…魔王が!」アレンは雄叫びを上げ、聖剣を高く掲げた。「俺たちが捕らわれるだと? ふざけるな、すぐに後悔させてやる!」
「貴様らに我が怒りの本質を教えてやろう」マグナスは静かに杖を突き立てた。閃光が散り、闇の波動がさらに高まる。「来い、勇者ども……。その慢心と偏見ごと、叩き伏せてくれよう!」
常闇の玉座の間に、稲妻のような魔力の奔流が奔った。次の瞬間、勇者アレンは聖剣を輝かせて突撃し、レオンハルトがそれに続く。イリスの紡ぐ魔術の光と、セシリアの放つ浄化の輝きが闇を裂き、四人は一斉に魔王へ向かって挑みかかった。
その光景を、マグナスは冷然と迎え撃つ。玉座の間に轟音が轟き、衝突の瞬間が訪れようとしていた――。
最後までお読みいただきありがとうございます!
「ゲーム×異世界×魔王」という構図の中で、
主人公・マグナスがどのように“王としての答え”を出していくかを描いていきます。
本作は重厚でダークな展開が中心となりますが、配下NPCとのやり取りや、
魔王であることの“光と影”にも焦点を当てながら進めてまいります。
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今後ともどうぞよろしくお願いいたします