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第1話 目覚めし城と深淵の兆し  

これは、ゲームで築いた“城”と“仲間”をそのまま引き連れて、異世界に降り立った一人の男の物語――。


五感同期型VRMMORPG『エクリプス・オンライン』の最終夜。

玉座に座していたギルドマスターは、世界の終わりと共に新たな現実を迎える。


「ようこそお戻りになられました、我が主よ」


異世界で目覚めた彼の名は“マグナス”。

深淵を呼ぶ魔王として、そしてかつて人間であった者として、

支配と守護、二つの選択肢の狭間で揺れる覇道が今、幕を開ける――。

深夜のビル街は、冷たいネオンの光に照らされていた。終電間際の電車に揺られ、自宅の最寄り駅へと辿り着く。車内には守と同じように疲れ切った会社員たちが席にもたれかかっていた。誰もがスマートフォンに視線を落とし、無言のまま終点へ運ばれていく。窓ガラスに映った自分の顔はげっそりとやつれ、生気のない瞳がそこにあった。守は思わず小さく溜息を吐く。田中守たなか まもるは重い足取りで改札を抜け、人気のない夜道を一人歩いていた。三十歳、独身。日中は平凡な中小企業のサラリーマンとして働き、定時などとうに過ぎた残業の末にようやく帰路に就く毎日だ。疲弊した心と体は家路を急ぐはずなのに、その足取りはどこか鈍い。帰ったところで薄暗いワンルームに一人きり、迎えてくれる家族も恋人もいない——そんな現実を思うと、自然と歩みが重くなるのだった。  


「はあ…今日も疲れた…」

 

ぽつりと、誰にともなく漏れる独り言が夜の静寂に溶ける。仕事そのものは嫌いではない。だが漠然とした倦怠感が胸に巣食っていた。気が付けば学生時代の友人とも疎遠になり、職場でも上辺の付き合いばかり。実家の両親には「そろそろ結婚は?」とお決まりの問いを投げかけられる始末だ。しかし当の守自身は、そうした人生の節目にもどこか実感が持てないでいる。毎日同じように仕事をして帰るだけ——何の変哲もない灰色の現実。それがこれから先も続くのかと考えると、心の奥底にぽっかり穴が開いたような虚無感に囚われるのだった。  


そんな彼にとって、唯一の拠り所がオンラインゲームの世界だった。自宅のアパートに帰り着くと、守は乱雑に部屋を片付ける間もなくベッドへ腰を下ろした。薄暗い室内には使いかけのコンビニ弁当の容器や雑誌が散乱していたが、彼はそれらに目もくれずVRマシンの待機画面へと意識を向ける。五感同期型VRMMORPG『エクリプス・オンライン』——彼が数年間にわたり熱中してきた仮想世界だ。このゲームを始めたのは、社会人生活に行き詰まりを感じていた数年前のことだった。そこで彼は仲間と出会い、ギルドを結成し、現実よりも充実した時間を過ごすようになったのだ。頭部にインターフェースのヘッドギアを装着し、ゆっくりと横になる。視界にログイン準備のメニュー画面が浮かび、守は深呼吸した。頭部への接続が完了すると、現実の感覚が徐々に遠のいていく。意識が仮想空間へと沈み込んでいく不思議な浮遊感——何度味わっても慣れない瞬間だ。現実では孤独な一会社員に過ぎない自分。しかしゲームの中では……。  


「行くか……最後の冒険に」

 

自嘲気味につぶやき、ログインを開始する。今日は『エクリプス・オンライン』のサービス最終日だった。運営終了の告知から幾月も経ち、多くのプレイヤーがゲームを去っていった。守がマスターを務める伝説のギルド《マグナ・ドミニオン》も例外ではなく、仲間たちは次々と現実生活へ帰還し、今では彼一人が残るのみとなっている。それでも守はこの日までログインし続けた。数々の思い出を刻んだ大切な場所が消え去る瞬間を、この目で看取らずにはいられなかったのだ。  


刹那、意識が暗転し、次に目を開いた時には——彼は既に仮想の肉体を得て、見慣れたギルドマグナ・ドミニオンの玉座の間に立っていた。いつもであれば仲間たちの笑い声が響き、活気に満ちていた大広間。しかし今宵ばかりは嘘のように静まり返っている。漆黒の大理石で築かれた広間の奥には高々と玉座が据えられ、足元には長い赤絨毯が敷かれている。両脇の壁に等間隔に配された燭台には青白い魔導の灯火が揺らめき、天井近くまで伸びる巨大な石像が不気味な影を落としていた。また、壁面にはギルドの戦利品として巨大な竜の頭蓋骨や黒い戦旗が飾られ、過去の栄光を静かに物語っている。  


その中央、玉座に腰掛ける一人の男——それこそがゲーム内での守の姿、《深淵の王》マグナスである。そのアバターは最強クラスの魔導士〈深淵召喚士(アビス・サモナー)〉に属し、ゲーム内でも屈指の存在感を放つキャラクターだった。  


マグナスの装束は漆黒を基調とした重厚な魔導士ローブ。その表面には赤紫の微光を放つ召喚紋章が幾重にも刻まれており、闇に沈む広間の中で妖しく浮かび上がっている。頭にはフードを深く被り、隠された双眸は紅蓮のように静かに煌めいた。露わになった両手の肌には禍々しい紋様の刻印が脈動するように浮かび上がっている。玉座の傍らには愛用の魔杖『深淵のアビス・スタッフ』が立てかけられていた。黒曜石で造られたその杖は、先端に血染めのように赤い水晶玉を抱き、微かな魔力の燐光を放っている。また、彼の全身には常闇の霧がまとわりつき、周囲の空間を歪めるかのような不穏な気配を漂わせていた。現実世界の田中守から見れば、これらはすべて自分が創り上げ、身に着けてきたゲーム上の虚構


——そう、ほんの数分前までは確かにそうだった。  


守——今はマグナス——は静かに目を閉じ、玉座の背凭れに身を預けた。重厚な衣擦れの感覚が現実さながらに伝わってくる。五感同期型のVRとはいえ、ゲーム内での感覚は安全のためある程度制限されている。だがそれでも、この広間に漂う空気や衣服の重みは、彼にとって何より安らぎを与えてくれるものだった。虚構だとわかっていても、自らが築き上げた居城に身を置いているというだけで心が満たされていく。それほどまでに、彼にとって《マグナ・ドミニオン》は何にも代え難い特別な場所だったのだ。  


ふと、脳裏に過ぎ去りし日々の記憶が甦る。仲間たちと共に砦を建設し、初めてこの玉座の間を完成させた夜——皆でボイスチャット越しに歓声を上げ、乾杯したこと。強大なレイドボスを打ち倒し、戦利品を分かち合っては朝まで語り合ったこと。砦が襲撃を受けた際、総出で防衛戦を戦い抜き、夜が明けた時に抱き合って勝利を喜んだこと……。  


あの日、押し寄せる敵兵の群れを前に、仲間たちと肩を並べて最後の防衛線を死守した。「ここで踏ん張れば夜明けが来るぞ!」誰かがボイスチャットで叫び、疲弊しきった全員がもう一度奮起したのだ。そうして迎えた暁、城壁の上で皆と抱き合って歓喜した瞬間の高揚——忘れられるはずがない。  


思えば、仲間たちはそれぞれの想いをこの城に刻んでいた。知恵の守護者ゼルガドの設定を作り上げた者、半竜の戦士ドラガンに己の理想を投影した者、優雅な執事ヴィクターの振る舞いに美学を込めた者……副官ルシエラは、他ならぬ守自身が一から創造した存在である。現実へと去っていったかつての仲間たちの創意が結晶となったNPC達。その一体一体に思い出が染み付いているからこそ、守にとってこの城は何にも代え難い特別な場所だったのだ。  


気づけば、ぎゅっと拳を握りしめている自分がいた。(あの頃は、本当に楽しかったな……)そう胸中で呟いて、マグナス——守——はかすかに笑みを浮かべた。しかしすぐに、その笑みは儚く消え去る。既に仲間たちは現実へと戻り、この城に集った者達の魂は今はない。玉座の間に響く声は自分一人だけ……その寂しさがひしひしと押し寄せ、胸が軋むように痛んだ。  


壁際に据えられた大時計の長針が、ゆっくりと午前零時を指そうとしていた。『エクリプス・オンライン』のサービス終了まで残り僅か——カウントダウンの刻が近づいている。守は玉座に深く腰掛けたまま、ぽつりと零すように呟いた。  


「……これで、本当に終わりか」  


返事をする者は誰もいない。最早この世界に自分以外のプレイヤーはいないのだ。ギルドメンバーたちは皆ログアウトし、現実の日常へと帰っていった。かつて十数名を数えた同志たちは、今頃それぞれの場所でそれぞれの人生を歩んでいることだろう。忙しい社会人生活の合間に集い、砦を築き、数々の戦場を駆け抜けた日々——それらも今は遠い夢のように思える。明日からは自分もただの会社員として灰色の毎日に戻るのだ——本来であれば。  


静寂の中、ついに大時計の針が零時を指し示した。  


——次の瞬間。  


ぐらり、と世界全体が揺らいだ。  


「……っ!?」

 

思わず玉座の肘掛に掴まる。まさかゲーム終了の瞬間に特殊な演出でも入ったのか?だがそんな事前予告はなかったはずだ。いや、これは演出などではない——身体の芯がふっと沈み込むような強烈な浮遊感。まるでジェットコースターの急降下に放り出されたかのような感覚が全身を駆け抜ける。同時に、耳元で「ボン」と鈍い圧力波のような音が鳴り、視界が一瞬だけ暗転した。  


「……う、ぐっ!」

 

思わず呻き声が漏れる。五感同期型VRといっても、通常ゲーム内で痛みを感じることはほとんどないはずだ。だが今、確かに守——マグナスの身体は眩暈と耳鳴りに襲われていた。  


何とか意識を保ち、マグナスは薄れかけた視界を凝らした。次に目に飛び込んできた光景は——それまでとは決定的に異なっていた。先ほどまで静止画のように凍り付いていた城内の灯火が、今はゆらゆらと揺れ動いている。遠く廊下の彼方からは、ひゅう、と風の吹き抜ける音がかすかに聞こえてきた。石造りの城の空気はひんやりと冷たく、頬を撫でる感触さえある。鼻腔には石材と古びた木材の埃っぽい匂いまでもが微かに漂っていた。ローブの布擦れがかさり…とかすかな音を立て、玉座にもたれかかる背中には重量感がずしりとのしかかっていた。  


「……え?」

 

守の口から戸惑いの声が漏れた。今、自分は確かに“肌で”空気の流れを感じている。VRゲームでは視覚・聴覚・触覚こそある程度再現されていたものの、痛覚や微細な感覚は安全のため制限されていたはずだ。だがこの生々しい感触はどうだ——まるで本当に異世界に迷い込んだかのようなリアリティではないか。  マグナスはゆっくりと玉座から身を乗り出し、自らの右手を見下ろした。淡い魔光に照らされた手の平には、禍々しい紋章の刻印がくっきりと浮かび上がっている。ゲーム内で何度も見慣れた自分のアバターの手……しかし今、その紋様は皮膚に焼き付いた痕のように隆起し、触れればざらりとした感触さえ感じ取れる。「これは……?」恐る恐る左手の指先でなぞってみる。ごつごつと硬質な肌理があり、微かに熱を帯びているようにも感じられた。その瞬間、ぞくりと背筋に震えが走った。  


マグナス——いや、田中守は混乱する頭を必死に働かせ、状況の分析を試みた。午前零時を過ぎても自分の意識はこうしてゲーム内に留まっている。だが、もはやこれは“ゲーム”とは呼べないほど感覚が鮮明だ。まさか、本当に自分ごとゲーム世界に閉じ込められたというのか?それとも、サービス終了後のデータ空間に自分一人だけ取り残されたバグなのか?「いや、そもそもサーバーが停止しているなら接続自体切れているはず……」ぶつぶつと独りごちながら首を振るが、答えは出ない。  


ひとまずメニューを開いてログアウトを試みるしかない——守はそう判断し、意識を集中してシステムメニューを呼び出そうとした。だがいくら待っても視界の端に半透明のウィンドウは現れない。次いで試したフレンドリストやGMコールの念話にも反応はなかった。「……くっ、駄目か」喉元まで出かかった舌打ちを飲み込む。ログアウトどころか通信すら一切できないとすれば、もはやこれはゲームの延長ではなく現実だと考えるほかあるまい。  


守は脳裏に現実世界の自分の姿を思い浮かべた。今ごろ現実の自室で横たわる自分の身体はどうなっているのか——あるいは、すでに消え去ってしまったのかもしれない。二度と元の世界に戻れない可能性が脳裏をよぎったが、それでも奇妙なことに、恐怖よりも高揚が勝っている自分に気づき戸惑う。虚構だったはずの冒険談が現実となった今、この胸の奥底では得も言われぬ興奮が渦巻いていたのだ。  


愕然としながらも、守は次に自らの内面へと意識を向けてみた。すると——感じた。全身を駆け巡る膨大な魔力の奔流を!かつてゲーム内で習得した数多の高位魔法や特殊スキルの数々が、その一つ一つまでもが脳裏に鮮明に浮かび上がってくるではないか。かつてのギルドマスター、アビス・サモナーとしての力……それらが今の自分に完全に宿っているという感覚。守は大きく息を呑んだ。その事実に戦慄する間もなく——。  


「ようこそお戻りになられました、我が(あるじ)よ」

 

不意に、柔らかだが凛とした女性の声が玉座の間に響いた。静寂を破るその声に、マグナス——田中守はハッとして顔を上げる。  


いつの間にか、玉座の間の巨大な扉が開かれていた。その入り口に、一人の女性が静かに立っている。艶やかな銀髪は月光を受けたかのように淡く輝き、漆黒の甲冑がしなやかな肢体を隙間なく包んでいた。その褐色の肌は透き通るように滑らかで、長く尖った耳が銀髪の合間から覗いている。まるで夜の闇そのものを背負っているかのようだ——神秘的でありながら凄烈な存在感を放つ姿に、マグナスは思わず息を呑んだ。  


女性は玉座から十数メートルほど離れた位置で足を止め、恭しく片膝をつくと頭を垂れた。その声には熱い忠誠と喜びが滲んでいる。「お目覚めを心待ちにしておりました…陛下。城内は平穏にて、配下の者たちは皆、主の御指示を仰ぐべく待機しております。こうして再びお姿を拝することができ、心より安堵いたしました」  


彼女の声には確かな意思と敬愛が込められていた。ゲーム時代、守自身が創造したルシエラは、発する言葉といえば「ようこそお帰りなさいませ、マスター」といった定型文のみで、こちらから特定の指示を与えなければ反応すら示さない存在だった。しかし今、目の前の彼女はまるで生身の人間のように流暢に言葉を紡ぎ、その瞳には鋭い知性と、主人公マグナスへの深い敬愛が煌めいている。  


(嘘だろ…本当に自我に目覚めているのか?)

 


マグナスは胸の高鳴りを抑えきれず、内心で驚愕する。だが必死に平静を装い、玉座に座したまま静かに頷いた。動揺を飲み込み、深く低い声で命じる。  


「うむ、顔を上げよ、ルシエラ」  


喉の奥から響き出た声音は、現実の田中守としてのものよりも遥かに低く重厚だった。それはまさしく“深淵の王”マグナスとしての威厳を帯びた声音であり、広い玉座の間に重々しく反響する。己が発した言葉ながら、本物の魔王が下す命令のように威圧感が漲っていた。  


ルシエラが静かに顔を上げた。艶やかな銀髪の間から覗く彼女の瞳には、安堵と深い忠誠心が潤んでいる。  


「お言葉、痛み入ります……陛下。再びこのルシエラをお側に仕えさせていただけること、無上の喜びに存じます」

 

彼女は嬉しげに微笑んだ。その微笑は清楚でありながら、どこか妖艶さを湛えている。闇を纏うダークエルフにふさわしい神秘的な美貌が、見る者の心を奪わんばかりの魅惑を放っていた。  


マグナスは内心で思わず唾を飲み込む。目の前の光景に圧倒されそうになる自分を何とか律し、ゆっくりと息を整えた。「そうか…。こちらこそ、お前たちが無事でいてくれて安堵したぞ」できる限り落ち着いた声色でそう告げると、ルシエラは感激したように深く頷いた。  


(す、凄いなこれは…。まさか本当にゲームのNPCと会話できる日が来るとは)

 

内心の興奮は尽きない。ルシエラだけではない。彼女の言葉によれば他の深淵の誓約者たち——ゼルガド、ドラガン、ヴィクターも皆それぞれ待機し、主たる自分の指示を待っているという。彼らもまた自我に目覚め、こうして自分を慕い忠誠を尽くしてくれているのだとすれば……マグナス——守の胸は高揚で張り裂けんばかりだった。  


「ルシエラ、尋ねたいことがある」マグナスは改めて副官に問いかけた。「先程……何か異変を感じなかったか?城に、あるいは周囲の様子に変化は?」あえて静かに問い質す。自身が体験した不可思議な転移現象について、彼女も察知していたのか確かめたかったのだ。  


「はっ。実は——」ルシエラの表情がわずかに陰る。どうやら心当たりがあるようだった。「つい先程、漆黒の結界石が突如強く脈動し、城全体に魔力の波動が走りました。まるで次元の境界が揺らぐかのような…今までに経験したことのない現象です。そしてすぐに鎮まりましたが、現在は結界石も安定しております。私どもも突然のことで驚きましたが…陛下がお目覚めになれば何かお分かりになられるかと考え、お待ちしていた次第です」  


マグナスは静かに頷いた。やはり自分だけの錯覚ではなく、何らかの大規模な異変が実際に起きていたのだ。漆黒の結界石とは、おそらくこの城の中枢を担う魔力炉のようなものだろう。ゲーム上では意識したこともなかったが、転移の際にそれが反応したのかもしれない。ルシエラや他の守護者たちも異変を察知してはいたが、原因は掴めず主たる自分の指示を待っている——つまり、彼女たちも事態を完全には把握していないようだ。  


(まあ、当たり前か……彼らにとってはこの世界が全ての現実なんだもんな)

 

マグナスは内心で自嘲気味に微笑した。事情を説明しようにも、自分が「元はゲームの外側の人間」だとは到底信じられないだろうし、その必要もない。どんな状況に陥ろうとも、創造主たる自分に彼らが絶対の忠誠を捧げてくれる事実は変わらないのだから。  


意を決したように、マグナスはゆっくりと玉座から立ち上がった。先程まで戸惑いに曇っていたその双眸には、いつしか確固たる光が宿っている。「よく報告してくれた、ルシエラ」静かだが力強い声で告げる。「どうやら我らの身に、予期せぬ運命が訪れたようだ……」


ルシエラが不安そうに主の言葉を待っている。マグナスは玉座の下まで歩み寄ると、膝をつくルシエラの肩にそっと手を置いた。ルシエラは一瞬目を見開く。「だが、心配はいらぬ」マグナスは微笑みを湛え、静かに首を振った。「我々は生きている。こうして共に在る。それこそ何にも代えがたい幸運だ。状況は未知数だが……まずは皆が無事であることに感謝しようではないか」  


「陛下……!」ルシエラの瞳に感激の色が宿る。その目には喜びの涙がうっすらと浮かんでいた。「我らが主のお優しき御心に触れられたこと、痛み入ります」と震える声で述べた。その仕草には絶対の忠誠と敬愛が滲んでいる。  


マグナスは静かに頷くと、彼女に新たな指示を下した。「ルシエラ、他の者たちを玉座の間に集めてくれ」穏やかながらもしっかりとした口調で命じる。「我らが置かれた状況を確認し、今後の方針を定める。本来であれば突然の出来事に戸惑うところだが…」そこで一度言葉を切り、マグナスはかすかに微笑んだ。「幸いにも、我らには城も仲間も力もある。恐れるものは何もないはずだ——違うかね?」  


「仰せのままに、陛下!」ルシエラは瞳を輝かせ、力強く応じた。「主のお導きさえあれば、マグナ・ドミニオンは如何なる試練も乗り越えてみせましょう!」  


その確信に満ちた声に、マグナスは満足げに頷く。ルシエラは恭しく一礼すると、音もなく玉座の間を後にした。広間に一人残されたマグナスは、一度大きく息を吐く。「ふう…」張り詰めていた内心が、わずかに緩んだ。威厳ある態度を保ってはいたものの、正直なところ心の中では緊張で冷や汗をかいていたのだ。だがルシエラの揺るぎない忠誠と信頼に触れ、先程までの混乱が嘘のように心が落ち着いていくのを感じる。現実ではただの人間だった自分が、今や異世界で〈深淵の王〉として君臨している——戸惑いが消え去ったわけではない。それでも、彼女たち配下が自分を慕い、待ち望んでくれている。それに応えることが、今の自分に課せられた使命なのだと強く実感していた。  


それから程なくして、玉座の間の扉が再び開かれた。ルシエラに率いられ、三人の臣下たちが静かに入室してくる。マグナスは姿を現した配下たちに目を向け、その胸に熱いものが込み上げるのを感じた。  


先頭に現れたのは、朽ち果てた骸骨の姿を持つ老賢者——ゼルガドである。長く黒い法衣に身を包み、手には古めかしい宝珠杖を携えていた。頭蓋の奥で怪しく灯る紅い双眼が、主を仰ぎ見て知性の光を湛えている。続いて現れたのは、屈強なる龍人の戦士ドラガン。身の丈二メートルを優に超える巨躯は白銀の鱗に覆われ、背には大きな飛膜状の翼をたたんでおり、分厚い胸板には堅牢な鋼鉄の甲冑を纏っている。腰には長大な両手剣を帯び、その瞳は闘志に燃えていた。そして最後に姿を見せたのは、一見すると優美な青年紳士に見える執事ヴィクター。漆黒の燕尾服に身を包み、胸にはギルドの紋章が刻まれた徽章を光らせている。穏やかな微笑を浮かべた整った顔立ち。口元に覗く長い犬歯が、その真の正体をほのめかしていた。だが、その瞳の奥には油断ならない冷静な観察者の光が潜んでいた。  


三人はマグナスの前まで進み出ると、揃って恭しく跪いた。「陛下、ご健勝な姿を拝し、心より安堵しております」先に口を開いたのはゼルガドだった。響く声は骨の喉から発せられているとは思えぬほど明瞭で、深みのある老人の声色を帯びていた。「このゼルガド、生涯を賭して大いなる御方に仕える所存にございます。我が知識の限り、微力ながらお力添えいたしますゆえ、どうか今後とも我ら未熟な(しもべ)どもをお導きくださいますよう」  


「陛下……ドラガン、只今参上いたしました! 陛下がご無事と知り、我ら武人一同、胸に熱きものが滾っております。これより先、どのような戦場であろうとも、我が剣と鱗に懸けて陛下の盾とならんことを誓いましょう」続いてドラガンが野太い声で力強く宣言する。大柄な体を深く折り曲げ、臣下として最敬礼を捧げる様は、その巨体にもかかわらず規律正しく威厳があった。  


「陛下に再びお目にかかれて、このヴィクター、感激の極みにございます」最後に執事姿の青年が静かに述べた。その声音は紳士的で柔和だが、言葉の端々に揺るぎない忠誠が感じられる。「どうか今後も、陰ながら陛下をお支えする機会をお与えください。陛下のお役に立てることこそが我が本懐(ほんかい)。微力ではございますが、陛下のためならばこの身を投げ出すことも辞さない所存です」  


それぞれの誓いの言葉を耳にし、マグナスの胸は熱く震えた。彼らは皆、自ら創造に関わったギルドの守護者たちだ。今こうして現実の存在となり、己に絶対の忠節を捧げてくれている——これほど心強いことが他にあろうか。マグナスは込み上げる感動を噛み締めながら、一同を見渡して頷いた。  


「顔を上げよ」マグナスは三人に促し、穏やかな眼差しを向けた。「皆、よく集まってくれた。お前たちの無事な姿を見られて何よりだ」そう言って一同を見渡す。ゼルガド、ドラガン、ヴィクター——かつて共にギルドを築き上げた仲間たちの魂が宿る忠臣たち。その全員がこうして自分の下に集ってくれている事実に、胸が熱くなるのを感じた。  


「ルシエラからも聞いた通り、どうやら我らの身にただならぬ事態が起こったようだ」マグナスは改めて厳かな声で告げる。「城の外の様子はどうか?」  


ゼルガドが進み出て答えた。「はい、陛下。城の高所や転移門の間から周囲を観察いたしましたが、見渡す限り見知らぬ原野と森が広がっております。例えば、城の北方には霧深い原生林が広がり、南方には起伏の穏やかな平原が見渡せました。東西には遠く山影もうかがえますが、人の営みを示す灯りや煙は一つとして確認できません。もともとこの城が存在した地形とは明らかに異なり、周辺にも人の営みは全く見当たりません」骸骨の顔に似合わぬ丁寧な口調で淡々と報告する。「結論として、我らが拠点マグナ・ドミニオンは何らかの力によって未知の大地へ転移させられたものと思われます。まさしく先程の異変がその契機かと」  


「うむ……」マグナスは顎に手を当て、深く考え込んだ。ゼルガドの推測通り、ギルドごと異世界に飛ばされたと考えるのが妥当だろう。(女神……運営の思し召しか?一体何が起きたというのか)内心では様々な疑問が渦巻くものの、答えは出ない。ひとまず現状を受け入れるほかあるまい。


マグナスは顔を上げ、一同に力強く宣言した。「いかなる原因であれ、これが今の我々の現実だ。まずは生き残り、この地に我らの安住の領を築かねばならない」言葉に迷いはない。「幸い、そなたたちが共にいてくれる。城も健在、我らの力も失われていない。恐れるものなど何もない。よいな?」  配下たちは一斉に頭を垂れ、「ははっ!(承知いたしました!)」と力強く応じた。誰もが主の言葉に胸を打たれた様子で、玉座の間には厳粛な空気が満ちる。マグナスは満足げに頷いた。  


配下たちは皆、主たる自分が新たな魔王としてこの世界に覇を唱えることを疑っていないだろう。忠義ゆえに、それを当然の宿命と信じている。しかし——  


支配と守護——二つの使命の狭間で、田中守としての良心が静かに疼いていた。  


「……いや、考えるのは後にしよう」

 

マグナスはパッと目を開け、決然と言い放った。逡巡を振り払い、その顔には精悍な笑みが浮かんでいる。「まずはこの現実を生き抜く。それだけだ」  


そう自らに言い聞かせ、彼は踵を返した。異世界ギルドマスターとしての一歩を踏み出すために——。暗黒の仮面の下で密かに灯った決意の炎を胸に、マグナスは重々しく玉座の間を後にした。  


常闇の回廊を進むマグナスの前で、影のように佇む魔兵たちが道を開けて跪いた。亡霊めいた侍女や屈強な魔獣の衛兵たち——かつてゲームデータでしかなかった存在までもが、今や彼に忠誠を誓う生ける(しもべ)となっている。その光景に改めて己の置かれた現実を噛み締めながら、マグナスはゆっくりと城の門へ向かって歩み出した。その向こうには、やがて訪れる夜明けの微光が差し始めていた。  


漆黒の城門の扉が重々しく開かれる。マグナスは一歩、また一歩と外界へと足を踏み出した。肌に触れる空気は冷たく湿り、遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。見上げれば、夜明け前の群青の空に幾筋もの星が瞬いていた。見知らぬ大地の地平線が、微かな暁光(ぎょうこう)に照らされて影絵のように浮かび上がる。遥か彼方には深い森の黒いシルエットと、その向こうに連なる山並み。ゲーム画面越しではなく、自らの五感で捉える本物の異世界の光景——その美しさに、マグナスはしばし言葉を失った。  


やがて、彼はそっと息を吐き、口元に微かな笑みを浮かべる。「冒険の始まり、というわけか…」胸の内で誰にともなくそう呟き、マグナスは前方に視線を向け直した。未知なる世界への期待と緊張がない交ぜになり、心臓が早鐘のように打ち始めた。こんな高揚感を味わうのは一体いつ以来だろうか。それでも彼の足取りには迷いはない。決意を新たに、異世界での第一歩を踏みしめるマグナス。その背に、夜明けの光が静かに射し込み始めていた。

最後までお読みいただきありがとうございます!


「ゲーム×異世界×魔王」という構図の中で、

主人公・マグナスがどのように“王としての答え”を出していくかを描いていきます。


本作は重厚でダークな展開が中心となりますが、配下NPCとのやり取りや、

魔王であることの“光と影”にも焦点を当てながら進めてまいります。


感想・ご指摘・お気に入り登録など、いただけると励みになります!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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