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第4話 1-3 ベンタの事情と徳川万世

【ベンタの回想、始まり】

 ベンタは本名『東弁太一』といった。和歌山で生まれ、裕福な家庭に育った。

 幼少より近所の子供に比べて体がひと回り大きく体躯に恵まれていた。

 小さい頃はみんなから『かずちゃん』と呼ばれていた。

幼稚園では、幼児スイミングやサッカーを習った。小学一年生になったとき、親子で体験する地域のスポーツ教室というイベントで見学に行った際、剣道、柔道、空手、野球、サッカーなど様々体験する中で、ベンタが実際にやってみて気に入ったのがバスケットボールだった。

 ベンタはすぐにバスケットボールアカデミー【ライズ】に入会した。

 そして中学二年までの八年間、全力でバスケに打ち込み努力を続けてきた。

【ライズ】の創設者は、地元出身の元大学日本代表、巻川良太といった。

 巻川は、日本にプロバスケットボールのリーグを創設するために、スポンサーになる有力企業と地域振興をつなぐ自治体との連携に尽力した関西方面の協力者だった。

 バスケのチーム【ライズ】に入って半年程経った頃、上級生の先輩達に声をかけられた。

「ちょっとこっちに来てくれ」

と、体育館の隅っこにいたキャプテンに手招きされた。

「お前の名前は変わってて呼びにくい。今日から『弁太』と呼ぶことにする」

 と、宣言された。他の上級生たちは顔を見合わせて、何やらにやにや笑っていた。

 それからは学校でもチームでもずっと『ベンタ』と呼ばれた。

 先輩たちにとってはニックネームのつもりだが、呼ばれる本人にとってはあまり気持ちのいい代物ではなかった。

『とうべん』は言いにくいわけではないが、珍しいから馴染みにくいのはわかる。

 だけど『たか』や『かず』でいいはずだ。

 何もよりによって『東弁太一とうべんたかかず』の名前の間の漢字をとって、

『弁太』はないだろう?

 とても親しみを込めた感じには受けとれない。

 逆に上から見下され、馬鹿にされている感じがした。

 それでも親しい人や近所の人達は相変わらず『かずちゃん』と呼んでくれていた。

「でも俺はバスケが好きだ、何が何でもバスケを続けたい、だからこのくやしさは、練習にぶつけるしか無いんだ。バスケが上手くなって先輩達を絶対見返してやろう」

 と、自分に言い聞かせながら、悔しさを発奮する気持ちにかえた。

 それから五年間、途中何度も挫けそうになりながらも、雨の日も風の日も休まず猛練習を続けて上達していった。

 六年生になり小学校最後の大会で、チームのディフェンスの柱に成長し、見事県大会優勝を成し遂げたとき、応援に来てくれていた先輩達が、体育館の選手控室でベンタに思いがけないことを話してくれた。

 ベンタには兄弟がいなかったためか、おとなしく、おっとりしていて、体が大きい割に挨拶の声や返事が小さく、周りの人に対しても遠慮がちにしか話すことができなかった。    

 その性格を何とか変えさせようとコーチの巻川が先輩たちと相談して、呼び名を『ベンタ』に変えさせたのだった。現在は県内の私立高校バスケット部で活躍している当時のキャプテンだった今泉がベンタに話しかけた。

「お前がアカデミーに入ってきていつだったかな、急に俺達から『ベンタ』と呼ばれるようになっただろう、あのときはきっと嫌だっただろうなあ? 俺たちのことを少なからず憎らしく思ったかもしれない」

 今泉が続けた。

「実はあれには訳があるんだ。お前のおとなしい性格を変えるためにコーチと相談して決めたことだったんだ」

 今泉が優しい笑顔で傍にいる同期の仲間達の顔を見た。

「でもな、お前はその嫌なことから逃げ無かった。挨拶、掃除、後片付け、ミーティング、チームワーク」

 今泉がベンタの眼を見ながら、

「何より大事な練習を休まなかった。そしてお前の名前を聞いただけで相手チームから嫌がられるような選手になったんだ!」

 先輩たちが、頷きながら笑顔でベンタを見ていた。

「ベンタ、よく頑張ったな! お前が俺たちのMVPだ!」

 周りのみんなが拍手をして、先輩達に肩を叩かれたとき、生まれて初めて体が震え涙が溢れてくるのがわかった。ついさっき体育館のコートで、優勝した瞬間、みんなと抱き合ってジャンプしながら喜びあった。けれども不思議と涙は出なかった。

 どうしていまになって涙がこんなにも止まらないのだろう、ベンタ自身にもよくわからなかった。

『ベンタ! もっと元気を出せ、もっと声を出すんだ!』

 巻川コーチの声が飛んでくる。

『動きながら常に周りを見ろ、ベンタ、聴いてるか?』

 コーチが両手をメガホンにして、いつもベンタに叫んでいた。

『もっともっと相手の懐に入るんだ、勇気と強引さだ! 分かったか、ベンタ!』

 ベンタの頭の中で、コーチにずっと言われ続けてきた言葉がリフレインした。

「そういうことだったんだ。みんなが自分を厳しく鍛えてくれたんだ」

 今までの出来事の理解と納得ができた瞬間だった。

 あれ以来忌み嫌っていた『ベンタ』の呼び名が、不思議と好きになった。 

 中学に進学してからもバスケに打ち込む毎日を過ごしていたが、中学二年になる直前の三月、父親の経営していた会社が突然倒産して、家族の生活が一変した。

 大口の顧客を失い、現金や銀行振込の支払いではなく、昔ながらの信用手形取引だったため急速に資金繰りが悪化。不渡りを出し、事業が行き詰まったのが要因だった。

 会社が倒産する前、父と母が毎日言い争いをしていたのが気になってはいたが、こんな大変な事態になろうとは、中学生のベンタには思いもしない出来事だった。

 中学二年にこれからなろうかという一人息子のベンタには、当然何も知らされてはいなかった。倒産という失意の中、父と母は社員の未払い給与や借金返済のために自宅や保有していたいくつかの資産をすべて売却して何とか残債等を完済した。

 ベンタの父親は心労が重なって脳梗塞になり、緊急手術、入院のまま半年後急逝した。

 父を失い、事業家だった父方の祖父母も既に他界。父が一人っ子で兄弟がいなかったため、他に頼れる人もなく、これからは母と二人で生きていくしか方法が無かった。

 何不自由ない生活から、生まれ育った家とそして父までも失い、ベンタと母は二人で食べていくことがやっとの困窮状態に陥った。

 ベンタの母は、鳥取生まれで幼い頃病気で実母を亡くし、その後しばらくして父が再婚したが、後妻としてきた義理の母親のことを、どうしても自分の母と認めることが出来なかった。しばらくして腹違いの弟が生まれたのだが、弟への偏った愛情に反発を感じながら育った。それ故、ベンタの母は親の愛情というものにある種の精神的な重荷を抱えながら成長した。

 高校を卒業して大阪で就職をした先で、父親の事業を引き継いだばかりのベンタの父親と知り合い、そりが合わない義理の母から逃げるようにしてベンタの父と結婚した。

 ベンタの父の会社は和歌山にあった為、そこでの新生活がはじまった。

 ベンタが生まれ、事業も家庭も順調で、人生で初めて家族の幸せを感じられた和歌山での十数年だった。

 それがこんな事態になり、頼れる知り合いもいないこの街から逃げ出したいと思う気持ちは、母もベンタも同じだった。

 近所の中傷や蔑みから逃れるために、母はベンタを別な地域の学校に転校させる事も一度ならず考えもした。

 しかし思春期に差し掛かった息子のベンタにとって、学校の友達やバスケットボールアカデミーの仲間と離れることがどれだけ辛いことか痛いほど分かっていた。

 子供の心を傷つけたくないという母としての愛情と、アカデミーの人達からの励ましもあり、思い悩んだ末、元いた場所からかなり離れた学区内のアパートに二人は移ることにした。

 ベンタの母は苦しい生活の中にあっても、いつも明るく気丈に振る舞い、ベンタには辛い顔を決して見せなかった。

自転車での遠距離通学にはなったが、同じ学校に通えるだけでベンタは十分に幸せな気分だった。

 ベンタの母は約十年ぶりに仕事に就き、働き始めた。

 ベンタの母が若い頃勤めていた会社の元同僚、親友の吉川咲の紹介だった。

 二人はベンタの母が元勤めていた会社の同期で、新人研修の頃から気が合い、ベンタの母が結婚した後も毎月何回か会う程のまるで姉妹のような親友だった。

 幼いベンタに会う度に、

「かずちゃん、私のことは、さき姉ちゃんと呼んでね」

 が、口癖だった。

 吉川咲は独身で小さいことにくよくよしない気っぷのいいサバサバした性格で、キャリアウーマンを地でいくようなまさに仕事に活きる女性だった。

 両親は健在だったが兄弟姉妹のいない一人っ子で育った彼女は、ベンタの母を自分の肉親のように心配し、仕事と転居先の確保に東奔西走してくれた。

 母とベンタにとって本当に頼りになる存在だった。

 東弁家の家族の一大事から、もうすぐ一年が経過しようとしていた。

 ベンタの母と親友の吉川咲は、ベンタの将来と進路を心配し相談を重ねていた。

 出来ればバスケットボールのスポーツ推薦で地元の公立高校に進学させてあげたいとベンタの母は考えていたが、吉川咲はバスケの強い公立校に進学が叶わず、結果私立高校への進学となった場合、果たして学資費用の面でバスケが続けられるのかどうか、誰よりも悩んでいた。

 そしてもう一人、ベンタの将来と進路を心配してくれていた人がいた。

 小一の頃からバスケットボールを教えてくれたアカデミーの恩師、コーチの巻川だった。

 バスケの関係者にいろいろ当り、奨学金をもらってバスケが出来る高校を探したが、お金がかからないという条件の高校はなかなか見つからなかった。世界最高峰のプロバスケットボールの本場アメリカと違い、日本のプロリーグはまだ発展途上で、ようやく人気が出始めた状況だった。

 高校からすべて奨学金でバスケを続ける事は不可能で、通学にしろ寮に入るにしろ親の負担は小さくはなかった。ベンタはコーチの巻川に、

「母を助けたい。バスケは大好きだけど早くお金を稼いで親孝行したい」

 という気持を訴え続けた。

 巻川は悩んだ末、大学時代の同級生で、現在はスポーツ新聞の記者をしている吉村伸一に相談をした。

 吉村は、

「暫く時間をくれないか」

 と巻川に伝えてきた。

 数日後、吉村から連絡が入り、かつて現役当時日本中を沸かせ熱狂させた、ある有名なプロスポーツ選手だった人を巻川は紹介される。

 その人物こそ、元WBA世界フェザー級チャンピオン、徳川万世その人だった。

 徳川万世といえば昭和世代の昔の人なら誰でも知っている世界王者だった。

 現在は千葉県松戸市でボクシングジムを経営していた。

 吉村から連絡先を聞いた巻川は、すぐに松戸のジムにいる徳川に電話をかけた。

 緊張しながら挨拶をして、事情を説明し、何とか一人の中学生の進路に関する相談にのって欲しい旨を伝えた。 

 その電話でたまたま七月に大阪で行われるボクシングのタイトルマッチを観戦に訪れることを告げられ、そこでお互いに会ってみたらどうかということで話がまとまった。

 それから数か月後、七月下旬の世界戦当日、徳川万世に初めて会うために、コーチの巻川は夏休み中のベンタを伴って大阪に来た。  

 ベンタは大阪には家族旅行やバスケのチームの仲間と何度も訪れていた。

 この日の大阪は夏休みということもあって、大勢の若者や親子連れの人波と甲高い声、多くの車が行き交う騒音が幾重にも重なり、本格的な夏日となった七月の蒸せ返るような猛暑と、大阪特有の暑さ、そして息苦しさをベンタは改めて感じた。

 それは大阪という大都市特有のビルの密集や人の多さといった単純な理由からなのか、それとも久々の大阪での世界タイトル戦当日という熱気と興奮、初めて会う徳川という人に対する興味と緊張感がそう感じさせたのか、ベンタにもよくわからなかった。

 数年ぶりにボクシングの世界タイトルマッチが行われる予定の試合会場の近くにある大きなホテルのロビーで徳川は吉村と一緒に待っていた。

 事前に顔写真を交換していたし、スポーツ記者の吉村が世界戦の取材を兼ねて大阪に一緒に来ていたこともあって、お互い迷うことはなかった。

 徳川はすでに齢七十歳を過ぎてはいたが、毎日ジョギングやウォーキングで体を鍛えているせいか、想像していたよりもガッシリとした体?だった。

 貫禄があり、老壮の年齢を感じさせない程に若々しい印象だった。

 眼光の奥に命懸けで戦ってきた男の強さと、威圧感を備えていた。

「こちらが徳川さんです」

 吉村が、巻川とベンタの方を見ながら右手の手のひらで徳川を指し示した。

「そしてこちらが、私の親友の巻川と東弁太一くんです」

 今度は、徳川の方を見ながら左手のてのひらで二人の方を指し示した。

 最初に巻川が徳川と名刺交換しながら握手を交わした。

 次にベンタが挨拶をしながら緊張のあまり頭を上げられず、

「東弁くん、手を貸してくれ」

 と、優しい笑みを浮かべた徳川に言われ、ようやく恐る恐る握手を交わした。

 握った右手は、何十年もサンドバッグを叩き続けてきたせいか、骨が盛り上がりゴツゴツして石の塊のようだった。

 顔合わせの立会いを終えた吉村は、取材のため急ぎその場を離れていった。

 徳川は北海道の十勝に生まれ育ち、家が貧しいうえに兄弟が多かったため、農業と牧場を経営していた親戚の家に養子に出された。ヤギと牛の世話と乳しぼりが得意だった。

 中学を卒業後集団就職で上京し、東京に出て土木作業員として働いた。

 血気盛んな一番遊びたい盛りの年齢にも関わらず、稼いだお金を両親に仕送りして、少しづつ貯めたお金は会社の同僚のように遊びや酒には一切使わなかった。

 真面目な青年であった。

 日本人で初めて世界チャンピオンになった白井義男や藤猛、日本人初の二階級制覇を成し遂げたファイテング原田をテレビで観て憧れ、体力には誰よりも自信があった徳川は、体を持て余すくらいならという気持ちで、二十歳を少し過ぎてから、当時有名選手を輩出していた帝王ジムに通いだした。

 一年でプロライセンスを獲得し、入門から二年後の二十二歳でプロデビューしたどちらかというと遅咲きのボクサーだった。

 年齢が割と高めだったことも有り、当初周りからは全く期待されていなかった。

 若いボクサーが自信をつけるための【噛ませ犬】的な試合が多く、それを承知で受けながら、KOの山を築いていった。

 持ち前の辛抱強さと、ひたすら努力と勇気で掴み取った『カミナリパンチ』と呼ばれた変幻自在なカウンターを武器に当時の有力選手を次々と倒して周囲を驚かせた。

 ボクシング関係者の誰も予想をしていなかった日本チャンピオンになったことで、徳川がボクシングを始めた当初は反対していた勤務先の社長も認めざる負えなくなり、まじめな徳川を正社員待遇のままボクシングが続けられるように便宜をはかってくれた。

 そして日本タイトルを五度防衛した時、当時のOPBF東洋太平洋チャンピオンから試合のオファーが届いた。

 試合感覚の調整のための身勝手な都合によるノーギャラという屈辱的な条件だった。

 しかし徳川はすべて承知の上でその試合を受けた。

 それはその選手が世界七位にランキングされていた為、これに勝つと一気に世界ランキング入りの切符を手にすることができたからだった。

 その試合で徳川はノックアウト勝ちで勝利を収めた。

 これにより予想通り世界ランキング入りし、チャンピオンに挑戦するチャンスが転がり込んできたのだった。

 一九七〇年代(昭和四十五年~五十四年)当時、二階級制覇の柴田国明をはじめ、世界フライ級チャンピオンのまま事故で亡くなった永遠のチャンピオン大場政夫や、韓国の英雄柳済斗とのリターンマッチで日本中を沸かせ、執念の十五回KOで世界王座に返り咲いた「炎の男」輪島功一、想像を絶する十〇キロ以上の減量に耐え「幻の右」のパンチで東洋人初の世界ライト級チャンピオンに輝いた「ガッツ石松」といったヒーローが誕生した。

 その後日本人の世界チャンピオンが一時不在となったが、徳川万世が海外に遠征し、当時世界最高の選手と言われたアメリカの無敗のチャンピオンを逆転KOの大番狂わせで破った世界フェザー級タイトルマッチは、当時のテレビ年間最高視聴率を獲得するほど注目され、徳川はついに念願の世界フェザー級チャンピオンベルトを獲得した。

 それから二度タイトルを奪われたが、その都度再起して奪い返し、日本中の男の心を奮い立たせ「燃える男のカミナリパンチ」の愛称で、テレビCMにも使われた。

 球界の盟主巨人の長嶋茂雄や王貞治、大相撲の大鵬のように、日本中を沸かせた昭和のヒーローの一人だった。

 通算成績は三十五戦三十勝四敗一引き分け、世界タイトルを六度防衛したが、通算七度目の防衛に失敗。負けたままでは終わりたく無い性格の徳川万世は、最後の試合も楽には勝てない選手をわざわざ選び、十二回判定勝ちを収めて引退した。

 引退後、帝王ジムで数年間トレーナー技術やジム経営を学びながら、副業で飲食店を開業するなどしたが、なかなか思うような結果は得られなかった。

 様々な苦労の末に念願のボクシングジムオーナーになった話をしながら、

「自分の経験から言って……ボクサーを引退した後のことを考えると、学業は何よりとても大切だ」

 ということを真剣に話してくれた。

「テレビのニュースを見れば、親が子を虐待したり、かと思えば子どもが親を殺めたり全く信じられない話ばかりだ。こんな今の時代に、自分を犠牲にしてでも『親孝行をしたい』と言ってくる中学生に、また会えるとは思わなかったよ」

 徳川はなんとも不思議そうな表情を浮かべながら続けた。

「いやあね、実を言うと今月に入って君で二人目なんだ」

 テーブルに置いてあった飲みかけのアイスコーヒーを左手で口元へ持っていき、ひと口飲み込んでから再び話し始めた。

「もう一人は、分銅海斗君といって、東北岩手の同い年の子だ」

「震災でご両親を亡くして、苦労している子で、残された妹と祖父母のために野球と進学を諦めて東京でプロボクサーを目指すかどうかの相談があったんだ」

 ホテルの冷房が効いているとはいえ喉が渇いたらしく、徳川はまたアイスコーヒーをひと口飲んで話し始めた。

「不思議なことがあるもんだな。長い間ジムをやってきたが、こういう中学生に二人ほぼ同時期に会えるなんて初めてのことだよ。何かの特別な縁を感じるよ……」

「ああ、失敬失敬、うっかり自分の話ばかりしてしまって。そんなにかしこまらずに、まあ、コーヒーでも飲んでください」

 巻川とベンタは、一瞬緊張から解き放たれて、二人同時にアイスコーヒーを口にした。

 ベンタはホテルの本格的なアイスコーヒーを飲んだことが無かった。

 冷たかったが、ミルクとガムシロップを入れ忘れたままブラックで飲んだので、初めて味わった本格的なアイスコーヒーはベンタにとって、ただただ苦い味でしかなかった。

 思わずむせてぺっと吐き出しそうになり、一旦苦みばしった顔がさらに歪んだ。

「わっ、不味い」

 思わず口から出てしまった。

「おお、東弁君はブラックかい? 中学生にはちと苦いだろう?」

 と言いながら場を和ませようと、徳川は明るく笑ってベンタの方を見た。

 徳川は、ウエイターを手招きして、「アイスミルクをひとつ」と注文し直してくれた。

「何十年もボクシングをやってきたが、東弁君やさっき話した分銅君のような中学生は初めてだな」

 徳川は、アイスコーヒーを一口飲んだ。

「普通は高校を中退して、喧嘩しかやることがない子が入ってくることが多いもんだから、そういう相談かと最初は思ったんだが、話を聞いていて、ただただ感心したよ」

 徳川は、もう一口、アイスコーヒーを飲みこんだ。

「周りの人ともよく相談して、自分でもよくよく考えて、そのうえでもし、東弁君がボクシングをやる決心がついたら、連絡をくれればいい。そのときには必ず力になるよ」

 徳川は、優しさと温かみに溢れた言葉で約束をしてくれた。

「人生を左右する大変な決断になるから、決心がついたらでいい」

 コーチの巻川の方を見て、

「そしたら連絡をくれればいい」

 と、念を押すように続けた。

 巻川とベンタは、徳川ともう一度握手を交わし、頭を下げた。

 徳川は別れる寸前まで、ベンタの瞳見ながら、何度も、

「決心がついてからでいいよ」

 とだけ言い残して、ボクシング関係者と次の約束があるらしく、ホテルのロビーから何処かへ移動して行った。

 巻川とベンタは、今夜行われる世界戦のボクシング会場まで行き、大きな看板や盛り上がりをその目で体験した後、和歌山行きの在来線で大阪を後にした。

 和歌山に戻る電車の中で、ベンタはコーチの巻川と今後の相談をしながら帰った。

 偶然とはいえ、自分と同じ様に好きなスポーツを諦めて、進学を悩み、そしてプロボクシングという進路を考え、徳川万世という人に相談していた中学三年生が他にいる、という事実にベンタは驚かされた。

 そして自分のこと以上にベンタの頭の中を会ったこともない中学三年生が占めていた。

『自分と同じような境遇の奴がいる、

 中三?

 どんなやつなんだろう? 

 もう一人の中学三年生って一体?

 高校も行かない? 

 好きな野球をやめて、ボクシングをやる? 

 自分以外にそんな中学生が本当にいるのか?

 岩手、三陸?

 地震とあの大津波が襲った?

 世界中が衝撃を受けた、とても現実とは思えない映像を何度か観た、

 あの東日本大震災で両親を亡くした?

 信じられない、こんな境遇の中学三年生、自分しかいないと思っていた』

 ベンタは心のなかで何度も反芻した。

 徳川会長の話に出てきた、会ったこともない、岩手県にいるもう一人の中学三年生が気になって仕方がなかった。

「自分だけじゃなかったんだ。同じような境遇で、同じ考えの奴がいたんだ」

 コーチの巻川は、帰りもベンタの家まで付き添って送り届けてくれた。

 そしてベンタの母に今日大阪で初めて会った徳川会長のことやプロボクシングというプロスポーツについて説明をしながら、一緒に話し合いをしてくれた。

 普段はスポーツシューズばかりで、あまり履き慣れない黒の革靴に靴べらを借りて足を入れた。

 そして、

「まだ時間がありますから。じっくり考えていきましょう」

 と、云い残して立ち去ろうとする巻川に、ベンタの母は何度もお礼を云いながら頭を下げた。

 中学を卒業したら地元の県立高校に進学することを望んでいた母の気持ちを思うと、ベンタはなかなか踏ん切りがつかなかった。

「確かに同じスポーツだ、好きなスポーツをすることに変わりはない」

「ただ、スポーツとはいえ、全く畑違いの、況してやプロボクサーという命懸けの格闘技に人生を賭けるなんて本当に自分にできるのか?」

 ベンタは、徳川会長に貰った日本や世界のボクシング界のスーパースター達の過去の映像、寮生活、アルバイト、学業、ジムでのトレーニングが書かれた資料を何度も繰り返し観た。

 それから数日間バスケの練習に参加しながら、巻川コーチとも何度か会って相談をした。

 何日も何日もベンタは世界の歴代チャンピオンたちの過去のビデオを見ながら考え抜いた。

 夏休み中もバスケの後輩たちの面倒を見ながら、アカデミーで練習を続けた。

 中学校の部活動としてバスケットボールをやっている生徒と違い、野球で言うとリトルリーグのチームに所属しているような形で、学外のチームの主力メンバーとして、バスケを続けてきたベンタにとって、本場米国のNBAや日本のBリーグといったプロのバスケットボール選手になるのが幼い頃からの夢だった。そしていつかアメリカに渡って、シカゴ・ブルズで活躍した憧れのスーパースター、マイケル・ジョーダンや、現役で活躍する日本代表の八村塁選手のように、アメリカのプロバスケットボールリーグNBAでプレーしたいという大きな夢を抱いていた。

 しかし、今の自分の家庭環境では、自分の夢を叶える事は、現実的には到底不可能な希望であった。

 何度も何度も自問自答を繰り返しながら、高校進学で好きなバスケを続けて、今後三年間経済的な負担を母に負わせることへの申し訳ない気持ちと、

『母を助けたい、母に家を買ってあげたい、楽をさせてあげたい』

 という思いが交錯した。

 一方、ベンタの母は、息子の気持を思うと胸が締め付けられる思いだった。

 ほとんどの子供が高校に進学する世の中で、高校で大好きなスポーツを続けたい、という普通の中三生が抱く夢を親として叶えてあげられる財力も生活力も今の自分にはない、その当り前の事を子供にしてやれないもどかしさがベンタの母を苦しめた。

 徳川万世という人が元世界チャンピオンという有名な人とはいえ、見ず知らずの赤の他人に、まだ十四才の大切な一人息子を預けるなんて、無謀な事にしか思えなかった。 

 高校へも行かず、アルバイトとプロボクシングの練習をしながら、寮生活と高校の通信教育の勉強の両立なんて、息子の太一が本当に続けられるのか? 

 況してやプロボクシングという過酷で危険なスポーツの世界で、チャンピオンになれる人なんてほんの一握り。数パーセントの確率なのに、その前に息子の体が壊されるのではないか、ということが何より一番頭を悩ませた。

 ベンタは夏休み中考えに考え抜いた末、上京して、徳川会長にお世話になる決心をした。そしてアルバイトをしながらプロボクサーを目指し、同時に通信教育で高校卒業資格取得を目指す決断を下した。

 夏休み最後の日、ベンタは母が仕事から帰ってくるのを待った。

 母は仕事帰りに待合せをした親友の吉川咲と一緒に帰ってきた。

 三人で楽しく笑いながら夕食をとった後、徳川会長にもらった資料をもう一度見せた。

 何とか母を説得し安心させるために、ボクシングと学業を両立させてプロボクサーを目指し、働きながら通信教育で高校卒業資格を取得すること、危険なスポーツではあるが、しっかり技術を学んでチャンピオンを目指し、将来体に後遺症が残らないギリギリのところまで頑張る、ということを母の前で約束した。

 そして自らの意思で自立の道を進んでいくという決意を告げた。

 母はじっと聞いていたが、

「ごめんね、苦労させて本当に御免ね」

 と泣き続けた。

 その日の夜、ベンタは夜更けまでなかなか寝付けなかった。

 明日から中学三年の二学期が始まろうとしていた。

九月一日、ベンタは久しぶりにクラスメイトと再会した。みんなは予備校の高校受験対策夏期講習や家族旅行の話で盛り上がっていた。ベンタには『受験勉強』という響きが、何か遠い過去の出来事のような疎外感を感じさせる言葉にしか聞こえなかった。

 自分にはもう『受験勉強』は必要ないんだ、みんなとは違う道を進んで行くんだ、心の中で何度も自分に言い聞かせるように繰り返した。

 昼休み母が作ってくれたお弁当を平らげたあと、みんなと離れて一人職員室に向かった。

担任の高橋先生はもう食事を済ませていた。

「おう、ベンタどうした? 職員室に来るなんて珍しいじゃないか」

 高橋先生は大柄で明るく元気のいい先生だった。

 二人の幼い子供を持つ四十歳、奥さんも小学校の先生だったが子育ての大切さを深く考えた末、退職して家庭に専念していた。

 高橋先生はたまたま中学校のバスケ部の顧問で、ベンタのバスケにかける思いや家庭の事情を理解してくれた恩師だった。

「高橋先生、ちょっと廊下までお願いします」

 二人は廊下に向かった。

「進路の件で相談したいことがありまして、放課後話を聞いていただけますか?」

「分かった、授業が終わったら進路相談室に来てくれ。前田先生と三人で話をしよう」

 高橋先生は笑顔で答えてくれた。

 放課後、高橋先生、進路指導の通称【ご老体】前田先生と三者面談を行った。

「巻川コーチの大学時代の友人で、スポーツ新聞の記者をしている吉村さんという方に、元ボクシングの世界チャンピオンだった徳川万世という人を紹介してもらいました。夏休みに巻川コーチと二人で大阪まで会いに行って話をしてきました」

 徳川万世に初めて会った時の印象と、話の内容をベンタはさらに詳しく説明をした。      

「気持ちはわかるが、せめて高校を卒業してからでも遅くないんじゃないか、お前のバスケ選手としてのレベルは支部を超えて鳴り響いてる。学校名は出せないが複数の公立私立の高校からスポーツ推薦での話が来ている。バスケを活かす道をもう一度考えてみてはどうだ?」

 高橋先生はスポーツ推薦での受験の状況を簡単に説明してくれた。

「私も基本的には高橋先生と同じ考えだ」

【ご老体】前田先生が話し始めた。

「私はもうすぐ定年だが、私が育った時代は今より貧しい家庭の子が多かった。それでもせめて高校だけは、と言って奨学金を貰ってでも行かせる家もあった。出来ることなら君にもそうして欲しいが、お母さんの事を思う東弁君の気持は私には痛いほどよくわかる」

【ご老体】前田先生は、ゆっくりではあるが確かな落ち着いた口調で、遠い昔を思い出しながら感慨深げに話をしてくれた。

「実は私も働きながら夜間の学校に通って教員資格をとったんだ。採用試験になかなか受からなくて、臨時採用からようやく先生になれた。だから可能性というものは自分次第でいくらでも広げることが出来るということを身を以て体験している。まだ時間はある……悔いが残らないように、お母さんともう一度話をして、最終の結論を出してもいいんじゃないかな」

 前田先生は心配そうな顔をしながら、重要な進路に関しての再考をベンタに促した。

「徳川会長は今千葉県の松戸市というところでジムを開いています。プロを目指すなら面倒を見ると言ってくれました。実際に会ってみて、自分の目から観ても立派な人だと感じました」 

 ベンタは大阪で徳川に会ったときのことを思い出しながら話を続けた。

「夏休みのあいだ、母と何度もこれからのことを相談しました。母は先生と同じ考えでした」

「頑張って働くから、何とか好きなバスケットを続けて欲しい、と言ってくれました」

 働いて帰ってくる母の姿や、泣き顔を思い浮かべながらベンタは胸の中の思いを話した。

「この先どうなるのか、勿論自分でも分かりません。でも父がああなってしまった以上、これも自分の運命なのかなと思います」

 高橋先生は黙ってベンタの表情をみつめていた。

「今まで縁もゆかりもなかった徳川会長とボクシングとの出会い。これが人生の大きな転換、チャンスだったら、これに賭けてみたい。母に家をもたせてあげたい、悩み抜いて決めました」

 ベンタは考えていたことを一気に吐き出すように話した。

「徳川万世か? なつかしいなあ。強い世界チャンピオンだったよ」

 前田先生は遠い昔に思いをはせるような表情を浮かべた。

「確かフェザー級だったかな? あの人はあの時代の日本のヒーローだったなあ」

 前田先生が続けた。

「うる覚えだが、あの人は、働きながらボクシングを始めた遅咲きの苦労人で、確か、?カミナリパンチ?だったかなあ? これぞ男だ! って言葉が一番似合う人だった、と記憶しているよ」

「そうだったんですか、私は何しろ若いので全く知りませんでした」

 高橋先生は、全く初めて聞いたような顔をしながら、前田先生の方を見た。

「ハッハッハッ。おいおい、そんな年寄扱いしないでくれよ。ボクシングファンならみんなが知ってる有名な人だよ」

 三人は笑いながら顔を見合わせた。

「ベンタ、たとえどんな道に進もうと大事なことが一つある。それは勉強を、学問を続けることだ。長い人生においてどんなときでも絶対に学問から離れてはいけない。いくつになっても学ぼうとし続けることが大切なんだ」

 高橋先生は真剣な表情でベンタを見つめた。

「分かってくれるか? 約束できるか?」

 ベンタは高橋先生の強く、そして温かい眼差しに圧倒されそうになった。

「勉強はあまり得意では有りませんが……でも、はい、必ず約束します」

 左手で頭をかきながら、ベンタは答えた。

「君がどちらを選択しても先生は応援したい」

【ご老体】前田先生は最後にそう云ってベンタを励ました。

 二人の先生は、最後には笑顔で納得し、応援してくれた。

それから半年、クラスメイトの全員がどこかしらの高校に合格した、弥生三月七日。

 来賓、先生方、生徒の父兄が見守る中、体育館で卒業証書を授与され、ベンタは同級生と無事に中学を卒業した。下級生の歌声と拍手に見送られ、三年生は体育館を出た。

 自分たちの教室に戻った生徒たちの騒がしい声の中、後から入ってきた高橋先生は、柄に似合わず既に泣いていた。

 先生の泣き顔を観たことがない生徒たちは一瞬で静まり返った。

「みんな、卒業おめでとう!」

 高橋先生がみんなの顔をゆっくり見渡した。

「これから旅立つ一人一人に胸に刻んでほしい事がある。それはどんな時も自分ひとりで生きているのでは無いということ。そして楽をしたい、怠けたいと思う気持に負けないこと。最後に親孝行を忘れないこと、だ! わかったか?」

 クラス全員が元気よく、

「はい!」

と、答えた。

 感極まって泣いている生徒もいた。

 昇降口で室内靴を脱いでシューズバックの中に入れたとき、ベンタは学校生活の終わりを感じて胸が締めつけられた。

 校庭に出た時、【ご老体】前田先生がみんなを待っていた。

 生徒一人ひとりに声をかけながら、昇降口を出てきたベンタと目と眼が合った。

 前田先生はベンタを手招きした。

 ベンタは近づいて一礼し、最後の挨拶をした。

「先生、色々ご心配をお掛けしました。ありがとうございました」     

 前田先生はいつものゆっくと落ち着いた口調で、

「大きな怪我に気をつけて、人生を思いっ切り、生き抜くんだよ。必ず道は開ける。それを信じ続けるんだ。人より時間がかかっても良い。焦らずに努力を続けるんだよ。プロになって試合が決まったら高橋先生と必ず応援に行くからな」

 と声をかけてくれた。

 校門の入り口の『令和四年度卒業式』と書かれた大きな立て看板の前に高橋先生は立ち、同じ様に校門の前で待機していた父兄と挨拶をかわしながら、生徒ひとり一人に向かって声をかけていた。

 そして、

「何くそ魂でがんばれ!」

 と、笑顔で送り出した。

 ただ一人高校に行かず、みんなと別々の道に進んでいくベンタに、同級生、そしてバスケ仲間の下級生、みんなが駆け寄って声をかけてきた。

 みんなで記念写真をたくさん撮りながら励まし合い、お互いの友情を確かめ合った。

 後輩の中には寂しさのあまり泣いている者もいた。

 気がついたら学生服のボタンが全部無くなっていた。

 三年前の小学校の卒業式に着て以来の春のフォーマルウエアに身を包んだ母が、先生方に挨拶をしながらハンカチで目頭を押さえていた。

 ベンタは校門を出る時、高橋先生に最後の挨拶をした。

「先生、ありがとうございました。必ずご連絡します」

 ベンタは今にも泣きそうだった。

「ベンタ、信じてるぞ。お前なら出来る」

 高橋先生も目に涙を浮かべていた。

「一番てっぺんを目指せ!」

「プロになったら必ず応援に行くからな、体に気をつけるんだぞ」

 微笑みながらベンタの肩を両の手でしっかり掴んだ。

「はい!」

 ベンタの眼には自然と涙が溢れていた。

 傍にいたベンタの母も、高橋先生の言葉を聴いて感動のあまりハンカチで瞳を覆っていた。

 それから約二十日後。

 三月二十五日、母と母の親友の吉川咲、バスケットアカデミーの巻川コーチ、チームの仲間たち、そして中学の同級生数人に見送られながら、前日にベンタの家を訪問して、母と母の親友吉川咲に挨拶をし、ボクシングジムと寮生活の説明をして、一泊二日の泊りがけでベンタを迎えに来てくれた徳川ジムのオーナー、徳川万世に伴われて上京したのだった。


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