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【8】ブリジット様に相対する


今は、受け取ってもらえないかもしれないが、クライブ様のひざ掛けを編んでいた。

淡いグレーに青色の糸で雪の結晶模様を編み込んでいる。

これを編むにあたって、街の女性たちに教えてもらった『願掛け』をした。


この土地の女性に伝わるものらしく、自分の髪を売って得た金で糸を買って編む。

元々は自分の髪を毛糸と撚り合せて編み込んだらしいが、今では形骸化して髪を売るだけになったようだ。

それを聞いて、すっぱりと髪を切って売ったお金で毛糸を買ってみた。

腰の辺りまであった髪を肩で切り揃えた。

ここまで短くしたのは物心がついてから初めてだ。

首のあたりが寒いと感じるけれどミニマフラーを巻いていればいいし、髪を洗って乾かす時間が驚くほど短くなって便利になった。

髪を乾かす時間も短縮できるし、石鹸を洗い流す湯も少量で済む。

かなり長かった髪をいきなり短くしたので、私がびっくりするほど皆が驚いた。


「それにしてもあんな長くてきれいだった髪をここまで切るくらい惚れこんでいる領主様って、家ではどんな人なんだい?」


「……そうね、仕事熱心で真面目な人かしら」


「街で見かけた誰かがものすごくいい男だって言っていたよ。金髪でエメラルドみたいな瞳のいい男なんて、この辺には居ないからねぇ」


──私が暮らしている本邸にも居ないわ。


とは言えないので、そうですか? とお茶を濁しておく。

ほとんど本邸にはやって来ないけれど、先週突然やってきたのだ。


『かなり寒くなってきたが、不自由はしていないか』


そう聞かれた。


『ありがとうございます。よくしていただいていますので不自由はありません。旦那様も寒さと体調にどうぞお気を付けください』


『わかった』


たったそれだけの会話だった。

あまりにも短かったので暗唱できるほどだ。それでも姿を見ることができたのは嬉しかった。嬉しくて日記にそう書いた。


あまりにも馬鹿みたいでずっと認めたくはなかったが、学園時代に婚約者となった時からクライブ様のことをひっそりとお慕いしていた。

あの青色の美しい瞳に、自分が映ることを夢見ていた。第三王子であるクライブ様は遠い存在だった。

まさか結婚してから学園時代よりもさらに遠い存在になるとは思わなかった。

クライブ様は、私の髪がこんなに短くなったことにさえ気づくこともなかった。

ただもうすべては諦めたこと、ただそれだけだった。



「ほらほら、いい男の御主人のことを思い出してニヤニヤしてないで、編み込みの色を間違えているよ」


「あら、本当だわ! またほどかなくちゃ……」


「奥様がた、もう寄合所を閉める時間です」


役場の敷地の一角にある寄合所は、夕方には閉められる。

日中は何人もの女性が入れ替わり立ち替わり寄合所にやってきて、今日は最初から最後まで居たのは私くらいだ。

役場の人と戸締りをして別れ、馬車乗り場まで歩いていると、


「領主の奥様ー! お忘れ物!」


と役場の人が走ってやってきた。


「テーブルの下に、毛糸が入った袋を忘れていましたよ」


「わざわざ追いかけてきてくれてありがとう、助かりました」


「ではお気をつけて」


戻っていった役場の人を見送って、改めて停車場に向かって歩き出す。



「あなたが領主の奥方なの?」


そう声を掛けられた。振り返ると、車椅子に乗った女性がいた。

先日の帽子店でクライブ様と一緒にいらした、ブリジット様だ。

今日は、おそらく別邸の執事のどなたかがブリジット様の車椅子を押している。

私がブリジット様を知らないと、そう思っているのかしら……。


「はい、オールブライト領を治めることになり着任いたしました領主の妻です。

よろしくお願いします」


ブリジット様はくすくす笑っている。


「ずいぶんと慎ましい領主の奥方なのね、平民よりも平民らしいわ。

さっき毛糸がどうのとおっしゃっていたけど、まさかそのピエロのような帽子もあなたが編んだのかしら。領主の妻をいつ辞めても平民に混じって暮らせそうね」


「領地の民が額に汗して納めてくれている税ですから、無駄遣いはできませんわ。

少しでも領民の皆様が暖かく豊かに暮らせることが大事ですから。

オールブライト領民のあなた様もそうであれば、領主の妻として幸せに感じます。

これから寒くなってまいりますので、お身体大事になさってくださいね。では失礼いたします」


「……何を上から言っているのよ……」


私はその言葉を聞き流し、軽くお辞儀をして停車場に向かって歩く。


ブリジット様は、私が『領主の妻です』と言い切ったことが癪に障ったのかもしれない。

『上から』も何も、ブリジット様は伯爵令嬢、私の実家は侯爵家で今は書類上ではあるけれど辺境伯の妻なのだ。

辺境伯は『伯』ではあるけれど、ここオルティス王国での辺境伯の扱いは侯爵相当なのだ。

別に家格を振りかざすつもりはないけれど。


ブリジット様はここで私に会ったことをクライブ様に言うだろうか。

彼女は何も言わないような気がしている。

私はクライブ様からの愛など望んでいない。

婚儀の日に『君を愛することは無い』と言われた瞬間に諦めた。

私が諦めたものを手にしているはずのブリジット様は、何故私に絡んできたのだろう。

私を知っているのであれば、私が侯爵家の生まれだということも知っているはずだ。

貴族社会で相手の背景も知らないうちに、ああした物言いをする者はいない。


それでもああして何か言わずにいられなかったブリジット様と相対(あいたい)して、むしろ良かったと思える。

クライブ様の愛をブリジット様と奪い合わなければ、私の心はずっと凪いだままでいられるのだ。

私は私のできることをただしていくだけだ。



ひざ掛けはもうすぐ完成する。

街で買ったと言ってアーサーに渡してもらうつもりだ。私が編んだなどと言ったら使ってもらえそうもない。

髪を切り、クライブ様が元気でお幸せに日々を過ごせるようにと願いを込めたひざ掛けがクライブ様のところへ届けばそれでよかった。


 

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