【23】プロポーズ
「はい、あなたに結婚を申し込んでいます。ダンス中に一度しましたので二回目です」
「あれは、ただのダンスでしょう!?」
「ええ、お金は取りませんでしたね」
「……真剣に考えるお話ではないのね」
大きな驚きが怒りに変わりそうになったけれど、自分を見失ってはならないと心の中で自分を抑える。
陛下とクライブ様の前でアーサーから結婚を申し込まれているということは、またも私の結婚が『王命』で決まろうとしているのだ。
クライブ様がジェイラス陛下に命じられて『仕方なく』私と結婚したように、アーサーも領地を貰って好きな女性と結婚するはずだったのに、陛下の命で『仕方なく』私と結婚しようというのね。
私は陛下に向き直り姿勢を正した。
「……陛下、大変申し訳ございません。私はもう、誰かのための結婚をするつもりはありません。
不敬な物言いをいたしますこと、申し訳ございません。
マーヴィン第二王子殿下とブリジット様の婚約が白紙になった時、クライブ様と私の婚約も白紙にしてくださればよかったのです。
そうすれば少なくともその時点では、クライブ様は望んだ結婚ができたのではないでしょうか。
結果的にはブリジット様の犯罪行為があり、クライブ様は犯罪者との婚姻という傷を負わずに済みましたが、その分の傷はある意味で私が負ったのです。望まない妻として蔑ろにされるという形で。
今また『王命』という形で、私との結婚を望んでいないアーサーに、クライブ様と離縁予定で行き場の無い私を押し付けるのでしょうか。アーサーには他に結婚したい人がいるとアーサーのお婆様から伺いました」
「ちょっと待ってくれ、アーサーに他に結婚したい人がいる!? どういうことだアーサー!」
「……ああ、違う……順番も言い方も……焦り過ぎて、いろいろ間違った……」
アーサーは目に腕を当てて上を向いた。
そして急に居ずまいを正して私をまっすぐに見つめる。逸らしたいのにできなかった。
「俺は、フォスティーヌ様、あなたのことが好きだから結婚を申し込みました。
抱いてはいけない感情で、もちろんずっと閉じ込めていた。
シグネットリングを発見した褒美を取らせると言われて、オールブライト領とあなたを所望したのです。
クライブ様がホールデン伯爵領に転封になるのなら、オールブライト領を任せてもらえないかと。オールブライト領主としてあなたを妻に迎えたいと陛下に願いました。
あなたを押し付けられてなどいない、むしろあなたを……どうしても欲しかった。
それはあなたをまるで物のように扱っていると思われるかもしれない。
でも、あなたを幸せにしたいんです……。あなたにずっと笑顔でいて欲しい。
ダンス中のプロポーズは本気でした、あなたを愛しています」
アーサーからの突然の愛の言葉に、喜びよりも驚きが先に飛び出した。
あのダンス中のプロポーズが本気だった……。
そんなことって……。
「……モッカ婆さんは、お孫さんは領地を貰って……結婚したい人がいると言ったわ……」
「フォスティーヌ様のことです、婆さんもダンスの後の俺たちを見て、二人の踊りを見た、いい踊りだった。早く結婚してしまいな、そう言っていました」
「……あれが……私のことだったなんて、そんなこと……」
「コホン……」
ジェイラス陛下が、わざとらしい咳をした。
「それで、どうだろうか。クライブとの離縁が正式に決まれば、アーサーと結婚するという、そういう気持ちはあるだろうか」
「急なことで……まだ、少しも考えがまとまりません……。自分の気持ち以前に、これまでオールブライト領主クライブ様の執事であったアーサーと、ただのお飾りの妻だった私の再婚だなんて、節操がないだとか、バカにしているだとか、領民の方々に不愉快な思いをさせてしまうのではないかと……」
「オールブライトの街の人たちの中には俺を領主だと思っている人もいますが、領民が認めるかどうかは大した問題ではありません。問題があるならば領主となった自分がどうにかします」
街の人たちが、アーサーのことを領主だと思っているって、どういうことなの……確かに街へはアーサーと行くことが多かったけれど……。
『金髪でエメラルドのような瞳のいい男』
パン屋のおかみさんが言っていたのは、アーサーのことだったの!?
そういえば、クライブ様の瞳はエメラルドというよりはサファイアだわ……。
ついクライブ様を見てしまった。
クライブ様が街へ行く時は、いつもブリジット様を伴っていたでしょうから、私を『領主の妻』と知っている人はブリジット様をエスコートするクライブ様を『領主』だとは思っていなかったのかもしれない。
街で見かけたお二人の距離感は、どう見ても恋人同士か夫婦のようにしか見えなかったもの。
「フォスティーヌ殿、アーサーとの結婚を承諾してもらえるだろうか」
「陛下! そうやって俺の代わりにフォスティーヌ様の返事を聞こうとしないでください!」
「まあ、確かにそうだな。ではこの書類にサインだけ貰っておきたい」
陛下の側近が差し出した書類は離縁届だった。
条件などは何もなく『白い結婚だった』という文言があり、クライブ様のサインがすでに記入されている。
私はその下に、自分の名前をサインすると、側近はサインを確認するとそれを持って下がった。
「兄上、後は二人に任せましょう。兄上は、この後に大事なセレモニーの準備があります。従者たちが時間を気にしていますよ」
「……そうだな。では後のことは二人で話し合ってくれ。
フォスティーヌ殿、アーサーは私の大事な友人ではあるが、そうしたことに一切気兼ねすることなく、誰の為でもない、あなたの人生と結婚について考えて決めてくれればと思っている。
また、クライブとの離縁が正式に決まる前に、アーサーとの結婚を推し勧めたことも申し訳ないと思う。
ただの言い訳にはなるが、離縁の後に改めて席を設けることも難しかったのだ。
とにかく、あなたの幸せを、ここにいる誰もが望んでいるということを分かって貰いたい」
「はい、ありがとうございます……」
陛下とクライブ様は部屋を出て行った。
それから、アーサーは私にお茶を淹れてくれている。
ヘレナや侍女たちを下がらせて、護衛たちだけが残っている。
いくら陛下がアーサーと私を結婚させようとしているとはいえ、先ほどサインした書類が提出されるまでは正式にはクライブ様の妻なのだ。部屋に二人きりなどとんでもない話。
何から話せばいいのか分からなくて、黙ってお茶を飲んでいる。アーサーも同じなのか無言だ。
私は沈黙に耐えかねて口を開いた。
「愛しているなんて、生まれて初めて言われたわ」
アーサーはティーカップの持ち手をつまみ損ねて、カチャンと音を鳴らした。
「大丈夫!? よかった、お茶はこぼれていないわね」
「フォスティーヌ様、沈黙を破る時は小石を投げてくれませんか。いきなり岩を投げてくるのはおやめください、心臓に悪い」
「……ごめんなさい。愛しているなんて、本当に言われたことが無かったものだから……」
「……バーネット侯爵家については、申し訳ありませんがいろいろ調べたのですが、そういう内々の細かいことまではさすがに……」
「そうね、人を使って調べたところで、父や兄が私に挨拶ですら愛していると言ったことが無いことなんか分かるわけがないわ。単にそういう扱いだっただけなの。妹のレリアーナには初夏の雨のように、愛の言葉を降らせていたけれど」
「では、俺があなたに愛を囁く最後の人類になったわけですね」
「最後? 最初ではなくて?」
「もう他の人物があなたに愛を囁けないように、口封じの魔法を全世界にかけます」
「アーサーも言えなくなるのね」
「そこは適当に都合がいい感じに理解してくださってもいいじゃないですか!」
つい笑ってしまった。アーサーはいつも真面目な顔をしてふざけたことを言う。
そのおかげで、この現実感に乏しい今をなんとなく受け入れられている。
「それで、フォスティーヌ様は、プロポーズを受けてくださいますか。
あなたの気持ちが知りたいのです。先ほどは陛下とクライブ様の前では聞きたくなかったので、返事を求めなかったのですが」
真剣な眼差しのアーサーがそこに居た。
「私は離縁届にサインはしたけれど、私の気持ちを伝えるのは書類が受理されてクライブ様との離縁が正式に成立してから、それからではダメかしら」
「……分かりました。フォスティーヌ様のお気持を伺うのは、すべて終わってからと」
本当は今すぐ気持ちを打ち明けたかった。
愛していると言われてどれだけ胸が高鳴ったか。
クライブ様に存在を否定されていた私に、たとえそれが仕事であっても誠実に接してくれるアーサーにどれだけ救われてきたか。
あのダンスを踊った時にごまかしきれなくなった心が、どれだけ私を内側から温めてくれたか……。
でも、今はまだクライブ様の妻のままだ。
きちんとすべて片付いてから、伝えたかった。




