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【12】嘘をつく *クライブ視点

  

ヘレナという本邸のメイドが言ったブリジットの話は、俄かには信じられなかった。

『生涯歩けなくなった』などという、途方もない嘘をつくことがあるだろうか……。


嘘をつくというのは、自分の中に『真実の(ひずみ)』を持つということではないのか。

ついた嘘に、その後の自分の言動が縛られる。

子供時分に、勉強から一時逃れようと『おなかが痛い』と嘘をつけば、好物の菓子が出されても食べられなくなる。楽しく遊べる時間が来ても、大事を取って横になるように言われたりもする。

そうして、自分がついた嘘が生んだ『歪』に足を取られたと気づき、嘘はいけないのだと知るものだ。

『生涯歩けなくなった』という嘘が生む『歪』はあまりに大きく、ブリジット本人ならず周囲の者まで巻き込むと、分からなかったというのだろうか。

この嘘で得られるものと歪の中で失うものとを秤にかけて、あまりにも傾きがマイナスに振り過ぎてはいないだろうか。

このような嘘をついたということは、ブリジットはその『秤』を持たない人間ということになってしまう。


アーサーがあまり驚いた顔をしていなかったので、彼は知っていたのだろう。

ただ、考えてみると執事ダレスを部屋に引き込んでいるというのはともかく、歩けるということに関しては、ああそうだったのかとなんとなく納得できた。


今は王となった長兄に命じられ、自分が先頭に立ってブリジットの伯爵家を取り調べに行った際、ブリジットは驚いて転び腰の骨を折った。

当初は二日に一度、王宮に勤める医師を特別にホールデン邸に呼びつけて診てもらっていた。

王宮の医師を毎日寄越してくれとホールデン家は求めたが、さすがにそれはできず二日に一度になった。

それが三日に一度、七日に一度となり、ひと月ほど経ったあたりから医師を呼ばなくなった。

私が何度きちんと定期的に診てもらったほうがいいと勧めても、もう歩けないと言われたショックが酷く、医師に診てもらったところで歩けるようになるわけではないのだからとブリジットは拒否をした。

今思えば、その時にはもう歩けるまでに回復していたのだろう。

だから医師の診察を拒否した、そう考えれば腑に落ちる。


執事のダレスは別邸の五人の執事のうち、一番若い男だ。

王宮に勤めていた頃から知っているが、見目が整っていて人当たりもソフトだ。

ブリジットが、私が王都に泊まりで出かけた夜にダレスを自室に引き込んでいると聞かされてから、いろいろ過去のことをずっと考えている。


当時ブリジットの婚約者だった次兄のマーヴィンに純潔を奪われたとブリジットに泣かれた後、詰め寄った私に対して次兄は、


──どうせ結婚するのだからそれが少し早まったからといって問題ない。


ニヤニヤ笑いながらそう言った後に、


──あいつも初めてだったわけでもなかったのだから。


確かにそう次兄は言った。

次兄を殺してやりたいと思った怒りの中で、次兄は自分にブリジットを貶める嘘をついたのだと思っていた。

……あれは次兄の嘘ではなかったのかもしれない。

『純潔を奪われた』とブリジットが言ったほうが嘘だったのではないのか……。


『生涯歩けなくなった』ということが嘘だと判った以上、ブリジットの言葉のすべてが信じられるものなのか、ぐらついてくる。

学園時代のフォスティーヌが排他的で冷たい人間だという噂があったということも、いや……それどころか、ブリジットが僕を慕っていると言ったことさえも……。


***


「クライブ様、おはようございます」


「おはよう、ブリジット」


いつもと変わらない朝食のテーブルに、ブリジットはいつもと変わらない様子で座っている。

このテーブルはブリジットの車椅子の高さに合わせて作らせた。

車椅子から椅子に座り替えなくてもいいようにした。

そのために他のダイニングテーブルよりも少し低い。


歩けなくなって車椅子のブリジットに配慮したものを、工事をしたり取り寄せたりして新たに設置してきたことにブリジットは何を思っていたのだろう。

優しく慈愛に満ちた笑顔だと思っていたものが、色を失っている。

自分の目で確かめなければ、僕はこのままではいられない。


「少し急な話で申し訳ないのだが、これから王都に行くことになった。

いつものようにまた泊まることになる。何か今の内に入用なものなどあれば言って欲しい。それを手配してから向かおう」


「まあ、それは急なお話ですね。でも特に必要なものなどはありませんわ、ご配慮ありがとう。お帰りはいつ頃になりますの?」


「十日後だ。それから、今回は帰る日にも寄るところがあるのでいつもより少し遅くなりそうだ。夜も遅くなるので待たなくてよい」


「分かりました、大変なお仕事ですのね。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」


「そうだ、知り合いのクーパー子爵が、ちょうど王都に用事があるとかでクーパー家の馬車で一緒に行くことになったのだ。長い道中は退屈だからな、いろいろ話しながら行くことになった」


「それなら賑やかですわね」


「帰りも乗せてくれるそうだから、今回は道中も楽しみなのだ。こんなことを言うのもおかしいが」


「少し分かるような気がしますわ。誰かとおしゃべりをすることで、頭の中が整理されることもありますもの。それでは道中も含めて、楽しい旅になりますように」


この程度の嘘をつくだけで、背中から汗が吹き出すような思いがする。

クーパー子爵の馬車に乗せてもらうなどというのは真っ赤な嘘だ。

王都になど行かず、私は本邸に泊まる。

ただ馬車をどこかにやるわけにもいかないので、そんな嘘が必要になった。


今自分がどういう顔をしているのかと思うと、大きな『歪』に転がり落ちるような感覚がある。

もう歩くことができないなどという大きな嘘をつき通すのは、いったいどれくらい心を蝕んでいくのだろう。

それとも、ブリジットはこれだけの嘘に何も動じない人間なのだろうか。


いつもと変わりない顔で卵料理を口に運んでいるブリジットが、何か恐ろしい生き物のように思えた。




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