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世にも奇妙な短編集  作者: お布団
9/10

謎の少女と雨傘

どしゃ降りの雨。

終電で帰ってきたばかりの俺は、人気のない道を歩いていた。


そのときだった。

街灯の下、ぽつんと立ち尽くす少女が見えた。


傘も差さず、びしょ濡れで。


(……傘、持ってないのか?)


こんな大雨の中で、まるで置き去りにされたみたいに立ち尽くす彼女の姿は、どこか現実感がなかった。


通りすがりの俺がどうこうできることじゃないのかもしれない。……けど。


「これ、使っていいよ」


自然と手が動いて、俺は自分の傘を差し出していた。


「えっ? でも……」


「大丈夫。俺の家、すぐそこだから。それじゃ、風邪ひかないようにな」


そのまま走り出そうとした俺の腕を、彼女の細い指がぎゅっと掴んだ。


「あの……私も、すぐ近くなんです。一緒に帰りませんか?」


「え? まあ……」


ためらいつつも、チラッと彼女の顔を見てしまった。


──うわ、だめだ。

ずぶ濡れの髪が肌に張り付いてて、妙に色っぽいし、なによりあの目。

不安げで、どこか必死なまなざし。

こんな目で見つめられて、断れるわけがない。


「わかった。じゃあ、一緒に行こう」


「はいっ」


傘を差し直し、ふたりでひとつの傘に入る。

なんだこれ、すごく距離が近い。


ちらっと横目で見ると、彼女も同じことを思ってるのか、頬をうっすら赤らめて俯いていた。


沈黙。


気まずくもなく、でもちょっとくすぐったい沈黙。


先にそれを破ったのは、彼女だった。


「あの、自己紹介がまだでしたよね。私、神崎紗奈っていいます」


「西片翔。よろしく、神崎さん」


名前を交わしただけで、少し空気がやわらぐ。

でもまた、すぐに沈黙が落ちてきた。


──と、思ったら、すぐに彼女がもう一度口を開いた。


「あの……どうして、私に声をかけてくれたんですか?」


「傘もささずにびしょ濡れだったし、それに…すごく寂しそうに見えたから」


「そう……ですか……」


それきり、神崎はまた口をつぐんだ。


会話は得意じゃないんだろう。だけど、そのぎこちなさが、かえって自然で、嫌な感じはしない。


白い長袖のシャツ。濡れて少し透けてるのがちょっと危ない。

紺色のスカート。制服じゃないのに、なんとなく制服っぽい雰囲気。

長い黒髪は雨に濡れて、しずくが滴ってる。


──きらきらしてて、まるで星のかけらみたいだった。


色白の肌は儚げで、まるで触れたら壊れてしまいそうで──それでも、傘の下で俺の横を歩いている彼女は、確かにそこにいた。


(不思議な子だな……)


気づけば、家のすぐ近くまで来ていた。


「あの……西片さんは、どんなお仕事をされているんですか?」


傘の下で、ぽつりと彼女が訊いてくる。


「普通のサラリーマンだよ。君は……大学生?」


「いえ、わたしは……」


言いかけた言葉が、そこで止まる。

神崎は一瞬だけ、目を伏せた。


(あれ……?)


見た目はたしかに幼い。中学生と言われても違和感はない。

だけど──この時間帯に? しかも一人で? どしゃ降りの中?


ふとした疑問が、頭の中に渦を巻く。


──いや、でも女性に年齢を訊くのはマナー違反だろ。


……そう思いつつも、好奇心が勝ってしまった。


「……神崎さん、何歳?」


彼女は一度瞬きをしてから、まっすぐこちらを見て言った。


「わたし…、十二歳です」


「じゅ、十二歳!?」


思わず、変な声が出た。


中学生どころじゃない。小学生──いや、もしかすると小6?

そんな年齢の子が、深夜に一人で道端にいるなんて、正気の沙汰じゃない。


「……親御さんは?」


俺は焦り混じりに訊いた。

その答えは、もっと衝撃的だった。


「……わかりません」


「……え?」


「うちお母さんしかいないんですけど、

今、どこにいるのかわからなくて……」


「……連絡は? 携帯とか……」


「かけても、もう使われていないって……」


俺は神崎から教えてもらった番号をスマホに打ち込んでみた。


──ツー……ツー……『この番号は現在使われておりません』


「……マジかよ」


冷たい機械音が、妙に現実離れして感じられた。

母親がいない。連絡もつかない。


つまり──彼女は今、完全に一人きりということになる。


「兄弟は?」


「いません」


「親戚は?」


「いるかどうかも、わかりません」


正月やお盆に会うような存在ですら、記憶にないという。

それって……本当に彼女は独りぼっちなんだ。


「君の母親、何かに巻き込まれたのかもしれないな……」


「いえ……多分、知らない男の人と一緒に…どこか旅行に行ってるんだと

思います…」


神崎はうつむいたまま、ぐっと口を強く閉じた。


この状況、十二歳の子どもにとってはあまりにも酷だ。

どう声をかければいいのか、俺にもわからない。


──だけど、何かしなければ。


「……警察に行こう」


それが一番安全で、そして確実な方法だと思った。


未成年の保護は、本来なら彼らの仕事だ。

今ならまだ、取り返しがつく。


「──だめです」


神崎が小さな声で、けれど強くそう言った。


「どうして?」


「さっき、警察の人に声をかけられて……。

 ──胸を、触られそうになったんです」


「……っ」


一瞬、言葉を失った。

冗談で済ませるには、あまりに生々しい。


「だから……警察は、いやです。こわいです」


濡れた髪が額にはりつき、神崎は小刻みに震えていた。

怒りとも悲しみともつかない感情が胸をざわつかせる。


──くそ。

そんな奴が“正義”を名乗ってるのかよ。


「……困ったな」


ぽつりと、本音が口をついて出る。

どう考えても、まだ十二歳の少女を一人で帰すわけにはいかない。


「西片さん、私の家に来てください」


神崎が、俺の袖をきゅっとつかむ。

その目には、不安がにじんでいた。


「……わかった。ただし、一つ条件がある」


「……?」


「明日、一緒に警察に行くこと。朝なら、人目も多いし……さすがに、例の警察官も下手な真似はできないだろ」


「……わかりました。こっちです、ついてきてください」


神崎はぱっと傘の外に出て、前を歩き始めた。

いつの間にか、雨は止んでいた。



〇●〇


神崎の家は、高層マンションの最上階だった。

タッチパネルの操作にも迷いがなく、パスワードを入力する姿には、妙な手慣れた印象を受けた。


途中、エレベーターの中でスーツ姿の中年男とすれ違ったが、まるで俺たちに興味がないようで、無言のまま通り過ぎていった。


「おじゃまします……」


「適当にくつろいでください」


靴を脱いで上がると、神崎は玄関の鍵をカチリと閉める。

なぜか、その音がやけに大きく響いた気がした。


「シャワー、浴びるならどうぞ」


神崎がちらりと俺の濡れたスーツに目を向ける。


「俺は君のあとでいいよ。濡れてるの、そっちの方がひどいし」


「それじゃあ、お言葉に甘えて──失礼します」


神崎は小走りでバスルームへ向かっていった。

濡れた素足の足跡が、床に生々しく残っている。


リビングに目を向けると──思わず、ため息が出た。

ボロアパート暮らしの俺からすれば、ここはまるで異世界のようだ。


白を基調とした内装に、ガラス張りの大きなテーブル。

リビングはやけに広く、それでいてどこか物足りない。

テレビもゲームも、本棚すらない。生活感がない、というべきか……。


(これ、本当に十二歳の住む家か?)


俺はソファに座ることなく、窓の外に広がる夜景をぼんやりと眺めていた。


やがて、リビングの扉が開く。


「西片さん、どうぞ」


白いバスローブに包まれた神崎が、髪をタオルで拭きながら現れた。


「あ、ああ……」


思わず、声が裏返りそうになる。

年齢なんて関係ない。

その立ち振る舞いは、大人びていて、まるでどこかの女優かモデルみたいだった。


俺は逃げるようにバスルームへ向かい、ぬるめのシャワーで頭を冷やす。


用意されていた新品の下着とシャツ。

サイズはぴったり。──どういうことだ?


(まさか、前にも誰か泊めたことが……?)


そんな思考を振り切りながら、着替えを済ませてリビングへ戻る。


「どこか、干すところないかな?」


濡れたスーツを腕にかけ、神崎に尋ねると──


「隣の部屋に乾燥機があります。私がやっておきますね」


神崎は俺のスーツを受け取り、すっと隣の部屋へ消えていった。


──ふぅ。


ソファに腰を下ろす。

ようやく肩の力が抜ける。


(……なに緊張してんだ、俺)


相手は十二歳の少女だ。

でも、言葉遣いも、表情も、所作までもが大人びていて──つい、感覚が狂ってしまいそうになる。


「お待たせしました」


がちゃ、と乾燥機のある部屋から戻ってきた神崎が、にっこりと微笑む。


「ありがとう」


「どういたしまして」


その笑顔は、まるで作り物のように完璧だった。


──いや、違う。


“作られた”もの、なのかもしれない。


俺の胸の奥に、ふと、妙なざわめきが広がった。


一息つく間もなく、神崎はキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。

手にしていたのは──缶ビールだった。


(……まさか、お礼ってそれか?)


「西片さん、こっちに来てください」


「え、お礼とか別にいらないよ?」


「これ……一緒に飲みましょう」


「……は?」


神崎は缶ビールを一本、俺に手渡すと──

もう一本を自分で開け、ためらうことなく、ぐいぐいと飲み干しはじめた。


「ちょっ、おいおい待て待て! 君、未成年だろっ!?」


「んっ……さいっこー……。西片さん、飲まないんですか?」


「いやいや、そもそも君が飲んじゃダメだろ! 未成年飲酒、完全にアウトだぞ!?」


あたまを抱えた俺の頬に、神崎の手がふれた。


「西片さん……目、閉じてください」


顔をほんのり赤らめて、潤んだ瞳で見つめてくる。

──酒、入ってるなこれは。


だが、そのとき。


「たす……け……て……」


「……!?」


誰かの声が、微かに聞こえた気がした。


「今の、なんだ……?」


俺は音のした方向に目を向ける。

それは──乾燥機がある隣の部屋の扉の向こうだった。


「どうしたの?」


神崎の問いかけを振り切り、俺は扉を開けて中に踏み込む。


部屋の中には、乾燥機と洗濯機が一台ずつ。

それ以外は、特に変わったところはない……はずだった。


「たす……けて……」


まただ。間違いない、今度ははっきり聞こえた。

耳を澄まし、音の発生源を探る──


(あれか……!)


業務用のように大きな洗濯機。

家庭用には不釣り合いなサイズ感のフタが閉まっている。

その中からだ。


俺は一切の躊躇なく、フタを開けた。


──中にあったのは、スマホ。


そのスピーカーから、また声が流れる。


「たす……けて……」


(なるほど……)


肩の力が抜けた。

まさかの、アプリの音声だった。


画面を見ると、知らないホラー系のアプリが起動している。


定期的に女性のボイスが流れる、いわゆる“びっくり系”のアプリだ。


「人を驚かせるためのアプリか……くだらねぇ……」


スマホの電源を切り、リビングに戻る。


神崎がソファに腰掛け、無邪気に笑っていた。


「俺を驚かせようとしたのか?」


「驚いた?」


満足げな笑みを浮かべる神崎が、にくたらしくも、なんだか愛おしい。


その時。


「あっ」


スマホを受け取った神崎が、ふと何かを思い出したように声を上げた。


「どした?」


「私、ほんとは“二十歳”だって言ったっけ?」


「──は?」


神崎は、スマホの画面を操作し、画像フォルダを開く。

そこには、身分証明書の写真が表示されていた。

名前、顔、そして──生年月日。


……確かに、二十歳だ。


「からかってごめんね」


「………………」



……してやられた。


未成年飲酒疑惑どころか、年齢詐称で振り回されてたってわけだ。

俺は受け取った缶ビールを見つめてから──一気に飲み干した。


「ふぅ……」


「朝まで飲もうよ、西片さん」


空になった缶ビールを軽く合わせ、彼女が笑う。


──夜はまだ、長い。


でも今夜は、少しも寂しくなさそうだ。



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