1.再軍備宣言
英雄が歴史を作るのではない。歴史が英雄を作るのだ。
―ヨシフ・スターリン
地球暦4261年(帝国暦202年)9月11日、帝国のマントイフェル大使は執務室にテラフォード外務大臣トニー・ガルシアを迎え入れていた。時刻はもうすぐ10時になろうかというところである。
大使は不機嫌そうな顔で、大臣が入ってきても執務机から立ち上がろうともしない。何しろ彼は今、10日前に行われたオクシタン独立宣言後の帝国内情勢について情報収集で忙しいのだ。彼のこの忌々しい“辺境の未開国”での任期はあと1ヶ月もすれば終わるはずだった。中央社交界に復帰さえすれば新たな出世の道も開けるはずだ。そのために彼は政界にいる親戚など様々なツテを使って、何か魅力的なポストがないか探しているところだった。もちろん、そのためにヴェスターブルグ宰相とボルトハーゲン副宰相のどちらの派閥に入った方が有利かも慎重に考えねばならない。
(それなのにあの小僧、)マントイフェルの心は元上司に対し憎悪で溢れんばかりである。オーベルニュが余計なことをしたせいで、今後の人事の行方が流動的になってしまった。もし人事異動が当面凍結され、駐テラフォード大使の任期も延長、などということになったら彼のこれまでの努力は全て水の泡だ。だから今は、未開人たちの意味不明な主張につきあっている場合ではない。
マントイフェルは仏頂面のままガルシア大臣に対して手ぶりで机の前のソファをすすめると、彼が着席するのも待たず口を開いた。
「ですから大臣、何度も申し上げたとおり、帝国政府はサン・リミノの和約改訂には応じかねる。何度来ていただいても結論は変わりませんぞ」
ガルシアはまあまあ、と曖昧な笑みを浮かべただけでソファの前のセンターテーブル上にあったリモコンを手に取るとテレビを点けた。
「何を・・・・」といいかけた大使の目がテレビに吸い寄せられた。
画面にはテラフォード大統領執務室前に設置された演台が映っている。と、執務室のドアが開き、やぁやぁというように記者団に向かって手を振り満面の笑みを浮かべたラムズフェルト大統領が出てきた。
演台の前に立ったラムズフェルトはネクタイをいじり、オールバックの髪をなであげるとにこやかな顔でおもむろに話し始めた。
「ごきげんよう、テラフォード国民のみなさん。本日はみなさんに対して重大なお知らせがあります」
そこで演台の上に置かれた紙に一度目を落とし、またカメラの方を向いた。
「みなさんご存じのとおり、我が政府は政権発足以来、帝国政府に対しサン・リミノ条約の改訂を求めて参りました。その目的はただ一つ、」
カメラに向かってラムズフェルトは人差し指を振る。
「我が国が真に独立した国であり続けることです。みなさんもまだご記憶でしょう、あの痛ましいネオ・ネプチューン事件のことを」
大統領は大げさに眉根を寄せ首を振る。
「テラフォードの宙域不可侵を定めたサン・リミノ条約があるにもかかわらず、帝国軍はいとも簡単にその約束を土足で踏みにじり、哀れな脱帝民の人々を無理やり連れ去ってしまった・・・」宙を見つめて少し間を置く。
「確かに、この非道な行いについて第一に責められるべきは帝国です。しかし、」ここでラムズフェルトは演台に両手をつき、身を乗り出してカメラを睨む。
「それよりも責められるべきは、200年の泰平の世でいつしか民主主義を守る気概を失ってしまったテラフォード政府、いや我々国民自身なのではありませんか?」
「・・・・このままサン・リミノ条約体制を維持し、帝国の情けにすがったまま生きていくつもりですか?ネオ・ネプチューン事件で明らかになったように、帝国の気が変わればいつでも、我がテラフォード共和国はその軍靴に踏みにじられる運命にあるのです。我々はいつまで、帝国の手に我らの運命を、民主主義の運命を委ね続けるつもりでしょうか?」
ラムズフェルトは自分の言葉の効果を確かめるように、カメラを凝視する。少しあって背を起こし、今度は後ろ手に手を組んだ。さすが元人気番組の司会者だっただけあって、身振りや表情で視聴者を引き込む演技は堂に入ったものだ。
「外交には力の裏付けが必要です。テラフォードが帝国の属国ではなく、真に独立した共和国であり続けるためには、自らの身を帝国の暴力から守ることができるだけの実力が必要なのです。そのために、我が政府は真摯に、帝国側とサン・リミノ条約の改訂交渉を行ってきました。・・・・しかし皆さんもおそらくお聞きのように、帝国政府はこうした我が方の正当な要求に一切耳を傾けることはありませんでした。これもひとえに、我が国に力がないからです・・・・。実力なき者の声に耳を傾ける者はおりません」
ラムズフェルトは再び演台に両手をつき、カメラの方を見据えたままマイクに口を近づける。
「そこで、私はついに一つの結論に至りました」
今までの芝居がかった激しい口調から一転して、静かな声だ。
「テラフォード共和国は本日、サン・リミノ条約を破棄し、再軍備を宣言いたします」
プチン、突然消されたテレビ画面を指差しながら、開いた口が塞がらないといった様子のマントイフェル大使はガルシア大臣にわめき散らす。
「まさか、貴様ら・・・・、気でも狂ったのか? これは宣戦布告だぞ?」
ガルシアはにっこりと笑って立ち上がた。しかしその笑顔とは裏腹に、口調は氷のような冷たさだった。
「『貴様』だと? 誰に向かって口をきいているんだ、大使ごときが。私はこの国の大臣だぞ」
そういうと、大使の返事も待たずすたすたと部屋を出て行った。
数時間後、憤然とした表情のマントイフェル大使を先頭に、帝国駐テラフォード大使館の面々が宇宙港のゲートに並んでいた。そこにマスコミ関係者が押し寄せる。
「大使、今日のラムズフェルト大統領による再軍備宣言に対して一言お願いします」
ふん、と鼻を鳴らしたマントイフェルはリポーターを睨めつける。
「一言だと? 言いたいことは山ほどあるが、では私からの忠告を一言だけ言ってやろう。これは宣戦布告だ。明らかにな。貴様らの貧弱な軍備で、我が高貴なる帝国の強大な力に対抗できるとでも思ってるのか? テラフォードに核ミサイルが降り注ぎ始めてから泣き喚くがいいさ。そうだ、この国は“民主主義”国だったな。ということは、この結果はお前ら自身が望み、選んだということだ。せいぜい短い余生を楽しむことだな」
一言どころか思いの丈を吐き捨てるようにぶちまけて背を向けるマントイフェルに対して、それと気づいてゲートの周りに集まってきた群衆が叫び始める。
「さっさと出ていけ! 傲慢なクソ野郎!」
「偉そうに。お前らの言う通りにはならないぞ!」
「テラフォード万歳! 民主主義万歳!」
振り向いたマントイフェルは群衆を睨みつけ、何か言いたそうに口を開いたが、彼らが大使に向かって物を投げつけ始めると慌ててゲートの中に消えて行った。しかしマントイフェルら帝国大使館の一行はその後数日間、宇宙港の中に閉じ込められることになる。軍によってテラフォードとアブロリモーゼ間のワープ航路を含むネオ・ネプチューン宙域全体が航行禁止宙域に指定されたためである。