開きかけの百合のあいだに
槙はブレザーの制服をきっちりと着ていて、飾りけがない。
かたい表情で教室のはしっこから、少し離れた席へ視線を向けていた。
男子たちと騒がしくしゃべる女子がいる。
「オマエらどうせ、明日はチョコをもらえるアテなんてねーだろ? ちゃんと三倍で返すなら、義理チョコをばらまいてやらんでもねーぞー?」
短いスカートで机に腰かけ、からかったりからかわれたりしながら、おたがいの反応を探りあっていた。
槙がきつく眉をしかめるので、前の席にいた久留見は苦笑いでなだめる。
「今年も学校内にチョコの持ちこみは禁止だけど、それでかえって放課後に誘うきっかけが増えるのはどうなんだろね~?」
久留見は小柄で童顔で愛らしい。
槙も少しだけ表情をゆるめて苦笑いを返す。
「家とか学校に迷惑をかけなければ、なんでもいいと思うけど」
「なんでも? 女子と女子での甘~い関係も?」
久留見はウキウキと確認して、槙は困ったように目をそむける。
「わたしは……今年も渡す予定とかないし、また友チョコ交換する?」
「久留見はむしろ本命チョコを交換したいな~」
「ええと、その……」
槙は口をへの字にしていたけど、嫌でもなさそうな照れかただった。
「それなら友チョコでもいいけど、渡しかたを工夫してみよっか? 口うつしとか体に塗るとか……じょうだんだってば」
槙はそろそろ怒りそうな顔になっている。
久留見がとっさに目をそらすと、男子たちの会話はとぎれていて、短いスカートの女子と目が合った。
「おい久留見ー。去年はなんで、アタシにはチョコくれなかったんだよー?」
桐江は背が高いほうで、校則ぎりぎりまで派手な格好をしている。
「うーん? じゃあ今年は交換しよっか?」
「よーし。めっちゃ愛してるから本命チョコだぞー?」
桐江がくちびるを突き出して久留見のほっぺたに迫ると、槙がグイと力まかせに引きはなした。
「そういうふざけかたはやめて」
低い声でにらみつけたので、久留見はあわてて間へ入る。
「まあまあ。ほっぺたなら久留見もまんざらでもなかったし」
「それでも、あんなこと人前で……」
槙が重たい気配を噴出させて、桐江もたじろぐ。
「いやおい、ほっぺチューくらいでおおげさな……クソまじめか?」
桐江がからかうと、槙はますます顔をけわしくして、久留見は両手をあてどなく迷わせる。
「なかよくしようよ~。ふたりは小学校も同じだっけ?」
「そうそう。昔は槙にもいろいろよくしてやったんだから、もっと大事にしろよー?」
槙は窓の外へ顔をそむけてしまい、桐江は気まずそうに苦笑する。
「いや、ごめん。でも槙って最近、久留見としか話してなくね? それともそういう仲? それなら邪魔はしねーけど……」
返事がない。視線すら向けない。
代わりに久留見が愛くるしい笑顔を向ける。
「別に邪魔はされてもいいけど~? 久留見はふたりとも好きだし」
「んー? そーお?」
桐江はもやもやとした様子で退散した。
槙は窓の外を見たまま、ふてくされている。
それを久留見はニコニコとながめる。
「ああいうノリは苦手?」
「別に……嫌ってはいないけど。わたしが転校したばかりのころに話しかけてくれたことは感謝してる。今よりさらに話し下手だったし」
「そうなの? じゃあ実は性的に好き?」
「だからそういうじょうだんは……よくないと思う」
ふたたび槙はまじめに暗くなってしまう。
「ん~? でも女子と女子で、じょうだんでなくつきあってもいいよね?」
「それはもちろん、それなりの覚悟があるなら……でもほとんどの人は『学生時代だけの遊び』みたいに、そのうち『卒業』するものでしょ? それなら最初から、半端に興味なんか持たないほうが……」
「ん~? でも男女カップルだって、学生時代はセックスだけで終わる関係も多いよね?」
「え」
「というか学生時代の男子なんて、たいてい一方通行に肉体めあてだよ? ほかのことも考えてくれる人なら当たりというだけで。でもそれでも、男女交際そのものがだめなわけではないよね?」
「ええと……あれ? でも男女の交際だと、一生に関わることまでつながりやすいから……」
「ん~? でも縄で縛るプレイも、ちょっとまちがえたら病院送りの大事故だよ?」
「え」
「だからちゃんと呼吸とか血流を確保できるように、指導する専門の職人さんまでいるの」
「ええと……それはなんの関係が?」
「だから特殊なプレイも一生に関わるけど、それを好きな気持ちまで手放さなくてもいいよね? まして恋愛の相手なんて性別だけであきらめたら、それこそ一生の大惨事になりそうだし……考えといたほうがいいことはあるにしても、試す前に避けなくてもよくない?」
「そう……かな?」
槙のへの字口がとまどってゆるみかける。
「だから今年は縛らせてね?」
「いや」
「目隠しでチョコをさしこむくらいなら……」
「だめ」
槙は授業中もむっすりしたままだった。
昼休みになって、久留見が弁当箱を手にふりかえると、槙は怒り顔で赤くなる。
「久留見ちゃんのせいで変なこと考えて、授業が頭に入らなかった」
「ふえ? それ久留見のせい? それなら少し練習して慣れておく? はい目をつむって、あーん……」
だし巻き卵をつきだしても、さらに赤くなって顔をしかめてしまう。
「しない。できない。そんなこと、教室で……」
「人目のない場所でやるほうがヒワイでしょ? はい、あーん……うわっ!?」
横から桐江が食いついて、味つけにうなずきながら槙の肩へ手をおく。
「朝はごめんてば。明日の放課後は槙の行きたい店でいいから、たまにはつきあえよー」
視線はミニハンバーグやプチトマトもねらっていたので誠意に欠けていた。
「女子だけでもいいけど、あいつらもちょうど三人だし……」
「興味ない」
槙はもくもくと自家製おにぎりへ咬みつく。
「おいい……いくらカタブツでも、顔出すくらいはいいだろ?」
桐江は久留見にも視線を向けて援護をねだったけど、槙はまだ食べ途中の弁当箱を閉じて立ってしまう。
「そういうつきあいは苦手だし、嫌い」
そのまま早足に教室を出ていってしまう。
「ん~。次の授業の美術室に行ったかな?」
久留見がすかさず笑顔でせっつくと、桐江はだるそうに追いかけた。
桐江が美術室をのぞくと、槙は描きかけの課題作品を引っぱり出すだけで、窓の外をぼんやりと見ていた。
「おーいー、もう無理には誘わないけどさ……」
桐江が困り顔で近くに座ると、槙も困ったようにうつむく。
「桐江ちゃんの格好とか、男子との話しかたとか、似合ってないから見たくないだけ」
「うおいい、はっきり言いやがるなあ? アタシだって見た目はまだいろいろ試しているだけだし、男子とも……不安の裏がえしとゆーか、そーゆー感じの?」
「桐江ちゃんが?」
「いやそりゃ、小学生のころは男子に混じってドッジボールとか相撲もやってたけどさ。あいつら中学からバカみたいに背がのびやがって、アタシまで急に女子あつかいされはじめたから、なんだか話しにくくなって……」
「気にしなくていいのに。わたしは転校してから誰とも話せなくなって、みんなに嫌われたけど、桐江ちゃんがほかの子たちを気にしないで話しかけてくれたから、みんなと話せるきっかけもできた」
「いや、それなんだけど、アタシも女子と男子の両方から浮き気味だったから……実はアタシも、槙が来てくれて助かってたんだよ」
桐江が気まずそうに目をそらして赤くなり、槙もへの字口のまま赤くなり、小さくうなずく。
桐江は安心してため息をつくと、がばっと槙へ抱きついた。
「よかった~! 槙に嫌われたわけじゃないなら、もうなんでもいいや~。アタシも愛してるからチューしよっか~!?」
ふざけてくちびるをつきだすと、また槙にがっしりと抵抗される。
「や、め……て!」
「なんだよ~、たまには久留見じゃなくて、アタシとイチャつけよ~?」
「い、や!」
「嫌ってないくせに~。それともよっぽどアタシにガチ惚れ?」
ガチッと槙が固まってしまい、桐江もこわばる。
「え……おい……?」
「はなして……」
槙の涙ぐんだ瞳にあせって、桐江も目を伏せる。
逃げようともがく槙にしがみついたまま、桐江も弱りきっていた。
「待てって。あれだよ……あれ?」
「忘れて。それで今までと同じようにつきあうから」
「そうするかも怪しそうだけど……逃げるなって。別にアタシも、いやな気はしないというか……いやその、ガチの女同士とかは、考えたこともなかったけど……」
強く抱きしめて、密着する格好になっていた。
桐江は生々しく高い体温や髪の香りにとまどい、槙は眉をきつくしかめたまま、くちびるはせつなくゆるみそうになる。
「それなら、やめて」
「ごめん。からかうつもりしかなかったのに……今の槙、すごくかわいい。興奮する」
ふたりは動きを止めたが、息はだんだんと乱れてくる。
ようやく槙から、かすれそうな小声をしぼりだす。
「そんなの、今だけの気まぐれだから……わたしだって、桐江ちゃんが男子に近づくのがいやなだけで、その先までは……」
それでも抱きしめられるままになっていた。
引きはなすつもりでつかんでいた桐江の両肩をにぎりしめている。
「それでも、試すくらいは、いい……だろ? どちらかでも、だめそうなら、またいつもどおりで……あれ?」
桐江は自分から見つめ合う姿勢になったつもりだった。
槙の思いつめた瞳が思ったよりも近くにせまっていて、肩も動かせないので『自分のほうが逃げられなくなっている』と気がついて背筋でおびえる。
それでもくちびるは無意識に角度を模索して、目はとどめをせがむようにうるんでいた。
いつの間にか、槙の目つきのほうが落ち着いている。
「本当に、いいの?」
桐江は脚をにじって声をかすらせる。
「もう少し、やさしく……」
不意にチャイムが鳴って、ふたりはびくりと動きを止めた。
いつの間にか、廊下から話し声も近づいていた。
どちらからともなく、そそくさと離れて、おそるおそる目を合わせる。
槙は眉をしかめてつぶやく。
「助かった?」
「別に、ふざけたわけじゃないし……」
桐江はふてくされた顔で、首筋の汗をぬぐう。
「……今度また、確認してみればいいだろ? 今の気持ちが、おたがいに続いているかどうか」
槙も身だしなみを整えながら、小さくうなずく。
「それならまず、目隠しでチョコをさしこむくらいから……」
「お、おい?」
「え」
「いやその、目隠しは必要……なのか?」
桐江はこわばって赤くなっていたけど、期待もにじんでいる。槙も。
「…………ごめん」
「おおい……その『ごめん』は『ちがいますごめん』なのか『そうですごめん』なのか!?」
「ええと、その…………!?」
ふたりとも真っ赤な顔を早くどうにかしないと、ほかのみんなにまで見られてしまいそうだ。
どちらもウブすぎて、こっそり後押しも手間がかかる。
ほかの生徒より先に久留見も美術室へ入った。
「ん~? 槙も桐江もまだぎくしゃくしてる? それならもう、明日はふたりでデートでもして、エロい感じになったら久留見も呼んでね?」
さっさとくっついちゃえばいいのに。
久留見も混ざるのはそのあとでいいから。
(おわり)