9.妹の執着
※妹が本当にイラッとくるのでご注意を!
翌日、クレアとジェラルドはキャストリー農園の視察へと出かけた。
この農園では、メインのレモングラスの栽培の他にジェラルドの目当てであるカモミールの栽培もしていた。
しかし残念な事にカモミールはハーブティーに使われる量産型の栽培方法だったため、マウロ農園と比べるとハーブの質がジェラルドの希望にそぐわなかった。
しかし、レモングラスは現地の人間が栽培に関わっているだけあって、かなり質が良かった。 そのためキャストリー農園はレモングラスの仕入れ先として、すぐに取引が決まった。
しかし当初の目的であるカモミールの仕入れ先の農園は未だに決まっていない。
後日もう一つカモミールを扱っているフィンス農園を視察してから、マウロ農園と比較して決めるつもりだったらしい。
だが視察可能日がジェラルドの滞在期間中に得られない事が判明し、カモミールに関しては、次回の視察可能なときに検討するそうだ。
代わりにその翌日、クレアが提案した美容効果に特化したハーブを二種類栽培している農園を視察する事になった。
セリスン農園というその農園は、オーデント家の領地内では二番目に規模が大きく、五年程前までは薬用として効能のあるヤロウをメインで栽培していたが、それ以降は美容効果が高いエルダーフラワーの栽培に力を注いでいる。
その栽培方針が変わったのは、何でも美意識の高いある侯爵夫人が、この農園のエルダーフラワーで入れたハーブティーの残りで入浴したところ、かなり美容効果があったらしく、それを社交界でポロリとこぼしたらしい。
それが火つけ役となり、注文が殺到してしまったのだ。
それ以降、エルダーフラワーがこの農園の7割を占め、栽培されている。
その為、ジェラルドが目をつけたのはヤロウの方だ。
精油に関してはクリーム等に混ぜると虫刺され等にも効果があるので、美容効果よりも薬用的な用途で考えているらしい。
代わりに副産物のハーブウォーターを化粧水として前面的に売り出すつもりのようだが、いくら領地内で二番目に大きい農園であってもヤロウの栽培量は3割しかない。
その為、現在の正確な栽培量の確認と、今後もし資金援助をした場合に増やせるかの確認をする事が、今回の視察のメインだった。
結果、リーネル農園に対して行う資金援助の半分で、ジェラルドが求めている栽培量を得られる事が分かり、早々に取り引き先農園として契約が結ばれた。
その為、本日の視察は、今まで回ったどの農園よりも早く終了した。
「閣下、お時間がかなり余りましたが、この後の予定はいかがされますか?」
「オーデント家に戻り、今まで視察をしたハーブ園についての最終的な意見をまとめたい。昨日あなたに渡した資料を見ながら話し合いたいのだが、構わないか?」
「かしこまりました。それではこのまま屋敷の方へ戻る事に致しましょう」
本来なら夕刻までかかるセリスン農園の視察だったが、取引先候補として早々に決まった事もあり、三時間も早くオーデント家の方に戻る事となった二人。
しかしこの事で、クレアがもっとも恐れていた事態が起こってしまう。
クレア達が屋敷に戻ると、そこには一瞬だけ荷物を取りに戻って来ていたティアラがいたのだ。
姉が戻って来たと知ったティアラは、まさかジェラルドが一緒に馬車に乗っているとは知らず、屋敷の入り口の外まで出迎えにきてしまったのだ。
そのティアラの姿にクレアは顔面蒼白となる。
「お姉様! おかえりなさい!」
何も知らないティアラは、馬車の中を覗き込むようにしてクレアに元気に声を掛けてきた。
だが、出口側に座っていたジェラルドの姿を目にした瞬間、時が止まったかのように固まってしまった。
「あ、あの……もしやジェラルド公爵閣下でしょうか?」
「ああ。あなたがクレアの妹君か?」
「は、はい! ティアラ・オーデントと申します! どうぞよろしくお願いします!」
ティアラの自己紹介を聞きながら、ジェラルドが馬車から降りた。
そしてクレアに下車を促すように手を差し伸べる。
クレアも青い顔をしたまま、その手を取って馬車から降りた。
「今回の滞在中にあなたの姉君には大変世話になった。もうしばらく彼女の力が必要なので、私はこの屋敷に訪れる事が多いと思うが、こちらこそよろしく頼む」
「もうしばらく!? 閣下は、いつまでご滞在予定なのですか?」
「今のところ後5日ほど滞在する予定だが……」
グイグイと質問されたジェラルドは、やや困ったように浮かべる。
その反応に気づかないティアラは、目をキラキラと輝かせ彼に無遠慮な視線を送っている。
この状況にクレアは思わず左手で顔の半分を覆う。
妹は完全にジェラルドへの興味で頭がいっぱいになってしまっている。
「ティアラ。これから閣下は、わたくしと今日視察に行かれたハーブ園の件で、仕事の話をしなくてはならないの。だからあまり公務の邪魔を――」
「でしたらその話合い、私もご一緒します!」
頬を紅潮させて、そう堂々と宣言したティアラにクレアだけでなく、ジェラルドも唖然とした表情を浮かべる。
「ま、待ちなさい! あなたが話し合いに参加してどうするの!?」
「私だってオーデント家の娘よ? お姉様とはまた違った視点で、領内で栽培されているハーブについて閣下に提案出来る話があるかもしれないでしょ? だから私も是非ご一緒させて?」
そう言ってニコニコしながら、話し合いに参加しようとしてくるティアラにクレアが盛大にため息をつく。
「ティアラ! これからわたくしと閣下は、今後、閣下が取り引きをお考えのハーブ園を決める大事な話合いをするの! 視察に同行してない上に領内で生産されているハーブの事をあまり知らないあなたが来ても仕方ないでしょ!?」
「そんな事ないわ? 確かに家督を継ぐお勉強をされていたお姉様のほうが、領内のハーブについては詳しいと思うけれど……私だってお花に関しては誰にも負けないくらい詳しいのよ? 精油はハーブだけでなくお花からも作れるでしょう? 私はからも良い提案が閣下にできると思うわ!」
自信満々にそう答えたティアラの言葉に今度は、こめかみに手を当てるクレア。
そもそもジェラルドがオーデント家の領地に興味を持った理由は、ハーブ栽培が盛んだからだ。
よって彼が求めている精油の原料は花ではない。
オーデント伯爵領はハーブの生産はあっても、花をメインで栽培している農園は少ない。
つまりティアラの話は、ジェラルドにとって意味のない不要な情報である。
だが妹にとっては、精油の抽出が出来る物に詳しければ、この話し合いに参加してもいいと思っているらしい。
このティアラの見当違いな部分に観点が行ってしまう所が『空気の読めない令嬢』と言われてしまう所以である。
「お願い! お姉様! 邪魔するよう事はしないから!」
愛らしい顔で必死に懇願してくる妹にクレアは、盛大にため息をつく。
邪魔しないと言っても絶対に邪魔してくるのは、目に見えている。
しかもティアラの場合、真っ直ぐすぎる故、その事に一切悪気がないのだ。
その分かりやすい例が、数人と談笑している際、皆が話している内容と掠りもしない自分の得意な話題をぶち込む事をよくやってしまうティアラ。
その瞬間、その場が一瞬の静寂を起こしても空気が読めないので、その事に気づかず、その自分の好きな話題を延々と話してしまう。
そんな行動が多いティアラが、この後の話し合いに同席等したら、確実にジェラルドを苛立たせてしまう。
「ダメよ! そもそもあなたは今日、荷物を取りにきたのでしょ? 早くイアルの所に戻らないと彼が心配するわよ」
「それなら心配ないわ! だって私、今から家に戻ることにしたから!」
そうニッコリしながら宣言してきたティアラだが、ジェラルドと深い関係を求めるような打算的な考えは恐らく持っていない。
単純に素敵な男性であった彼と、もっと話をしたいという目先の欲しか抱いていないのだ。
しかし、ティアラの欲求はそれだけでは留まらない事をクレアは知っている。
相手の社交辞令的な振る舞いをティアラは、自分が受け入れられていると勘違いする事が多いのだ。
だからジェラルドが、やんわりとかわすような言葉で返してもティアラは、それが優しい拒絶だとは気づけない。妹はそのジェラルドの社交辞令的な振る舞いを鵜呑みにし、自身に親しみを感じてくれていると思ってしまうのだ。
ティアラの性格をよく知っているクレアは、この件に関しては譲らないと決める。
「ティアラ! いい加減にしなさい! そもそもお父様に了承も得ず、自己判断で家に戻ると決めてダメでしょう!?」
「お父様には後でお話するわ。大丈夫! お姉様は何も心配しないで?」
なにが大丈夫だと思わず反論しそうになったクレアだが、それをグッと堪える。
ティアラがジェラルドと鉢合わせた時点で、もはや不安しかない。
心的負担から片頭痛を再発させたクレアが、そっと右こめかみを軽く手で押さえた。
この状況にジェラルドが困った表情を浮かべながら、ある提案をする。
「ならば今回だけ妹君を同席させてはどうだろう? そうすれば妹君も我々が、深い話をしている事で参加を咎められている事に納得出来るのではないか?」
「か、閣下! 妹にそのようなお気遣いは……」
「ありがとうございます、閣下! 是非話し合いに同席させてください!」
そうしてニコニコしながら、ジェラルドを屋敷内に案内するティアラ。
その様子にクレアは更に片頭痛が悪化し、目頭辺りをギュッと摘んだ。
こうして三人は、客間にてジェラルドが取り引きを検討しているハーブ園の話し合いを始めたのだが……結果は散々たるものだった。
ジェラルドとクレアが美容効果の高いハーブの話をし始めると、横からティアラが自身の好きな花を精油にと勧めてくるのだ。
「ティアラ! 閣下はハーブでの精油をご検討されているのよ? そもそも花はうちの特産品ではないでしょう?」
「でもターゲット層は女性なのでしょう? ならばお花の方が良いと思うの! 花の香りを嫌う女性なんてこの世にはいないわ! ハーブだとスッキリする香りばかりで甘い香りはあまりないでしょ?」
そう言って自身の好きな花の名前をツラツラと花言葉も合わせて得意げに説明を始めてしまう。そんなティアラの説明をジェラルドは、やや扱いに困ったような笑みを浮かべて、頷きながら聞いてくれている。
クレアにとっては最悪な展開である。
そんな妹の独壇場と化した話し合いは、一時間後に帰宅した父によって解消される。
しかしジェラルドと二人きりになったクレアは、自身の不甲斐なさから思わず顔を両手で覆ってしまう。
「閣下、本当に申し訳ございません! 妹がとんだ無礼を……。あの子は周りの状況を察する事があまり上手くないので、どうしても自分本位の振る舞いを無意識に行ってしまうのです」
「なるほど。あなたとお父上が必死に私と会わせないように配慮していた意味が、やっと分かった」
そう言ってジェラルドが苦笑する。
「本当に……本当に申し訳ございません! ですが、あの子に悪気は一切無いのです。そこがまた相手に不快感を与えてしまう部分なのですが、本人は単純に関係醸成を図りたいだけなのです。その、例えるなら飼い主に過剰に構って欲しがっている子犬の様な……そういう純粋な気持ちが、全て相手の負担になってしまうというか……」
一生懸命言葉を選んで妹の性格を説明しようとしているクレアだが、途中から自分でも何を言っているのか、分からなくなってきた。
そんなクレアの様子に思わず、ジェラルドが吹き出す。
「あなたは本当に妹思いの方なのだな。だがあの様子では、きっとまた私に絡みに来るだろう」
「それだけは父の力を借り、何としてでも阻止致します!」
珍しく厳しい表情を浮かべて、そう言い切ったクレアについに堪えきれなくなったジェラルドが、声を上げて笑い出した。
その反応にクレアが恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。
そんな騒々しい一日を過ごした二人だったが、この時のクレアがした宣言は一度も守られる事は無かった。
この日以降、ティアラはジェラルドがオーデント家を訪れている事を知ると、どこから抜け出してくるのか、すぐに二人の話し合いに参加するようになってしまう。
そしてその都度、父セロシスか母クリシアに連行されて行く。
三十分もしない内にすぐに戻って来てしまい、何事も無かったような顔で平然として居座り続け、会話に参加する体で、すぐに自分の得意な分野の話を披露してしまう。
ジェラルドに対して過剰な執着心をむき出しにしてくるティアラの行動はなんとなく予想していたクレアだが、予想を遥かに超えるしつこさだったため酷い片頭痛を発症してしまう。
そんな姉を悩ませる妹のこの行動は、この後二日間も続いた。




