ガーネットのブローチ
本編から8年後くらいのお話です。
オマケという感じで書いたお話なので、リアルさ追求の本編と比べ、かなりご都合主義な展開のお話になっております。
カーテンの光のみが差し込む薄暗い部屋の中は、現在使われていないらしい質の良い品のあるデザインの調度品や、美しい装飾が施された収納用の木箱などが、ズラリと部屋の中に置かれていた。
その薄暗い部屋の中、差し込む光の反射でキラキラと輝く見事な銀髪を持つ少女が、部屋の中の木箱の一つを物色していた。6~7歳くらいのその少女は、その木箱の中から更に両手で抱え込めるくらいの小さな宝石箱を見つける。
そしてその宝石箱をそっと開いた。
「わぁー! キレイ~!」
中から現れたのは、丁寧に収納された透明感ある赤い宝石のブローチだ。
少女は宝石箱から、その赤い宝石のブローチをそっと手に取り、透き通るような水色の大きな瞳でマジマジと観察する。すると……。
「姉様ぁ~! どこぉ~!?」
廊下の方から幼い少年の可愛らしい声が聞こえてきた。
「ジェリク! ここよ!」
部屋の中から少女がそう叫ぶと、その薄暗い部屋の扉が開かれる。
「あー! 姉様、いけないんだ! ここ入ったらダメって、父様が言っていたのにぃー」
「子供が入っちゃダメなのよ? でも私は、もう子供じゃないもの。だから私はいいの! でもジェリクは小さいからダメ!」
「姉様だって子供だもん!」
二つしか違わない姉の屁理屈に弟が抗議する。
しかし姉の方は、手に取っている美しい赤い宝石のブローチを眺める事に夢中で、弟の訴えを無視した。
すると、姉と同じ見事な銀髪の幼い少年が部屋に入って来て、少女が手にしているそのブローチを淡い紫の大きな瞳で、じっと見つめる。
「綺麗だね~! 母様のかな?」
「でも宝物のお部屋にあったのよ? お母様の物だったら、ちゃんとお母様のクローゼットの中にあるでしょ?」
「じゃあ、誰の? 父様?」
弟の質問に答えず、少女はブローチを宝石箱しまい、パタンと蓋を閉じた。
「お母様に聞いてみる!」
そう言って小さな宝石箱を抱え、物凄い勢いでその物置部屋を飛び出した。
「待って! 姉様ぁぁぁ~!!」
その姉の後を弟が必死に追う。
姉弟達が向かった先は、公爵邸内にある見事な中庭だ。
今そこでは、二人の両親が午後のお茶を楽しんでいる。
中庭に飛び出した少女は、両親の姿を確認した途端、母に向って叫んだ。
「お母様ぁぁぁ~! これ、見てぇぇぇ~!」
そう言って、宝石箱を両手で抱え上げながら、母の方へと向かう。
その後ろを必死で追いかけていた弟は、姉の俊足さに突き放されてしまう。
「待って! 姉さ……あっ!!」
驚く様な声と共にドサリという音が後ろからしたので、少女が慌てて振り返る。それと同時に少女の目の前の母も慌てて立ち上がった。
母の見事な赤毛がふわりと揺れ動く。
「うぁぁぁぁぁーん!!」
そして芝生の上で盛大に転んでしまった弟の声が、中庭に響き渡った。
「ジェリク!」
心配そうに叫んで息子の許へ向かおうとする母を端整な顔立ちをした黒髪の父が制止する。
「私が行こう」
少女と同じ透き通る瞳をした父は優しく微笑むと、泣きわめいている弟の許へ向かって颯爽と歩き出した。それを確認した母も優しく笑みをこぼし、目の前までやってきた娘に声を掛ける。
「シェリア、どうしたの?」
「あのね! これ、宝物のお部屋で見つけたの!」
「宝物のお部屋って……あなた、またあの物置部屋に入ったの? あそこは危ないから入ってはダメとお父様が……」
そう言いかけた母が娘の手にしている宝石箱を見て、アメジストの様な淡い紫の瞳を大きく見開いた。
その母の反応に娘が満足げに宝石箱をゆっくりと開く。
「とってもキレイな宝石のブローチでしょ? これ、お母様の?」
無邪気な笑顔で娘が見せてきた宝石箱の中には、質の良い見事なガーネットのブローチが入っていた。それをそっと母が手に取る。
すると泣きべそをかいた息子を抱える夫が、こちらに戻って来た。
そして妻が手にしているガーネットのブローチを凝視する。
「クレア……その見事なガーネットのブローチは一体……」
自分が贈った記憶がないそのガーネットのブローチを目にした夫は、かなり怪訝そうな表情を浮かべて、妻に問い掛ける。
すると妻は、にっこりと微笑んだ。
「これは……オーデント家を出る際に実母より贈られた物でございます」
「オーデント家を出る際?」
未だにピンとこない夫に妻は微笑みを維持したまま、更に言葉を続けた。
「ジェラルド様、わたくしが初めてセントウレア家に向う際、所持品を全てあなたにお預けしたと思うのですが……覚えていらっしゃいますか?」
妻のその言葉に夫の顔色が、さっと変わる。
「クレア! それは……その……」
「執事のウェスタからは、いつか必ずジェラルド様からお返し頂けると聞いていたのですが……」
「…………」
「そういえば、ティアラからのわたくし宛の手紙も6年もの長い間、わたくしには内密で、ずっと大切に保管して頂いてましたよね?」
「…………」
優しい笑みを浮かべながら、やんわりと抗議してくる妻にジェラルドが小さく息を吐き、肩を落としながら観念する。
その父の反応に抱かれていた息子が、キョトンとしながら視線を向けてきた。
その視線に苦笑で応えたジェラルドが、抱えていた息子をそっと降ろす。
「すまない……。あの時は、色々と立て込んでいた故、あなたの所持品の事をすっかり忘れてしまっていた……。妹君の手紙に関しては……もう散々謝罪したつもりなのだが……まだ足りないだろうか?」
バツが悪そうな表情を浮かべて謝罪してきた夫の様子にクレアが、口元に手を当てて笑いを堪える。
クレアが養子になる前に妹だったティアラは、現在イアルと共に東の大陸で暮らしている。あの後、イアルに謝罪する為、一人で東の大陸に渡ったティアラは、必死でイアルの許へと向かい、心の底から謝罪した。そしてそれをイアルは受け入れ、現在二人は東の大陸で夫婦として暮らしている。
たまに届くティアラからの手紙では、相変わらずイアルがティアラに振り回されている様子が読み取れるのだが……何とか上手くはやっているらしい。
そんなティアラは、その事を一切知らなかった頃のクレアに東の大陸に渡った後もジェラルド宛に姉クレアへの手紙を月に一回は送り続けていた。
それをジェラルドは6年もの間、クレアに隠し続けていたのだが……。
ある時、新人の侍女がうっかりそのジェラルド宛のティアラの手紙をクレアに渡してしまい、その事がクレアに知られてしまう。
その際ジェラルドは、いくら妹から受けるストレスからクレアを守りたかったとは言え、6年間も手紙の存在を隠していた事にクレアから滾々と説教をされたのだ……。それが今から2年前の出来事だ。
その件に関しては、一応クレアの許しを貰えたジェラルドだが……。
こうやって何かの弾みで、未だにその事を持ち出され、やんわりとクレアから責められる事が多い……。そして責められた夫は、滅多に見せないバツの悪そうな表情を浮かべるので、妻クレアは面白がって、ついそれを堪能してしまう。
そんな二人は結婚してから今現在まで、仲睦まじいおしどり夫婦だ。
昔、黒髪の冷徹公爵と呼ばれていた夫は、領地内ではもちろん、社交界でも愛妻家公爵としての名の方が、すっかり有名になってしまった。
そんなやりとりをしていた両親にすっかり放置されてしまった娘が、不満そうな表情をしながら母の腕を引っ張り、再び確認して来た。
「お母様ぁ~! このブローチは誰の物なのぉ~!?」
「これはね……昔、お母様がお婆様から頂いた物なのよ?」
「お婆様って、ハリエンヌお婆様?」
「いいえ。オーデント家のクリシアお婆様よ」
子供達は、自分達の祖父母が三組いる事を認識している。
父方のディプラデニア王家の祖父母と、母の養子先であるセントウレア家の祖父母。そして母が養子になる前の生家であるオーデント家の祖父母。
特に父方のディプラデニア王家に子供達を連れて行くと、かなり甘やかされてしまうので、毎回ジェラルドが自身の両親と兄夫婦に苦情を訴えている。
「じゃあ、このブローチはやっぱりお母様の物なのね!」
「ええ。とってもとっても大切なブローチだったのだけれど……」
そう言ってクレアが夫の方に視線を向けると、夫が気まずそうに目を逸らす。
「ずっとお父様に預けたまま、忘れてしまっていたの……」
「ええ~!? 大切なのに忘れてしまっていたの~!?」
娘の呆れ気味の声にクレアが思わず苦笑してしまう。
実はクレアの方もこのブローチの事は、すっかり忘れてしまっていたのだ。
アストロメリア家に来てからはジェラルドとの婚約が早々に決まり、そのまま領地内の公務に追われ、あっという間に挙式し、その三か月後に長女のシェリアを身籠ってからは、幸せで多忙な日々に追われていたからだ。
そんな事を思い返していたら、娘との間に息子が入って来て、クレアの手からそのブローチを奪おうとする。
「僕も見る! 僕にももう一回、見せて!?」
「ダメ! ジェリクはまだ小さいから壊してしまうかもしれないでしょ!?」
「壊さないもん! だから見せてよぉ~!」
言い争っている姉弟を見かねて、クレアがそのブローチを包み込む様に両手に載せ、二人の前でそっと広げて見せた。
「ジェリク! 見るだけよ? 触っちゃダメだからね!」
「姉様はさっき触ってたのに……ズルい……」
姉に抗議しながらも、弟がずいっとクレアの掌に顔を近づける。
それに負けじと、姉の方も弟の頬に自分の頬をくっ付ける様にそのブローチを見ようと掌を覗き込んできた。
「この石、とってもキレイだね~!」
「これはガーネットという宝石なのよ」
「「ガーネット!」」
教えてあげた宝石の名を同時に復唱する娘と息子の愛らしさにクレアが思わず、笑みをこぼす。
すると娘があどけない笑みを浮かべながら、ある事をクレアに告げる。
「このガーネット、まるでお母様の髪の色みたいにキレイね~!」
その言葉に実母がこのブローチを自分に持たせてくれた時の事をクレアが思い出す。両親と妹とは書類上で家族ではなくなる事を決断し、17年間生まれ育った家を去る事になった8年前の17歳の自分……。
知らない人間の家に養子として行かなければならない不安……。
その後は、心惹かれた相手との愛情のない関係を強いられるかもしれない運命への恐怖……。
その時のクレアは、後にこの様な幸せな未来へと繋がる第一歩だったという事を全く予想する事が出来なかった……。
それはこのブローチを託してくれた実母も一緒で……。
このブローチには、その実母の愛情がたくさん込められた物だった。
だからこのブローチを見ると、その時感じた家族との別れの悲しい気持ちと、その先の未来への不安に押しつぶされそうだった重い気持ちが蘇る……。
未来に対して寂しさと不安と恐怖を抱き、怯えていた当時の自分。
でも蓋を開けたら、その先には幸福な未来しかなくて……。
深い愛情を注いでくれる夫がいて、愛らしい娘と息子を得て、自分に愛情深い両親など二組もいる。
血は繋がっていないが面倒見の良い兄夫妻も二組も出来て、夫の家族は嫁である自分と孫にかなり甘く、とても大事に扱ってくれる。
あの時抱いた不安と恐怖は、結局自分の取り越し苦労だったのだ……。
そしてその当時、一番心に引っかかっていた妹ティアラは、今現在遠くの土地で彼女という人間の内面を分かっていても受け入れてくれた相手と、一緒に暮らしている……。正直、イアルはこの先、相当苦労をするとは思う。
それでもその苦労に耐えてでもティアラをと選んでくれた。
そしてティアラの方も今は、自分を受け入れてくれたイアルの思いをしっかり認識している様子だ……。
17年間、ティアラという人間と一緒に過ごしたクレアからすると、二人の生活はずっと続く安定とは言い切れないが……それでもイアルは、あのような事があっても、全力でティアラを受け入れようと覚悟してくれている。
そういう人間が、あの妹の前に現れてくれただけで、クレアはやっと姉としての役割から解放されたという安心感が得られた気がする……。
クレアにとって妹は、愛しい存在であると同時に脅威の存在でもあったのだと、今なら何となく分かる……。
お互い大事な存在だと思う気持ちがあっても、全く上手く噛み合わないという状況もあるのだという事を夫のジェラルドが強引に引き離してくれなければ、クレアはそれに気づけないまま、ずっとティアラから善意で繰り出される無自覚な攻撃に晒され続けていただろう……。
それは、ティアラのようなタイプと免疫がなかったジェラルドだったからこそ、気付けた事だ。
そんな夫に再び目を向けると、先程ブローチの件で咎めるような態度をした所為か、またクレアが眺める事が癖になってしまっているバツの悪そうな笑みを浮かべた。その表情を確認したクレアが、再び満足げな笑みをこぼす。
するとブローチを眺めていた娘が、クレアに声を掛けてきた。
「お母様! このブローチどうするの? また使うの?」
「そうね。折角、見つけたのだし、これからは夜会に着けて行く機会があるかもしれないわね」
「いいな~。私も着けたい!」
娘のその訴えにクレアが笑みをこぼす。
「それじゃあ、シェリアが大きくなって夜会に参加するようになったら、あなたにあげるわね」
「本当!? でもお母様の大切なブローチなのでしょ? いいの……?」
「ええ。このブローチはお母様のお母様……クリシアお婆様がお母様に勇気が持てるお守りとして、くださった物なの。だから今度はお母様が娘のあなたに勇気のお守りとしてあげたいの……」
「でもそしたら、お母様の勇気のお守りが無くなってしまうわ……」
ブローチは欲しい、けれど母のお守りを貰う事には気が引ける……。
小さいながらもそんな葛藤をしている娘にクレアが、愛おしそうに微笑む。
「大丈夫。今のお母様には、お父様がくださった、とっておきの勇気のお守りが二つもあるから……」
そう言って、クレアが娘と息子を抱き寄せる。
その様子を見ていたジェラルドが、嬉しそうに目を細めた。
しかし、愛おし気に抱きしめていた息子から不満の声が上がる。
「姉様ばっかりズルい! 僕も勇気のお守り欲しい!」
「ジェリクは男の子でしょ!? 男の子はお守りになんて頼らないで、勇気は自分で持たなきゃいけないのよ? だからお守りは必要ないの!」
「やだぁぁぁ~! 僕も勇気のお守り欲しい~!」
「男の子はブローチなんて必要ないでしょ!?」
再び言い争いを始めてしまった姉弟にクレアとジェラルドが、顔を見合わせて苦笑する。
8年前、周りを気遣い過ぎて苦労ばかりしていた赤毛の少女は、今では夫に甘える事を覚え、愛おしい子供達に勇気を貰いながら、母として強い女性へとなって幸せな日々を過ごしている。
番外編の最後まで足をお運びくださって、本当にありがとうございます!
これにて『赤毛の伯爵令嬢』は、完結させて頂きます。
尚、作者の完結作品のあとがき集コーナーをなろう内で作ってみましたので、ご興味ある方は以下アドレスからどうぞ。
『赤毛の伯爵令嬢』のあとがき
https://ncode.syosetu.com/n0517gu/7/
複雑な心理描写の多いこの様な面倒な作品に最後までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!