プラチナブロンドの少女
10年前のクレアとジェラルドの初めて出会った時の話です。
ジェラルド視点になります。
「ジェラルド様ぁぁぁー! どちらにいらっしゃるのですかぁぁぁー!?」
側近のコリウスの声にビクリとしたジェラルドは、その声がする方とは、逆の方向に静かに動き出す。
今日は、父方の親戚の来客予定があった。
確か祖父の叔父の娘夫妻だと聞いたが、ジェラルドからすると血縁上はあまり近いとも思えない。
だが相手にとっては、王家の血筋が少しでも入っている事が重要なのだろう。
こうやって親戚として、よく父や兄にご機嫌伺いに来る。
そしてその度にジェラルドも一緒に挨拶するように言われるのだが、彼は幼少期の頃から人前に出る事を酷く拒んだ。
その原因が、この容姿である。
銀髪で美形の多いディプラデニア王家の中で何故かジェラルドだけ漆黒の髪を持って生まれてしまった。しかも髪質は、櫛が通りづらい程の剛毛。
丁寧に梳いてもその髪は艶が出ず、手櫛を通そうとするとゴワゴワとした不快な手触りだ。
しかも彼は幼少期の頃から顔中そばかすだらけだった。
思春期に入ると、そのそばかすは吹き出物に変わり、酷い時だと顔中がヒリヒリする。
現在十三歳となったジェラルドは、そんな顔の痛みと毎日戦っていた。
医師によると、それは吹き出物というよりも湿疹に近い症状らしい。
赤く腫れ上がったボツボツの斑点が顔中に出るので、ただでさえ髪のことで容姿に引け目を感じているジェラルドにとっては、泣きっ面に蜂という状況である。
その湿疹は彼の体質ではなく、精神的ストレスで発症していると診断された。
もし本当に精神的な要因で発症しているのであれば、それは醜い自分が容姿に秀でたディプラデニア王家に生まれてしまったことが、一番のストレス要因だと彼は感じている。
自分が王族である限り、一生この湿疹もどきの症状と戦わなければならない。
「さっさとどっかの領地を貰い、王族を辞められないだろうか……」
うんざりしながら呟くも、まだ十三歳のジェラルドは臣籍に下ることなどできない。
そんな彼の家族は、父と兄は見事な銀髪、母は眩いハニーブロンドの髪色だ。
しかも三人ともかなり端整な顔立ちをしており、色白の肌はまるで陶器のようだった。
その中でジェラルドだけが、容姿も色合いも違う。
例えるなら、美しい宝石ばかりが入っているジュエリーボックスに間違って道端の石ころが入ってしまった……という状況だ。
一人だけ毛色が変わった容姿であるジェラルドは、当然周囲から浮いた存在として映るだろう。
たとえ視線を向けてくる人間が恐らくそこまで意識していなくても、容姿にコンプレックスを持っているジェラルドにとっては、何か意味の含まれている視線としか思えない。
実際に彼はこの容姿のせいで、いわれのない事を言われている。
特に一番多い陰口は『国王の血を引いていないのではないか』というものだった。
自分がこんな容姿に生まれてしまったことで、母が不貞の疑惑をかけられている。
そう思うと、ジェラルドは悔しくて仕方なかった。
だが母親である王妃は、そんな噂を鼻で笑い飛ばしていた。
「陛下とフィオルドと同じ瞳をしているこの子が、陛下の子ではないなんて……その噂を流している人間の目は節穴かしら?」
そう言って夫である国王と一緒になって、その噂を面白がっている。
実際、ジェラルドの淡く透き通る様な水色の瞳は、父と兄と全く同じ色だ。
その部分だけは、彼が唯一自分の容姿の中で好きだと宣言できる部分だった。
そんな彼の顔立ちは、完全に母譲りである。
まだ物心がついたばかりの頃、よく父に言われていたのが「お前は将来、母上譲りの美人さんになるぞ!」という言葉だった。
そんな父に腹を立てていた頃もあったジェラルドだが……。
現状は美人どころか、失敗作のような見た目に自分は成長してしまったと思っている。
いっそ女顔でもいいから美人に成長したかったと一瞬だけ思ったが、ゴワゴワな髪質の黒髪で美人顔というのも酷い有様だと感じ、すぐにその考えを頭の中から排除した。
『今はできるだけコリウスの声が聞こえない所まで距離を取ることが重要だ』
ジェラルドは、コリウスから身を隠すように迷路のような中庭の垣根をコソコソと移動する。
容姿の所為ですっかり自信を失った彼の姿勢は、常に猫背である。
家族と比較され人と目を合わすのが怖くなってしまった彼は、無意識でうつむくことが多かったので、猫背が癖づいてしまったのだ。
前髪も敢えて伸ばして顔を半分以上も隠しているので、兄のフィオルドから目が悪くなるのでやめろと注意されていた。
だがジェラルドは顔を見られて何か傷つく事を言われるくらいなら、目が悪くなる方がマシだと思っている。
すっかり人嫌いを拗らせ、慣れた相手にしか心を開かない野生動物のようになってしまったジェラルドだが……それがプラスに作用する事もあった。
一人で過ごす事が多くなった彼は、何かをコツコツこなしたり、調べたりすることに熱中しはじめる。
人を寄せつけなくなった彼は、何かに打ち込むには集中しやすい環境だったのだ。
慣れた相手であれば容姿のことも気にならないので、教育係のウェスタとの勉学の授業や、コリウスとの剣術の稽古などに没頭していき、気づいた時には天才肌の兄フィオルドと同じくらいの実力が身についていた。
そんな六歳年の離れた兄フィオルドは、昔からジェラルドの事を可愛がり、同時に常にジェラルドを気に掛けてくれた。
社交場などに出たがらないジェラルドを従兄弟であるフェリックスを交えて、よく遊びにつれ出したりしてくれたのだ。
容姿の事ですっかり引きこもる性格になりかけていたジェラルドが、完全にそうならないで済んだのは、家族の愛情深い接し方のお陰だった。
特に兄と従兄弟の存在は大きい。
そんな兄は来年、待ち焦がれていた婚約者との婚礼を控えている為、現在は多忙であまりジェラルドにかまけていられない状態だ。
そしてその兄の婚礼が近い事もあって、ここ最近挨拶と称した国王でもある父に面会が多くなっている。
「お祝いの言葉を……」そう言って王家との交流を深めたい上流階級の人間が頻繁に訪れる。その上流階級の人間がジェラルドは苦手だった。
自分の前では猫撫で声で媚を売ってくる癖に陰では、味噌糞に自分の事を悪く言う……そういう人間が多いのだ。
そして本日訪れるその親戚も確実にそのタイプに該当する。
その為、今日のジェラルドは徹底して逃げ切ろうと、城にある迷路のような中庭を利用して、コリウスから逃げ回っているのだ。
「ジェラルド様ぁぁぁー! いい加減になさってくださいませ!!」
やや苛立った声のコリウスが、今度は逆方向から再び近づいてきたので、慌てて踵を返そうとしたジェラルドだが……。
「きゃあっ!!」
振り向きざま、いきなり植木で死角になっているところから、小さな何かが飛び出して来た。ちょうど方向転換したジェラルドの足に跳ね返されるようになってしまったその小さな生き物は、ペチョンと地面に尻もちをつく。
「びっくりしたぁ……」
そう言って茫然とした表情を浮かべているのは、目が離せなくなる様なサラサラのプラチナブロンドの髪をした少女だった。
ゆっくり立ち上がったその少女は、地面についてしまったドレス部分をポンポンと叩き、ジェラルドの方に視線を移す。
しかし次の瞬間、ギョッとした表情を浮かべた。
その少女の反応にジェラルドの心が抉られる。
こんな小さな少女から見ても自分の容姿は、不快感を与えるのかと……。
しかし、実際はそうではなかった。
「も、申し訳ございません!! 連れを探していた為、前をよく見ていなかったもので……。高貴な身分のお方とは気付かず、大変失礼致しました!」
年齢はおおよそ六歳くらいだろうか……。
まだ幼いのにしっかりした子だと思いつつもジェラルドの中には、ある疑問が浮かぶ。
「何故……私が高貴な身分だと?」
思わずその疑問を少女に投げかけてしまい、慌てて口に手を当てる。
すると少女が、ややモジモジした様子で小さく呟いた。
「その……お召し物の生地が大変良い物を使っていらっしゃるので……」
どうやら先程、ぶつかった際に触れたからだろうか……。
ジェラルドにとっては、お馴染みな肌触りの服なので、あまり気にした事はないが、どうやら自分は毎日相当良い布地の服を当てがわれている様だ。
しかし、そういう少女もどこかの令嬢のような格好をしている。
「こちらこそ、すまない……。少々考え事をしていた」
ジェラルドがそう返すと、少女はアメジストの様な淡い紫の大きな瞳を更に広げ、にっこりとジェラルドに笑みを返す。
その瞳の神秘的な色合いが、見事なプラチナブロンドによく映えていた。
「こちらこそ、大変失礼いたしました!」
「連れを探していると言っていたな……。それは両親か?」
「いえ……。その、妹でして……」
初対面の人間とは、大体目を合わせられないジェラルドなのだが……相手が人懐っこそうな子供となると、勝手が違うらしい。
何故か自分の方からスイスイと言葉が出てくる。
「その妹も君のように見事なプラチナブロンドなのか?」
「はい!」
「ならば目立つな……。分かった。一緒に探そう」
「よろしいのですか!?」
「ああ。どのみち君の来た方向には戻りたくないのでな……」
先程のコリウスの声が聴こえなくなったので、恐らくこの少女の来た方向へ向って行ったのだろう。となると、ジェラルドの選択肢は少女が向かおうとしていた方向しかない。
「妹はピンクのバラが大好きなのです……。お父様のお仕事の話が終わるまで待合室で待っていたら、お庭がある事に気付いてしまって、そのまま外に……」
「なるほど。それで迷子になってしまったと」
「妹は恐らく自分が迷子になっている事には、気付いていないと思います!」
そういって眉をしかめて、頬を膨らます少女に思わずジェラルドが吹き出した。
「あの……何か?」
「いや。それにしても姉妹揃って、その見事なプラチナブロンドなら、さぞ周りから褒められる事が多そうだな」
そう口にした後、ジェラルドは自身の容姿を改めて思い出す。
隣にいるまるで人形のような恵まれた容姿の少女と、銀髪と美形が多いと言われている王族に生まれながら、その要素を全く持たない自分。
何故こんなにも人によって差が出るのだろうか……。
そう考えると、この幼い少女に対してもその恵まれ過ぎている外見に嫉妬心が生まれ出してくる。
しかし少女は、ジェラルドの考えとは全く違う考えを訴えてきた。
「いくら容姿に恵まれていたとしても中身がダメでは、意味がありません!」
「な、中身……?」
「わたくしの妹はお勉強が嫌いで、すぐに逃げ出すのです! あとお庭のお花を勝手に抜いて滅茶苦茶にしてしまい、ドレスは泥だらけ! そのお花をお屋敷中に飾るのですが、お水を取り替えずにそのままにしてしまうから、お屋敷内は枯れたお花ばかり……。その事でお母様にお説教されている時は、隣にいるわたくしに話かけてしまい、お母様のお説教を全く聞いていないのですよ!?」
「そ、そうか……。それは大変……だな」
「はい! もう大変なのです!」
まだ六歳前後の少女から、まさか母親の小言のような話が出てくるとは思わなかったジェラルドは、その勢いに圧倒されてしまった。
どうやらその妹は、相当なお転婆らしい……。
「ですから、わたくしはお婆さんになっても『素敵な女性』と言われる様にお勉強やマナー教育は頑張っているのです!」
「お婆さん……?」
「だって年を取ったら、いくら綺麗な髪をしていても誰も褒めてくれないでしょ? 今、褒めてくれるのはわたくしが、まだ小さい子供だからです。そして妹がそんな事をしていても周りから、あまり怒られないのは小さくて可愛い子供だからです。でもあのままお婆さんになってしまったら『なんて無作法なご婦人なの!』と、周りから怒られてしまいます」
「確かに……」
どうも子供の考えというものは突飛な物が多いなと思いつつも、とりあえず肯定だけはしてみるジェラルド。
すると少女は、ジェラルドに向ってキリっとした表情を向ける。
「中身さえしっかりしていれば、どんなに見た目が悪く変わってしまっても、見ている人は、ちゃんとその部分を見てくれていると思います。だからわたくしは、お婆さんになっても『素敵なご婦人』と言われる女性になりたいのです!」
その少女の言葉にジェラルドが一瞬、動きを止める。
『見ている人は、ちゃんとその部分を見てくれている』
そう言えば、自分にもちゃんと見てくれている人達がいる……。
両親と兄はもちろん、側近のコリウスに教育係のウェスタや侍女のアイシャ。母方の伯母であるセントウレア夫妻にその息子のフェリックス。
その事に気付いた瞬間、ジェラルドは急に自分の事が恥ずかしくなる。
まだ幼い少女が、その事をしっかり理解しているのだ。
それに比べ倍の年齢である十三歳の自分は、中身よりも見た目で勝手に引け目を感じ、ずっと人と交流する事から逃げてきた……。
認めてくれている人は、周りにたくさんいたのにそれに気付かず、まるで子供の様に拗ねて、全て拒絶し続けてきたのだ。
それに気付いたジェラルドは、思わず自分の幼稚さに両手で顔を覆う。
「あ、あの……どうかなさいましたか?」
「いや……少々、自己嫌悪に……」
「じこけんお?」
言葉の意味が分からず、怪訝そうな表情を浮かべている少女を見て、そこはちゃんと子供らしいのだな……と感じたジェラルド。
しかし、まさか自分よりも半分も年下の少女の言葉にハッとさせられるとは……これは、かなり情けない。
「君は、まだ小さいのにとても素晴らしい目標を持っているのだな」
「わたくし達女性は、たとえどんなに見た目が美しくても中身が淑女で無ければ、意味がございません」
「確かにそうだな」
「と、母が申しておりました!」
「えっ!?」
その少女の後付けの言葉に思わずジェラルドが、勢いよく少女の方を凝視した。
すると少女が、キョトンをした表情を浮かべる。
次の瞬間、ジェラルドは思いっきり吹き出した。
「あ、あの……」
「す、すまない……。そうだよな……。まだ小さい君が、そこまでしっかりした意見を持っている訳がないよな……」
あまりにも笑いのツボに入ってしまい、涙まで浮かべてしまったジェラルドに少女が、更に不思議そうな表情を向けてくる。
それでも『お婆さんになっても素敵と言われる女性になりたい』という少女の目標は、恐らく本当なのだろう……。
ひとしきり笑ったジェラルドは、少し先にある突き当りの通路をスッと指差す。
「あの行き止まりを右に曲がると、ピンクのバラがたくさん咲いている場所がある。恐らく妹君はそこにいるだろう」
「あ、ありがとうございます!」
お礼を言いながら駆け出した少女は、これでもかと言うくらいジェラルドに向って、大きく手を振ってくる。
それに釣られ、ジェラルドも小さくだが、手を振り返す。
しばらくすると「お姉様ー!」という声が聞こえたので、やはり妹はそこにいたのだろう。
その声を確認すると、ジェラルドはコリウスの声のする方へと歩き出した。
◆◆◆
十年後、その美しいプラチナブロンドだった少女は、今では見事な赤毛となり、ジェラルドの目の前でハーブティーを淹れてくれている。
婚約の手続きが終わったばかりだと言うのにジェラルドの執務机の上には、大量の書類が山積みだ……。これでは婚礼までの間に甘い時間を得ている暇など無いだろうと少し落胆していると、クレアがいつものカモミールティーにハチミツの容器を添えて、持ってきてくれた。
「どうぞ」
「ああ。ありがとう」
入れたてのカモミールティーにハチミツを入れて、静かにかき混ぜる。
そしてティーカップにそっと口を付けようとした時、ティーセットを片づけているクレアの方へと目を向けた。
『お婆さんになっても素敵と言われる女性になりたい』と言っていた少女は、宣言通り十年の時を経て立派な淑女となり、再びジェラルドの前に現れた。
そういう意味だと、問題児にしか見えなかったあの妹もクレアの人生には、欠かせない一人だったのだろう……。
「反面教師の効果と言うものは、絶大なのだな……」
「ジェラルド様? 何かおっしゃいましたか?」
「いや……。何でもない」
そう言って、今は婚約者となったその少女が淹れてくれたカモミールティーをゆっくり、噛みしめる様に味わった。




