16.公爵閣下の婚約者
※R15的表現有り。あと長いです。そしてやや甘いです。
そして閣下が、ちょっと意地悪です。
色んな意味で苦手要素ある方は、お気を付けください。(^^;)
「閣下、お久しぶりでございます……」
深々と頭を下げると、ジェラルドが長椅子に座るように促してきた。
クレアが腰を下ろすと、案内役のウェスタが一礼をしたあと静かに退室していく。
「クレア、この二カ月間は体調不良や困ったことなどはなかったか?」
「お手紙でもお伝えいたしましたが、侯爵邸では新しい家族が甲斐甲斐しく世話をやいてくれたので快適に過ごしておりました」
まるで模範解答のような返しをするクレアにジェラルドが気まずそうな表情を浮かべる。
「いきなり養子縁組を強要し、実の家族との縁を切らせたことは本当に申し訳ないと思っている。だが、今後あなたには補佐だけでなく、もっと深い部分で私を支えてほしいと思っている。その為には侯爵家のような爵位の後ろ盾がどうしても必要だった」
『深い部分で支えてほしい』
なぜかその言葉がクレアの中で酷く引っかかり、不安な気持ちを煽ってくる。
実父もジェラルドが養子縁組を提案してきた理由を同じような言い方で説明してきた。
その『深い部分』という言葉には閨の相手を務めることも含まれているのではと、考えてしまったクレアが表情を強張らせる。
すると、その反応からジェラルドが気まずそうに口ごもる。
「クレア……その……」
「閣下、わたくしもどうしても伺いたかった事がございます。イアルはその後、どうなりましたか?」
無意識に聞きたくない話題を避けようとして、ずっと気になっていた事をクレアは思い切ってジェラルドに問う。
するとジェラルドが、分かりやすいくらい不機嫌な表情を浮かべた。
「彼はオーデント卿と父であるデバイト卿の話し合いの末、遠縁にあたる子爵家に仕える事になったらしい。当人は罪を償いたいと訴えたそうだがオーデント卿がそれを認めず、やり直す事を勧めたそうだ。だが、実家のデバイト家からは勘当された状態になっている」
「そう、でしたか……」
クレアの反応を確認しながら、ジェラルドは先程浮かべた不機嫌な表情のまま、更に補足をつけ加えた。
「ちなみに彼はもうこの大陸にはいない。その子爵家は、東の大陸で事業展開する為、彼も一緒に同行したそうだ。その為、あなたはもう彼には会えない状況だ」
「教えていただき、ありがとうございます。ちなみに妹……ティアラ嬢は、どうされていますか?」
すると、ジェラルドが盛大に息を吐く。
「彼女は自ら修道院に入ったそうだ。自身の身勝手な振る舞いで、あなたと元婚約者である彼の人生を狂わせ、その事を深く悔やんでいるらしい。オーデント卿もその事を踏まえ、親類で家臣でもある男爵家から、十二歳の少年を養子に迎えたそうだ。確か……エミルという名だったかな」
「エミルですか!? ああ、良かった! あの子はとても賢く、領内の特産品には、幼い頃から興味を持っていた子なので、安心して家督を任せられます!」
「その少年は、幼少期から随分とあなたを慕っていたそうだな。この話をオーデント卿から報告を受けた時その話を聞かせてもらった」
エミルは、小さい頃からよく父親に連れられてオーデント家に来ており、ハーブ関連の知識に興味津々の所為か、よくクレアを質問責めにした程の勉強熱心で好奇心旺盛な少年だった。
そんなエミルがオーデント家を継いでくれるのなら一安心である。
それが思わず顔に出てしまい、クレアの表情が少し明るくなる。
それを確認したジェラルドの表情も自然と柔らかくなった。
しかし、クレアの表情はまたすぐに曇ってしまう。
「ではこちらからも一つ、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
「私の答えられる範囲でなら、出来るだけ答えよう」
「その、わたくしが今後担う業務内容ですが、具体的にどのような業務でしょうか?」
「主な仕事は、私の秘書的な業務が殆どだ。特に今後力を入れるハーブ関連の事業は、あなたの知恵を借りたい。あとは領地内の視察を行う時は、必ず同行して貰う。あなたはなかなか対人スキルが高いので、私のみで訪れるよりもあなたに間に入って貰った方が、領民達とも円滑な関係醸成が出来るだろう」
その説明にクレアが、じっとジェラルドの顔を見つめる。
「他にございませんか?」
「他? そうだな……。私はあまり夜会等には参加しないが、もし断れない状況で誘いがあった場合は、あなたにも同行して貰う事があるかもしれない」
「他には?」
するとジェラルドが、やや怪訝そうな表情を浮かべた。
「クレア、もしあなたの中で自身が担わなくてはならないと思っている業務があるのなら、はっきりと聞いて貰えないだろうか。私には、あなたが何をそんなに心配しているのか、見当もつかない」
そう言われ、クレアが一瞬だけ黙ってしまう。
しかし、ずっとこのままこの不安を抱えて過ごす事に比べたら、思い切って確認したほうが不安は少しだけ軽減される。
そう思ったクレアは、じっとジェラルドを見据え、その事を口に出す。
「閣下の……閨のお供などは、そこには含まれているのでしょうか……」
その瞬間、ジェラルドが唖然として勢いよく立ち上がった。
「誰がそんな事をっ!!」
「生家を出る前に妹ティアラから、そのような話を聞きました」
するとジェラルドが片手で両目を覆いながら、力なくソファーへと座り込む。
「またあの妹君か……。余計な事を!」
そのジェラルドの呟きにクレアがビクリと体を強張らせる。
『余計な事』という事は、そういう事も考慮されていたということなのだろう。
そう認識したクレアの顔色は、どんどん悪くなっていった。
するとジェラルドが、顔を半分覆ったままクレアに呼びかける。
「クレア、実は……」
しかしジェラルドの呼びかけは、いきなり鳴ったノック音で遮られた。
「誰だ! 今は誰も通すなと――――」
苛立ちながらジェラルドが叫ぶと、慌てた様子のコリウスが突如入室してきた。
「閣下! 火急の事態ゆえお許しください! 実は先週、ムスクの精油を注文されていたランカスター卿がお見えになりまして。何でも別の取引先に注文されていた精油が手違いで二週間ほど入手が遅れることになり、一週間後に開催予定の夜会に配る予定だった香水が用意できない状態になってしまったそうです!」
「それは卿自身が別の取引先で手配していたムスクの精油の話だろう? うちは関係ないはずだ」
「そうなのですが、何としても早急に入手されたいらしく、当家でなんとか用意できないかとおっしゃってまして……」
するとジェラルドが忌々しげに顔をしかめる。
「ムスクの原料は、稀少な麝香だろう! 卿はその事はご存知なのか!? こちらでもその原料は、すぐに用意することはできない!」
「もちろん、ご存知でした。ですが、ご入用分の三分の二の原料は、ランカスター卿ご自身でご用意出来るそうなので、残りを何とかこちらで用意出来ないかというお話でして。我々では判断しかねる内容だったので、閣下にご対応いただきたいのです」
すると、ジェラルドが大きく息を吐いた。
「分かった……。すぐに向かう! アイシャはいるか?」
ジェラルドの呼びかけで四十代くらいの侍女が入室してきた。
クレアと目が合うと、深々と頭を下げる。
そんな彼女にジェラルドがクレアを部屋に案内するよう指示を出す。
よく見ると、彼女もクレアが養子先に向かう前に立ち寄った別荘にいた侍女の一人だった。
どうやらアイシャと呼ばれたこの侍女は、ジェラルドが幼少期の頃から仕えているようだ。
無遠慮にキビキビと指示を出すジェラルドから、二人の付き合いが長いことが伺える。
「クレア。先程の件は所用が終わり次第、しっかりと説明させてほしい。それまでこれから案内する部屋で待っていてもらえないか?」
「かしこまりました……」
すまなそうな表情をしながらジェラルドは、そのまま大股で肩を怒らせながら部屋を出て行ってしまった。
「ご挨拶がおくれました。私はこれからクレア様の身の周りのお世話をさせていただくアイシャと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「クレア・オ……セントウレアです。こちらこそよろしくお願いします」
あまりにもクレアが丁寧に挨拶をするので、アイシャがギョッとする。
「いけません! 私のような者に敬語など使ってはなりません! 私はお館様よりクレア様の専属侍女として仕えするよう指示を受けております。どうか、以前お屋敷で仕えていた使用人と同じような接し方でお願いいたします!」
「ですが、わたくしも閣下にお仕えする身なので、同じ立場だと思うのですが」
「侯爵令嬢であるクレア様と私とでは立場が違います! お願いですから、どうか私を含め他の侍女たちに対しても上の立場の人間として振舞われるようお願いいたします!」
「わ、分かったわ」
屋敷内での自分の立場がよく分からないクレアは、不思議そうな顔をしながら、アイシャの案内で自身の部屋となる場所まで案内された。部屋に入ると、セントウレア家から運ばれたクレアの荷物が、すでに届けられていた。
「それでは、何かご用がございましたら、あちらのベルをお使いください」
「ええ。ありがとう、アイシャ」
アイシャが部屋を出て行くと、部屋の静けさが一層引き立つ。
クレアはおもむろに窓に近づき、外の様子をうかがった。
外は夕闇が訪れかけていて、紺と赤の美しいグラデーションを奏でている。
しばらくその様子を眺めていたクレアだったが、三十分もしない内にアイシャが訪れ、食堂に案内された。しかし、そこにはジェラルドの姿はなかった。
更にその後、入浴までさせられたクレアだが、やはり彼から声は掛からなかった。
恐らく先程の案件で、かなり揉めているのだろうと思い、ジェラルドからの説明は明日になると判断したクレアは、眠る準備に入ろうとベッドの上に座る。
するとそのサイドテーブルには、何故かクレアが愛用しているリーネル農園のローズマリーの精油と、小さな小皿と水差し、それに上に小皿が載せられそうなガラス製のランプまで用意されていた。
オーデント家を出てからは、片頭痛で苦しむことはあまりない。
だが懐かしい気持ちになったクレアは、ローズマリーの香りを部屋中に広げようと準備する。そして全てをセットした後にランプに火を灯した。
すると、ローズマリーのスッキリした香りと共に突然、扉がノックされる。
慌てて夜着の上からガウンを羽織ったクレアは、恐る恐る扉に声を掛けた。
「どなたでしょうか?」
「ジェラルドだ。夜分遅くにすまない」
その返答にクレアの体がビクリと強張る。
そっと扉を開けると、夕刻の時と同じ服装のままのジェラルドが立っていた。
「閣下、先程のお話の続きなら明日でも構わないのですが」
「その件ではなく、別件で早急に確認したいことがある。クレア、あなたは叔母からいくつか書類を預かっていないか?」
そう言われ、旅立つ前にハリエンヌからジェラルドに会ったら、すぐ渡して欲しいと言われていた書類があった事を思い出す。
「そう言えば、そんなファイルを持たされたような……。申し訳ございません! すっかり忘れておりました」
「その書類は確認後、明日一番である所に送らなくてはならない大事な書類だ。すまないが、今すぐ渡して貰っても構わないか?」
「はい。ですが、そちらはまだ手荷物の方に入ったままなので、取り出すのに時間がかかってしまうかも……。中に入ってお待ちになりますか?」
クレアのその言葉に一瞬、ジェラルドが少し目を見開く。
「構わないのか?」
「ええ。大事な書類だと思ったので、鞄の奥底に入れてしまいましたが、場所は分かっているので、そこまでお時間は取らせないかと」
「そうか。ならば、そうさせてもらう」
クレアに招き入れられたジェラルドは、そのまま部屋のソファーへと腰掛けた。
一方クレアは、自分の鞄の奥底に手を差し入れる。
そして紛失してはいけないと思い、大分鞄の底の方に入れてしまった黒いレザーのファイルを何とか引っ張り出した。
それをもってジェラルドの許へ行き、そのファイルを差し出す。
「どうぞ、こちらです」
「ああ。夜分遅くにすまない。助かる」
そう言ってジェラルドが、立ち上がりそのファイルを受け取ろうとした。
しかし、その手はファイルではなく、クレアの白い手に伸ばされる。
その瞬間、クレアの脳裏に妹ティアラの声である言葉が蘇る。
『私の所為でお姉様が一生閣下の慰み者に』
その声が頭の中に響き、クレアは思わずジェラルドの手から逃れるように勢いよく引っ込めてしまった。
その反動で黒いレザーのファイルがパタリと床に落ちる。
「た、大変失礼いたしました! その、思わず驚いてしまって……」
そう言い訳をするも今のクレアは、自身の血の気が引いている事を感じていた。
そっとジェラルドの反応を窺うと、やや傷ついた表情をしている。
それに気づいたクレアは、ますます血の気が引いて行く。
「いや、私がいきなり手を掴んでしまったのが悪い。もう夜も遅いし、今夜はゆっくり休みなさい」
「で、ですが! それではわたくしのお役目が!!」
「お役目?」
一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたジェラルドだが、すぐに何の事か気づいたらしい。
その瞬間、忌々しそうに息を吐く。
「クレア、その件なのだが……」
「だ、大丈夫です! わたくしは元よりその御役目も覚悟の上で、こちらに参っております!」
その先は、どうしても羞恥心から言葉に出来なかったクレアだが、それを聞いたジェラルドは、何故か急に冷たい表情を浮かべた。
「なるほど。妹君の失態の為、私に自らを差し出すと。クレア、あなたは本当に姉の鑑のような女性だな」
そう言って、以前一瞬だけ見せた意地の悪い笑みを浮かべたジェラルドが、クレアの右頬に手を添えて、頬を親指でゆっくりとなぞる。
「しかしそのように簡単に私を受け入れていいのか? 途中で拒み出しても私は手を緩める気は一切無いが、その覚悟はあるのか?」
いつの間にか見た事もない冷たい笑みを浮かべているジェラルドは、ゆっくりと何度もクレアの頬を親指でなぞった。
その様子にクレアが青い顔をしたまま、ゆっくりと頷く。
「構いません。それが元オーデント家の長女であるわたくしの責任の取り方です」
そう答えたクレアの腰に手を回したジェラルドは、室内のある場所に彼女を誘導した。
クレアを寝台に座らせると、華奢な両肩に手を置いてゆっくりと押し倒す。
そしてゆっくりと上半身だけをクレアに覆いかぶさってきた。
その瞬間、恐怖とパニックで頭がいっぱいになっていたクレアの脳裏にハリエンヌが教えてくれた魔法の言葉が蘇る。
「あの、閣下! その前に一つお願いがございます!」
「なんだ。一応は聞こう」
「その……今から閣下のお戯れが終了するまで、絶対にわたくしの名を呼ばないでいただきたいのです」
その瞬間、ジェラルドが大きく目を見開く。
「…………その理由は?」
「行為中に名を呼ばれれば、わたくしのような心の弱い人間は閣下からご寵愛を受けていると勘違いしてしまいます。それでは閣下の望む務めが、全う出来ません。ですから、今後もこのようなお戯れをなさる際は、絶対にわたくしの名をお呼びにならぬようお願いしたいのです」
そのクレアの言い分にジェラルドが呆れるように息を吐く。
「いいだろう。その程度の約束なら受け入れよう」
そう言ってクレアの首筋にそっと唇を這わせる。
その瞬間、クレアは恐怖からギュッと瞳を閉じた。
クレアの夜着の肩口にジェラルドの手が掛かる。
全てを覚悟し事が済むまでジッと耐え抜こうとクレアは覚悟を決めた。
だが、なぜかジェラルドの気配が離れていく。
不審に思ったクレアがそっと目を開くと、そこには困り果てた笑みを浮かべるジェラルドの姿があった。
「閣下? あの、どうされ……」
そう言いかけたクレアの腕を引っ張り、体を起こしたジェラルドは、そのままクレアを抱きしめ、耳元に絞り出すような声で呟いた。
「頼むから、泣くなり叫ぶなりして早く私を拒んでくれ……。でないと私は本当にあなたを汚してしまう」
そう言ってゆっくりとクレアから体を離し、肩から少し落ちてしまったクレアのガウンをかけ直した。そのジェラルドの態度にクレアがキョトンとしていると、更に苦笑しながらベッドから立ち上がる。
「クレア、私はこのような事をする為にあなたをここに呼び出したのではない。あなたには、一番近くで私のサポートをして貰う為に来てもらったのだ」
「で、ですが!」
「ついでに私は、近々婚約を考えている。その令嬢に承諾を貰う為にあなたの助けが、必要不可欠なのだ」
その言葉にクレアがビクリと反応する。
するとジェラルドが、ゆっくりとバルコニー付きの窓の外を指さす。
「ちょうどその婚約を望んでいるご令嬢が、私達を見つめている。いい機会だから、あなたにも紹介しておこう」
そう告げて窓の外を指さすジェラルドだが、クレアには人どころか生物の姿すら見えない。
場所が悪いのかと思い、窓に近づこうとクレアが立ち上がろうとすると、ジェラルドに腕を引っ張られ再び寝台の上に戻された。
「この位置からでないと彼女の姿は見えない。ほら、ちゃんといるはずだ」
「ですが、わたくしには人の姿など、どこにも……」
「いいや、ちゃんといる。少し前まで一部の令息達に『壁際のコマドリ』という珍妙な名で呼ばれていた赤毛の令嬢が」
その瞬間、クレアが窓ガラスに映っている自分の姿を認識する。
「あ、あの、閣下?」
「紹介する。彼女がその婚約を申し込みたい侯爵令嬢のクレア・セントウレア嬢だ」
いたずらが成功したような笑みを浮かべたジェラルドのその言葉にクレアが大きく目を見開く。
しかし次の瞬間、クレアはその瞳から大粒の涙をボロボロこぼし始めた。
そんなクレアをジェラルドが自分の方に引き寄せ、優しく抱きしめる。
「あなたの瞳は先程のような私の意地の悪い行為には、鉄壁の守りを発揮するのに今のような感情を抱くと、まるで薄いガラスのようにもろくなるようだ」
そう言って腕の中でボロボロと泣いているクレアの頭を優しく撫でる。
「も、申し訳、ございません……」
「もう少し早く音を上げてくれれば、ここまで意地の悪い事をするつもりはなかったのだが、どうやらあなたは、辛い事への耐性ばかりが特化しすぎてしまっているようだな」
涙を零しながら自分を見上げてくるクレアにジェラルドが、申し訳無さそうな笑みを浮かべる。
「叔母にあなたを養女にするよう頼んだのは、あなたを私の愛人にする為ではない。あなたを私の妻にする為だ。公爵家に嫁ぐとなれば、それなりの家柄でないと周りが納得しない。それと同時にもうあの妹君と、あなたの縁を完全に切り離したかったからだ。優しいあなたは、すぐにあの妹君を許してしまう。だが私は彼女を許す事は当分できない。彼女は無自覚だったとはいえ、あまりにも私の大切なあなたを傷つけた」
そう告げながら、再びジェラルドが深くクレアを抱きしめる。
「だが一番傷つけてしまったのは、どうやら私のようだな。本当にすまない……。あなたがあまりにも責任の代償だと強調しながら、私に自身を差し出そうしている行動に苛立ち、ほんの少しだけ懲らしめようと思っただけで、ここまで追いつめる気はなかった……」
そう言ってバツが悪そうな表情を浮かべたジェラルドにクレアが、涙を拭いながら口を開く。
「閣下が謝罪なさるような事は何一つございません。あれは、わたくしが閣下に不快を感じさせてしまった事が原因です」
「しかし、ほんの出来心とはいえ、私はあなたをかなり怯えさせてしまった。本当にすまない……。十分に反省をするつもりだ。だからクレア、先程の要望は撤回して貰えないだろうか?」
「先程の要望?」
瞳に涙を少し残したまま、腕の中からクレアがジェラルドを見上げると、何故かジェラルドは表情を緩ませてから、その先の言葉を続けた。
「私はあなたを愛でる時、どうしても名を呼んでしまう。だから先程のあなたとの約束を守る事は絶対に出来ない」
ジェラルドのその言葉に一瞬、何の事か理解するまで時間が掛かったのか、キョトンとした表情から、徐々にクレアの顔が赤くなる。
「あ、あれは! その、わたくしの務めに閣下の閨のお供という役割があると思い込んでいたので、その職務を全うするために……」
「閨の供は引き続き、あなたにしか出来ない大切な役割という部分は変わらない。ただし、それは私と挙式した後の話になるが」
「か、閣下!」
先程から真っ赤になっているクレアの反応が面白いのか、ジェラルドが声を殺して笑い出す。
「それにしてもあの条件内容は、かなり私には堪えた……。あんなに見事に私の動きを封じ込める秀逸な条件を純情なあなたが思いついたとは、とても思えないのだが、もしやフェリックス辺りに入れ知恵でもされたのか?」
ジェラルドが忌々し気にフェリックスの名を出す所をみると、どうやら昔からジェラルドはあの社交的な兄にからかわれていたらしい。
それに気づいたクレアは、笑いを堪えるように口元に手を当てた。
「クレア?」
「も、申し訳ございません! 兄フェリックスが話していた閣下の少年期の頃のお話を思い出してしまったもので」
「全くあの従兄は……余計なことばかりを口にする!」
悪態をつくジェラルドにクスリと笑みをこぼしたクレアが、先程の質問に答える。
「実は、あの条件を閣下に提案するよう助言をくれたのは、閣下の叔母であり、わたくしの今の母であるハリエンヌでございます。もし閣下より閨の誘いがあった場合、無事にやり過ごせることができる魔法の言葉だと教えられました。そして必ずご寵愛を受ける前に約束を取りつけるようにとも」
その説明を聞いたジェラルドが盛大にため息をついて苦笑する。
「なるほど。流石、叔母上だ。あのような条件を突きつけられてしまえば、私はあなたを奪うことは一生出来ないのだから。確かにあなたは無事にその職務をやり過ごすことができる」
してやられたという表情を浮かべるジェラルドの様子に再びクレアが笑いを漏らす。
そんな彼女の両頬をジェラルドは両手で優しく包み、そのまま額に軽く口づけを落とす。
「まだ婚約の承諾を得ていない今の私が許される行為はここまでだ。明日あなたが叔母から預かってきた書類を確認しながら正式な婚約の申し込み書類を作成し、陛下の了承を得ようと思っている」
そう行って寝台から立ち上がったジェラルドは、ずっと床に落ちてたまま放置されていた黒革のファイルを拾い上げる。
「明後日あたりから、あなたにも婚約手続きに必要な書類の記入をお願いすることになるだろう。その時は、是非前向きな気持ちで書類作成に協力して欲しい」
すでにクレアがその婚約の申し入れを受けることが確定しているような言い回しをしてきたジェラルドにクレアが幸せそうな笑みを返す。
「はい。喜んで協力させていただきます」
その一週間後、人嫌いで有名な『黒髪の冷徹公爵』が、やっと婚約者を決めたという噂で社交界が賑わった。
※こちら番外編で公爵視点での話があります。




