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赤毛の伯爵令嬢  作者: もも野はち助
【本編】

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15/21

15.魔法の言葉

 コリウスが手紙を届けに来たその日の晩餐は、いつもの明るい会話が飛び交う事はなく、やや重苦しい雰囲気になっていた。

 その暗い影は、食後のティータイムにまで引きずりを見せた。

 そんな重苦しい中、フェリックスの妻アンジェリカが口を開く。


「お義母様……確かクレアは、三カ月間はここに滞在出来ると聞いていたのですが、どういう事ですか?」


 明らかにクレアをここに留めておきたいアンジェリカが、不満を洩らす。

 その問いにハリエンヌも大きなため息をついた。


「アンジェ、わたくしも出来れば三か月と言わず、それ以上の期間クレアにここにいて欲しいと思っているわ。でもね、養子縁組の本来の目的は、クレアを公爵家の補佐役としてふさわしい爵位にする事が、メインだったの」

「折角、カワイイ妹が出来たと思ったのに……」


 ガクリと項垂れるアンジェリカの様子にクレアが嬉しい差と申し訳ない気持ちを抱く。


「そう感じていただき、本当に嬉しいです。ですが、わたくしはもうお義姉様の義理の妹ですよ? 会おうと思えば、すぐにお会いできます」

「それでもアストロメリア領は、ここから遠すぎるわ……」


 アンジェリカも今生の別れではないことは理解しているが、それでも納得できない様子だ。

 そんな妻に同情しながら、夫のフェリックスがジェラルドに対して悪態をつきはじめる。


「全く! ジェラルドは勝手過ぎるよ! クレアを本当の家族から引き離しただけでなく、今度は新しい家族からもすぐに引き離すなんて! 今度会ったら、これでもかというくらい文句を浴びせてやる!」


 すると珍しくフロックスが、厳しい表情をして口を開く。


「私の方から閣下に一筆申し上げようか? そもそも当初の予定では、三カ月間は、しっかりとクレアの教育をと仰っていたのは閣下なのだから、一カ月も早くクレアを引き渡す事は、その目的は果たせていないだろう?」


 だが、クレアが静かに首を振ってやんわりとその申し出を辞退する。


「閣下には閣下のお考えが何かあるのだと思います。そもそもわたくしは、本来このような好待遇を受けられる立場ではありません。わたくしの本来の役割は、オーデント家に対して失われてしまった閣下の信用を取り戻すことなのです。アストロメリア家に行くことは、その目的を達成するための第一歩だと考えております」


 すると、アンジェリカが瞳に涙を溜めだした。


「アンジェリカお義姉様……たくさんお手紙を書きますね?」


 その一言で全員がクレアの決意を尊重しようという結論に達した。



◆◆◆



 新しい家族との話し合いを何とか平常心でやり過ごしたクレアは自室に戻る。

 だが一人になった瞬間、なんとも言えない不安が一気に押し寄せる。


 自身でも、このすぐにやせ我慢をしてしまうところは良くない部分だと自覚している。

 だが、無意識に周りに合わせようとしてしまう癖はそう簡単には直らない。

 それが結果的に自分の気持ちや不安を(ないがし)ろにしていると分かっていてもだ。


 それが誰かのためといえば聞こえはいいが、それは違うとクレア自身は感じている。

 無意識に周りの顔色を窺ってしまうのは、自己犠牲を払っている自分に酔いしれているからではないかと、ここ最近よく考えてしまう。


 今までそのような考えが生まれなかったのは、ティアラという手のかかる妹が常にそばにいたからだ。

 扱いが大変な妹のために動けば両親は喜んでくれる。

 初めは純粋にそれが嬉しかっただけかもしれないが、年を重ねるたびにクレアの負担はどんどん膨れ上がっていたことに気づけないほど、献身的になっていたのだ。

 だが、養子縁組を機に妹のサポート役から解放されたことで、なぜ自分がそのことに固執していたか考える余裕が生まれた。


 同時にクレアは自分の必要性を見失いはじめる。

 果たして自分はこの先、ジェラルドの期待に応えることができるのだろうか。

 ましてやティアラが言っていた閨の相手として、もしジェラルドに望まれてしまったら……。


 その可能性が少しでもあるクレアは、アストロメリア公爵邸に行くことが怖くなる。

 いっそ、このままこの居心地のよいセントウレア侯爵家に居続けたいとも。

 

 もし妹あれば、すぐさま自身の要望を主張できたはずだ。

 『好きなものは好き! 嫌なものは嫌!』と素直に口にできるティアラ。

 それをクレアは心のどこかで、いつも羨ましいと思っていたことに今さらながら気づく。

 周囲の顔色ばかり窺って生きてきた彼女にとって、人目を気にせず自分の要望を口にすることは、とても難しいことなのだ。


 もし養父母にアストロメリア公爵邸には行きたくないと言えば、彼らは全力でここに残れるように動いてくれるだろう。

 だがそれは安全を手に入れる代わりにジェラルドを深く傷つける選択になる。


 妹が語っていた憶測だけで彼を拒絶するほどクレアは愚かではない。

 だが、もしティアラの憶測通りの展開が訪れてしまったら、一生ジェラルドのことで傷つきつづけるだろう。


 そんな先の見えない未来に不安を抱き、寝台に突っ伏していたら部屋の扉がノックされた。

 クレアが恐る恐る扉を開けると、そこには困惑気味な笑みを浮かべたハリエンヌがいた。


「クレア。ちょっとお話をさせてもらってもいいかしら?」

「はい、お義母様」


 入室してきたハリエンヌは二人掛け用のソファーに腰を下ろすと、クレアにその隣に座るよう促してきた。

 素直にそこへ腰を下ろすと、養母は優しくクレアの手を取る。


「ねぇ、クレア。実はわたくし、あなたがこの家に来てから、ずっと感じていたことがあるの。あなたはアストロメリア公爵家に行くことに対して、ジェラルドの補佐役以外で何か不安に感じていることがあるのではない?」


 鋭すぎる観点からの養母の質問に動揺したクレアの瞳が大きく揺れる。


「やっぱり……。良かったら、その不安に感じていることを聞かせてくれないかしら?」


 しかしクレアは、そっと目を伏せうつむいてしまう。

 いくら養母とは言え、娘がその奉公先で夜伽の相手として招かれている可能性があるなどと話したら、優しいハリエンヌを深く傷つけてしまうだろう。

 ましてやその疑いがかかっている相手が、昔から可愛がっていた甥であれば尚更だ。

 そのため不安をうちあけることがてきないクレアは、ギュッと唇を引き結ぶ。

 そんなクレアの反応にハリエンヌが寂しそうな笑みを向けてきた。


「お願い、クレア。少しは母となった私を頼って?」


 その瞬間、クレアの瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。

 そんなクレアをあやすようにハリエンヌが優しく抱え込んだ。


「あなたは一体、なにをそんなに不安がっているの?」


 気持ちを落ち着かせるようにハリエンヌは、クレアの頭を撫でながら優しく問う。

 すると、クレアがポロポロ涙をこぼしながら、やっとその理由を口にした。


「私は通常の補佐だけではなく、閣下に対してもっと深い意味での補佐をする事を考慮されていると……」


 その瞬間、ハリエンヌがクレアの両肩を掴み、驚いた表情で顔を覗き込んできた。


「だ、誰があなたにそのようなことを言ったの!?」

「妹のティアラが閣下よりそのようなことを告げられたと……。養子縁組の件で、妹は閣下が私を妻として迎え入れようしていると考えたそうなのですが、そのことを確認したら、はっきりと否定されたそうです。ならば閣下の目的は私を愛妾として囲うことではないかと思ってしまったらしく、そのことも確認したら返答を拒否されたそうで……」


 そのあまりにも突飛すぎるティアラの解釈にハリエンヌも呆れた表情を浮かべる。

 クレアも当初は、その話を一切信じてはいなかった。

 だが、その後の父セロシスの反応や現状のジェラルドによる徹底的な囲みから、妹のその話に信憑性を感じはじめてしまったのだ。

 そんな思いつめた様子のクレアにハリエンヌは憐憫の眼差しを向ける。


「それであなたは、時折ジェラルドの話になると暗い表情を浮かべていたのね……。でもね、その妹さんの懸念はあまりにも突飛すぎる解釈よ?」


 当然、甥の性格をよく知るハリエンヌにとっては、ばかげた解釈にしか聞こえないだろう。

 しかし、クレアはティアラの質問に対してジェラルドがとったある行動で、その可能性を否定できないでいた。


「ならば、なぜ閣下は妹の指摘した内容をすぐに否定して下さらなかったのですか……?」


 愛人として囲うつもりがないのであれば、その場で否定すればいいだけのことだ。

 だが、ティアラの話では「答える必要はない!」とジェラルドは話を切ったらしい。

 そのことを涙ながらに訴えるクレアをハリエンヌはギュッと抱きしめる。


「そんな状況の話を聞かされたら、嫌でもそういう考えをしてしまうわよね……」

「わ、私……オーデント家で閣下と十日ほど過ごすうちに、いつの間にか閣下に心惹かれてしまって……。なのにこの状態で閣下に閨の相手をご所望されたら辛すぎで耐えられなくて……」

「そうね……。好きな男性から求められてもそこに愛がなければ、虚しさしかないものね……」


 この二カ月間、誰にも相談出来なかったことをクレアは、やっと養母に打ち明けた。

 初めて弱音を吐いてくれた娘をハリエンヌは深く抱きしめ、その頭を優しく撫で続ける。

 数年ぶりに泣きじゃくったクレアは、なかなか泣き止むことができなかった。

 だが、少しづつ落ち着きを取り戻し、それを見計らったハリエンヌが再び彼女の顔を覗き込む。


「ねぇ、クレア。もしそういう事態になった場合、あなたを守ってくれるとっておきの魔法の言葉があるのだけれど、教えてあげましょうか?」

「そ、そんな言葉があるのですか?」

「ええ。その魔法の言葉をジェラルドに伝えれば、あなたはその忌々しい役割を強いられたとしても傷つかずにやり過ごせると思うわ」


 そう言ってハリエンヌは、クレアの耳元でその『魔法の言葉』を囁く。

 するとクレアが、大きく目を見開いた。


「ほ、本当にそれで私は傷つかずに役割をこなせるのですか?」

「こなすというか……傷つかないで済むという感じかしら。今の言葉は絶大な効果があるから、必ず御役目の直前にジェラルドに伝えるのよ?」


 そうイタズラっぽい笑みを浮かべたハリエンヌは、親指で優しくクレアの涙を拭ってくれた。

 一方、魔法の言葉を教えられたクレアはその意外性にポカンとしてしまう。

 果たしてその魔法の言葉には、そのような絶大な効果があるんだろうか……。

 だが、なぜか自信満々な養母の様子から、クレアはその言葉に全てを賭けることにした。



◆◆◆ 



 それから三日後。

 迎えに来たコリウスと共にクレアは、アストロメリア家へと向かう。


 見送りの際、フロックスは無言でクレアを抱きしめ、義姉アンジェリカはボロボロと涙を流しながら、なかなか手を放してくれなかった。

 その隣で困ったような笑みを浮かべていた義兄フェリックスは、別れを惜しむようにクレアの頭をそっと撫でる。

 そして最後にハリエンヌが、思いっきりクレアを深く抱きしめる。

 その際、彼女はクレアの耳元であることを小さく囁く。


「クレア。恐らく魔法の言葉を使う機会はないと思うけれど……。でも万が一、その状況がやってきた際は必ずその内容をジェラルドに約束させなさい」

「はい。お義母様」


 そう言ってハリエンヌは、再度クレアの顔をじっくり見るため両手で優しく頬を包む。

 その手のぬくもりを感じるようにクレアは、そっと自分の手をそこに重ねた。


 こうして新しい家族との別れを惜しんだクレアは、二カ月間過ごしたセントウレア侯爵邸を後にし、アストロメリア侯爵家の紋章の入った馬車に乗り込んだ。

 ここからアストロメリア領までは馬車で一時間半ほどかかる。

 そこからジェラルドの屋敷までは、更に四十分は馬車に揺られることになる。


 この二時間半近くの時間をクレアは、予めコリウスに頼んでいた資料を見ながら、オーデント領内のハーブ園との取引内容を確認するなどして、補佐役としてすぐに動けるように予習の時間に廻した。

 その方が余計な事を考えなくて済むからだ。

 その内容は視察時にクレアと話し合っていた状態と、ほぼ変わっていない。

 ハーブ園との取引が、そのまま継続されている事にクレアが胸を撫でおろす。


 途中で何度か休憩を入れて貰い、やっとアストロメリア領に入った時、空気が少し変わった事を感じたクレアは、自分が大分と遠くに来てしまった事を実感した。

 あと30分程でジェラルドがいるアストロメリア家の屋敷に着いてしまう。

 その感覚が強くなればなるほど、ジェラルドと顔を会わせる事への恐怖心が膨らんでくる。


 顔を合わせた際、自分は平常心でいられるのか。

 この世の終わりみたいな表情にならないように耐えられるか。

 もしジェラルドに閨の相手を求められたら、自分はそれを無心でこなせるのだろうか。


 クレアが真剣に今後のことを考えれば考えるほど、嫌な考えしか生まれてこない。

 せっかく教えてもらったハリエンヌの魔法の言葉も、その不安を覆すにはなんとも頼りないことばだった。

 だが、クレアはいざという時のためにその言葉を何度も心の中で呟く。


 『使う機会はないと思う』


 ハリエンヌはそう言っていたが、可能性はゼロではない。

 もちろん、できれば自分も使わずにいたいと思う。


 だが教えてもらった言葉は、もし報われない想いを一生抱えて傍に仕えなくてはならない場合、かなり救いをもたらす言葉ではある。

 そんな泥の中を手探りで進む考えを巡らしていたクレアは、急に馬車が止まった事に体を強張らせた。


「クレア様、到着いたしました」


 コリウスが落ち着いた声でそうクレアに伝えると、馬車の扉を開け、手を差し出してくれた。

 その手を取ったクレアだが、自分が少し震えている事に気づく。

 コリウスのほうもそのことに気づいたようで一瞬、戸惑うような表情を浮かべた。


「ジェラルド様が執務室でお待ちです……。案内はあちらの者が致します」


 そう告げてきたコリウスは、困った様な笑みをクレアに向けていた。

 それに小さく頷いたクレアは、50代前後の執事に案内されて、屋敷の中を進んでいく。よく見るとその執事は、オーデント領にあったセントウレア家所有の別荘で、クレアに着替えを促した執事だった。


「お久しぶりでございます、クレア様。私はジェラルド様に長年お仕えしておりますウェスタと申します。あの時、お預かりしたお荷物ですが、閣下の指示のもと大切に保管してございます。どうぞ、ご安心くださいませ」


 まるで心を読むように告げられた内容から、クレアは執事の優しさを感じた。

 思わず泣き出しそうな笑みを浮かべると、彼はいたわるような穏やかな笑みを返してくれた。

 

 そして彼はクレアを邸の奥まで案内しはじめた。

 そのまま後に続くと、ある部屋の前でウェスタがピタリと足を止める。

 その瞬間、クレアは緊張で体を硬直させた。

 ゆっくりと叩かれたノック音がクレアの心臓に早鐘を打たせてくる。


 すると、二カ月前によく耳にしていた落ち着きある低い声がクレアの入室を許可してきた。

 ウェスタに促され入室すると、執務をこなすジェラルドの姿が目に入る。

 端整な顔立ちの黒髪の公爵がゆっくりと顔を上げ、席を立って近づいてくる。


「クレア、二カ月ぶりだな……」


 そう声を掛けてきたジェラルドに笑みを返したクレアだが、この時は上手く笑えている自信など全くなかった。

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