13.家族との別れ
翌日、オーデント家ではクレアと両親の三人で家族会議が行われた。
ティアラに関しては、自室で謹慎するよう父に言われ、この場にはいない。
たとえ居たとしても今のティアラでは、話など出来ない状態だ。
ティアラは昨日からずっと、自分の軽率な振る舞いが招いてしまったこの惨状に後悔と罪悪感を抱き、泣き続けている。
「なぜ、お前ばかりがこんな目に……」
クレアに視線をむけてきた父セロシスの瞳は、悲しげに潤んでいた。
その隣では、先程から母がずっとハンカチを手にして涙を流し続けている。
「お父様。ティアラから聞いたのですが、閣下はあの子の不敬行為に対しての代償として私を補佐役にご所望されているという話は、本当でしょうか?」
「その件に関しては、まだ話はついていない。現状、私は何としては閣下に考え直していただけないか説得するつもりだ。ティアラの罪をお前が背負うのは、どう考えてもおかしい。そもそも娘の犯した罪は親である私が償うべきだろう! お前とティアラは、私にとって二人共大切な娘なんだ……」
最後は絞り出すように語るセロシスにクレアが落ち着いた声で質問する。
「その場合、閣下はどのような要求をされてくると思いますか?」
「恐らく領地の一部を差し出す事にはなるだろうな。だが、それぐらいで娘を手放さずに済むのなら安い物だ! 私は絶対――」
「お父様、それでは何の解決にもなりません! そもそも領地を差し出してしまっては、オーデント家が王弟でもあるアストロメリア公爵を怒らせたという醜聞が広まってしまいます! そうなれば我が家の信用は無くなり、取り引き先として見てもらえなくなります」
「だが、閣下のご要望を受け入れてしまえば、お前は私の娘ではなくなるのだぞ!? そんな状況は私には耐えられない……」
悔しそうに自身の膝を叩く父の隣で、母がワァッと泣き出す。
だが、クレアは冷静に父親を諭すように語りだす。
「私一人でオーデント家の信用を守れるのなら、それこそ安い物ではありませんか。大体、ティアラがあのような振る舞いをしてしまったことは、一番甘やかしていた私にも責任があります」
「ならば私達も同罪だ! お前一人がその責任を背負う必要はない!」
しかしクレアは、ゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ。あの状況で一番ティアラの暴走を止められたのは私です。イアルにもはっきりと言われました。なぜ、もっとしっかりティアラを押さえつけてくれなかったのだと。私は昔からダメなのです……。あの子に対して甘すぎて。だからこんな事になってしまんです」
「それは違う! お前だけの責任ではないだろう!?」
「いいえ。これは私の責任です。本当はもっと早くにあの子に厳しく接しなければいけなかったのに私はあの子が可愛くて、厳しくなれませんでした。その役割をいつもお父様達に任せっきりで……」
すると父が、ガクリと肩を落とした。
「私達は家族だったから、あの子の無邪気さから繰り出される問題行動に慣れすぎてしまい、その査定が甘くなってしまったのだろうな……。だがジェラルド閣下のような第三者の立場からすると、ティアラの振る舞いは周囲の人間に相当ストレスを与える。それを今まで放置してしまった私達は、どれだけの人を今まで傷づけてきてしまったのだろうか」
「お父様! 周りの方々だけではありません! ティアラ自身も無意識でそういう行動をしてしまい、周りから避けられて苦しんでいました」
「ならば今回の件は一体誰の責任なのだ……」
「誰の責任でもありません。ほんの少し、気持ちのすれ違いとタイミングが悪かっただけです」
クレアの言い分に両親が自分達の不甲斐なさを悔いるように押し黙る。
そんな両親に憐憫の眼差しを向けるクレアだが、実はずっと気になっていた事があった。
「ところでお父様。イアルは……今どうしているのですか?」
その言葉にセロシスが深く息を吐いた。
「イアルは現在デバイト家で監禁されている状態だ。家族内では、いくら精神的に追いつめられていたとはいえ、お前を手に掛けようとしたのだから、殺人未遂には変わりない。その為、イアルには罪を償わせようという方向にまとまりかけている。だが私の方で、今はまだその判断を待って貰っている。被害者であるお前の意見を聞いてからにして欲しいと閣下には申し出ている」
父の話に一瞬だけクレアが安堵の表情を浮かべる。
「意識が戻るまで待っていただき、ありがとうございます! イアルに関して私は訴える気はございません! 彼をあそこまで追い詰めたのは私達オーデント家です。出来れば内々でこの件を処理したいと閣下にお伝えいただけないでしょうか?」
クレアのその言葉に父が静かに頷いたのだが、その表情は何故か暗い。
「確かにイアルの行動については、私も咎めることはできない……。怒りの矛先をなぜかお前に向け、お前に危害を加えようとした事はもちろん許せない。だが彼をそうさせたのは、同じく私の娘であるティアラが原因だ。そして今の彼は、お前を手に掛けようとした事を悔やみ、自身を戒めるようにお前への謝罪の言葉をずっと呟いているそうだ。だからまず被害者であるお前の意見を確認してから、処分をと待って貰っていたんだ」
なぜか険しい表情を浮かべる父にクレアが不安を抱く。
「何か問題でも?」
「実はお前を助けたのはジェラルド閣下の側近であるコリウス殿なんだ。あの時、たまたま屋敷内にいた彼は、お前の部屋から聞こえた物音で異変に気づき、部屋に突入してくれた。しかしそれは、イアルがお前を手に掛けようとした現場をしっかり目撃したということだ。家臣から聞いたその状況をジェラルド閣下は把握している。その為、内々で処理する事は難しい状況だ」
ジェラルド側の人間にクレアが襲われている現場を目撃されてしまっていては、口裏を合わせて内々でイアルの処罰を決めることは難しい。
イアルにとってかなり厳しい状況であることにクレアが思わず唇を噛んだ。
「閣下は、イアルの処罰をどのようにお考えなのですか?」
「不正など許さぬ方だからな。イアルにはしっかりと罪を償わせるべきだとおっしゃっている。だが、今回の出来事はティアラが引き金であり、お前の気持ちもあるので何とか内々に処理したいとはお願いはしている」
そこまで口にしたセロシスは、なぜか頭を抱え込む仕草をする。
「だが、もしその件で温情が欲しいのなら、お前を閣下の伯母であらせられるセントウレア侯爵夫妻の養子として手続きすることを条件を出されてしまった……」
先ほどもティアラから聞いていた内容だが、改めて父の口から聞かされると、どうやらジェラルドの本気を感じてしまう。
だが、彼のその意図が何なのかまったく想像が出来ない。
「何故、閣下はそこまで私をこの家から切り離そうとなさっているのでしょうか……」
「閣下は、かなり深い意味での補佐役としてお前を望んでいる。だが、今回の件で閣下は完全にティアラに呆れ返っておられる。お前がそのティアラの姉ということが、アストロメリア家の補佐役としては印象が悪いとお考えなのだろう。実際にティアラは社交界での評判が、あまり良くはないからな」
父の『深い意味での補佐役』という言葉にクレアがビクリと反応する。
その言い方から父がティアラと同じように、ジェラルドが自分の娘を愛人として囲おうとしていることを懸念しているように見えた。
だが、ジェラルドのような真面目な人間がそのような考えなどするはずがない。
そう自分に言い聞かせながら、クレアはさらに父が彼と交わした会話内容を確認する。
「ですが、ティアラとの繋がりを懸念して私を侯爵家への養子縁組を提案されるだなんて、いささか大袈裟すぎやしませんか?」
「公爵家に仕えている方々は、我々よりも身分が高い伯爵家以上のお生まれで、家督相続の可能性が低い令息や令嬢が殆どだ。臣籍に降下したとはいえ、閣下には王族の血が流れているからな。仕える人間には、それなりの家格の出でないと採用されない。故に補佐役と考えているお前にもある程度の家柄出身ということにしたいのだろう」
そこまで言い切った父は、膝の上に両肘を突け、両手を組んで祈る様な姿勢になって呟く。
「だがそれは、お前が書類上で私の娘ではなくなるということだ。それだけは父親として……絶対に耐えられない!」
「お父様……」
「お前は心配しなくていい。後は私が何とかする」
固い決意を抱き、ハッキリと宣言した父にクレアは自身の考えを告げる。
「お父様、お気持ちは本当に嬉しいのですが、その決断は私の望んでいるものではございません」
「クレア!」
「もう決めたのです。私は閣下の要望を受け入れます」
まっすぐに自分を見据えて言い切った娘の言葉でセロシスが視界を歪ませる。
「クレア、もう十分だ!! 私達はお前に頼りすぎている! 頼むから、少しはお前を守る事をさせてくれ!!」
「それを言うのなら私の方こそ、親孝行をさせてください。お父様だって私の性格をよくご存じなはずですよ? たとえ守っていただいたとしても私は、一生このことを後悔すると思います」
「だが、私が閣下の条件をのめば、お前はもう私たちの子ではなくなるのだぞ!?」
「確かに戸籍上では娘ではなくなってしまいますね……。ですが、私の中にはお二人の娘だという証がしっかりと流れております。その繋がりは、この先何があっても決して変わりません」
すると、先ほどまで父の隣でさめざめと泣き続けていた母が急に立ち上がり、クレアを抱きしめる。
「クレア!! どうしてあなたはそんなに周りの事ばかり考えてしまうの!? あなたは自慢の娘だけれど、私はあなたのそういうところは受け入れられないわ!!」
「お母様……」
「お願いよ……。『閣下の許へ行くのは嫌です』と、はっきり言ってちょうだい!!」
縋りつくように抱きしめてくる母の背中にクレアがそっと腕を回す。
「ありがとうございます。ですが、もう私は決めたのです」
「クレア……」
翌日父セロシスは、使いでやって来たコリウスにクレアが養子縁組の件を承諾した事を伝えた。
そのお陰で、ティアラの不敬行為へのお咎めはなくなり、イアルの処理に関してもオーデント家とデバイト家の判断に一任された。
「ではクレア様、明日もう一度お迎えに上がりますので、お荷物は出来るだけお持ちにならぬようお願い致します」
「で、ですが、身の周り品などは持って行かないと!」
「そちらは養子縁組先であるセントウレア侯爵家にて、全てご用意しておりますので」
「装飾品類もダメでしょうか?」
「お持ちいただいてもよろしいのですが、明日セントウレア侯爵夫人の別荘にてお着替えいただく際に全てこちらで預からせていただきます」
その返答にクレアが怪訝そうに驚きの表情を浮かべる。
「何故、そこまで所持品の管理を徹底されるのですか?」
「ジェラルド様がおっしゃるには、オーデント家と繋がりがあるお品は、出来るだけお持ちにならないでいただきたいようです。ご家族との繋がりを断ち切ることは、とてもお辛いと思いますが、養子縁組先でそれらの品を出されてしまうと、侯爵夫人もきっと複雑なお気持ちになられると思いますので」
そう言われてしまっては、クレアも諦めるしかない。
しかし、その話を聞いていた母が横から口を挟む。
「閣下が管理してくださるという事は、いつかはクレアの手元に戻るということですよね?」
「断言は出来ませんが……恐らくそのようになるかと」
「お母様?」
そんな明日の予定の段取りを説明したコリウスは、少し前までジェラルドが滞在していたセントウレア侯爵家が所有している別荘へと戻って行った。
どうやらジェラルドの方は、予定していた滞在期間終了と共に自身の領地に帰ったらしい。恐らく領内の仕事が、相当溜まってしまっているのだろう。
そして今後クレアとジェラルドの連絡関連は、全てコリウスが担うそうだ。
コリウスが帰った後、母は渡したい物があるとクレアを自身の部屋に招いた。
しかし先程、所持品は全て管理されると聞かされていたため困惑してしまう。
「お母様……持たせていただいても私の手元に返ってくる可能性は……」
「でも、これだけは絶対に持って行って欲しいの!」
そう言ってクリシアはクローゼットの中から小さな箱を取り出し、クレアに向って開く。
そこには見事なガーネットのブローチが入っていた。
「お母様、これ……」
「本当はあなたがお嫁に行く時に渡そうと思っていたの。このガーネットはね、あなたの髪が赤色に変わってしまった時に奮発して購入したのよ?」
そう言って母はそのブローチを箱から取り出し、クレアの手の上に乗せた。
「あの頃のあなたは、赤毛になってしまったことで自信を無くしていたから……。だからこの先、またその赤毛で自信を無くすことがあったら、この美しいガーネットを見て自分の髪はこんなに綺麗な色なんだって思えるようにお父様と相談して買った物なの」
そう語る母の瞳には、涙が溜まりはじめていた。
その母の思いに感極まったクレアが思わず抱きしめる。
「ありがとう……お母様。折を見て閣下にこのブローチだけは、お返ししていただくよう私からも頼んでみるから!」
その言葉でさらに泣き出してしまった母の背を優しく撫でる。
母との別れをこれでもかと惜しんだクレアは明日の出発に備え、早々に自身の部屋へと戻る。
すると妹の部屋の扉が目に入った。
ティアラは、あの日以来部屋に閉じこもってしまい、ずっと泣き続けているそうだ。
だが、クレアから声をかければ瞳いっぱいに涙を溜め、すぐに扉を開けてくれる。
しかし流石に罪悪感を感じているようで、自分からはやってこない。
そんなティアラは、自分の気に入った相手に過剰に絡んでしまう悪い癖を薄々自覚している。
だが、その欲求は自分ではどうしても抑えられないようなのだ。
そのせいで相手から嫌われてしまう経験を何度もし、傷つき続けてきたのだ。
そんな背景があったのでクレアたちは、構われることを好む妹を受け入れようと努力した。
その結果、ティアラは拒絶されない環境が当たり前だと勘違いしてしまい、今回のような事態を招いてしまったのだ。
そんな妹は姉にまで見捨てられてしまうのではないかと酷く恐れている様子だ。
だが本当は、今までのように姉に泣きつきたくてたまらないはずである。
その気持ちを汲み取るようにクレアは妹の部屋の扉をノックする。
するとティアラが物凄い勢いで扉を開け、泣きながら抱きついてきた。
「ティアラ、もういいから……。そんなに自分を責めないで?」
しかしティアラは抱きついたまま、ブンブンと首を振った。
そんな妹の頭を優しく撫でる。
「私ね、明日ここを発つことになったの」
その言葉に勢いよくティアラが顔を上げ、更にボロボロと涙を零した。
「も、もう……私のお姉様ではなくなってしまうの? お、お姉様は……私のせいで、ずっとジェラルド閣下に仕えなければならないの?」
そう言って顔をグシャリと歪ませ、更に泣きじゃくる。
「確かに書類上では姉ではなくなるけれど、この先ずっと私にとってあなたはたった一人の妹よ? それにね、閣下はあなたが考えているような扱いを私にしたりしないと思うわ」
そうは口にしてみたが、ティアラだけでなく父にもあのような反応をされてしまうと、クレアは不安を抱かずにはいられなかった。
ジェラルドに限って、愛人として囲うなどという非道な考えは絶対にあり得ない。
だが、万が一そのような夜の相手を求められたら自分はどうすればいいのだろうか。
恐らく別の理由で一生苦しむことになるのは容易に想像がつく。
それはティアラがジェラルドに過剰に絡んでいた際、クレアが抱いてしまった感情が大きく関係している。
本当に気づけなかったのか、それとも無意識で気づかないふりをしていただけなのか、その感情の存在についてはクレア自身にも分からない。
だがあの時、ティアラに対して抱いた苛立ちとモヤモヤした感情は、明らかにジェラルドに過剰に絡みに行っていた妹への嫉妬だった。
それを認識してしまった切っ掛けは、皮肉にも自分がジェラルドの夜の相手を努めなければならない可能性をティアラの話から示唆してしまった時だった。
「お姉様……本当に、本当にごめんなさい……」
昨日から、ずっと泣きながら謝り続けている妹の頭を優しく撫でながら、クレアは自分が一生報われない想いを抱える未来への恐怖に怯えていた。
翌日、中身があまり入っていない小さな鞄を持ったクレアは、迎えでやって来た侯爵家の馬車へと乗り込む。
住み慣れた我が家と、書類上ではもう血縁関係では無くなってしまう家族との別れを惜しんだ彼女は、ジェラルドの側近であるコリウスに護衛されながら、養子縁組先のセントウレア侯爵夫人の待つ別荘へと旅立った。




