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赤毛の伯爵令嬢  作者: もも野はち助
【本編】

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10/21

10.切っ掛けの少女

 オーデント領にジェラルドが滞在する期間が残り三日となった日。

 今からジェラルドを迎える為の客間で、鼻歌まで歌っている機嫌の良いティアラにクレアが釘をさす。


「ティアラ……。お願いだから今日は、私と閣下の話し合いに同席するのは、控えてくれないかしら。閣下の滞在可能な期間はあと三日間しかないの。その間にどのハーブ園を取引先にされるか検討しなければならないし、まだ閣下が視察されていないハーブ園が残っているの! でもあなたがいると、いつも雑談会のようになってしまって話し合いが進まないわ。だから今日だけでいいから……お願い! 席を外して!」


 クレアの必死に頼み込む様子に流石のティアラも、ようやく自分が二人の話し合いを邪魔していることを察したらしい。


「ご、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」

「そうね、あなたはただ単に閣下と、おしゃべりしたかっただけよね? でもね、ティアラ。今はダメ。まだ閣下は、こちらに来られた目的を達成されていないの。だからもう少し待って?」

「お姉様……本当にごめんなさい」


 しゅんとしながら謝罪してくるティアラにクレアが、やや呆れ気味に微笑む。

 ティアラ自身、本当に悪気なく行動してしまっているのだ。


「分かってくれてありがとう。それにしても、どうしてそんなに閣下とお話したいの?」


 するとすぐに立ち直ったティアラが、目をキラキラさせながら答える。


「だってジェラルド閣下って、まるでロマンス小説から抜け出たように素敵な男性なんですもの! 女性なら誰でもお近づきになりたいって思うでしょ?」

「お近づきって……あなた確か五日前にイアルと婚約したばかりでしょ? 他の男性……しかも公爵閣下という恐れ多い方相手に興味を持つなんてダメじゃない!」

「でもジェラルド閣下って、本当に素敵な方なのだもの。それに閣下は、初めは私に面会希望でここに来たのでしょ? それなのに会わないなんて失礼じゃない」


 その明らかに掌を返したようなティアラの態度の変化に再びクレアが呆れる。

 これが打算的な考えでティアラが態度を変えたのなら怒りようがあるのだが、ティアラの場合、本気で悪気が一切ない。

 恐らく初めの頃、噂を理由にジェラルドとの面会を拒絶した事を指摘してもティアラは、きっとこう答えるだろう。


「だって、あの時はジェラルド閣下が、どういう人か知らなかったのだもの」


 それはティアラの中では、本当の事なので嘘は言ってはいない。

 そしてジェラルドの容姿を知ってから、考えを変えた事への罪悪感も特に抱いていない。ティアラにとっては、誰にも迷惑を掛けていない自分の中での気持ちの変化という事でしかないのだ。


 しかし大抵の人間なら五日前に婚約した事への複雑な思いを抱くはずだ。

 もしかしたらジェラルドに見初められていたかもしれない未練。

 ジェラルドから逃れる為に婚約を承諾してしまったイアルへの罪悪感。

 そしてその元婚約者だった姉であるクレアに対しての気まずさ。


 しかしティアラの中では、そういう考えはあまり生まれない。

 それはティアラ自身が、周りの人間の気持ちよりも自分の気持ちを重視する傾向が、強すぎるからだ。

 一見、自己中心的と思われるティアラのこの性格だが、それは純粋すぎる想いから生まれた自分の欲に忠実なだけなのだ。


 自分の好みでない相手から逃げたかったから婚約をした。

 自分が素敵だと思った人に出会ったから、たくさん話をしたくなった。


 しかしその先にある相手の気持ちにまでは、配慮はできない。

 逃げ口実で婚約を承諾されたイアルの気持ちや、その元婚約者の姉クレアの心境、話し合いを邪魔され困っているジェラルドの状況などには、あまり目が向かないのだ。

 これがティアラの一番迷惑で困った『空気が読めない令嬢』と言われている部分である。


 このティアラの困った部分は、クレアだけでなく両親も『少しは相手の気持ちと状況を考えなさい!』と、かなり口を酸っぱくして注意をしてきたが、ティアラの空気の読めなさは直らなかった。


 そんな妹の対応に慣れ切っているクレアは、盛大にため息をつきながら、右のこめかみに手を当てて、軽く押さえつける。以前はイアルの事で起こっていた片頭痛だが、ここ最近はティアラが原因でよく起こるのだ。


「お姉様……大丈夫?」

「ええ……。しばらくしたら治まると思うから」


 するとティアラは、何かを思いついたのか急に明るい表情をした。


「そうだわ! お姉様の代わりに私が今日、閣下のご対応をするわ!」


 その瞬間、クレアの右こめかみはズキズキと脈打つような痛みを訴え出す。


「あなたでは閣下のご質問に答えられないでしょう?」

「でも、お姉様お辛そうだし。それに閣下の当初の目的は、私に会いたかったのだから、きっと喜ばれると思うの!」


 その能天気な考えにクレアが片頭痛と戦いながら、呆れ気味で口を開く。


「ティアラ……。もしそれであなたが、閣下に見初められるような事になったらどうするの? あなたには、もうイアルという婚約者がいるでしょう?」


 痛みに苛立ったクレアは、適当に放った言葉だったのだが、その問いに妹は信じられない返答をしてきた。


「でも、それはとても素敵な事じゃないかしら! だってもしそうなったら、私はあんな素敵な公爵様の妻になれて、オーデント家も公爵家との繋がりが出来るのだもの!」


 その返しにクレアの片頭痛はどこかへ吹っ飛ぶほど頭の中が真っ白になり、石像のように固まってしまった。

 いくら非常識な言動が多いとはいえ、これはあまりにも酷すぎる。


「ティアラ……何を言っているの? もしそうなったらイアルはどうなるの!? 冗談でもそういうことは絶対に言わないで!!」


 再びぶり返してきた酷い頭痛に耐えながら、クレアが悲鳴に近い声で叫ぶ。

 その反応に流石のティアラも失言だったと思ったのか、慌てて痛みを堪える姉を支えだす。


「ご、ごめんなさい! でもそんなに怒らなくても……。もしもって話なのだし」

「だからって、言っていい事と悪い事があるでしょう!」

「もう冗談なのに。でももしそうなったら私、王弟でもある公爵様の妻という立場で、もう一度お城の中庭をお散歩出来るようになるのかしら?」

「もうやめてよ……。その冗談。心臓に悪いわ。大体、あなたは登城した事なんて一度も無いのだから、中庭なんて行った事ないでしょ?」


 ティアラに支えられながら、ソファーに座ったクレアがクッションにもたれる様に突っ伏した。 すると、ティアラがキョトンとした表情を浮かべる。


「お姉様、覚えていないの? 私は一度だけお姉様と一緒にお城に行ったことがあるでしょう? 確かお父様がレモンみたいな香りがするハーブの取り扱い許可を申請する時に一緒に登城したじゃない」

「そうだったかしら……」

「そうよ! だってあの時、私がお城の中庭に勝手に入ってしまって、それでお父様とお姉様に物凄く叱られたから覚えているもの!」

「お城の中庭?」


 クレアが顔をしかめながらその事を思い出そうとするが、頭痛が酷くて全く記憶が蘇って来ない。

 そもそもティアラと違い、クレアは父セロシスによく視察に連れて行かれ、その帰りに登城する父と一緒に城の中庭には、何度も立ち寄っていたのだ。

 しかしその時に興味を持ったのは、中庭に咲く美しい花々ではなく、王家専属の庭師が個人的に育てている見事なハーブを見に行ったという記憶しかない。

 頭痛に苦しみながらも、ティアラの言う記憶を引き出そうとしていたクレアだったが、ティアラの次の言葉が思いがけない記憶を蘇らせる。


「確かあの時は、まだお姉様は私と同じプラチナブロンドの髪色だったかしら?」


 その瞬間、クレアが大きく目を見開く。

 レモンの香りがするハーブ、それは恐らくレモングラスのことだ。

 十年前、父セロシスが東の大陸から手に入れたレモングラスの栽培許可を貰いに登城した際、確かにクレアだけでなくティアラもその時、一緒にいた。


 しかし好奇心旺盛のティアラは、待合室で父を待っている際、窓の外から見えた城の中庭に興味を持ってしまい、勝手に外に出てしまったのだ。

 それを慌てて連れ戻そうとしたクレアは、その時初めて城の中庭へと入った。

 そして何とかティアラを見つけ出し、勝手な行動をした妹を父と一緒になってこっぴどく叱った。


 だがその記憶は、別のある重要な事もクレアに思い出させてしまう。


 『プラチナブロンドだった』


 四日前、ジェラルドが語った容姿のコンプレックスから解放してくれた少女。

 連れの少女が城内の中庭に迷い込み、それを必死で探していたそのプラチナブロンドの少女は紛れもなく自分のことだったのだ。

 だがクレアがジェラルドの話を聞いていた時、その少女と自分が同一人物だとは、全く気づくことができなかった。


 その原因は突然に色が変わってしまったこの赤毛だ。

 プラチナブロンドから赤毛に変わってしまったクレアは、無意識にプラチナブロンドだった頃の自分を思い出さないようにしていた。

 だからジェラルドが、その少女が妹の可能性を考えた事に関しては、すぐに気づけたが、自分自身がその少女の可能性という考えには至らなかったのだ。


 しかし今、それを思い出してしまったクレアは混乱した。

 当時、自分がジェラルドに言った言葉が切っ掛けで、ジェラルドは容姿のコンプレックスから解放された。

 だがその言葉を言った自分は、この急に変わってしまった赤毛にずっと囚われてしまい、昔のジェラルドのようになってしまっている。

 あれは周りから『天使のような』と持てはやされ、自分の容姿にある程度自信があったからこそ、出てきた言葉なのだ。

 もしあの時、今のような赤毛であったならば絶対に出て来ない。


 もしこの事にジェラルドが気づけば、かなり落胆するだろう。

 昔、容姿のコンプレックスから救ってくれた少女が、今では昔の自分と同じ状況に陥り、同じように容姿のコンプレックスに固執していることに。

 今のクレアでは、人は見た目が重要だと言っているようなものなのだ。


 その事に気づいてしまったクレアは、急にジェラルドと顔を会わせる事に恐怖を感じてしまった。そしてその気持ちに比例するように頭痛は悪化する。


「お姉様。やはり今日は、閣下との話し合いは中止にしたほうがいいと思うわ」


 ティアラの提案をクレアは無言で首を振って突っぱねる。

 だが無情にも客間の扉はノックされ、執事のジョルジュからジェラルドの訪問が告げられた。

 それに反応するようにクレアが席を立とうとしたのだが、なぜかティアラがソファーに押し戻してきた。


「ティアラ!?」


 思わず抗議するように妹の名を力なく叫ぶが、妹はそのまま扉の方へと向かい、開けてしまう。そしてティアラの出迎えに驚いているジェラルドにまるで、今のクレアの状態を見せつける様に扉を大きく開いた。


「ジェラルド閣下、誠に申し訳ありませんが、姉は本日あまり体調が良くないのです。ですから本日は私の対応でお許し頂けませんか?」


 そう申し出た妹は、ニッコリと微笑みを浮かべている。

 それが姉を労っての行動なのか、それともいつもの自分の好きな物への執着心からの行動なのか、今のクレアには判断がつかない。

 だがこの時のクレアは、何故かその妹の行動を悪意ある方で取ってしまう。


 自分の元婚約者のイアルと婚約したばかりのティアラ。

 しかしその後、避けていた相手が自分の好みの男性だと分かった途端、過剰に絡む行動を繰り返しているティアラ。


 そんな事を考えてしまうと、昔よくティアラがクレアの物を欲しがったり、お揃いにしたがったりする事が多かった記憶まで蘇ってくる。

 今までなら、このティアラの行動は頭痛で苦しんでいる自分を労っての行動だと、素直に受け入れていた。

 だが何故か今回は、ティアラが必死でジェラルドと二人だけの時間を過ごしたがっているようにしか、クレアの目には映らない。


 そう思った瞬間、クレアは痛みを我慢しながら二人の許へと向かう。

 しかし先程からクレアを苦しめている片頭痛は悪化する一方だ。


「クレア! 無理をするな!」


 二人の許に辿り着いた途端、大きくズキンとした痛みに耐えかね、クレアが片手を額に当てながらよろける。するとティアラを押しのけるようにジェラルドが前に一歩進み出て、正面からクレアの両腕を掴むように支えてくれた。


「申し訳……ござません……」

「構わない。それよりも今日はもう休みなさい」


 そう言ってジェラルドが右腕で優しくクレアの肩を抱き、客間の外へと促そうとしたのだが、ここで何故かそのジェラルドの腕にティアラが手を掛け、その腕をそっとクレアから外した。

 その行動にクレアとジェラルドが、同時に目を見開く。


「閣下! 姉の事は私にお任せ下さい! さぁ、お姉様! 後は私に任せてお部屋でゆっくり休んでくださいね!」


 にっこり笑みを浮かべたティアラは、そのままクレアの手を引き、客間の外へと連れ出す。あまりの予想外の出来事に腕を外されたジェラルドだけでなく、クレアも言葉を失う程、唖然としてしまう。


 十日以上共に過ごし、関係醸成しているクレアでさえ、自分からジェラルドに触れる事は恐れ多い事なのだが、会って日も浅いティアラが、男性で公爵という立場のジェラルドに自ら触れる事は、淑女としても身分的な見方をしても確実に常識的でない振る舞いに値する。

 こういう相手との親密度を無視してスキンシップを図ってしまうのが、本当にティアラのダメな部分なのだが、本人は一向にそれに気づかない。


 そんなティアラはクレアを部屋の外に連れ出し、すぐにジェラルドを案内してきた執事のジョルジュに声を掛ける。


「ジョルジュ。今日はお姉様の頭痛が酷くて閣下と話し合いをするのは難しそうなの。でもこのままでは閣下を一人にしてしまうから、私の代わりにお姉様をお部屋まで連れて行ってくれない?」


 そのティアラの言葉にクレアが更に驚き、口をやや半開きにする。

 ジョルジュもこの後ティアラがジェラルドの対応をする事に不安を抱いているようで、クレアの方に指示を仰ぐような視線を送ってきた。


「ティアラ! やはり私は戻るわ! 大丈夫だから!」

「ダメよ! 閣下もお姉様の事を心配されていたでしょ? 大丈夫! ここ三日間、私は閣下とお話したけれど、その時の閣下は楽しそうに私の話に頷いて、聞いてくれていたわ! それにお一人にしてしまうのは、あまりにも失礼でしょ?」


 そのティアラの言い分に再びクレアの頭痛が悪化する。

 ジェラルドの反応の仕方は、確実に社交辞令だ。

 実際は、ティアラをどう扱っていいのか困り果てていたのだ。


 だが確かにジェラルドを一人にしてしまう事は非常に悪手だ。

 そこでクレアは、こめかみ辺りを抑えながらティアラにある指示を出す。


「わかったわ……。一瞬だけ(・・・・)閣下のご対応をティアラに任せる。ジョルジュ! 確かお父様は今日書斎にいらしたわよね? すぐに呼んできて頂戴! ティアラが閣下のお相手をするのはそこまでいいから」

「で、でも! 私一人でも閣下の対応はできると思うわ!」

「あなたはハーブの事はあまり詳しくないでしょ? 閣下がご希望されている情報は、ハーブ関連なの。だからあとはお父様に任せて――――」


 そこまで言うと、また痛みが襲って来て、クレアが顔を歪ませる。

 姉の言葉にあからさまに残念そうな表情を浮かべるティアラ。

 その反応に先程抱いた疑念が、再びクレアの中に蘇る。

 今のティアラは、姉の心配よりも自身の好みの男性と二人きりで過ごせる時間が得られる事を望んでいるのではないかと、嫌な方向に疑念を抱いてしまう。


「でもお姉様、心配だからお部屋まで必ずジョルジュに連れて行ってもらって? ジョルジュ! お父様を呼び出すのは、お姉様をお部屋まで案内してからにしてね」

「かしこまりしました」


 そう言って足早にジェラルドのいる客間に戻って行ったティアラ。


「クレアお嬢様……」

「わかっているわ。ジョルジュ、悪いのだけれど今すぐお父様にこのことを報告してくれる?」

「ですが、今のクレアお嬢様をお一人にするのは……」

「大丈夫。私は一人で自室に戻れるから。それよりも閣下の心的負担の方が心配だわ。だから、お願い!」

「かしこまりました! その後すぐにお薬と鎮静効果のあるハーブティーをマリンダに運ばせます。それまでしばしご辛抱くださいませ!」


 ジョルジュは、クレアの心配をしつつも大股で父の書斎に向かって行った。

 クレア達が幼い頃から仕えてくれているベテラン執事のジョルジュは、ティアラがどういう性格なのかをよく理解している。

 そして、それと同じくらい空気の読めないティアラが繰り出す予想外の行動に巻き込まれてもいる。だからクレアの指示にすぐに同意してくれたのだ。


 何にしても今のこの弱り切ったクレアでは、過度に絡みに行っているティアラからジェラルドを守る事はできない。

 それと同時に今回は、何故かティアラの自分の好みの男性に絡んでしまう行動が、打算的な動きにしか見えない事にクレアは苛立ちを覚えていた。


 『今までこういう状況は、何度もあったのに』


 頭ではいつものことだと理解しているのに気持ちの部分では、モヤモヤした感情と苛立ちが同時に襲ってくる。

 そしてそれに便乗するように片頭痛も悪化していく。


 そんな事を考えながら、ヨロヨロと自室に戻ったクレアは、少しでも痛みを和らげる為、外の空気を入れようと窓へと向かう。

 しかしその窓の外には、更にクレアの片頭痛を悪化させる状況が視界に入って来たのだ。その瞬間、クレアはベッドに崩れ落ちるように突っ伏してしまう。


 その窓の先には、恐らくティアラに会いに来たイアルの姿があった。

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