1.赤毛の呪い
初夏を感じさせるような爽やかな青空の下で、オーデント家の伯爵令嬢クレアは、婚約者のイアル・デバイトと二階のバルコニーでお茶をしていた。
現在17歳のクレアよりも一つ年上のイアルは、同じく伯爵家の三男だ。
榛色のフワフワの猫っ毛にサファイアの様な深く鮮やかな青い瞳をしている。男性にしては長身の方ではあるが、全体的に物静かな雰囲気な上、やや童顔で穏やかそうな顔立ちのせいか、大人しい性格の大型犬を彷彿させる容姿だ。
実際、性格も穏やかなので、よくクレアに優しい笑みを浮かべてくれる。
そんな二人は、物心が付いた頃からの付き合いだ。
父親同士が親友だった為、幼少期から頻繁に互いの家へと訪れる機会が多く、三男であるイアルは家督を継ぐ可能性も低い為、クレアの父親が将来的にオーデント家の婿に欲しいという希望から、二人の婚約が決まった。
クレア自身も兄の様に優しいイアルとの婚約に特に不満はない。
そしてイアルの方もクレアに対しての不満は、恐らく無いだろう。
しかし今、イアルの視線は自分ではない少女に注がれている。
バルコニーから見渡せる中庭で、見事過ぎるサラサラのプラチナブロンドを美しく翻しながら、侍女と共にピンクのオールドローズを摘んでいる少女に……。
彼女は、クレアの一つ年下の妹ティアラだ。
ティアラは美しい髪だけでなく、容姿にも大変恵まれていた。
母譲りの淡いライトグリーンの瞳に現在摘んでいるピンクの薔薇の様な頬。
微笑んだだけで周りで花が咲き誇るような情景を思い浮かべさせる程、美しいだけでなく愛らしい微笑み方をする。
そんな恵まれた容姿であるティアラだが、まだあどけなさが残る顔立ちで、性格も天真爛漫で表情がコロコロと変わる。
それが一層、彼女の純粋無垢な印象を高めていた。
そんなティアラとは、幼少期は『双子の天使』と言われていたクレア。
しかし今のクレアにその面影は、殆ど見受けられない……。
幼少期は妹と同じ美しいプラチナブロンドだったクレアだが、それは10歳頃からある変化によって失われてしまった。
不可解な事に透き通るような金の髪は、何故か月日を重ねる毎に徐々に赤みが増し、更に悪い事にサラサラだった髪質は、少し癖のある髪質になってしまう……。
そんなクレアの髪は13歳になる頃には、立派な赤毛となっていた。
その状況をあまりにも当時のクレアが気にしていたので、心配した父が一応医者に相談したのだが、恐らく隔世遺伝ではないかという話だった。
元々父方の曾祖父が、見事な赤毛だったという話を聞いた事があったクレア。
更に医者の話では、思春期になると成長と共にホルモンバランスの関係で、稀にそういった体質変化が起こる事があるらしい。
特に髪は、ホルモンバランスの影響を受けやすいという話だった……。
しかしその赤毛は、プラチナブロンドだった頃にミステリアスで美しいと言われた父譲りのクレアの淡い紫の瞳とは、あまり相性が良くなかった。
無遠慮な令嬢達からは「まるで悪魔を彷彿させる様な色の組み合わせ」などと、コソコソ陰口を叩かれる事も何回かあった。
そして何よりも耐え難かった事が、昔のクレアの姿を知る大人達からの深い同情の念が込められた眼差しだ……。
『お小さい頃は、まるで天使の様なお姿でいらしたのに……』
思わず嘆かずにはいられなかった思いから出た悪気のない言葉である事は、重々理解は出来たが⋅⋅⋅⋅⋅⋅それでも突然呪いの様に髪の色が激変した当時のクレアにとっては、それはかなり心に突き刺さる言葉だった……。
もし初めから赤毛であれば、こんな言葉を投げかけられる事もなかったはずだ。赤毛だって、凛とした強い女性の印象を与える事が多いので、決してマイナス要素では無いのだから。
だがクレアの場合、元々の髪が見事過ぎる程のプラチナブロンドだった。
その時と比べると、周りの人間はやはり残念な変化と感じてしまうのだろう。
そんな経緯で、いつしかクレアは公の場に出る事を控える傾向になってしまう。
しかし両親は、こぞってクレアを夜会やお茶会等に参加させた。
初めの頃は、自分の容姿に自信を失ったクレアを思い、あえて公の場に参加し人と交流する事で、少しでも自信を取り戻して欲しいという思いから、その事を勧めていた両親。
だがそれは、いつの間にか別の目的へとすり替わってしまっていた……。
それはパーティーなどの華やかな場所を好み、率先して参加してしまう妹ティアラの監視役をクレアに期待するようになってしまった事だ。
妹ティアラが、公式のパーティー等で羽目を外さぬ様にと、しっかり者の姉クレアに暴走に歯止めをかける役割をいつの間にか期待する傾向になってしまった両親。それだけティアラは、良い意味でも悪い意味でも自分に正直で自由奔放な性格なのだ。
そんな両親の願いに応えようと、クレアは出来ればあまり参加したくないお茶会や夜会等のパーティーに参加した。
そして婚約者のイアルもその事を十分理解してくれており、クレアと共にティアラが暴走し過ぎない様に見守ってくれている。
そんな未来の義理の妹に対しても優しい接し方をしてくれる婚約者イアル。
しかし14歳の時にクレアは、イアルのある気持ちに気付いてしまう。
それは今までティアラの事を手の掛かる妹のように見ていたイアルの眼差しが、いつの間にか甘く切ない物に変わっていたのだ……。
ティアラは確かに容姿に恵まれている為、すぐに男性からの誘いを受けやすい。
だがイアルは、婚約者のクレアだけでなく妹のティアラとも幼馴染の様な環境で過ごしてきた為、ティアラの性格をよく理解している。
その為、イアルはティアラの外見に惹かれたのではなく、ティアラの天真爛漫な純粋さに惹かれたという事になる。
クレアにとって自由奔放過ぎて手の掛かる妹のティアラだが、イアルが心惹かれる気持ちも分からない訳でもない。
ティアラ自身は無自覚なのだが、その愛らしい容姿も手伝い、相手を呆れさせながらもつい手を差し伸べたくなるような気持ちにさせる事が、天才的に上手い人柄なのだ。
その魅力の秘密が、ティアラの飾らないありのままでいるという部分だ。
伯爵クラスになると完璧な淑女教育を受けている令嬢が多い。
そんな彼女達は素晴らしい令嬢ではあるが、男性側からするとあまりにも完璧過ぎる為、一緒に居ると隙が無い事に却って疲弊してしまう事も多いようだ。
その点、自分をあまり飾らず、ありのままで振舞うティアラは隙だらけで、堅苦しさをあまり感じさせない令嬢となる。
完璧な令嬢を見過ぎている令息達にとって、そんなティアラは危なっかしい庇護欲をそそられるような令嬢に見えるのだろう。
そしてそれは、クレアの婚約者であるイアルにも言える事だ。
クレアはこの三年間ずっと気付いてしまったイアルの気持ちに悩み、ここ最近ではイアルに婚約解消の話を正式に持ち掛けようと何度も迷っていた。
それでも三年間も言い出せなかった事は、一時クレア自身がイアルに恋心を抱いてしまった時期があったからだ。
しかしその恋心は、ティアラに惹かれつつも自分に婚約解消の話を切り出せないイアルの苦しい立場に気付いてしまった後は、クレアはいつの間にかそっと心の中に埋葬してしまった……。
同じ伯爵家でもデバイト家よりクレアのオーデント家の方が、やや格式が高い。
その為、クレアの父親に婿入りを希望されているイアルは拒否権がないのだ。
だがそれならば、何も長女の自分でなくとも次女のティアラの結婚相手として迎え入れても良いはず……。
実はこの二年間、クレアは何度か冗談めいて婚約解消の話をイアルに振った事があるのだが……優しい婚約者は、それをやんわりとした笑みでかわした。
赤毛となったクレアは、社交界では不憫な目で見られる事が多く、もしイアルに婚約解消されてしまうと、次の相手を見つける事は恐らく難しい。
ましてや伯爵であるオーデント家に婿入り出来たとしても、その実権はクレアが切り盛りする事が容易に想像出来る状態だ。
そうなると他令息達にとって、クレアを娶るメリットはあまり感じられない。
イアルが婚約解消の話に乗らないのは、そういうクレアの現状を気遣う気持ちが、大きいからだ。
しかしそのイアルの優しさが、ずっとクレアを苦しめている……。
現に今目の前で愛おしそうに妹に視線を注いでいるイアルの様子を見ているだけで、クレアは切ない気持ちと罪悪感で胸が押し潰されそうになっているのだ……。
そんな痛みを感じながら、クレアも中庭にいる美しい妹に目を向けた。
するとティアラがそれに気付き、こちらに大きく手を振って来た。
無邪気に自分達を慕う美しく天真爛漫な妹のティアラ。
それに応える様にクレアも小さく手を振る。
「あの子は、本当にピンクの薔薇が好きなのよね……」
一緒に居れば居る程、周りから比べられて傷つく事が多いクレアだが……それ以上にティアラは、クレアにとって可愛い妹でもあるのだ。
「ティアラは昔から、淡く可愛らしい色合いが好きだからね……」
そう答えたイアルの声音は、優しさだけでなく愛おしさも含む物だった。
成人する18歳になるまで一年を切ってしまった今、正式に婚約解消の話をイアルに切り出さなければと、ずっと焦っているクレア……。
しかし真面目で優しい婚約者は、それを全く受け入れようとはしない。
そのイアルの優しい気遣いが、逆にクレアを傷つける。
そんな気遣いをすれ違わせている二人は、中庭で無邪気に手を振っているティアラに温かい眼差しを向けていた。
すると、ティアラがバルコニーの真下まで駆け寄ってくる。
「お姉様ー! 私もお茶をご一緒しても、よろしいですかー!?」
眩いばかりのプラチナブロンドをなびかせ、屈託のない天使の様な笑みを浮かべながら、そう告げてきた愛らしい妹にクレアも優しく微笑みを返す。
「ええ、もちろん! でもその前に手を洗ってきなさいね?」
「はーい!」
まだあどけなさのある子供っぽい返事をしたティアラは、そのまま侍女と共に屋敷の中へと姿を消した。
「クレア? 確か今日は僕に大事な話があると言っていなかったかい?」
「いいの。また今度にするから。それよりもイアルは、ティアラとお茶をするのは久しぶりでしょ? 折角だし今日は三人でお茶を楽しみましょう?」
クレアがそう告げると、イアルは優しい笑みを返してきてくれた。
しかしそれはクレアに対してという微笑みではない。
恐らくそれは、これから現れるティアラとのささやかな時間を得られた喜びからだという事をクレアは、そっと悟った。
そんなイアルの様子から、今月中には必ず両親を交えて自分との婚約解消の話を切り出そうと、本格的にクレアは決意を固めていた。
読んで頂き、ありがとうございます!
ちなみにここまでの劇的変化ではありませんでしたが……。
実際、作者も成長段階で髪の色が栗毛色から黒に変わった一人です。(-_-;)