カルチャーショック
その日、グレンは初めて定休日以外の休暇を取っていた。
エアエア王国の首都であるシバの駅へはアグニの駅から夜行列車に揺られること十時間で辿り着く。この大陸中央鉄道は四大国家すべてを繋ぐ唯一無二の路線であり、彼が利用したのはこれが初めてのことだった。
アーニャならばそんなまどろっこしい手段を使わずとも私有飛行機で直接飛んで行くと言いそうなところであるが、彼にとってはこういった電車での旅も悪くはなかった。空調のきいた車内と、座席から伝わる心地よい振動は日常の喧騒を忘れさせ、快適な眠りを提供してくれる。
彼がここまでぐっすり眠ることが出来たのは、実に久しぶりのことだった。
窓から差し込む朝日に照らされながら、グレンはゴシゴシと寝ぼけ眼を擦る。
そのまましばらくの間、彼はぼーっと景色を眺めていた。
見えるのは山ばかりである。しかし長いトンネルに差し掛かり、つかの間の暗黒空間を抜けると、壮大な景色が待ち受けていた。
「大神木、か。まさに神様って感じだな……」
この世界のすべての生命の源と言われる、途方もなく大きな木。
その背は付近の山々を軽く追い越し、頂上は雲をも突き抜ける。
よほど離れていないと全貌を一望することは叶わないとされるが、ちょうどこの位置からだとそれが写真に収めたいほどによく見えた。
“大神木”。
大陸のちょうど真ん中に位置し、すべての国境線が交差する地に根付く、この大木には多くの逸話が残され、同時に神として祀られている。
その根元に建立されたスタジアムは四年に一度、たった大演舞会一日のためだけに解放され、収容人数は百万人とも謳われていた。
――神聖なるあの大木を背にした会場で、アーニャは一体どんなパフォーマンスをするんだろうか……。
グレンはふと思いを馳せ、その本末転倒さに慌てて思考回路を止めた。
妹のことを忘れるためにここまで来たのである。彼は目をつぶり無理矢理二度寝することで、頭の中から厚かましいあの顔を追い払った。
列車は定刻通り、お昼前にはシバ駅に到着した。
駅を降りてすぐに彼を出迎えたのは、優しく包み込んでくれるような暖かく、そして心地のいい風だった。
グレンはそのまま街並みを眺めながら、ホテルへの道を歩いた。
まず目を引いたのは、随所に設置された大きな風車である。
常に風の吹いているこの国では風力発電が主流であり、総電力の八割以上を賄っているという。商工業が発達し、都市化が進んだフレイアと比べると文明レベルは少し劣るものの、彼にとってその澄んだ空気と広々とした街並みは新鮮だった。
時折顔を出す住人も皆のんびりとした顔をしていて、火の民なら誰しもが持つピリピリとした雰囲気は感じられない。
グレンからしてみれば異国と言うより、それはまるで異世界に来たような感覚に陥っていた。
「アーニャは確か、風の民は能天気で飽きっぽいから一向に生活レベルが上がらないんだとか言っていたが、俺は好きだな……」
ひとまずチェックインを済ませると、グレンはライブが始まるまでの小一時間、部屋で休憩を取ることにした。
受付の敬語を使わないフランクな接客にカルチャーショックを受けつつも、それでも彼が不快な気分にならなかったのは社交力の高い風の民の性質ならではであろう。
与えられた個室にて、グレンを堂々たる佇まいで待ち構えていたのは、壁に貼られていたこの国の女王のポスターであった。
エアエア王国女王、クリスティーナ・ブラスト。
彼女こそが前回の大演舞会優勝者であり、今回の大会におけるディフェンディングチャンピオンである。
深緑色のポニーテールを風になびかせ、爽やかな笑顔で両手を広げるその出で立ちは見ているだけで幸せになれそうな愛らしさに溢れている。
そして少し目線を下げれば、彼女の豊満な胸の魅力を見事に引き出している檸檬色の衣装がまたグレンの目を奪った。
一般的に風の民は流行やファッションに敏感であるとされるが、彼は今からこの日の彼女がどんな衣装で来るか、楽しみでならなかった。
グレンがひと風呂を浴び、テレビ放送を適当に流しながらくつろいでいると、すぐに時間はやってきた。