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エンドレスなファッションショー

 アスリートやクリエイターなら誰しもが経験しうる可能性のある恐ろしい病、スランプ。

 グレンの今のこの状態を言い表す表現があるとすれば、まさしくその言葉こそが相応しい。

 納期が目前に迫った手つかずの仕事があるというのに、全く意欲が沸いてこない。

 また形だけ机に座ってみても、まったくもって手が動かない。

 原因は本人にも分かっていた――。彼の妹のアーニャである。


 それは昨日のお昼過ぎ、突然デザイナー仲間の先輩から掛かってきた一本の電話に遡る。

 先輩の命令により半ば無理矢理とあるホテルのホールへ呼び出されたかと思うと、そこで彼を待っていたのは「大演舞会におけるアーニャ女王のドレス選考会」と銘打った妹のファッションショーであった。

 アーニャの指名により審査員を押し付けられたグレンは、その後ひたすら妹のモデル歩きを見ながら服をデザインした先輩方の機嫌を損ねないよう極力無難なコメントをすることに苦労した。

 それが続くこと約四時間。

 選考会は日が暮れるまで長引き、それでいて最後まで審査側の意見が纏まらずに、これといった服は決まらなかった。

 しかし、彼にとっての真の地獄はそこからだった。

 まだ試着していないドレスの山を指差し、アーニャが壇上で口にした一言は以下の通りである。


「デザイナーの皆さん、審査員の皆さん今日はありがとう。あとは私と身内だけで二次会をやって決めるから、みんなもう帰って良いわよ」


 その時点で既に彼は嫌な予感がしていた。

 そしてその予感を確信に変えたのは、彼の家の前に止まった黒塗りのリムジンだった。


「遅かったじゃない兄ぃ、さあ続きを始めるわよ」

「一応聞くが、続きってなんの続きだ?」

「とぼける気? 決まってるじゃない、二次会よ。可愛い私のファッションショーよ」


 グレンは額に手を当て項垂れた。


「悪いが俺にはこれからやらなきゃいけない仕事が山ほどあるんだ。どうしてお前はそうなんでもかんでもこっちの都合も聞かずに巻き込んでいくんだ」

「なによ、いろんなプロの人たちが魂を込めて作った力作を間近で観察できるのよ。この私がデザイナーとしてこれ以上ない経験を積ませてやるってんだから、むしろ感謝しなさいよ」

「一向に頼んでないんだが。そもそも俺に一番を決めるなんて荷が重過ぎるんだよ、お前が個人的に好きなの選べばそれでいいじゃないか」

「いいからいいから。とにかく着替えるから私がいいって言うまで出てってよ」

「ちょっ……。ここは俺の家だぞ!」


 グレンはそれから何十着とアーニャがお色直しをする度、着替え終わるまで外で待たされる羽目となった。

 フリフリの媚びたデザインから、かなり過激な衣装まで、アーニャは実の兄に向かって妙に気取ったポーズを飽きることなく見せつけ続けた。

 応えるグレンは死んだ目で、あくまでも中身ではなく服が可愛いと繰り返した。

 そんな拷問のような二次会は朝まで続き、彼の口からデザインを褒めるボキャブラリーも尽き果てたころ、ようやく彼は解放された。

 しかもそこまでしても結局本人の気に入るドレスは見つからず、一体何がしたかったのか分からない。

 そういうわけで、グレンは現在ろくに睡眠も取れていない状態であり、仕事に身が入らなくて当然なわけである。


「つーか最近、さすがにあいつ絡み過ぎだよなあ……」


 吐き捨てるように、グレンは呟いた。

 そのせいで間違いなく余計なエネルギーを多大に消耗しているし、腰を据えて仕事に取り掛かる時間も確保出来ていない。またそういった焦りが新たなミスを生み出し、ますます負の連鎖へと繋がっている。

 やはりどう考えても、スランプの原因があの妹であるということは間違いなかった。

 彼がこのスランプから抜け出す唯一の方法があるとすれば、それはずばり、妹のことを綺麗さっぱり忘れ思い切り気分転換をすることである。


「兄ぃ~。来てやったわよ」


 相変わらず頼まれていないにもかかわらず、今日もアーニャは元気にドアを叩く。

 無論、今朝ようやく帰ったばかりであるのにこれでは仕事どころか気を休める暇もない。

 溜め息を吐き、グレンは仕方なしにドアを開けた。


「なんだよ」

「なによその不機嫌そうな顔は。可愛い私が来ているんじゃない」

「頼んでない、というのも言い飽きたが。お前なあ、もうちょっと兄貴を休ませてくれよ」

「そう長い間邪魔はしないわ。ちょっとだけ用があってね」

「用……?」

「また嫌そうな顔。宿題見てよ。数学得意だったじゃん兄ぃ」


 惜しげもなくアーニャは鞄からプリントを取り出してみせた。


「いやさ、アーニャよ……」

「なによ」

「学校で派閥作ってるんだろ? お前の信者たくさんいるんだろ? だったらその中で勉強の出来るやつに見てもらえばいいじゃないか」

「駄目よ。そんなことをしたら面子が潰れてしまうわ」

「いや、そろそろ作業に取り掛からないとこっちの面子も潰れてしまうんだが。少しはお兄ちゃんのことも考えてくれよ」

「この量だったらそんなに時間は掛からないでしょ? お願い、兄ぃだけが頼りなの」

「甘えても無駄だ。自分ひとりでやりなさい、宿題ってのはそういうもんだ」

「そう、なら仕方ないわね。演舞会前で大事な時期のこのアーニャ様に宿題なんかを出したバカ教師をママに頼んで解雇して貰おうかしら」


 それはあまりにも卑劣な一手であった。

 グレンの脳裏にあの申し訳なさそうに頭を下げるアカリ教員の顔がよぎってしまった時点で、既に彼の負けであった。


「さすがにハッタリだろうが、お前ならやり兼ねないか」

「さあどうかしら?」

「わかった。俺が見てやるから超特急で終わらせるぞ」

「ふふっ、サンキュー兄貴。兄ぃならそう言ってくれると信じていたわ。そのお礼と言っちゃなんだけど、いいものをあげる」

「いいもの?」


 アーニャがプリントに続いて得意げな顔で鞄から取り出したのはスチール製のポッドだった。

 中には、なんともいえない不気味な色の液体が入っている。


「なんだ、その気味の悪い色……」

「栄養ドリンクよ。調理実習で作ったの。ほら兄ぃ、最近疲れが溜まっているでしょう」


 グレンは知っていた。

 アーニャは普通に料理などは出来ないキャラクターである。

 彼はおそらく面白半分で出来てしまった“ヤバい物”を自分に飲ませて反応を楽しもうとしているのだと悟ると、満面の作り笑いをしてポットを手に取った。


「その、ありがとう。冷蔵庫にしまって後で飲むよ」

「今飲みなさいよ」

「はっ、その手には乗るかよ」

「……は?」

「どうせ変なモノでも入ってるんだろ」

「入ってないわよ! 失礼ね、妹の厚意はありがたく受け取りなさいよ」

「いや。とにかく後でちゃんといただくから。とっとと宿題に取り掛かろう」


 アーニャのレッスンが始まる前になんとか終わらせようと、それからしばらくの間、グレン一人だけが熱を入れていた。

 玄関にて晴れやかな顔で手を振る妹を見送った直後、彼の身を猛烈な虚脱感を襲う。

 これから仕事の作業となると、間違いなく連続徹夜コースである。

 グレンは濃い目のコーヒーを淹れ、ひとまずパソコンを起動させた。

 すると見慣れないアドレスから、一通のメールが届いていた。


「ああ、これ……。当たってたんだ」


 それは異国の地、エアエア王国の女王による、ライブチケット当選メールであった。

 なんとなく気軽に外国に行くための動機として、当時は気が向いたから応募してみたに過ぎなかったが、今やグレンにとって、気分転換には打ってつけの機会である。

 グレンは卓上のカレンダーを手に取り、二週間後の土曜日に小さくマルを付けた。

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