決闘とケーキ
ピンポーン。
ピンポンピンポンピンポンピンポーン!
普段滅多に鳴らないグレンの家の呼び鈴が猛烈な勢いで鳴っている。
この時間帯は学校帰りのアーニャが遊びに来そうな頃合いではあるが、彼の知る妹が素直に呼び鈴を鳴らす筈がない。
グレンは押し売りの類いだとしたら面倒だと思いつつ、徐に覗き窓を覗いてみた。
玄関の前に立っていたのは、予想だにしない人物であった。
「へいへいへい! グレンさんのお宅ッスかァ? つーか居るぅ? 本当はいるんだけど居留守使ってンだろ、なァ? とっとい出て来いやァ!!」
スカジャンにロングスカート。パーマ頭に薔薇の刺繍の入りマスク。
右手の釘バットにそしてなにより既に何人か殺っていそうな凶悪な眼光。
押し売りなんかよりも遥かにタチの悪い、彼にとってなるべく関わり合いになりたくない一人の女性がそこには立っていた。彼女は呼び鈴を鳴らしても反応がないと知るや、今度は豪快に修理したばかりのドアを蹴りはじめた。
ガンッ、ガンッ、ガンッ。
「オラァ! いんだろ!? なんとか言えやァ!」
この人は一体自分になんの恨みがあるのだろうか。グレンが真剣に考えてみても思い当たる節はない。
彼がスケバンに襲撃を受ける理由などまったくもって身に覚えはなかったが、とりあえず今するべきこと
が通報であることは間違いない。グレンが慌てて作業机の上に置いてあった携帯電話を手にした瞬間、スケバンのドアを蹴る音が止んだ。
どうやら今度は外で誰かと言い争いを始めたらしい。
しかもその相手はグレンにとってよく聞き覚えのある声だった。
「遅っせーじゃねぇかアーニャ。待ちくたびれたぞ、アァン?」
「私は時間通りに来ただけであんたが早すぎるのよ。それより、私は兄貴の家の前で待っていろとは言ったけど、ドアを蹴っていいなんて一言も言っていないわよ」
「おめーがあんまり遅せーもんだからお兄サマにちょっと挨拶しよーと思っただけだよ。アーニャさまがお熱とウワサのお兄サマがどんなんか気になるじゃんか」
「ふん、あんたホントいい性格してるわね……」
グレンは扉の前でさすがに反応に困っていた。
一国の女王がスケバンと仲良くしているなど他の国家ならば信じられない話であるが、彼女ならばあり得なくもない話である。
アーニャはスケバンの蹴りよりは少しましな程度の音を立てながら、いつものごとく拳でドアを叩き始めた。
「兄ぃー! いるんでしょー。開けてよー」
グレンは激しく気乗りしないながらもドアを開けた。
「いるよ。ったく、今日はえらいアグレッシブな友達を連れてきたな」
「ハァ? 友達? なに言ってんの、こいつは敵よ」
「……敵?」
その不可解な言葉の意味を考える暇も与えられないまま、グレンはアーニャに袖を掴まれ、力ずくで外に引っ張り出されていた。
アーニャは能力の強さも然ることながら、腕力も強い。
そのままグレンが連れて来られたのは周囲になにもない広々とした河川敷だった。
アーニャはいつの間にやら湧いて出たギャラリーに手を振りながら、悠々と屈伸運動を始めだした。
「ここなら存分に暴れても良さそうね」
「ちょっと待て。どういうことだよ、まずその不穏な発言の意図を教えてくれよ」
するとアーニャは悪びれもせずに答えた。
「だから、ここなら私が暴れても兄ぃの家は吹っ飛ばないってことよ」
「いや、答えになってないぞそれ……」
彼に唯一分かるのはこれから始まるのがろくでもないイベントだと言うことだけである。
スケバンはアーニャを睨み付け、威嚇するかのように釘バットで数度素振りをすると言い放った。
「いいんだなァ? これでアタシが勝ったら学院の真の女帝ってことで」
「どうぞご自由に。どうせ負けないしね」
「ハッ、女王サマが言ってくれるじゃねえか」
驚くべきことに、スケバンもアーニャと同じ女学院の生徒であるらしい。派手な着崩しで分かりづらいが、よく見ると確かにスカジャンの下に校章入りのシャツを着込んでいるのが伺える。
グレンはここでようやく、彼女たちが校内での権力争いで張り合う関係であることを察した。
「兄ぃ、見ていなさい。私が今からリアルファイトで華麗にこいつを叩きのめすところをね」
「いや別に見たくもないし。というか話の流れにまったく付いていけてないんだが」
するとアーニャは得意げに腰に手を当て、言った。
「まったくこの国は面白いわね。ファンや信者が圧倒的に多いなかで、中にはこういう私が気に食わなくて直接喧嘩を売ってくる命知らずな輩もいるんだから。私はそういう奴らに対して、ことごとく真っ向から実力行使で叩き潰し、格の違いを見せ付けることにしているの。それがもっともフレイアの女王らしい、大衆が求める女王像であるからよ」
「ご高説は結構だが、なんで俺にそれをわざわざ見せ付けるんだよ」
「特別に私の強くて可愛いところをたっぷり見せつけてあげるって言っているのよ。勝ったらケーキ奢って貰うから」
「なるほどそれが本音ってわけか」
どうやら好戦的なフレイアの民の女王たるグレンの妹は、喧嘩の強さをイコール可愛さだと思い込んでいるらしい。
一方のスケバンはバットを握りしめ、果敢に気を吐いた。
「いくぞオラァ! 女王狩りじゃああああああああああっ!」
スケバンがバットに炎を纏わせ、一直線に駆け出した。
その瞬間には既に、グレンはスケバンの身を案じていた。
アーニャが繰り出した巨大な炎の竜巻は唸りを上げてスケバンに襲い掛かり、瞬く間に頭から全身を呑み込んだ。
フレイアの民は誰しも炎に対する耐性を持っているが、それも限度がある。やがて煙の中から現れたスケバンの服は下着を残して全て焼け落ち、パーマ頭はチリヂリになり、肌はこんがりと焼けていた。かろうじて息はあるものの、意識は完全に失われている。
大きな拍手に包まれながら、果し合いはまさに瞬殺という結果に終わった。
「んふぅー、美味ひぃー♪」
数十分後。貸切りにしたケーキ家のイートインコーナーにて、アーニャは勝利の美酒に酔いしれていた。
口元に付いたクリームに気付きもしない様子に、グレンは面白いので敢えて指摘しなかった。
「どうよ、私の完全無欠の強さは。かっこよかった?」
「俺は終始あのスケバンの心配をしていたよ。死んじゃいないだろうな、あのスケバン」
「ちゃんと手加減はしたわよ。本気の本気出したら骨も残らないんだから。今なら兄ぃとガチでやり合っても負けないわよ」
「いやいや、俺なんかとうの昔に超えてるだろ。あんな火力ひっくり返っても出せるかよ」
「よく言うわ。小さいころは激しい死闘の末、よく私を泣かしていたくせに」
「そうだっけか? まあ今じゃ死闘になるまでもなく俺の方が昇天するだろうな」
「ったく、妹にここまで煽られてそんな風に流していられるなんて、兄ぃはそれでもフレイア王家の血を引く者なの? 昔は私と兄ぃで最凶の爆炎コンビだったのに、見る影もないわね」
「ほっとけ。お兄様にはお前に見えない苦労がいろいろあるんだよ」
アーニャは実に満足そうに、満面の笑みを浮かべながらティラミスを頬張っていた。
こうして黙って食べている瞬間だけは彼にとって可愛い妹である。
「それよりこないだの給食メニューの件、ちゃんと元通りにしたんだろうな」
「したわよ。だからこうして兄ぃに奢って貰ってるんじゃない。王宮でもケーキは出るんだけど、やっぱりここのは格別ね」
「あのな。金なんて腐るほどあるんだから別に俺に奢らせないでも、一人でいつでも食いに行けるんじゃないのか?」
「分かってないなあ、それじゃ美味しくないじゃない。すみませーん、キャラメルタルト追加で」
「いや食いすぎだろ……」
グレンは遠慮という言葉を知らない妹の傲慢さに頭を抱えつつ、そろそろ財布の心許なさを感じていた。
「食い過ぎって、私が太るって言いたいの? 全然問題ないわ。これからレッスンでたっぷりと絞るんですもの。むしろ必要なエネルギー補給よ」
「いやそういう問題じゃなくてだな」
グレンは正しい意味を伝えることを諦めた。
レッスンとはすなわち、来るべき大演舞会に向けての特訓のことを指す。
アーニャはここ最近、学校とスタジオをひたすら往復する毎日を過ごしていた。
グレンにとってみればその合間にわざわざ自分のところに寄ってくれなくても良いのだが、本人曰く習慣となってしまっていて今さら変えられるものでもないらしい。
「そういや大演舞会まであと三ヶ月だな。女傑と知られる母さんも演舞会の直前は緊張して平常心でいられなかったって聞くけど、この余裕ぶりを見るにその点お前は心配なさそうだ」
「ええ、楽しみで仕方がないわ。自分で言うのもなんだけど、今凄く調子がいいの。向かうところ敵なしよ」
「どうかな。ロゼちゃんも相当練習してるんじゃないか?」
「あんな地味なの、相手にすらならないわよ。私の情熱的なステップに誰もついてこれやしないわ」
「大した自信だな。確かにダンスならお前の右に出るやつなんてそういなさそうだが、お前、ダンスは得意でも歌は苦手じゃなかったか?」
「ふっ、それについてもバッチリ練習して克服済みよ。精々本番で私の歌唱力に度肝を抜くことね」
アーニャは相変わらず口にクリームを付けたまま、自信たっぷりのVサインをしてみせた。
グレンは兄として、そんな彼女を手放しで応援する気持ちにはなれなかった。
「しっかし、お前みたいなのが優勝したら世界がどうなるか本気で心配だな」
「なにそれ。仮にも兄なら素直に妹の応援しなさいよね」
「ふん、俺がしなくても俺以外の全国民がお前のことを応援してるんだからいいだろ」
彼は嫌というほど知っていた。
先程のスケバンのようなごく少数のイレギュラーはいれども、現在この国は嫌になるほどアーニャ中心で回っている。その証拠にこの火のように勝気で我儘な少女をメディアは連日飽きもせずに取り上げ、馬鹿のように祭り上げていた。どこへ行っても挨拶代わりに妹の話題が出るこの風潮をどうかしていると思っているのは国中でただ一人、グレンくらいであろう。
「ところでそっちの仕事の方はどうなのよ。兄ぃのデザインした服着てる人見たことないけど」
「言ってくれるな。まああんまり目立つような服は作ってないからな。それでも新人としては我ながらよくやれてる方だと思うぞ。それなりに洗礼も受けてはいるが」
「洗礼?」
「ああ、ひとつは同業者のライバルたちからの嫌がらせだ。仕事を取れば取るほどそういうのが出てくる。クリエイターってのはそういうのとは無縁だと思ってたけど、火の民特有の闘争心と嫉妬深さはどこへ行っても変わらないんだなってつくづく思うよ」
「ふんっ、そんなの圧倒的な実力で黙らせればいいだけじゃない。嫉妬っていうのは所詮手が届くと思える存在にしかしないんだから。兄ぃが雲の上の存在になっちゃえばいいのよ」
「お前らしい考えだがそりゃお前の理屈だろ。俺にそこまでの力はないよ。そんでもってもうひとつの洗礼はアーニャ、お前の存在だ」
「どういうことよ」
「俺の仕事の評価には結局、どこまでいっても俺がアーニャの兄であるっていう余計な尾ひれが付いちまうってことだ」
「ああそういうこと。まあそればかりは仕方ないわね、宿命だと思って受け入れるしか」
ぬけぬけと口にする妹に、グレンは言わずにはいられなくなっていた。
「俺さ、近い将来外国に移住しようと思うんだ」
「はぁ!?」
「いいかアーニャ。妹の威光に縋って生きる兄なんてあまりに情けない。俺はその情けない自分から脱却したい一心でこの仕事を始めたんだ。デザイナーになったのは偶々その上で、そこそこの才能があったからだ」
「それはもう聞いた話よ」
「しかし蓋を開けてみれば結局アーニャの兄だからと仕事の出来と関係のないところで評価をされ、そのせいで一部から反感を買い嫌がらせを受ける。関係ないとこから面倒事が舞い込んでくる。ぶっちゃけ俺はこれを理不尽だと思っている」
「ていうかなにいきなり語り出したわけ?」
「最近思うんだよ。一切の柵を捨てて、うるさい妹も俺のことを女王の兄だとしか思わない連中もいない、まだ見ぬ新天地で自分の力を試してみたいってな。そんでもってあわよくば、外国人のお嫁さんとかゲットできたらいいなあって……」
アーニャは口を大きく開け、目を丸くして固まっていた。
そのまま、無言の間がしばらく続いた。
「で、その外国ってどこよ? まさかロゼのとこじゃないでしょうね」
「そこまではまだ決めてない。とにかく俺が言いたいのはこんな争いにまみれた生きづらい国、とっとと出て行ってやろうってことさ」
「あっそ、勝手にすれば。愛国心の欠片もない兄ぃがどこに行こうが私の知ったこっちゃないけど、少なくとも演舞会が終わるまでは今後一切そういうこと口にしないでくれる? 国民全体が一丸になって燃えてるって時に、仮にも女王の兄が自国をディスるようなこと言うんじゃないっての」
アーニャはそっぽを向き、露骨に突き放すように言った。
「いやなに怒ってんだよ」
「怒ってない。自分の発言にもそれなりに影響力があることを自覚しろって言ってんのよ」
グレンは知っていた。
アーニャが怒っていないと自分で言うときは怒っているときである。
それよりも周囲への影響を考慮した女王らしい発言が妹の口から出たことに対し、グレンは驚くと同時にほんの少しだけ感心した。
「ねえ兄ぃ」
「なんだよ」
「今度の大演舞会でさ、私の着るドレス作ってよ」
「は? なにを言い出したかと思えば。知っての通り俺はほとんど男物しか作ったことがないし、俺より腕のいいデザイナーなんていくらだっているだろ」
「そうね。言った私が馬鹿だったわ」
アーニャはそう言うと皿に残ったケーキをかき込み、コーヒーを一気に飲み干した。
「とにかく! 大演舞会で私は優勝する! それまでは兄ぃも外国に行く話とかそういう話は禁止! 分かったわね!」
「ああはいはい、分かったから頑張って優勝してくれよ」
その後アーニャはレッスンに遅れるといって慌ててケーキ屋を後にした。
残されたグレンは妹が食べた高級ケーキの請求額を見て、一人肩を落としたのだった。