爆炎纏いし、魂のドレス
小さい頃、城の晩餐会でアーニャはよく踊っていた。
流行りのポップスに合わせ、大人たちの手拍子に乗せられて踊る彼女はにこやかに笑い、そしてなにより気持ち良さそうだった。
グレンはそんな彼女が好きだったし、幼いながらに羨ましいと思っていた。
腰部のリボンとスカートの裾に炎を模した真紅のドレスに身を包み、ステージに立ったアーニャは顔に緊張を隠し切れずにいる。
しかし俯いていたセレモニーの時とは違い、目線は高く保ち、しっかりと前を見据えている。
グレンは思う。
アーニャは今、戦っているはずである。フレイアの全国民から向けられる想像を絶するプレッシャーに、一心に立ち向かおうとしているはずである。
ここまで来たらもうライバルたちのパフォーマンスの出来も、この冷え切った会場の空気も関係ない。
ただ純粋に、練習で培ったものを出す以外になにもない。
そしてそれは言わずとも、アーニャ自身が一番よく分かっているはずである。
アーニャは震えた手でマイクを握りしめ、口元に当てた。
グレンはモニター越しから、そんな妹にエールを送った。
「大丈夫だ。お前はひとりなんかじゃない」
アーニャのドレスの胸元には、あの大神木の涙で出来たブローチが輝いている。
人の思念を吸収すると言われるその宝石に、グレンは妹を応援する彼の気持ちを、ありったけの情熱を込めておいた。
きっとその温もりが今この瞬間も背中を押してくれているはずであろうと、彼は信じていた。
『行くわよ……。“熱風の本気”!』
曲のタイトルコールとともにバンドの演奏が走り出し、アーニャの足が動き出した。右に左に複雑に足を交差させ、飛んだり跳ねたりするこの動きには血の滲むような反復練習の跡が伺える。
表情はまだ硬いものの、入りは決して悪くない。
アーニャがステップを踏むたび、小さな火花が飛び散っていた。
しかし湿ったムードの中、やはり声援は芳しくないようである。
それでも彼女はめげずに懸命に、孤独なステージで舞い踊り続けた。
『通りすがりの情熱と 分かっているのよこれは来た道♪
だけど絶対手は抜かないの 猪突猛進 私のポリシー♪
硝煙のようななにかの予感 嫌いじゃないわ 傷跡疼いて♪
来るなら来なさい そうね あなたは来ないのね♪
覚悟しなさい 火傷じゃ済まない 逃がしはしない 私は本気♪』
ステージが徐々に炎で赤く染まりつつあった。
曲の進行と同時にダンスはさらに大きく激しくなり、それに伴ってエフェクトの火力も跳ね上がっていく。
グレンはその歌唱力に感動していた。
音程を外した酷い歌でお情けの拍手を貰っていた、彼の知る幼い頃のアーニャとは別人の、まるで激しい熱情を直接聴く者の胸に訴えかけるような、熱く凛々しい歌声。
贔屓目なしでも決してソフィア女王に見劣りしない嘘のような歌声を、彼女は披露していた。
『普通の人は付いてこれない あなたはどう? これは熱風♪
遺書は書いたの? 喜びなさい 骨も残さない絶対火力♪
爆発のようななにかの衝撃 悪くはないわ この血が疼いて♪
嫌なら来なさい もう少しだけ 待ってあげてもよくってよ♪
躊躇は無用 問答無用 逃げ道などない 私は本気♪』
いつの間にかフレイア陣営を中心に、アーニャコールが沸き起こっている。
凍てついていた会場の空気は少しずつであるが、しかし確実に温まりつつあった。
だがそれでもグレンが諸手を挙げて喜ぶのはまだ早かった。
彼は知っている。アーニャの本気の炎はまだまだ、こんなものではない。
『まだまだぁー!! 全然ぜっんぜん熱さが足りなぁいっ!! もっともっと、燃えていくわよーーーっ!!』
「よしっ、乗ってきたな」
グレンはこの日はじめて、アーニャの白い歯を見ていた。
刹那、巨大な火炎竜巻がステージのすべてを喰い尽す。全フレイア国民最強にして、唯一の一万度を超える豪炎ははるか天高く、大神木の頂上までも届いた。
この瞬間、炎の女王の全開の情熱は見る者の心を爆発的に加熱し、そして一度に沸騰させた。
「アーニャ! アーニャ! アーニャ! アーニャ!」
会場全体から雪崩のようなアーニャコールが飛び交い始める。
だがしかし、それでもグレンはまだ笑わない。
なぜならこの日のため、アーニャのためだけに誂えた、彼の最高傑作の真骨頂が発揮されるのはこれからだからである。
竜巻の中から姿を現したアーニャは予定通り、お色直しが完了していた。
踊り子の衣装を参考にし、動きやすいよう極限まで露出を高めた彼女のドレスの真の姿は、揺らめく炎そのものであり、身に纏った者の感情の高ぶりに呼応して色を変え、燦然と輝きを放つ。
グレンの思惑通り、アーニャは初見でその特性を完璧に使いこなしていた。
情熱的な腰つきで、誰もが魅入ってしまうほどの振り付けが決まるたび、腰から橙色の炎が翼のように噴射され、地響きのような歓声が沸き上がる。
その声に煽られるようにして、アーニャはさらに激しく羽ばたいた。
「アーニャ! アーニャ! アーニャ! アーニャ!」
「アーニャ! アーニャ! アーニャ! アーニャ!」
「アーニャ! アーニャ! アーニャ! アーニャ!」
まるで全身で喜びを表現するかのように、爆炎の舞は幾度でも狂い咲いた。
歓声を力に変えられるのはなにもクリスティーナ女王だけではない。
グレンはそのことを最初から知っていた。
「そうだ、笑えアーニャ。胸のブローチを通して感じてるんだろ? 百万の、いや世界中の人々から伝わる熱い声援が、お前の背中を後押ししてるんだよ」
グレンは知っていた。
本来のアーニャにとって人の注目はプレッシャーになどなりはしない。彼女には本来、人の夢や期待を背負って行けるだけの器が十分に備わっている。
その証拠にステージ上のアーニャはあの頃と同じ、気持ちよさそうな笑顔をしていた。
そしてそれはつまり、彼がなによりも見たかった光景に他ならなかった。
『熱波は溶かすわ なにもかも♪
とびきりの夢 見たいでしょ なりふり構わず飛んできてよね♪
私は本気 あなたは本気 もういい言葉はいらないわ♪
この一万度は伊達じゃない♪』
一曲目を歌い切ったとき、百万の大絶叫とアーニャの身体は完全に一体となっていた。
もう大丈夫。そんな確信めいた安堵でグレンの心が満たされた瞬間、アーニャはじゃじゃ馬女王の顔に戻り、こんな語りを始めた。
『みんないい感じに熱くなって来たみたいね。でもまだまだよっ! フレイアのみんなは勿論、アストンもエアエアもウォルタも、世界中のみんなをもっともっと熱くさせるんだから!』
「ウオオーーッ!! アーニャーッ!!」
『ところであたしが今着ているドレス、なかなか活かしたデザインだと思わない? これうちの兄貴が可愛い妹の私のために作ってくれたものなんだよねー』
「は、なに言ってんだあいつ……」
グレンは恥ずかしさのあまり、火照った体で控室の椅子を燃やしてしまいそうになった。
無論、彼は妹にこのようなあからさまな宣伝をしてくれなどとは一言も言った覚えはない。
『グレン・プロミネンス! 世紀の天才ファッションデザイナー、グレン・プロミネンスを世界中のみんなお願いするわっ!!』
「ウオオーーッ!! グレン! グレン! グレン!」
『私がいまこうしてステージに立てているのもそのグレン兄ぃが色々と支えてくれたおかげなの。だから二曲目はそんな兄ぃに感謝の気持ちを捧げる歌――届け私の想いッ! 紅蓮の炎!
ある日突然 かがり火はどこかへ行った♪
それがないと進めない 気付かぬうちに消えた炎♪
けれどそれは違ってた 炎はずっと燃えていた♪
燃えろ 燃えろ 燃えたぎれ♪
熱く激しく 燃え上がれ♪
いつも私の胸の奥にある 決して消えない一つの炎♪
間違えても愚かでも その炎を嫌わないで♪
燃えてるあなたが好きだから ずっと見ていたいと思うから♪
燃えろ 燃えろ 燃えたぎれ♪
激しく煌き 燃え盛れ♪
どんな世界の理屈より なにより尊いあなたの炎♪
紅蓮の炎 確かに届いた 私の炎 あなたの炎♪
全部の炎 一つの炎♪
合わさり渦巻き メラメラ燃える♪
燃えろ 燃えろ 燃えたぎれ♪
熱く激しく 燃え上がれ♪
すべてを包んで離さない 私の愛する紅蓮の爆炎♪』
太陽のように目を輝かせ、揺らめく陽炎のなかで回り続ける妹の姿の前に、グレンはなんの相談もなしに自分の名を晒上げたことについては不問にすることにした。
彼はその一瞬一瞬を生涯忘れることのないよう、その勇姿を死に物狂いで目に焼き付けた。




