業火に包まれし家
「お、おおお、お前っ! なに人の作品勝手に修正入れてくれちゃってんの!?」
「うるさいわねえ、ちゃんと消せば元通りになるじゃない」
「そういう問題じゃねえ!」
いくら女王様だろうが、超えてはいけないラインというものは確実に存在している。
グレンはとうとう妹を怒鳴りつけた。
しかしアーニャはまるで反省する素振りを見せないどころか、こんなことまで言い出した。
「というか兄ぃって相変わらず男物の服ばかり作って飽きないわけ?」
「飽きるもなにもそういう仕事なんだよ。というか男物の服だって奥が深いんだぞ、ファッションが女だけの物じゃないってことをお前は知るべきだ」
「じゃあさ、あたしが女性向けブランド立ち上げるから一緒に会社やろうよ。アーニャ様自ら手掛けた服なら馬鹿売れ間違いないだろうし、兄ぃの服の知名度だってもっと」
「言ったな……」
グレンは歪んだ笑みを浮かべ、白紙の紙と鉛筆を手に取った。
そして勢いよくアーニャの眼前に叩きつけ、言いつけた。
「ハッ、そんなに自分のセンスに自信があるなら今すぐお前が一番可愛いと思うドレスを描いてみろよ。俺がお茶を入れて戻って来るまでの間にな!」
「上等だわ。見てなさい」
アーニャは間髪入れずに紙を取り、ふんふんと鼻歌まじりに鉛筆を走らせ始めた。
その様子を見てグレンはほくそ笑み、
「言っておくが売り物になるかどうか、厳しいプロの目で情け容赦なく駄目出しするからな。一生懸命デザインした作品にケチを付けられるあの悔しさ、お前にも味わわせてやる」
「要は文句の付けどころがない完璧なドレスを描けばいいんでしょ。私を誰だと思っているのよ」
「ふん、精々今のうちに強がっておくんだな。その強気な表情が屈辱で歪む瞬間がいまから楽しみだぜ」
デザインのいろはすら知らずに人の作品を上から目線で否定した挙句、数々の舐め腐った発言。
グレンは妹に痛い目を見せないと気が済まなかった。
「あのグレンさん、私の描いた物も見て貰ってもいいですか? プロの方から直接指導いただけるなら私にとってもそれは貴重な経験だと思いますので」
「え? まあいいけど。アーニャと同じく厳しく行くよ、それでもいいなら」
「はい、勿論です。忌憚のない意見をお願いします」
二人は競い合うように手を動かしている。
グレンにとってロゼッタの飛び入り参加は想定外であったらしく、若干返答までに間があった。面目上厳しくとは言ったものの、その口調は明らかに妹のときと違っていた。
彼が二人の分のお茶を入れて戻ってくると、満面のドヤ顔で先に鉛筆を置いていたのはアーニャの方だった。
「出来たわ! どーよ、会心の一作。タイトルは『不死鳥』。お城の大広間に飾られているあのタペストリーをモチーフにしたの」
「どれどれ……。っ!? これは……」
プロの目からしてみれば荒い部分はあるものの、彼女のデザインは彼の思いの外よく纏まっていた。
なによりモチーフである不死鳥の生命力をダイナミックに表現しきったあたりには、非凡なセンスを感じずにはいられなかった。
「どうなのよ。駄目出しがあるなら言ってみなさいよ」
「ま、まあ細かく気になる点はあるが初心者としてはよく出来ているな。お前にこんなクリエイティブな才能があったとは正直驚いた」
「ふふーん。でしょう?」
彼もプロデザイナーの端くれである。腹が立ちはしても、正当な評価を捻じ曲げてでも良いものを良いと言わないわけにはいかなかった。
「兄ぃに出来て私に出来ないわけがないのよ。これで私のブランド立ち上げの話、真剣に考えてくれるかしら」
「いや、それはないな。それとこれとは話が別だ」
「は? なんでよ」
「デザインセンスがちょこっとあるだけでデザイナーが務まるかよ。いいか、デザイナーになるには色彩感覚に素材に関する知識、裁縫技術だって要る。そもそも人の話を聞くのが苦手で飽きっぽいお前の性格でやれるとは思えん。それ以前にお前今、大演舞会に向けてのレッスンでそれどころじゃないだろが」
「ぶぅ」
グレンは全力で否定した。
そもそもアーニャの兄という立場でしか扱われなかった彼が、「グレン・プロミネンス」という一個人を確立したいがために始めた仕事である。
それを今更妹に首を突っ込まれたら堪らない、というのが本音であった。
「あのグレンさん、今度は私の作品も見て欲しいのですが」
「よし、次はロゼちゃんだな。どれどれ……」
「私はテーマとかはないのですが、憧れている大人っぽくて格好いいドレスを目指してみました。まあ、これを私が着ても似合わなそうですが」
グレンはロゼッタの作品を目にし、再び衝撃を受けずにはいられなかった。
胸元が大胆に開いた、セクシーさと上品さを見事に調和させた漆黒のドレス。アクセントのストライプの入れ方やワンポイントのリボンの位置等々、とてもではないが素人がデザインしたものとは思えない完成度である。
「ロゼちゃんって、どっかでデザインの手解き受けたことあったりする?」
「いえ、直接習ったことはありませんが、先ほど申しました通り興味はありまして、いいと思ったデザインパターンなどは普段からメモを取って分析しているんです」
「それで自分なりに引き出しを組み合わせて作ってみました、か。マジかよ天才かよ。女王様ってのはどいつもこいつもハイスペック過ぎるだろ……。うん、普通に凄くいいよこれ」
「お褒めに預かり光栄です。それで、どこか至らぬ点はありましたでしょうか?」
至らぬ点などない。と即答するのもプロとして沽券に関わる気がしたのか、グレンが必死に目を凝らして粗を探していると、
ふとアーニャが横から口を開いた。
「で、兄ぃは私のデザインとロゼのデザイン、どっちの方がいいと思うのよ」
「は? なんでいちいちそんなこと答えなきゃならないんだ」
「いいから。答えなさいよ」
珍しく、真剣な顔である。
グレンは答えた。
「二人ともそれぞれの良さがあると思うし、こういうのは見る人の好みによってだな……」
「そういうテンプレの逃げ口上は要らないっての。単純に兄ぃから見てどっちがいいと思ったか聞いているのよ。ロゼ、あんたも気になるでしょ!?」
「そうですね。グレンさん、はっきりとした判定をお願いします」
「ええ、ロゼちゃんまでもか……うーん」
大演舞会を前にした二人の対抗意識の表れなのか、どうやら彼に逃げ道はないらしい。
グレンはアーニャとロゼッタのスケッチをよく見比べ、贔屓も嘘もない、まごうことなき率直な感想を述べた。
「あくまでも俺の好みとしてはロゼちゃんかなあ」
「やったー、ありがとうございますグレンさん! 私、とっても嬉しいです」
「まあロゼちゃんはその気になればプロでもやれそうなくらいだしな。アーニャのも勢いがあって決して悪くはないんだが……」
「……ぐぬぬ、ぐぬぬぬっ」
アーニャは分かりやすく、顔を真っ赤にして不満を露わにした。
それを見てロゼッタがにやりと笑い、追い打ちを掛けるように口を開く。
「あら、アーニャちゃん泣いちゃったんですか」
「泣いてなんかない! 適当なこと言うんじゃないわよ!」
「ふふっ、そんなに気にすることはないですよ。お兄さんも言っていたじゃありませんか、好みの問題だって。単にグレンさんが私のデザインの方が気に入ったというだけで、世間にはきっとアーニャちゃんの方がいいという方がごまんといますよ。ねえ、グレンさん」
「あ、えーっと……。まあ……」
「うるさいうるさいうるさいっ! 言われなくてもこいつの好みと違ったくらいで私は一ミリたりとも動じたりはしないわよ! おのれロゼ、こうなったらリアルファイトで勝負よっ!」
「ふふっ、アーニャちゃんらしいですね。いいでしょう、受けて立ちましょう」
アーニャは青筋を立てていきり立っている。対するロゼッタも涼しい顔をしながらも内に秘めた闘志を匂わせている。
つまりは、一触即発の空気である。
グレンからしてみればこれは堪ったものではない状況である。
爆炎と砂岩。一国の女王クラスである二人の能力の激突となれば、巻き添えになるであろう彼の家は更地になってもおかしくはない。
「あんたのそのスカした態度が気に食わないっての! 骨一片も残さず消し炭にしてやる! 地獄の業火に焼かれて死ねっ!」
「お、おいアーニャやめろ。落ち着けって」
グオオオオオオオッ!
兄の声など聞き入れる様子もなく、アーニャの右手から勢いよく炎が噴き出した。
仕方なしに、グレンは咄嗟に最強の呪文を口にした。
「あー! そう言えば冷蔵庫にケーキがしまってあるんだったー! 今からみんなで食べようぜ!」
「ケーキ!? ケーキですって!?」
一瞬にしてアーニャのつり上がった眉が下がり、炎が消えた。
「ほら、いちごのショートケーキにチョコレート、チーズケーキにモンブランもあるぞ」
「チョコ! 私チョコ! ていうかケーキがあるなら最初からお茶と一緒に出しなさいよね」
「悪い悪い、忘れてたんだよ。ほらロゼちゃんもどうぞ」
「……あ、はい。ではチーズケーキを頂戴します」
ロゼッタはアーニャのあまりの豹変ぶりに引いているようである。そう、アーニャは甘いもの、特にケーキには目がないのである。
満面の笑顔でチョコレートケーキを頬張るアーニャを眺めながら、グレンは万が一のために冷蔵庫にケーキを備えておいて良かったと安堵しつつ、口にした。
「いいかアーニャ、暴力はよくないぞ。考えてみろ。あそこでお前が炎をぶっ放していたらこのケーキだって丸焦げになっていたんだぞ」
「ふ、ふん……。命拾いしたわねロゼ」
「命拾いですって? そうでしょうか。あのままやり合っていたとしても、私ならアーニャちゃんがガス欠するまで無傷でいられましたよ?」
「なにぃ!? 私の力を舐めてんのそれ」
「こら、ロゼちゃんも蒸し返すなって。ロゼちゃんがどんな強い能力を持っているのか知らないけど、うちの妹だってキレたら相当やばいんだぞ」
「ふふ、グレンさん。私の体の好きなところを触っていいですよ」
「え……?」
グレンは耳を疑った。
ロゼッタの笑顔はなにを考えているのか分からない独特の恐怖を秘めている。困惑した彼が妹に目線で助けを求めると、アーニャは口をパンパンに膨らませたまま肩をすくめた。
「ロゼは兄ぃに自分の能力を見せびらかしたいのよ。胸でも尻でも、好きなとこ触ればいいじゃない。まあ私なら真っ先に目ン玉潰しにいくけど。あー、ケーキうまっ」
「好きなところって言ってもな……。じゃあ」
「そこでいいんですか?」
「ああうん。ここで……」
グレンの手がロゼッタの左前腕の辺りに触れる。
ぷにぷにとした少女の腕の柔らかい感触が、普通だったらするはずである。
「あれ? なにこれ、硬っ!? カッチカチじゃないか!」
「アストンの民は皆、このように体を自在に石化させる能力を有しています。石は耐熱性に優れ、熱しにくく冷めにくい。特に女王の私はより上質な石になれるので何千度もの高温にさらされても無事なのですよ」
「へぇ、そりゃすごいや。アーニャはともかく俺の炎じゃ通用しそうもないな」
「この全身石女は学校でも柄の悪いのによく絡まれてるけど、このすました顔が乱れたことは一度だってないのよね。けど、私の炎はそこらの雑魚とは格が違う。本気になればあんた程度軽く焼き払えるんだけどね」
「本気を出したことがないのはお互い様です。例えば私にはほら、さらにこんな能力だって」
ロゼッタが指を鳴らした瞬間、グレンにとってはまこと恐ろしい事態が起こった。
パキパキと音を立てながら彼の右手は急速に石化し始め、あっという間に彼は肩のあたりまでの感覚を失ってしまった。
「……えっとロゼちゃん? 洒落になってなくないコレ?」
「このように私は触れたモノを石化させる能力も持っています。完全な石化は五分ほどで完了し、アストンの民以外の人間はその瞬間に絶命します」
「し、死ぬ!? 冗談じゃない、冷静に説明してないで早くなんとかしてくれよ!」
「ご安心ください。これはただのサプライズ演出です、勿論すぐに解除しますので。そして触れたモノでなくてもこのように集中して数秒間見つめることで対象を砂化することも可能です。ほら、この通り」
ロゼッタが例として選出したのはよりにもよってアーニャの食べかけのケーキであった。
そしてこれが、大惨事の引き金だった。
「ロゼェ……。あんた、よくも私の最大の楽しみを砂の味で台無しにしてくれたわね……」
「あ、アーニャちゃん……?」
ゴゴゴゴゴ……。
いつの間にやらアーニャの髪が逆立ち、炎の竜巻が巻き起こっている。
こうなってしまったアーニャを止める術がないことはグレンが一番よく知っていた。
つまり、完全に手遅れである。
「ごめんなさいっ、やり過ぎたことは認めます! でもほら、こうして一瞬にして元通りに……だから落ち着いて」
「ふ・ざ・け・ん・なぁぁぁあああ!!!」
爆炎がすべてを呑み込み、グレンの城は一瞬にして灰塵と化した。
最強にして最凶、泣く子も黙る傍若無人のじゃじゃ馬女王。
それが彼の妹、アーニャ・プロミネンスの通り名である。