全世界が注目する日
何十億もの人々にとっては夢の大舞台。
しかし当事者にとっては決して避けることの出来ない宿命の大舞台。
フレイア国内の新聞の一面は、どこもまるでアーニャの優勝が確定したかのようなポジティブな内容一色に染まっている。
グレンは昨夜、会場のスタジアムを下見した時、そのあまりの巨大さに腰を抜かした。
彼の現在の心境を一言で言い表すなら、まさしく「胃が痛い」に他ならない。
身内の彼ですらこの有様なのだから、当の本人が感じているプレッシャーを想像すると計り知れないものである。そんな妹の不安をさらに煽ってしまわないためにも、彼は少なくともアーニャの傍にいる間だけは平静でいるふりをしておこうと心に決めていた。
「……なんで兄ぃがガチガチに緊張してんのよ」
「は、緊張なんかしてねえよ。アーニャお前どこに目ついてるんだよ」
「嘘おっしゃい。目線と汗でバレバレよ。それよりどう? 似合っているかしら」
関係者控室に姿を現したアーニャはフレイアのイメージカラーである、赤黄黒の三色を基調とした、チェック柄のジャケットに身を包んでいた。
胸に煌めく国章を象ったバッジを一目見れば、彼女がフレイア王国の代表者であることがわかる、よく計算されたデザインである。
「さすがだな。さすがは世界的巨匠ドン・クチュール」
「こら、デザイナーじゃなくてあたしを褒めなさいよ」
「まあその……悪くはないと思うぞ」
面と向かって褒めるのが照れ臭いのか、グレンは控えめな表現しか口にしなかった。しかし現在彼の目の前にいるアーニャは誰の目から見ても間違いなく凛々しく、女王たる風格を備えていた。
なおこの衣装は四大女王すべてが同時に同じステージに立つ、オープニングセレモニー用のものであり、他の女王たちも共通したデザインのものを着用することになっている。
只今の時刻は開演三十分前。
そろそろ他の女王たちもこの控室に姿を見せてもいい頃合いであるが、現時点では一番乗りの彼ら以外誰もいない。
「アーニャ、トイレは済ませたか?」
「レディにその質問は失礼だわ。一応ちゃんと行ったわよ」
「当たり前だけど、さっき応援の挨拶に来た人たち各界の重鎮ばかりで凄い顔ぶれだったな」
「女王なんだからそんなの慣れっこよ。なに一般人みたいなこと言ってるのよ」
「……バナナ、食うか? 持って来てるぞ」
「いらない。どうせならケーキにしなさいよ」
「緊張したときは手のひらに人って書いて呑み込むといいらしいぞ……あれ、人じゃなくて米だっけ?」
「そんなの迷信でしょ。そもそも緊張してないし、いまさらそんな次元でもないっての」
「そうか……だよな……」
アーニャの方がよほど落ち着いているようであると、グレンは少し安堵した。
しかし一度本番が始まってしまえば、彼はもう見届けることしか出来なくなる。
その前になにか伝えておくべきことはないか、その一言をグレンは必死になって探していた。
「あ、そうだ! ドレスのことについてなにか質問とかあるか? 言ってくれればなんでも答えるぞ」
「今更なにを言ってるのよ。もしあるなら、試着したときにとっくにしてるわよ」
「まあそれもそうだよな、えっと……」
「兄ぃ」
「なんだ?」
「さっきからごちゃごちゃとうるさいわ。少し集中したいから黙ってて」
「お、おう」
無言の時間が続くにつれ、ピリピリとした緊張感が徐々に室内を満たしていく。
自ら進んでここに居ようと決めたはずであるにもかかわらず、グレンの足は早くもこの空間から逃げ出したいかのごとく足踏みをしていた。
ガチャ。
と、ここでドアが開き、二人目の女王が現れた。
付き添いの女性とともに姿を見せたのは、青系のジャケットを着用したソフィア女王である。
彼女は相変わらず血圧の低そうな顔で椅子に座ると、おもむろに雑誌を手に取った。
無論、あの振られた日以降、グレンが彼女の顔を見るのはこれが初めてである。グレンは万が一にでも目が合わないようにと、反射的に視線を外した。
しかし一方のソフィア女王はそんな彼にはお構いなしな様子で、淡々と活字を目で追っていた。
「来たわねソフィア! よくも私の兄貴をフッてくれたわね!! 今日私は兄ぃのデザインしたドレスで、あんたをぶっ潰す!!」
瞬時にして、グレンの背筋が凍り付く。
アーニャは大胆にも、ソフィア女王の顔面を指差していた。
「……そう」
本から目を離さずにソフィア女王は答えた。
まさかの宣戦布告。しかもこれだけの大口を叩いた割には、アーニャの足は生れたての子鹿のようにプルプルと震えている。
グレンからしてみれば震えるぐらいなら最初から言うなと言いたいところであるが、同時に彼の口元にはどこか吹っ切れたような笑みがあった。
ガチャ。
再びドアが開き、これまた付き添いの女性とともに三人目の女王が現れた。
次に顔を見せたのはロゼッタである。
トレードマークのおさげ髪とベレー帽は普段と変わらないが、彼女もまた先の二人に負けず劣らず黄色系統のジャケットがよく似合っていた。一瞥すらもなかったソフィア女王とは対照的に、彼女はすぐにグレンたちに会釈をした。
「アーニャちゃん、グレンさん御機嫌よう。今日はいい勝負をしましょうね」
「腹の内じゃちっともそう思ってないって顔してるわね」
「ふふふ。私は今日この日のために、緻密かつ合理的な計算に基づいた、抜かりのない準備を入念にして参りました。確固たる自信はありますよ」
「ふん、いかにもデータ頼りの噛ませキャラみたいな台詞ね。悪いけどあんただけには絶対に負けないから」
「あらいい表情ですね。いまから力比べが非常に楽しみですが、その前に四大女王合同のオープニングセレモニー、きちんと成功させましょうね」
「言われなくても分かってるわよ。あんたこそ足引っ張るような真似しないでよね」
いつもと変わらない、もはやグレンが見ていて安心感すら覚えるいがみ合いである。
アストン王国には古くから伝わる伝統舞踊が存在し、代々のアストン女王たちはこれまでの大演舞会において、多少アレンジを加えながらも基本的に同じものを披露してきた。
おそらく今回のロゼッタもそれに倣ったスタイルで来る筈である。その際に着用される振袖という美しい着物が彼女をどう彩るのか、グレンは今から楽しみでもあった。
ロゼッタはソフィア女王にも軽く一礼をすると、用意された座席の上で座禅を組み、静かに瞑想を始めた。
噛ませ呼ばわりをされたにもかかわらず、そこから漂うのは紛れもない強者の風格である。
ガチャ。
三度ドアが開き、最後に満を持してクリスティーナ女王のご登場……。と思いきや、顔を見せたのはお揃いの黒スーツを着た男たちだった。
「クリスティーナ陛下! いらっしゃいますか!」
「くそっ、ここにもいないか。まったくどこ行っちまったんだこんな大事な時に」
「まさか本気でサボる気かあのフリーダム女王!」
「時間がない。とにかく会場をしらみつぶしに探すぞ」
ドタバタと慌てて走り去っていった彼らの汗ばんだ顔から、その深刻さが伺える。
大演舞会を女王が無断欠席した例など、過去の歴史において一度も存在しない。あの気紛れな女王ならばそれでもないとは言い切れないが、洞窟でのあのやる気に満ちた顔を見たグレンからすれば、それはどうにも腑に落ちなかった。
「ロゼ。もしこのままクリスが時間までに来なかったらセレモニーどうするのよ?」
アーニャもさすがに気になるのか、少しばかり眉に皺を寄せていた。
「エアエアに代理の方を出して貰うか、さもなくばクリスティーナさんを抜いた私たち三人でやるかですね。その判断は運営が下すでしょうが、なにしろ前代未聞のことなので難しいでしょうね」
「まったく、いくらプレッシャーがあるからといってバックレだけは女王としてあるまじき行為だわ。フレイアじゃお天道様の下を歩けなくなるわよ」
「アストンだってそうですよ。クリスティーナさん、自由奔放な方だとは思っていましたがこれはちょっと予想外の展開ですね。まあ私たちは気にせずベストを尽くしましょう」
二人とも表情に戸惑いの色を見せるなか、終始無言のソフィア女王だけは顔色一つ変えず、まるで他人事のようにページを捲っていた。
「あ、あの……みなさん、そろそろスタンバイの方お願いしますっ!」
若い女性の運営スタッフが上ずった声で合図を告げると同時に、三人の女王が一斉に立ち上がる。
いよいよ時間である。
「アーニャ、その……」
「落ち着きなさい。ただのセレモニーよ。終わったら一旦ここに戻って来るから」
「あ、ああ。そうだな」
「だから緊張し過ぎだってば。兄ぃはそこのモニターでせいぜいセレモニーの様子を高みの見物でもしていればいいわ」
三者三様の表情を浮かべながら、女王たちは控室から出て行った。
彼女たちがしのぎを削る、熱くて長い一日が、遂に始まろうとしていた。




