お気楽フリーダムお姉さん
洞窟内部は暗くて先になにがあるのか分からない。
だからこそグレンは恐怖に呑まれないよう、逐一声を出していた。
「喰らえ! 六千度の炎! うおおおおおおっ!」
もう何度目か分からない灼熱の炎が周囲を焼き尽くす。グレンは能力を目一杯駆使しながら、少しずつ奥へと進んでいった。
狭い隙間に体が挟まって身動きが取れなくなってしまったときには、高熱で周囲の岩を溶かして道を切り開いた。通路に突然水が押し寄せてきたときには、それら全てを蒸発させることで事なきを得た。そして蝙蝠の大群に襲われると、それらを跡形もなく焼き払った。
このように完全なるごり押しではあるが、なんとか前進出来てはいる。
この調子ならば時間は掛かれども目的のポイントに辿り着くことは可能であろう。
グレンの足取りは、軽くなり始めていた。
「案外俺って洞窟探検の才能あるのかもな。よーし、待ってろアーニャ!」
意気揚々と見得を切ってみせた、そんな時だった。
暗闇の中から、ガサッという大きな物音がした。
グレンが振り向くと、ヘッドライトの光に照らし出されているのは、なんと成人男性ほどの大きさの巨大なゴキブリの化け物である。
「いや嘘でしょ!? こんな餌もなさそうな洞窟で、ここまで大きくなる?」
しかも信じ難いことに、巨大ゴキブリは一匹だけに止まらなかった。
奥の穴から続々と仲間たちが顔を覗かせ、あっという間にグレンを取り囲んだ。
ざっと十匹以上はいるだろうか。それらは黒光りする体をしきりにグレンに見せつけながら、まるで餌を前にしていきり立っているかのように長い触覚と口をピクピクと動かしている。
「……くっ、こうなったらあれをやるしかないのか」
こんなこともあろうかと、グレンにはこういった事態を想定した備えがあった。
彼は素早くリュックから“ハイパーバズーカ”と名付けた飛距離と連射性に優れた特注の水鉄砲を取り出すと、がむしゃらに乱射した。
その銃口から飛び出た液体の中身は、ただの水ではない。
「灰燼に帰すがいいっ! 喰らえっ、必殺のビッグバン・ヘルファイアっ!!」
着火。瞬く間に一面が炎で包まれた。燃えているのは可燃性の液体である。
さらにグレンは今度は純粋な水の入ったもう一丁の水鉄砲を取り出すと、間髪入れずにその炎に吹きかけた。
バァアアアアン!!!
炎は一気に盛大な大爆発へと変化した。
これぞ"ビッグバン・ヘルファイア"という名の、水蒸気爆発攻撃である。
爆風はゴキブリたちを一匹残らず、跡形もなく消し去った。
「ははははっ、ざまあないな! Gごときがこの俺に立ち向かうなんて百年早いんだよ!」
炎に包まれながら豪快に笑う彼を止めるものは誰もいない。
かに思われた、その瞬間。
突如、グレンの背後から吹きすさんだ強烈な風が一瞬にして炎を掻き消した。
四方を岩盤に囲まれたこの洞窟内においてこのような風が自然に吹くことなどあり得ない。しかもビッグバン・ヘルファイアを鎮火させてしまうほどの強風となれば尚更である。
「洞窟で爆発を起こして笑うあやしい男を発見。職務質問を敢行しますっ!」
それはグレンがいつぞやのライブステージで耳にした、底抜けに明るい声だった。
「く、クリスティーナ女王っ!? どうして!?」
「そういう君はフレイアの人だねえ。しかもこれだけの炎の使い手となると女王クラスに近いレベルだ。もしかして君、王族の血を引いてたりするのかな」
「ええまあ。一応アーニャの兄ですが」
「あはっ、やっぱりそうなんだー。こんなところで会うなんて奇遇だねえ」
奇遇などというどころの話ではないはずである。
グレンはあまりの展開に思考が追い付かなかった。
クリスティーナ女王は短パンにティーシャツ、装備は手にした懐中電灯だけという洞窟探検にあるまじき軽装をしているが、全身にまとった空気の膜がバリアのように彼女の身を守っていた。
「それはそうと、今の爆発はやりすぎだと私は思うな。君ほどの力ならこんな爆発起こさなくたって進めたはずでしょ? ゴキブリさんが実際に襲って来てからでも十分対処出来たはずなのに、過剰防衛もいいところじゃないかな。ゴキブリさんが可哀想だよ」
「そうは言いますがね。アイツらは明らかに俺を襲う直前でしたよ。それになにより気持ち悪いし、可哀想と言ったって虫に感情はないですし、いいじゃないですか」
いくら女王とはいえ、ゴキブリを擁護するような発言に彼は同意しかねた。
同昆虫は彼が全世界中で、もっとも嫌いとする生物である。
「あたしはむやみやたらに自然を破壊するのはよくないって言ってるんだよ。この辺にはもう神聖な大神木の根っこが張ってあるんだし、生態系を乱すようなことは女王として見過ごせないね」
「いや、それは……。すみませんでした。俺が間違っていました」
「まあ分かればいいんだよー。って、そんなに凹むことないじゃん。顔上げてよー。あーあ、言いすぎちゃったかな。外国の人だからちょっと女王っぽいこと言って偉ぶってみただけなんだけど」
「……そうなんですか?」
「ほら、袖振り合うも他生の縁って言うじゃない? アストンのことわざだっけ? まあせっかくだからこれから一緒に行こうよ、女王と二人きりで洞窟デートできるなんてそんな機会普通ないよ?」
グレンは彼女の言っていることの意味が分からなかった。
そもそも女王でありスーパースターでもある彼女が、なぜ一人でこんな場所に来ているのか。
その時点でまったくもって理解不能だった。
「ええっと、とりあえずひとつ聞いていいですか」
「いいよ、お姉さんになんでも聞いて頂戴な」
「クリスティーナ女王はなぜこの洞窟に?」
「いやー、スタッフと一緒に大演舞会の会場視察に来たんだけど飽きちゃってさあ。ここを探検した方がスリルがあって楽しいかなあって思って。ほら、最深部には大神木の涙の原石があるっていうし気になるじゃない?」
クリスティーナ女王はさらりと言ってのけた。
「いや、急に女王がいなくなったりしたらスタッフの方が心配しないですか?」
「大丈夫だよ。いつものことだからね」
クリスティーナ女王はペロリと舌を出し、あざとくウインクをしてみせた。
フレイア以上に女王のお守りに苦労する国家が存在したことが、グレンにはただただ衝撃だった。
「まあ俺も目的は大神木の涙ですし、女王がしばらく行動を共にしてくださるというのなら心強いことこの上ありませんが……」
「本当? よーし、それじゃあ行こう! れっつらごー」
こうしてグレンは急遽、彼女と一緒に洞窟を進むこととなった。
しかし、
「なんていうかさ、飽きちゃった」
「えっ」
「だから飽きちゃったって言ってるんだよぉ。洞窟探検って言っても結局同じ景色がずっと続くばっかじゃん。爽快感がないっていうかさ。あー、もういっそのこと最深部まであたしの能力でびゅーんと飛んでっちゃおうかな」
「いや、少なくともこの地形じゃ無理そうですよね」
「むぅ、自分で来ておいてなんだけど退屈だよー! あ、そうだ。一緒に歌おっか」
「……歌うって、俺もですか?」
「そ、一人で歌うよりみんなで歌った方が楽しいじゃん。君、あたしのライブで感動したって言ってたよね。一緒に歌える機会なんて滅多にないんだぞ」
グレンは眉間に皺を寄せた。
「それはそうかも知れませんけど。俺、歌なんて歌ったことないですし」
「フレイアの小中学校じゃ歌の授業とかやらないの? 童謡とかでいいからさ、うたおーよー。ほら復唱してみて、うさぎぴょいぴょいぴょぴょいのぴょい♪」
「う、うさ……。もう! 結構ですって!」
「もう、ノリが悪いぞー」
風の女王の奔放ぶりはどうやらグレンの予想を遥かに上回るものであるらしい。
このように終始彼女のペースに振り回されっぱなしのグレンであるが、それでもその屈託ない笑顔を見ていると、彼はどうしても彼女を憎む気にはなれなかった。
「この辺はもう大神木の根元に近いから、あたしたちが楽しく歌えばきっと喜ぶと思ったんだけどなあー」
「大神木が喜ぶ? それってどういう意味ですか」
グレンが尋ねたのはなんとなく、ただ流れに乗ったまでである。
しかし話しはここから、思いがけない方向に加速した。
「そのまんまの意味だよ。大神木は四大元素のすべてを司る、この世界の神様にして完全なる存在。完全ってことはさ、裏を返せば凄くつまらないってことじゃん? だから大神木は世界を面白くするためにあたしたちを作ったし、常々楽しいことを求めてるんだよね」
「神話の話、ですよね。大神木がこの世のすべての生命の源で、この木が俺たちの先祖を作ったって話は有名ですが」
「正確にはゼロから作ったっていうより元々完全だった自分の要素を四つに割って、あえて不完全な分身を作ったんだけどね。そんでもって大神木の本体は、今も昔も変わることなく、ずっとここで愛すべき分身たちの行く末を見守ってるんだよ」
平然と口に出されたのはグレンの知らない、恐らくは女王にしか知り得ない情報であった。
「なんでそんな回りくどいことを。ありがた迷惑ですよ。その不完全さのせいで苦しんでいる人間だっているっていうのに」
「例えば君みたいに?」
「ええまあ。俺だけじゃないと思いますが」
「不満なら大神木に直接言ってみればいいじゃない? ここの最深部なら君の声も届くかも知れないよ?」
「……考えてみます」
するとクリスティーナ女王は軽やかに微笑み、こう言った。
「大神木はさ、不完全だからこそ寄り添い合い、時には争ったりもするあたしたちがちょっとだけ羨ましいんだよ。神様って孤独なんだよね。だから四年に一度、あたしたちに演舞会を開かせて、その寂しさを紛らわせてる。知ってた? それが大演舞会の本質なんだよ」
「あの、クリスティーナ女王」
「なに、やっぱり歌いたくなった?」
「なってません。以前ある女性があなたのことを、達観していると言ってるのを聞きました。それがなんか、納得出来るような気がします」
「達観とは違うかな。あたしは自分のやりたいように生きてるだけの、ただのお気楽フリーダムお姉さんだよ。ただ、大演舞会を優勝した女王には大神木の世話をする役回りが与えられるから、ちょっと色々知ってるってだけ」
そうは言いながらも、彼女の言葉の端々からは余裕の二文字が漂っている。
話せば話すほどに、グレンは風の女王の底知れぬ大物ぶりを感じずにはいられなかった。
「ていうか、あたしのことを達観してるとか言ったのってソフィアじゃない?」
「え、分かるんですか?」
「分かるよー。あの子とは仲良いつもりだからね。向こうはどう思ってるか知らないけどさ、あたしは少なくとも友達だと思ってるよ。ふふっ、聞いたよ? 君、あのソフィアに果敢にも告白したんだって?」
「なっ!?」
「どうしたの? 露骨に萎えた顔して」
「いやまさかこんなところまで黒歴史が知れ渡っていたとは思いもしませんでしたから」
グレンはこのとき密かに二度と他国の女王に告白などしないと心に決めた。
「あの子ってさ、歌はすっごく上手いんだけど、ちょっと悲観的過ぎるとこあるじゃない? まあそれも個性って言ったらそれまでなんだけど、あたしはもう少し気楽に構えたらいいのにって思うんだよねえ」
「それはなんとなく、俺も思いますけど」
「でもあたしがいくら言ってもあの子の心には届かなくってさ。だからあたし、君が熱心にあの子にアプローチしてるって聞いたとき、あの子本人はウザいような顔をしてたけどちょっと期待してたんだよね。君の炎ならもしかして、あの子の冷え切った心を温めてくれるんじゃないかって」
「すみませんね。ご期待に添えられなくて……」
「いやいや、勝手に変な期待をしたあたしが悪いんだよ。まああの子にはきっとあたしたちの見えないものがはっきりと見えてて、あたしたちの言葉なんてアホらしく聞こえちゃんだろうね」
「クリスティーナ女王」
「ん?」
「俺の炎では届かなかったかも知れません。でも」
「……でも?」
グレンは胸を張って、言ってやった。
「もしかしたら大演舞会でアーニャが代わりにそれをやってくれるかも知れませんよ。俺は今、そのためにここにいるんです」
そう、少なくとも彼が現在手掛けようとしている一着は最強の熱量を持つアーニャの炎を、間違いなくさらに熱く燃え上がらせる至極の品である。
「ほほう、いい目だねえ。なら、アーニャちゃんには期待しちゃってもいいのかな」
鋭い風切り音とともにクリスティーナ女王の全身を纏った風が、さらに激しく渦巻いた。




