アーニャの本音
「とまあつまりはそういうことです」
「え……」
グレンは言葉が出なかった。
まさかとも思わなかった事態に、どう反応したらいいのか分からなかった。
兎にも角にも彼の心の内に真っ先に渦巻いた感情は、なぜ自分は蚊帳の外なのかという強い不満であった。
「それは確かな情報なのか? にわかには信じがたいんだけど」
「嘘だとお思いでしたらご自身の足で確かめてみては? 逆に聞きますが、なぜグレンさんは今までアーニャちゃんに一言も声を掛けてやらなかったんですか」
「それは、いやだってあいつに限ってまさかそんな風になるだなんて思わないし……。そもそも気まずいし」
「気まずいと言いますと、もしや喧嘩でもされたのですか?」
「振られた時にちょっと強く当たっちゃったんだ。もう二週間も前のことだけど、言い過ぎたとは思ってる」
「なるほど。原因はそれですね」
ロゼッタが腑に落ちたと言わんばかりに頷く。
一方のグレンはそれの意味するところは理解出来たものの、咄嗟に受け入れることは出来なかった。
「ははは……いや原因はそれって、実際そんな馬鹿なことがあるかな?」
「と、言いますと?」
「アーニャの神経の図太さはロゼちゃんだって知ってるだろ? あいつは女王様で、国中のスターなんだ。黙ってても国民皆がアーニャをちやほやするんだよ。俺みたいな有象無象にちょっと言われたくらい、どうってことないんじゃないか?」
「はぁ。グレンさんはまるで分っていないのですね」
ロゼッタは突き放すように言った。
その失望したような声が、グレンの心に突き刺さった。
「グレンさんの思っているほど女王という立場は気楽なものではないですし、アーニャちゃんは強い子でもないですよ」
「どういう、こと……?」
「女王は生まれながらにしてその宿命から絶対に逃れることはできません。どんなに嫌でも、降りて別の人生を歩むことは許されないのです。グレンさんはアーニャちゃんがちやほやされていると言いましたが、国民全員から理想の女王像を押し付けられ、大演舞会での勝利を期待されることのプレッシャーを考えたことがありますか?」
「いや、それは……」
グレンが言葉に詰まる。
アーニャに限ってそれはない、と彼は言いたかった。
周囲が天才だ、優勝確実だなどと持て囃すたび、アーニャは気を良くして図に乗るものだとばかり、彼は思っていた。
「大演舞会での勝者は一人です。四大女王は誰もが魅力に溢れ、簡単にはいきません。ところが民衆というものは勝手なことを言うものです。過度な期待をするものです。それはどこの国でも同じでしょう。そして女王は、それらの期待に答えなくてはならないのです」
「いやでもあいつはアーニャだぞ? 人から注目されるのが好きで好きで堪らない、ナルシストの塊みたいなやつじゃないか」
ロゼッタは首を横に振る。グレンの表情が硬直していく。
「もし自分が大演舞会でその期待に全く応えることなく惨敗したとしたら……。アーニャちゃんもきっと考えたことがあるはずです。察するに、そうなった場合フレイアの民は手の平を返して猛烈にアーニャちゃんを叩き始めるのではないでしょうか」
「それは、想像がつくけど」
彼の前でアーニャはこれまで、そういった不安を見せてこなかった。
憎たらしいほどに勝ち気満々の笑顔こそが、グレンの中でのアーニャの顔だった。
「私が見るにアーニャちゃんは不器用な子です。クリスティーナさんほどいい意味でいい加減でもなければ、ソフィアさんのように絶望に身を委ねて楽になることもできない。そして私のように理屈で塗り固めて感情を処理する術も持ちません。だからアーニャちゃんは強がるしかなかったんだと思います。あらゆるプレッシャーに負けないように、強い自分を演じるしかなかったんだと思います」
「アーニャが、そんな……」
グレンは胸に手を当てて考える。
どんな否定の言葉を探して言い聞かせようとしても、それはもはやただの悪足掻きでしかなかった。
追い討ちをかけるように、ロゼッタは口にした。
「そんなアーニャちゃんにとっての唯一の心の拠り所が、グレンさんだったんだと思います。女王としての責務から解放され、ただの妹として甘えられるこの場所が」
「……俺はそんなアーニャを、突き放したってのか」
「アーニャちゃんがお兄さん想いなのは常々感じていました。だって、グレンさんの話をするときのアーニャちゃん、嬉しそうでしたもの。国を出て、自分を置いて好き勝手しようだなんていうグレンさんを薄情者だなどと罵りながらも、羨ましそうに、そして誇らしげに語っていました。多分アーニャちゃんにとっては自由にできるグレンさんが眩しい存在で、だからこそ自分では掴むことのできない幸せを手にして欲しかったんだと思います」
「アーニャ……」
後悔の感情が、グレンの身にどっと押し寄せる。
思えば彼の記憶する幼い頃のアーニャは元々そこまで気の強いタイプではなかった。
それが成長するにつれて生意気さが増していき、てっきり彼は周りに乗せられて変わってしまったのだとばかり思っていた。
「俺は、とんでもない勘違いをしていたのかもな……」
グレンは思い返す。
アーニャは偉そうな態度をしながらも、いつも彼のことを応援してくれていた。
怒って家を半焼させたときもグレンにとって本当に大切なものだけは焼かなかったし、ドレスの選考会で審査員をやらせたのも、彼女なりに彼に勉強の機会を与えるつもりであったはずである。
そして彼が国を出ていくと言ったときも、ソフィア女王に恋をしたと言ったときも、文句を言いながらも結局は彼の意見を尊重していた。
「ロゼちゃん」
「はい」
「俺、今からアーニャに謝りに行くよ。今更感凄いけど、あいつ機嫌直してくれるかな」
「これまでグレンさんのところに情報が回ってこなかったということは、アーニャちゃんが意図的にグレンさんを避けていたということでしょう。それは裏を返せば、今のアーニャちゃんにはグレンさんの言葉がよく刺さるってことじゃないでしょうか」
「つまり、俺の接し方次第ってことか」
「そういうことです。しっかり元気付けてやって下さいね。それは多分、グレンさんにしか出来ないことだと思いますので」
ロゼッタはにっこりと、今度は腹黒さを感じさせない笑顔をしてみせた。
「なら好物のケーキでも買っていってやるかな」
「ケーキもいいですが、アーニャちゃんは以前嬉しそうにこう言っていましたよ。『ロゼ、私の兄はデザイナーをやっているの。私は兄ぃのデザインしたドレスを着て、あんたに完勝してやるんだからね』と」
「アーニャが?」
彼の脳内に、ふとあのケーキ屋での妹の姿が蘇った。
グレンの瞳に、小さな炎が灯った。
「なるほど。どうやら俺は最高のドレスをデザインしてやる必要があるらしいな」
「よろしければ身体測定のときのアーニャちゃんのスリーサイズのデータ、お渡ししましょうか?」
「いや、いい。そんなもの見なくてもあいつのサイズくらい分かる」
「まさかグレンさん、見ただけで女の子のスリーサイズを測定できる恐ろしい能力を?」
「いいや、アーニャだから分かるんだ。お兄ちゃんって生き物はそういうもんなんだよ」
「言っている意味が分かり兼ねますが、応援していますと言っておきましょう」
「ところでロゼちゃん。さっきから敵に塩を送りまくってるけど、もう少し警戒した方がいいかも知れないぜ」
「どういうことですか?」
「昔から俺とアーニャは最凶の爆炎コンビって言われていてな。さっきは余裕で勝てるみたいなこと言ってたけど、俺とあいつが組む以上、評価を上方修正した方がいいってこと」
「ふふっ、調子の良さがアーニャちゃんそっくりですね。いいでしょうグレンさん。大演舞会本番でのいい勝負、期待しています」
ロゼッタは不敵な笑みを浮かべ、手を差し出した。
グレンはこの小さなライバルに最大級の感謝をすると同時に、その小さな手を取った。
「待ってろよ、アーニャ……」
ロゼッタを見送るなり、グレンは直ぐに夜の街へと飛び出した。




