一世一代の大勝負
ドン。ドンッ。
「兄ぃ~! 今日も来てやったわよ~!」
「おおアーニャ! わが可愛い妹よ!」
グレンは数年ぶりに実の妹をハグしようと手を広げた。
が、見事に透かされた。
「な、なによ……。気持ち悪いわね」
「いやあお前がくれたノートのおかげで関係が進展したんだよ。ありがとうアーニャ」
「進展って、一体なにがあったのよ?」
「あの感情を表に出さない彼女が微笑みかけてくれたんだ。それも天使の笑みでな!」
「……あっそ。良かったじゃない」
冷めた目で見られながらも気にする素振りもなく、グレンは熱弁を始めた。
「なあアーニャ。話を聞くところによると、どうやら彼女は心に随分闇を抱えているみたいなんだ……」
「そりゃそうでしょ。だってそれがソフィアって女だもの」
「だから俺がその闇を振り払い、この手で人類の希望の光ってやつを見せてやりたいんだ。けどその為にはもっと彼女との心の距離を縮めることが必要だ。ということでアーニャ、今後も俺の力になってくれ!」
「ったく、調子いいんだから。まあ、今度そのうちに第二弾を持ってきてあげるわ。精々期待して待っていなさいよね」
アーニャはまんざらでもなさそうに髪をかき上げた。
ソフィア女王が笑顔を見せたのは本当に一瞬だけであるが、それでもグレンの内面にもたらした影響は絶大であったらしい。それから数日はアーニャがどれだけの厄介事を運んできても彼は笑って許せたし、仕事の方もすこぶる絶好調だった。
そしてまた一週間が過ぎ、この日もグレンはあの公園へと向かっていた。
鼻歌まじりに足取りは軽く、手にはケーキの箱を携えながら。
ソフィア女王はこの日もまた、月夜に向かって素晴らしい歌声を披露していた。
「はぁ。演舞会なんてなくなってしまえばいいのに……」
「それだけの歌があれば国民が期待するのも無理はないと思うけどな。あ、ケーキどうぞ」
「本当に持ってきたんだ」
「フフフ、言っただろ? 俺は有言実行の男だって」
リスのように口一杯に頬張って食べるアーニャとは対照的に、彼女のケーキの食べ方は至って上品であった。一口ずつゆっくりと、噛みしめるように口を動かしてはいるものの、しかし微かに緩んだ口元からはそれが好物だということがはっきりと見て取れる。
グレンにはそれが堪らなく、嬉しかった。
「わたしの歌は絶望の歌。わたしにはそれしかない」
「君にとっては絶望を歌ってるかも知れないけど、俺は聴いていて心地がいいし、凄く想像力を掻き立てられるよ。だから俺は……ソフィア女王の歌が好きだ」
歌が好き、というのは間違いなく彼の本心から来る言葉である。
しかし彼は欲を言えばそこからさらに「君が好き」とまで言ってしまいたいところであったが、まだそこまでの度胸は持てずにいた。
ソフィア女王は口に含んだケーキを呑み込むと、小首を傾げながら口にした。
「あなたって、もしかしてなにかを作る人?」
「えっなんで?」
「だって想像力を掻き立てられるって」
「ああ、デザイナーをやってるんだ。ほら、このジャケットも先週俺が付けてたスカーフも、一応……俺がデザインしたんだけど」
「……いいデザインだと思う」
「え、今なんて?」
「いいデザインだと思う」
グレンは思わず叫びたい気持ちを我慢した。
体中に込み上げる熱いものを感じると同時に、彼は彼女との距離が縮まってきている確かな手応えを感じずにはいられなかった。
「あっ」
「あっ……」
「どうぞ」
「歌ってもいい? 次の曲」
「もちろん。喜んで聴かせてもらうとするよ」
偶然喋り出しのタイミングが重なったのを息が合って来ているとするのは、一般的に考えればさすがに虫が良過ぎる話である。
しかし彼が以前肖ったアーニャのノートには、行動が重なったときは脈ありのサインだと確かに記されてあった。
途端、グレンの鼓動が暴れ出す。
「廻り廻り 繰り返す♪
生まれて死んで、死んで生まれて まるでそれは潮の満ち引き♪
因果の連鎖という海原 果てなくどこまで続いてく♪
冷たく優しい水面はそう あなたのすべてを映し出す♪」
彼女が歌うは数ある持ち歌の中でも、グレンが特に気に入った曲だった。
その美しい旋律は彼の潜在的なイメージ力を爆発的に加速させ、固まりつつあった彼女のドレスのデザインを一気に完成系まで昇華させた。
そしてそれだけに留まらず、極限まで高められた想像力はグレンにさらなる光景まで見せつけていた。
それは仲睦まじく手をつないでこの公園を歩く、グレンとソフィア女王のあるかもしれない未来の姿――。彼はそれをまるで写真を見るかのように、鮮明に思い描くことができた。
「顔がにやけてる。どうしたの」
「ああ、いやごめん。ちょっと変なこと考えてた」
「謝ることない。イメージの世界だけは自由、思想の海においてあなたを縛るものはなにもないのだから」
「そ、そうかな? いや、さすがに面と向かってそう言われると照れるような」
「……変な人」
「あのっ、ソフィア女王」
「なに?」
グレンをその言動に至らせた根拠を強いて挙げるとすれば、流れと勢いのみである。
「し、失礼ですが。現在お付き合いしている男性の方とかっていらっしゃるのでしょうか?」
「なんで敬語? ……いないけど」
「じ、じゃあどんなタイプの男性がお好きなのかなあ……なんて」
後戻りのできない発言であることは言うまでもない。
しかしアーニャのノート曰く、少しでも脈があるならばこれを聞かれて嫌がる女性はいないらしい。ソフィア女王は少し間を置くと口を開いた。
「感覚が合う人。あえて言うなら」
冷静に、なるべく客観的な目線を持ってグレンは自問自答した。
彼にとってソフィア女王の歌は間違いなく好みであるし、アーニャほどではないが彼自身も甘いものは好きである。
そして極めつけに、つい先程彼女は彼のジャケットをいいデザインだと褒めていた。
それはつまり。
彼は思わずにはいられなかった。
さすがにこれだけの条件が整えば、感覚が合うと言っても差し支えはないだろう。
……ゴクリ。
グレンは息を呑んだ。
――この流れなら、このまま告白をすればあるいは……。
とはいえ、ここまで踏み込んだ時点でこの日の彼にこの先に進むだけの精神力は残されていなかった。
「はあ!? 告白をするですって!」
翌日。
グレンが相談を持ちかけると、アーニャは彼の予想していた以上の食い付きを見せた。
「ああ。どう思う? いけると思うか?」
「もし本当に脈ありだとしたら三回目のデートでの告白ってのはいいタイミングね……。いえ、むしろこれ以上にないタイミングだわ!」
「だろう! 俺は来週、一世一代の勝負に出るぞ!」
「よっしゃあ、任せなさい! 次のマル秘ノートは告白編に決定よっ!!」
最初はあれだけ反発していたアーニャが、今や意欲満々で鼻息を荒げていた。
グレンにはそれが単に面白がっているだけであろうことは分かっていたが、今までそれに助けられてきたというのもまた見過ごせない事実である。
そう、今や彼の恋路は完全に妹頼りとなっていた。
「さて、告白の方法はあいつに任せるとして、俺はこの完成されたドレスのイメージを本格的なスケッチとして煮詰めますかね……」
グレンには野望があった。告白の成功と同時にそれを渡し、ソフィア女王の専属のデザイナーになるという、ささやかでない夢である。
そしてまた土曜日。
アーニャの新作ノートと書き上がったスケッチを引っ提げ、グレンは勝負の場へと向かった。




