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大演舞会 ~俺がファッションデザイナーで妹は女王様~  作者: 武藤一光
第2章

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アーニャのノート

 グレンにとって、それはもう待ちに待った土曜日がやって来ていた。

 会ってなにを話せばよいのか、どうすればあの霧に包まれたような女王とお近づきになれるのか――その問いかけに対する明確な答えはないものの、とにかく彼はソフィア女王に会いたくて居ても立っても居られなくなっていた。


「うん、気合いが入り過ぎて空回りしない程度のお洒落はしていこう」


 鏡の前でグレンが呟く。

 彼が自分でデザインした服というのは基本的に自身が着ることは想定しておらず、なにより似合わないことを知っていたので、普段は身に着けることがない。しかし、この時ばかりはデザイナーとしての自分を知ってもらいたいという承認欲求が抑えられなかった。


「全身を固めるのではなく、ほんのワンポイント。一番目を引くアイテムであろう首元のスカーフに自信作を持ってくる。こうすることでここからあわよくば会話が広がり、俺の仕事に興味を持ってくれたら幸いっていう寸法なわけ」


 出発前の最終チェックとして、グレンは鏡の前で妹張りのモデルポーズをしてみせる。


「よし、色選びのコーディネートは間違えていない。けどちょっと着飾り過ぎか? いつもの俺のイメージと違うような気もしなくもないが……。いや、やっぱ多少はハッタリかますくらいの方がいいか。うん、もう時間もないしこれで行こう」


 覚悟を決め、グレンは玄関のドアノブに手をかける。

 この時点で早くも彼の胸にはドキドキとした鼓動が鳴り始めていた。まだこの後に長時間の電車移動が待っているというのに、気の早い話しである。


「これが恋する者の脈動か。もしかするとここから一歩先に出た世界も違って見えるかも知れないな……」


 淡い期待を抱きつつ、グレンはゆっくりと深呼吸をし、ドアを開けた。

 そこで彼が見た光景は、偉そうな態度で腕組みをしたアーニャの顔だった。


「デートにしては無難にまとめ過ぎね。そんなスカーフだけじゃなくて、もっと派手にゴージャスにいきなさいよ!」

「……お前、なぜここに? この時間はレッスン中じゃなかったのか」

「ふん。仕上がりは順調だし先生に許可を貰ったのよ。私も行くわ。ソフィアのところ」

「は?」

「女王としての挨拶と宣戦布告よ。それから感謝しなさい、愛の女神たる私が兄ぃと上手く行くように取り計らってあげるから」


 アーニャはいつもの勝気な笑みを浮かべていた。

 グレンは妹がこういうことを言う人間であることはよく知っていたが、さすがに今回ばかりは洒落にならない。


「いつから女王から女神に格上げになったんだよ」

「なんとなくそういうノリよ。合わせなさいよ」

「いやマジで頼むから来ないでくれ。俺のことを少しでも応援する気があるのならマジで」

「あら、随分な物言いじゃない」

「いいかソフィア女王はな、静かな場所が好きなんだ。お前が付いてきちゃったらその……分かるだろ?」

「失礼しちゃうわね。まあ確かに私とソフィアが対面したら穏便には済まないでしょうけれど」

「だろ。だから勘弁してくれ。頼むから」

「哀れねえ、妹に必死で頭を下げて」

「お望みなら土下座でもするぞ」

「ちょっとやめなさいよ、そこまではいいわ。元々そのつもりなんかなくて、ただちょっと兄ぃをからかってみたかっただけなんだから」

「そうなのか?」


 アーニャの引き際の潔さに若干驚きつつも、グレンは土下座しかけた顔を上げた。


「付いていくのは勘弁してあげるから、代わりにこれを持っていきなさい」

「これは?」

「私がわざわざ兄ぃのために寝る間も惜しんで書き上げた、女の子を落とすための口説きテクニックをまとめたノートよ。ありがたく受け取りなさいよね」


 そう言ってアーニャはノートを手渡すと、そそくさと去っていった。

 グレンには妹の行動がいくら不可解でも、その場で立ち尽くしている時間もない。

 急いで駅へと向かい、予定通りの便に乗り込む。

 座席でひと息つくや、ようやく彼は先程のノートに目を通してみることにした。

 表紙には「三十秒でソフィアを落とす! アーニャのマル秘テクニック集」とあった。

 内容には全く期待していないものの、読み物としては面白い可能性もあるので一応一通り読んでみることにした。


「なになに、笑顔で相手の目を十秒見つめて『君のことはいつも見ているよ。僕だけはなにがあっても君の味方だからね』と言う……。いや怖くね? 今の俺の立場でいきなりこれやったらストーカー確定だろ」


 グレンは他のページも覗いてみたが、「嫌な顔をした話題に敢えて突っ込みその原因を探り、苦労を分かち合え」だの、おおよそ距離感やソフィア女王の性格を無視した、無理難題と言えるものばかりが書き綴ってあった。


「おそらく思い付きを面白半分で書いたんだろうが、こちとらそれの実験台にされたら堪ったものじゃないな」


 グレンはすぐにノートを鞄に仕舞いこんだ。同時に彼は後から後悔をしないためにも、この珍情報には断じて惑わされまいと心に決めた。

 一週間前よりも短く感じた十時間の電車の旅を終え、再び彼がシバの駅に降り立つと、相変わらず心地の良い風が出迎えてくれていた。

 夕暮れの街を抜け、早速例の自然公園へと向かう。

 その途中、ざわざわと木々を揺らしていた風がふっと止み、あの清らかな声が早くも彼の耳に入ってきた。

 一週間前と明確に違うのは、その後彼が自らの意志でその音源の方へ足を向けたことである。


「誰もが暗闇のなか歩くのでしょう♪ 

 光求めて彷徨って 人の数だけ ある光♪

 光はまた 大きな影を産み そして呪いとなるでしょう♪

 命は呪い 終焉は解放 愛も夢も、詰まるところ ひと時の麻薬♪」


 嘆きの歌のようでいて、あくまでも穏やかな声色。

 淡々と歌っているはずなのに、それが恐ろしいまでにグレンの心に響き渡る。

 そして気付けば彼は再び脳内にドレスのイメージを思い浮かべていた。

 以前の時よりもより鮮明にアップデートされたそれはやがて彼の中で、是非とも自分の手で形にしてみたいという、強い衝動へと転じていた。

 ソフィア女王は一曲歌い終えると、第一声を発した。


「本当に来るなんて。随分遠いはずなのにご苦労ね」

「俺は有言実行の男だからね。いやはや、今日も感動させてもらったよ。なんというか、圧倒された」

「そう。でもわたしは、わたしのために歌っているだけだから」

「ああいや、それでいいんだって。俺が勝手にいつまでも聴いていたいと思っているだけだし」

「好きにすればいい」


 ソフィア女王の眉は微動だにせず、瞳は決してグレンの目を見据えることはない。

 グレンは彼女が二曲、三曲と歌い続けるのを黙って傍で聴いていた。

 彼は彼女の歌を聴けば聴くほど、心の奥底に眠っていた感性がどんどん研ぎ澄まされていくような感覚に見舞われていた。


「少し休憩。疲れたから少し休む」

「そっか、いや本当に凄い歌声だな。こりゃ大演舞会の優勝も楽勝なんじゃないかな」

「いいの? 妹さんがいるのにそんなこと言って」

「はは、あいつには悪いけどぶっちゃけ俺は君の方が上だと思う。そしてクリスティーナ女王よりも間違いなく俺は君を推すね」

「わたしは……別に優勝なんかしたくない」

「え? そうなの」


 常日頃アーニャを見てきた彼にとって、そんなセリフを吐く女王がこの世にいること自体が信じられない事実であった。

 ソフィア女王は空を見上げ、長いため息を天に向かって吐いた。


「面倒くさい。わたし、人間なんて滅びてしまっていいとすら思っているのに、本来わたしみたいなのが覇権を取るべきじゃない」

「滅びてしまえばいいって、そりゃまた随分と過激なことを言うんだな」

「人の心は矛盾していて、醜くて不完全。わたしも、あなたも。だから嫌い」


 ソフィア女王はゆっくりと、抑揚をつけずに言った。

 どうしてここまで後ろ向きな考え方が出来るのか、グレンには理解出来なかった。


「俺はともかく、ソフィア女王の心は醜いなんてことないと思うけど。なにもそんなに自己評価を低くしないでもいいんじゃないかな」

「ううん、人は皆社会というシステムに囚われ過ぎている。その見えない怪物に自分を押し潰されぬよう、心に嘘を付き、足掻き苦しんでいる。好きか嫌いかでしか所詮物事を図れないのに、理屈を都合よく解釈し、着飾っては異分子を見下す。そうすることで安心している。だから矛盾。醜い。不完全。それはわたしも、そう」

「まあ……。なんとなく言っていることは分からなくもないけど」


 彼女の言っていることに思い当たる節はグレンにも確かにある。しかしそれをいざ面と向かって言われると、彼の心のどこかにそれを受け入れたくない自分がいた。


「優勝なんてしたくもない。なのに周りは期待する。みんな私の歌いたいように歌えばいいからと言うから、仕方なくそうするだけ。だけどたまに嫌になって、逃げてここにいる」

「んー、なんていうか。ソフィア女王みたいに達観しすぎているのも大変なんだな」

「達観はしていない。してたらそもそも嘆かない。達観しているのはこの国の女王」

「この国のって、クリスティーナ女王のこと?」

「彼女はプレッシャーや理不尽さえも受け入れた上で、全て楽しんでる。わたしは彼女みたいにはなれない……」


 周囲からの期待。プレッシャー。

 それは一見、女王とは無縁だとばかり思われる言葉である。


「人は所詮、他人の苦しみは分からない。分かって欲しいと期待しても、傷つくだけ」

「俺はそんなことはないと思う。分かり合えることだってあるさ、きっと」

「やっぱりあなた、妹さんに似てるね」

「いや、アーニャは関係ないってば」

「……そう」


 言葉を交わしながらも、実のところグレンは焦燥感にかられていた。

 終始一貫して表情を変えないソフィア女王の気持ちを読むことは彼にとって事実上不可能であり、好感を持たれているのか、あるいは逆に嫌悪されているのかすらも分からない。

 ゆえに距離を詰めたくともどうして良いのか分からず、まるで地雷原の中を立ち止まっているような感覚である。

 しかしそこで諦めてしまったら、彼が今日ここへ来た意味がない。


「あのさ、ソフィア女王の好きな食べ物ってなにかな?」

「好きな、食べ物……?」

「そう、好きな食べ物」


 打つ手のなかったグレンの脳内に咄嗟に浮かんだのは、会話が続かないときは食べ物の話題をしろというアーニャのノートの一節だった。


「……甘いもの。ケーキとか好き」

「うちの妹と同じだ! アーニャも目がないんだよ、ケーキ! フレイアにすごい美味しい店があるからさ、今度絶対持ってくるよ」

「そう……。ふふっ、ありがとう」


 ほんの短い瞬間である。確かにソフィア女王の顔から笑みがこぼれた。

 これまで決して笑うことのなかった彼女がこの瞬間、グレンの前で無防備な笑顔を見せたのである。

 グレンは心の中でガッツポーズを掲げると同時に、この時ばかりは妹の存在に全力で感謝した。

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