招かれざる来客
椅子の背もたれに寄りかかり、思いきり伸びをする。
この日における彼の仕事のノルマは今この瞬間、終わっていた。
心地よい疲労感に身を任せながら、グレンは出来上がったばかりのラフスケッチに今一度目を通し、頷いた。
「動きやすさ、良し。丈夫さ、良し。通気性も良いし、コストも問題ない。肝心のデザインはというと……まあそれなりに纏まっているし、落しどころも抑えてあるだろう」
グレン・プロミネンス。職業は駆け出しのファッションデザイナー。
デザイナーと言ってもプロである手前、ただ闇雲に好き勝手自分のセンスを形にしていいというものでもない。当然それを着る人のことを考えながら服を作る必要がある。
例えば今彼が手掛けている工事現場の作業服などは特に実用性が重視され、まず丈夫で動きやすく、安価であることが必須条件である。それらの条件を満たした上で、作業員の人たちが着たいと思えるような格好のよい服をデザインすることが彼の仕事であった。
「んー。でもなんか物足りないというか、いまいちグッと来るものがないな。まだ納期までには余裕があるし、もうちょい煮詰めても良さそうなんだけど、明日にするか」
窓からはほんのりと暖かな西日が差し込んでいる。
本来ならば仕事を切り上げるにはまだ早く、ここからもうひと頑張りするべき時間帯であるのだが、生憎彼は作業を打ち切りにせざるを得なかった。
何故ならそろそろ仕事どころではない厄介事が舞い込んでくるからである。
ドン。ドンッ。
「兄ぃ~! 今日も来てやったわよ~!」
それは概ねいつも通りのタイミングであった。
「毎日来てくれなんて頼んだ覚えはないんだけどな。というかちゃんと呼び鈴があるんだからわざわざドアを叩くなって言ってるだろ」
「可愛い私が来ているんじゃない。どこに不満があるのよ」
この低身長かつ赤髪の跳ねっ毛ツインテールで、額にティアラを付けている生意気そうな少女はアーニャ・プロミネンス、彼の妹である。
齢十六にして今年からこのフレイア王国の頂点に君臨する、列記とした女王陛下様でもある。
「あれ。今日はロゼちゃんも一緒か」
「勝手に付いてきたのよ。なんか兄ぃに仕事の話とか聞きたいんだって。まあ所詮こいつは私の引き立て役みたいなものよ」
「引き立て役って。お前なあ、今の発言をお隣さんの国民が聞いたら暴動が起きるぞ」
「お邪魔します。グレンさん」
「ああうん、よく来てくれたね。えっと、妹がいつもお世話になってるよ」
グレンは目尻を下げ、軽く頭を下げた。
ロゼちゃんことロゼッタ・ガイア。アーニャと同じ女学校の制服を着た、茶髪でおさげ髪のこの小柄な少女もまた、一国の女王陛下様である。
彼女はこのフレイア王国の隣国であるアストン王国の女王であり、本来グレンがタメ口を聞いていること自体烏滸がましいことであるのだが、本人の要望でグレンは恐れ多いながらもそうしていた。
二人とも新米女王で同い年ということで、アーニャとロゼッタはよくつるんで一緒にいることが多いらしい。
しかし、まったくの仲良しかというとそうでもない様である。
「暴動? そんなの、全くもって恐れるに足りないわ。そうなったらそうなったでステージの上でそれが事実であることを証明するだけよ。まあこんなチビに負ける気なんて更々ないけどね」
「アーニャちゃん。今の発言メモらせて貰います。うちの国民はフレイアの皆さんほど沸点が低くはないですが、大演舞会で私が勝利したときのいい笑いの種になりますからね」
「はあああ? あんたみたいなのがこの私に勝てると思ってるの? 精々そのチビが笑いものにならないように超厚底ヒールでまともに歩く練習でもしておくことね」
「あらあらあらあら。うちの国にはこんな言葉がありますよ、『弱い犬ほどよく吠える』。まるでアーニャちゃんみたいですね。それに私のことをチビだチビだと言いますが、アーニャちゃんも似たようなものじゃないですか。二センチも変わりませんよ私たちの身長」
「やっぱあんた気に入らないわ! ぶっ潰す、次の演舞会で必ずぶっ潰す」
「それはお互い様です。ふふ、今からアーニャちゃんの無様な泣き顔が楽しみでなりませんね」
まったく第三者の付け入る隙のない、二人の世界の間でバチバチと火花が飛び交っている。
グレンは自身の部屋を見渡し、頭を掻きながら口にした。
「いやあなんていうか色々散らかっててごめん。ロゼちゃんまで来るだなんて知らなかったからさ。今、片付けるから」
「いえ、お構いなく。本当に少しの間お邪魔するだけですから」
「ったく。ロゼが来ようが来まいが常に片付けておきなさいよね。足の踏み場もないじゃない、豚小屋かっていうの」
床中に散らばった布や紙きれをかき分けてスペースを確保せんとするグレンの背後から、妹の罵声が飛んだ。
「うるさい。仕方ないだろ、そもそもここは俺の仕事場で、俺はある程度散らかってたほうが集中出来るタイプなの」
「はいはい。言い訳はいいから手を動かしなさいな」
「あのさ、手伝ったりしてくれない?」
「女王様よ。私は」
アーニャは一切の躊躇なく兄のベッドに横になると、我が物顔で欠伸を披露してみせた。
一方のグレンも、最初から本気で妹の手助けなどは期待していない。
少し部屋が片付いたところで、グレンは思い出したように押し入れからロゼッタが座るためのクッションを引っ張り出した。
「あら、もしかしてこのクッションもグレンさんがデザインを?」
「いいや、これは普通に買ったやつ。一応これでも一番いいやつなんだけど、女王様の腰掛けにしちゃショボ過ぎるかな?」
「いえいえ。うちの国では贅沢をしないことが美徳ですし、あんまり豪華なものを出されても困りますよ。このクッション、とっても素敵で私には丁度いいです」
グレンは胸を撫でおろし、ベッドの上で寝転がっている自身の妹と改めて見比べた。
「は~女王様だってのに謙虚で感心するなあ。どこかの誰かさんとはえらい違いだ」
「ふん、相変わらず兄ぃは見る目がないわね。こいつ、口では遠慮がちなこと言ってても心の中はかなり腹黒いから気を付けなさいよ」
「こらお前はどうしてすぐにそう捻くれたことを」
「イヤですねアーニャさん、私は腹黒くはないですよ。計算高くはありますが」
「ケッ。どこが違うのよ。計算計算って、そんなんで人生面白いのかしら。私はロゼと違って情熱のままに、本能の赴くままに生きるわよっ」
アーニャは聞かれてもいないのに自分の主義を高らかに主張すると盛大にそっぽを向いた。
グレンはそんな妹の様子は歯牙にも掛けず、客人である他国女王の相手に集中することにした。
「そういえば前から気になってたんだけど、ロゼちゃんってなんでわざわざこっちの、フレイアの王立女学院に通っているんだ? あっちにもそれなりの学校はあるんじゃないのか」
「ええまあ、一応あるにはありますが……」
ロゼッタが次の言葉を口にする直前に、横から聞かれてもいない人物が口を挟んだ。
「ふん、その理由についてはわざわざ聞く必要はないわよ兄ぃ。こいつが私と同じ学校に通っているのはズバリ、最大の宿敵である私の弱点を探すために決まっているわ」
「いやなんでお前が偉そうに割って入ってくるんだよ。ただのアーニャの自意識過剰だろ。それで、実際のところはどうなの?」
「はい、私がこちらの学校に通っている理由はずばり異文化に触れるためです。性格というか気風というか、代々アストンの女王は固定観念に囚われて視野が狭くなりがちですからね。なので将来私もそんなふうに頭が固くなり過ぎないように、今のうちから違った視点に触れておこうかと思いまして」
「へぇ、流石はしっかり者集団で有名なアストン王国の代表と言ったところだな」
グレンは素直に感心して頷いた。
同じ一国の女王と言っても、国が変わればその性質はまるで異なる。少なくともアーニャ・プロミネンスにこの殊勝さがないことは、火を見るよりも明らかである。
「ちょっと兄ぃ。今私とロゼを比べてなんか思ったでしょ」
「いや別に。ただロゼちゃんは本当に勉強熱心で立派だなあと思って。まったく、アーニャはいい友人を持ったもんだ」
「いえいえ、それほどでもありませんよ。ところでグレンさん、実は私以前から服飾関係のお仕事には興味がありまして、せっかくですのでいくつか質問をしたいのですが宜しいですか」
「え、そうなの? 勿論、俺で良ければなんなりと聞いて欲しいけど」
「あああああーっ!」
「なんだよ。いまはロゼちゃんと話しているんだ、急に大声出すなよ」
「よく見たら天井に穴開いてるじゃないっ!」
「最近雨漏りがひどくてな。そろそろ修繕しようとは思ってるが」
「やっぱりこの超ボロ屋敷、ありえないわ! 仮にも私の兄がこんな家を自宅兼仕事場にしているだなんて周りに知れたら恥ずかしいったらありゃしないわ!」
「なにを言い出したかと思えば。ていうかお前今さらそれ言うか?」
「私がもっといい家を買ってあげるわ兄ぃ! この炎の女王、アーニャ様の親族に相応しい豪邸を一等地に建ててあげるって言っているのよ!」
アーニャはさも自分が有難い主張をしているかのように、得意満面な顔で言い放った。
兄からすればなんとも押しつけがましい言い草ではあるが、もはやグレンは諦念していた。
これが彼女、アーニャ・プロミネンスの性格なのである。
なんの脈絡もなく支離滅裂なことを言い出すのは日常茶飯事。しかもそれが冗談でもなんでもなく、本気で言っているのだから始末に負えない。
「あのなあ、俺が無理してでもここを確保して一人暮らしを始めた理由はなぜか、言っただろ」
「ええ聞いたわ。女王たる私の下に就いて養ってもらうのが嫌で、一刻も早く自立したかったからでしょ。一丁前に兄のプライドってやつかしら」
「そうだ。そのプライドが大事なんだ。そこでお前の手なんか借りたら本末転倒だろうが」
「でもさ兄ぃ、そう言いながらここを改修するのだってママにお金出して貰ってるじゃん。それって自立してるって言えるのかしら?」
「くっ、それは……そのうちちゃんと返す。そもそもデザイナーとしてまだまだ駆け出しの俺が豪邸なんかに住んでたら不相応過ぎて恥ずかしいんだよ。って、ロゼちゃん? 今のやり取り無言でメモするのやめてね」
ちなみに現在グレンが住んでいるこの自宅兼仕事場は借家である。
元々空き家だった郊外のボロ屋敷を破格の家賃で借入契約をし、最低限住めるように自前で手を加えたものであるが、グレン本人としてはなかなかに気に入った物件であった。
「ところで兄ぃ。せっかくロゼが来てるんだし、お茶ぐらいないの?」
「ああ、そうだ。アーニャもたまには良いこと言うな。ロゼちゃんは安物しかないけどコーヒーと紅茶どっちがいい?」
「私は紅茶がいいです」
「ったく、私が言うまで気付かないなんてほんとに気が利かないんだから。安物なんてどうせ口に合わないでしょうけどコーヒーを貰おうかしら」
一言も二言も多い妹の発言に苛立ちを覚えながら、グレンは一度席を外した。
その間約数分。彼が台所で紅茶のティーバッグを探すのに手間取っている間の話である。
「このジャケットは75点ね。こんなところに中途半端に星を付けるくらいならもっと振り切ればいいのよ、例えばこんな風にね」
「えー……。それはちょっとやり過ぎじゃないでしょうか。少なくともうちの国民には派手過ぎてウケませんよ」
「あんたのとこの地味でダサダサなセンスなんてどうでもいいのよ。私がいいと言ったらいいの、少なくともうちの国ではそうなのよ」
「ちょっと待て! お前ら、勝手に人の机の上でなにやってんだ」
グレンが様子を見に行ったときにはもう、既に手遅れだった。
「なにってこのアーニャ様が兄ぃのお仕事を添削してやってるのよ。感謝なさい」
そう言ってアーニャが得意げに突き出したのは、豪快なバツやマルで変わり果てた姿となった、グレンの自信作であった。