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ヨイマチマンション  作者: ナナツメノカド
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 私は世を憂いていた。

 厭世的で、孤独を好いた。だからこそ、こんな所に迷い込んだのかもしれなかった。

 ――私は言ってしまえば、売れない小説家、と言うやつで。40にもなって未だに自らの手で生計を立てられず、ただただ、世を憂いて疑心を抱くばかりの文を書き綴っていた。暮らしは貧しく、孤独を愛するために友人はおらず、親に惨めったらしく頭を垂れて、生きていくのに最低限の金を借りては、それを原稿用紙代と酒代にあてていた。

 今日も今日とて出版社にはねつけられた原稿片手に安酒で酔っ払って、ふらりふらりと街をさまよう。ネタ探しだ、と言い訳をするが、それがただのヤケ酒と千鳥足であることは心の奥底で分かっていた。

 ふと、小さな路地を見つけて立ち止まる。細い細い、体を横にしないと通れないような路地だったが、奥には賑やかそうなオレンジ色の明かりが見えた。

 はて、こんなところに、こんな路あったろうか。

 そう思いながらも、酔いで思考の麻痺した体は、自然と好奇心に釣られていた。よいよい、とふらつく足で細い一本橋でも渡るように体を横にして路地へ入り込む。やがて細い路も抜け、今度は長い下り階段だ。

 はて、あの路地前から見えていたオレンジ色の明かりはどこへ?

 気づけば、その明かりは階段の下にある。ついでに、がやがやと楽しげな声が聞こえてきた。ははあ、目の錯覚か、はたまた酔いがまわった末の幻覚か。まあ、ここまで来たのだ。どうせなら最後まで付き合ってやろうじゃないか。

 ふらりと足を踏み出して、ぺたんぺたんと安いサンダルで音を鳴らしながら階段をおりていく。

 ぺたんぺたん……、

 ぺたんぺたん……。

 はて、どれだけ歩いても、明かりにちっとも近づかない。そう思っていると、ふいに声をかけられた。

「こんばんは。こんな遅くまで、飲み歩いてちゃあ、危ないですよ」

 どこから現れたのか、階段の正面に一人の変わった様相をした青年が立っていた。

 縦縞の甚平に竹の二本下駄、真っ黒な髪に軽薄そうな笑みを浮かべる口元。そして、目元を隠す紙の面。そこには達筆な、しかし読みやすい字で、賽、とだけ書かれていた。

 あまりにもその格好が珍妙で、おかしな輩に因縁をつけられたとカチンときてしまう。それに、どう見たって相手の方が年下だ。

「うるせえな、俺の勝手だろう。ガキじゃあねえんだぞ」

 こんな細腕で喧嘩をする気もないが、酔いが威勢を良くして俺は腕を振り上げる。

「まあまあ、そう怒らずに。でもここから先は、……なに、ちょっと変わった飲み屋街でして。お客さんが妙なのに騙されないよう、ここでお話させてもらってるんですよ」

「自分こそ妙な格好しやがって。何を言ってやがる」

「妙な格好と言えば、あなたも、ほら。その首の赤い紐はどうしたんです」

 ひも?

 怪訝に眉をひそめて自分の首元を触ると、男の言うとおり、だらりと得体の知れない赤い紐がぐるぐる巻きになっていた。

「なんだこりゃあ!」

 さっき路地を通り抜ける時に巻きついたのか。なんで今まで気づかなかったのかと思うほど、邪魔くさいにも程がある。けれど、引っ張れど引っ張れど、赤い紐は絡まるばかりでちっとも取れやしない。

「ああ、ああ、そんなに雑に扱わないで。それは大切なものなんですから」

「こんな紐切れが大切なものか!」

「それに、どんなに手繰り寄せてもキリなんてありゃしませんよ。ほら、後ろを向いてご覧なさい」

 男の言葉通り振り返れば、赤い紐はだらだらりと階段の上の上まで続いていた。足元もよく見えないような真っ暗がりの階段に、その赤だけが異様なまでに映えている。それがまるで、血だらけの死体でも引きずったかのように見えて、酔った頭が一瞬でぞっと冷えかえる。

「なんだこりゃ……」

「これで分かったでしょう。ちょっと手繰り寄せたくらいでは、その紐は取れやしません。いや、むしろここでは取っちゃなりません」

 ぞぞ、ぞぞ、と冷えてきた頭は元の臆病な性格に逆戻りしていた。

「なんだこりゃ、どうすりゃ取れるんだ!」

「だから、取っちゃダメなんですって。話を聞かないお人だなぁ」

 男は呆れ返ったように肩をすくめる。どうやらこの状況で話の通じるやつは、目の前の彼だけらしい。

「なあ、なあ、あんた、これはどういうことなんだ! 俺はただ、飲みに来ただけなんだよ!」

「だから、遅くまで出歩いてると色々と危ないんですって。良いですか、あなたはちょっとした迷路に迷い込んでしまったんです。出るには、ここをまっすぐ歩いてかなきゃなりません。振り返っても、寄り道してもいいですが、その紐だけは誰にも触らせちゃあいけません。それと、これを――」

 男はポケットの中から、1枚の短冊を取りだした。白い無地のそれを俺に手渡し、ついでに筆ペンを貸す。

「ここを出たら何がしたいか、誰に会いたいか、そんなことをここに書いておいて下さい。ここから先、進めば進むほど人は忘れやすくなりますので。よくいるんですよ、すべて忘れて帰れなくなってしまうほど酔っ払ってしまう人とか」

「わかった、わかったよ!」

 誰に会いたい? 何がしたい? そんなの俺が聞きたいくらいだ! 世のすべては無常にして冷徹、疑う要素は数あれど信じられることなんてひとつとない! 趣味? 好きなこと? あるものか!

 その上、会いたい人だなんて、孤独を好む俺への当てつけだろうか。友人はいない、恋人なんているはずもない。親はいつも俺のことを疎ましげに見るばかり。親戚なんて、疎遠どころか顔も覚えていないとも!

 ぎりり、と歯を食いめていると、男はへらりと笑った。

「いいんですよ、何でも。また呑みに行きたいとか、そんなことで。人間案外、何とかなるものです。まあ、ならない人もいるんですけど」

 何とかなるのかならないのか、どっちだ。

 ええい、ままよと「また呑みに行く」と、男の言うままに書いてやった。それを男に渡すと、彼は満足気に頷いて短冊を赤い紐に結いた。つまり、俺の首にかけるようなことをした。俺はまるでお使いでも頼まれた犬のようだ。俺が不服そうにしていると、それを察して男はわざとらしく肩を竦めて両手を広げる。

「まあまあ、怒らないでください。これは必要なことなんです。こんな分かりやすいところにぶら下がっていたら、嫌でも思い出すでしょう。これはそういう工夫です」

 男はそう言うと脇に逸れ、道を譲る。

「良いですか。あなたのその首に下げた願いを忘れないこと、誰になんと言われても首の紐を触らせないこと。約束ですよ」

 むう、と口を尖らせもう一度自分の首に下げられた短冊を見やる。お世辞にも綺麗とは言えない文字はともかく、首に下げられている、ということがやはり犬のような扱いに思えて癪に触り、他にやり方があるだろう、と抗議してやろうと思った。けれど、

「あれ……」

 顔を上げれば、そこには誰もいない。しかし俺は確かに、男に渡された筆ペンを右手に持っていて、首には変わらず赤い紐がぐるぐる巻きになっている。そして、首に下げられた短冊も。

 まるで狐にでも化かされたようだ。

 空はビルで囲まれ、インターネットが個々人にまで普及した現代で、まさかそんな。

 はは、とから笑いをひとつして、来た道を戻ることにした。


 ……おかしい。

 下った階段の数は、多くても20段に届くか否か。少し上がれば、あの狭い路地に出るはずなのに。

 幾ら上がれど、上がれども、一向に路地が見えない。それどころか階段の終わりさえ見えない。ずるう……、と赤い紐は、天に伸びるが如く階段の上に続いていた。

 おかしい。

 おかしい。

 おかしい、おかしい!

 ダダッと階段を駆け上がる。体力の落ちた身ではあるが、それでも全力を出し切った。――だと言うのに、階段は変わらず冷たくそびえ立っている。そして階下を振り返れば、暖かなオレンジ色の無数の明かりと楽しそうな喋り声。気のせいか、先程よりも大きく感じられる。

「……」

 男の言葉を思い出す。

 ――あなたはちょっとした迷路に迷い込んでしまったんです。出るには、ここをまっすぐ歩いてかなきゃなりません。

 何だか、いよいよ怪談じみてきたではないか。

 こんな訳の分からない場所、とっとと抜けるが一番だ。小走りに階段を降りれば、そこは無数の屋台が立ち並ぶ通りだった。安い電球の明かりが眩しいくらいにひしめき合っていて、それをかき消さんばかりの喧騒がそこにあった。酒を飲み、つまみを食らい、飯をかっ込んで、先ほどの俺と同じように千鳥足で通りをゆく。ただ大きく違うのは、

 それが人間ではないことだった。

 一つ目玉の大鬼が池の水を飲み干すように酒を飲み、

 足の生えた魚が小魚の佃煮をつまみにしゃぶっている。

 雄鹿の頭をかぶった人間のような何かが、夢中でどんぶりに盛られた草を食い散らかしている。

 あっちを見ても、こっちを見ても、頭がおかしくなりそうだった。

 先ほどの男の、顔を面で隠した程度の珍妙さが恋しくなって、つい、ぎゅっと首から下げた短冊を握りしめる。ここから出たら呑みにいく、ここから出たら呑みにいく……、と呪文のように短冊に書いた言葉を繰り返した。

 紙の面を下げた男の言葉を信じるなら、俺はここを通り抜けなければならないのか。

 つい、後ろを振り返る。——そこに階段はなく、ただほの暗い闇がのっしりと居座っていた。

 ……立ち尽くしているだけなのに息が上がる。こんなバケモノだらけの道を、俺は。

 恐れ慄き膝が震える。けれどようく見ると、賑やかな通りは、ある一定のところでぷつんと途絶えていた。そこを、そこを目指さなくては。そう考えるがはやいか、逃げ出すように駆け出していた。大きな背中、尖った背中にぶつかりそうになりながら安いサンダルで駆け抜ける。

 ぎょろ、ぎょろり。

 異形の目が、こちらを向く。

「人間だ」

「マレビトだ」

「おお、生きた人間だぞ」

「珍しや、珍しや」

 人間で何が悪い!

 俺から見ればお前たちの方がよっぽど異様だ!

 脇腹が痛み、止まらない冷や汗が喉元を伝う。先程から、出口であろう通りの切れ目は見えているのにまったく近づいている気がしない。暗がりはぽつねんと、確かに存在してるのに、どうして!

 とうとう走る体力がなくなり、足が絡まり転びかける。その肩を、ぽすり、と誰かが優しく支えた。

「あら、大丈夫ですか?」

 赤い唇、しとやかな黒髪、妖艶に微笑むその美貌は今まで見たどの女性より美しかった。声はまるで程よく古びたレコードのようにまろやかで、けれど、その頭には頭の大きさを優に超える巻き角がある。

「は、へ、へへへ……。な、なんでもありませんよ。失礼しました」

「まあ、そんな……。無理をしないで下さいな。殿方はすぐそうやって強がって」

 ぷう、と頬をふくらます様のなんと愛らしいことか。

 ――いや、何を考えているのか。相手は化物だぞ!

 けれどその女には、男では到底抗えない耽美な魅力があった。

「どうぞ、私の店でお休みになって? さあ、ほら。こちらへ」

 女に手を引かれるまま店に入る。そこは簡素な作りながら中華風の仕切りや飾りで小綺麗にまとめられていた。あちこちを興味深げに眺めていると、女は、「やぁだ、お客さんったら。そんなにまじまじ見るもんじゃないですよ」と困り眉で笑った。そして絨毯の上に置かれたソファーに俺を腰かけさせると、自分もその隣に座る。目の前の小さなテーブルには、いつの間にやら酒のつがれた美しい切子のグラスがふたつ。

「さあさ、飲みましょう。さあ、ほら、どんどん」

 うふふふ、と妖艶に微笑んで、女は俺にグラスを持たせると、乾杯、と濡れた声色でグラスを軽くぶつけた。赤い唇が酒を飲み干し、白い首がこくり、と動く。それだけで、ぽかん、と惚けてしまうほど美しかった。女は俺の肩にしなだれかかり、さあ、お飲みになって、と上目遣いに囁く。

 もはや、自分が置かれている状況がよく分からなくなるほど、女の美しさと甘ったるい酒の香りに酔っていた。ごくり、と生唾を飲み下して、……酒を一気に飲み干す。それは、俺が今まで飲んできた安酒とは比べ物にならないほど、水のようにまろやかで、果実のようにほのかに甘く、しかしてしっかり肝の底を焼く極上の逸品だった。

「……っ、美味い!」

「まあ! よかったぁ、気にいって頂けた?」

「あ、ああ!」

 俺が喜んで答えると、女はゆるうりと目を細めた。ひとつの粗もなく爪紅を塗った細く小さな手が、俺の首筋を撫でる。

「なら、お礼に一本……、頂いても?」

 それは何本もの赤い紐。謎の胡散臭い男に、誰にも渡すなと言われた謎の紐。引っ張っても緩めても、なんの変化もない、謎の紐。

 この美女に一献ついでもらえるなら、というか、いっぱいのチューハイと駄菓子で何万円とボラれるいつもの世を思えば、紐の一本や二本で美酒と美女が買えるだなんて夢のような話ではないのか? 男は何やら、大事なもののように言っていたが、男にとってそうであっても俺は知ったことじゃない。このまま帰っても、絡まる紐を解くのに苦労するだけだろう。それなら、極上の酒代にあてるのは、……ふむ、悪くない。

「ああ、いいとも」

「うふふ、嬉しいわ。じゃあ、お次もどう?」

「あははは、いいともいいとも」

 紐は不思議と、女が手にすると容易く首から離れていった。彼女はそれを、宝石でも眺めるかのような舐め回す視線で眺めると、あーん、と小さな口を精一杯開けて、そこに落っことしてしまった。俺が驚いた顔をしていると、

「いやぁねえ。手品ですよ。どうかしら」

 と笑った。ああ、なんだそうか、と俺が頷いていると、また酒がグラスに注がれている。

「さ、ひとくち……」

「おうとも」

 ふたりで小さな乾杯を交わし、女の細腰を抱いて、酒を飲み干す。甘くすっきりとした後味に、きゅうっと喉と肝を焼く熱。なんという名前の酒だろう。こんなもの、本来いくら払って飲めるものなのだ。

 女は俺に抱かれるまま、たまに、ん……、と声を詰まらせて身をよじり、俺の体に身を預ける。赤い口紅は少しもグラスにつかず、色の落ちない真っ赤な唇が色っぽく息を吐く。

 それだけで、たまらない一時だった。

 女は、俺が一杯飲む事に、一枚ずつ服を脱がしていくかのように紐を取り去らっては、いやらしく、はしたなく、大きく口を開けて飲み込んでいく。

 なんと甘美な瞬間か。

 酒を飲み干す。紐を取られる。その繰り返しが、まるで艶っぽい座敷遊びのように楽しくてたまらない。

 この世を憂いていた? ――ちがう。社会に適応できない自分を誤魔化していただけだ。

 孤独を愛していた? ――ちがう。俺に見向きもしない奴らが、俺の価値が分からない阿呆どもが嫌いだったのだ。

 酒が甘い。

 とろとろと、嫌な現実をすべてとかしていくようだ。気づけば、酒は口から溢れ零れていて、それでも美酒は底から溢れだす。美女は短冊のついた最後の一本である赤い紐を、俺の首を絞めるように引いた。

「さあさ、ひとくち。お飲みなさいな」

 頭が回らない。

 言葉がバラバラにほどけて、繋がらない。

「さあ、どんどん……」

 グラスを持つのも億劫だ。

 やがて手は緩み、美しかった切子のグラスを落っことした。

「ああ、残念。最後まで楽しんで欲しかったのに、こんな幕引きなんて」

 甘い、甘い、甘ったるい声がする。

「それじゃあ、さようなら。落っことしたグラスの代金は頂きますね?」

 しゅるん、と何のためらいもなく、最後の紐は引き抜かれた。





「あーあ、やっぱりこうなりますか」

 面布をつけた男は肩を落とす。カンラカンラと下駄を鳴らして、拗ねた子供のように小石を蹴飛ばす。

「やっぱり、じゃない。お前がちゃんと導かないから」

 その後ろで、フードを目深にかぶった男が、面布の男を叱った。それに面布の男は、いやぁ、と肩をすくめるばかりで反省するような様子はない。

「こういうのは自主性が大事なんですよ。兄さんのようにアレもコレもと世話を焼いてちゃ成長しない」

 そうでしょう? と面布の男が振り返れば、フードの男は話を聞いているのかいないのか、顔を背けて俯いていた。

「ああ、また可能性がひとつ奪われた……」

 心の底から悼むような悲しそうな声色に、面布の男は口を閉ざす。けれどそれは一瞬で、次の瞬間にはもう、パッと明るく笑っていた。

「そんなに嘆かないで。あそこで落ちるような人間です、今後もたいした可能性ありませんよ」

「お前はざんこくだから、そういうことが言えるのだ」

「ははは、嫌だなぁ。ざんこくだなんて」


 あなたほど、ざんこくなヒトはいませんよ。

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