40 吸血鬼
杏は屋根を駆けながら全力で逃げていた。
杏にとって、大地と言う存在は予測不能な危険人物だ。間合いなんて関係なく距離を詰めて平然とした様子で自分を持ち上げた。
常に恐れられ、距離を取られ続けた自分を、だ。
それが、恐ろしかった。今までとは違う距離感の取り方に不安しか抱けなかった。
だから、逃げた。どこまでもどこまでも逃げ、できる限り近づかないようにしていた。なのに、自分に近づこうとする大地。逃げても逃げてもいつの間にか傍に居る。
吸血鬼は化け物だ。多くの人から恐れられ、怯えられる存在。それなのに、それ以上の化け物に見えていた。
クロも同じだ。
ただの猫でないことは一目で理解した。禍々しい気配に震えることしか出来ない自分を惨めに感じていた。
半分しか吸血鬼でない自分では太刀打ち出来ない。そして……人の姿をしたクロの力に絶望した。
「むりじゃむりなのじゃ」
弱かった。
自分がどれだけ弱者であるのかを初めて理解した。
最強の存在は由埜だと思っていた。けど、それよりも異質な存在がそこにいて、いつでも襲いかかろうとしている。
恐怖しかない。
弱い杏は、いつも殺される覚悟を持ちながらそこに居た。
「だれか、たすけて……」
「にゃー」
猫又が襲い来る。
もはやまともに対処することも出来ずに逃げることしか出来ない。爪で服や肌にキズを付けられながら涙を流して走り抜ける。
どこかに誘導されているような感覚があるが、杏はそれを疑問に思う余裕は無かった。
肌が露出し、血が流れようとも、脇目も振らずに駆け抜ける。
「見つけた!!」
飛びかかる猫又にカウンターで蹴り飛ばしたのは俊樹だった。
大量の汗を流しながら、はぁはぁと荒い息を吐き、杏をかっさらうとそのまま逃げ出す。
「なんで、なんで……」
「大地を探すのはヤバい二人がやってるからな。俺はこっちなんだよ」
屋根から飛び降り、米俵のように肩に担ぐと全力で夜の街を駆ける。
猫又は襲ってくるが、まるで意に返さない。それどころか、目的地があるかのように迷いなく駆ける。
「どこにむかっているのかのぉ?」
「内緒だよ」
だんだんと足が重くなり、速度が出なくなる。それでも足を前に動かし、必死に前へと向かう。
いつの間にか、猫又が襲ってくることが無くなった。
襲ってこなくなっても俊樹は走る。もはや走っているのか歩いているのか分からない速度になっていた。
止まらないことが不思議なくらいだ。
「着いだぞ」
「なんで、ここに?」
辿り着いたのは病院。
大地が運び込まれた大病院の前に、何も知らないはずの俊樹は辿り着いた。
ニヤリと笑みを浮かべるとそのまま膝をつく。
「おぬし!」
「大丈夫だ。先に中に入ってくれ。裏口が開いてるはずだ。場所は、分かるよな?」
ここは吸血鬼である杏を受け入れて検査をしてくれる唯一無二の場所。入る時は常に裏口からなのでよく分かっている。
けれど、何故ここに連れてこられたのかだけが分からなかった。
分からなかったけど、杏は裏口へと向かう。
弱い自分に立ち向かうため、足を前に踏み出した。




