2 返事
「大地、君?」
笑った理由が分からない様子で、手をぶらぶらと揺らして首を傾げている。
所在なさげなその手から一歩距離を取り、
「すいません。付き合えません」
頭を下げる。
この答えは、ちょっと前から決めていた。
もしも、告白が中学の頃にされていれば、首を縦に振って受け入れただろう。けれども、今の僕は駄目だった。
寒奈さんでなくても、他の誰であろうと受け入れられない。
なぜなら、
「僕、好きな人が居るんです。ですから、すいません」
再び頭を下げて説明を述べた。
最初から決めていたことだ。あの手紙が靴箱に入っていた時点で告白ならば断ることは決定していた。
ずるずると先伸ばしにしてしまったのは雰囲気に飲み込まれていたこともそうだが、寒奈さんが綺麗すぎるせいでドキドキしていたことも大きい。
顔はテレビの中で活躍するアイドルに負けてないし、制服の上からでも分かるほどの豊満な胸や凛とした立ち姿は女優と間違えそうなほど。
そんな人を前にしてドキドキしないのであればそいつは男好きか対象外のどちらかだろう。
僕はあくまでもノーマルなので胸が高まっている。
でも、これは恋ではないことも知っていた。
恋を知っているからこそ、僕はこのドキドキが恋ではなくただの緊張から来ていることを確信している。
顔を上げれば悲しそうに瞳を伏せる寒奈さんが見え、その姿は少しだけ小さく見えた。
申し訳ない気持ちになる。
それでも、その気持ちを隠すためにこやかな笑顔を浮かべた。
「えっと……話が終わりなら、これで」
ここに長く居るべきではない。
悪いことをしている自覚と共に背を向けた。
「ちょっと、待って」
制止の声。
必死に絞り出したかのように震える声は先程とは全く違っている。
悔しさや悲しさを押し殺してでも、話したいことがあるのかなと感じ、足を止めて振り替える。
暗闇に完全に覆われた屋上。
視界が暗くなり、人が居ることは分かっても、それ以上の情報が目から得ることができなかった。
耳を澄ませても声や音は聞こえない。部活動もすでに終わっている時間。早く下校しなければ先生に怒られそうだ。
でも、待った。
待ってと言われたから、こうして寒奈さんを正面に見て待っている。
どのくらい時間が経っただろうか?
数秒だと思う。数分だとも思う。感覚が麻痺していることを理解しながら、言葉を待ち続ける。
空には半月が登り、淡い光が僕たちを照らしていた。
満月ならば、顔もしっかりと見えただろうけど半分の月の光では薄く見える程度だ。
「あの、その……本当?」
ようやく聞こえた声は震えている。
嘘であれと願っているかのような懇願する言い方は、寒奈さんが本気だったことを示している。
胸がズキリと痛んだ。
相手を拒絶する行為でここまで痛むことは今までなかった。それだけ、感情を共有しようとしていたのだろう。
迷った。
嘘を言うべきか。本当のことを言うべきか。
もしも、僕が女性の扱いが上手であったならばこんな苦悩はなかったはずだ。相手が傷つかないように上手にあしらっただろう。
でも、できないものはできないのだから仕方がない。
僕は僕にできることをするだけだ。
「うん。本当、だよ」
ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
嘘をついてもいずれバレる可能性がある。本心を押し殺して、付き合うことを決めても、きっと長くは続かない。
だから、はっきりと拒絶の意思を示すことが重要だと感じた。
「僕は、高校生になって恋をした。その子のことはよく知らないけど、見てるだけで凄くドキドキして、心が温かくなるんだ。生まれて初めての恋で……自信はないけど、僕は、この恋から目を背けたくないし、その気持ちを見ないふりして、寒奈さんと付き合うなんて器用のことはできない。だから、ごめんなさい」
深々と頭を下げる。
本心を告げた。
これで泣かれたとしたら百パーセント僕のせいなんだろうけど、心はスッキリしている。雰囲気に流されて自分の意見を曲げずにしっかりと主張したことを誇りに感じた。長く傷つくよりもこの一瞬だけ傷つく。そんな道を選ぶのは間違いかも知れないけど、この選択を後悔するつもりはない。
その気持ちを表すために顔を上げる。
「あの、聞いても……いいかな?」
声と共に足音が聞こえた。
寒奈さんの姿が近づいている。質問のために距離を縮めようとしているのかもしれねい。ならば、逃げずに受け止めよう。
そのために、
「どうぞ」
頷いた。
「好きな人って、誰?」
「えっ?」
なぜその事を聞くのか分からなかった。
寒奈さんには関係のないことだ。むしろ、この流れで告白紛いのことをやらされるのかと思ってしまい辺りを見回した。
人など誰もいない。
二人きりだ。誰かが聞き耳を立てている雰囲気でもない。
なら、いいかな?
別に内緒にしている訳ではない。友達には好きな人の話をしている。これを通じて本人の耳に入ることはないはずだ。なにせ、接点が思い付かない。
深呼吸。気持ちを落ち着ける。
「駄目?」
「ううん。大丈夫。僕が好きなのは、如月杏さんです」
「っ!」
息を呑んだ声が聞こえる。
当然と言えば当然かもしれない。なにせ、色々な意味で有名人なのだ。
「えっと……あの、如月、さん?」
「うん。入学式の新入生代表に選ばれてたのに寝てたせいで壇上に昇らなくて先生に怒られてた。如月さん」
近くの席だったからその怒られている光景はよく見えていた。何度も周りが揺すったり声をかけたりしていたが、一向に起きる様子がなかった。そのせいか、次席の人がいきなりやらされていた。
欠席した場合を考えて控えで準備していたのだろうが、いきなりやらされていたせいでガチガチに緊張していたのも覚えている。
僕の友達であったために思いっきり笑ってあげたのもいい思い出だ。
入学式が始まる前。入場の時は起きていたはずなのに、椅子に座った直後に寝ていた。
まだ、入学してから一週間しか経っていないのに、すでに「眠り姫」と言う渾名がついているほどだ。
「えっと……うん。誰かは分かるけど……私は、止めてみたほうがいいと……」
「なんで?」
「あの、いい噂、聞かないし……」
歯切れが悪い。
まあ、いい噂を聞かないのは本当で、心配なのも理解できる。
でも、好きなものは好きだから仕方がない。
恋は盲目。
まだ、告白なんてしようとも思えないし、付き合うと考えるだけで全身が熱くなってしまうけど、恋してる今は楽しんでいたい。
だから、
「心配してくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だよ。今は楽しいんだー」
「いや、そういう……あっでも、その……」
「歯切れが悪いですけど……どうかしました?」
なんでもない。その、うん。何でもないの」
「そう? なら、そろそろ僕は、帰ります。寒奈さんも帰らないと、ご両親が心配しますよ」
それ以上に、こんなところに居るのを先生に見つかったらきっと怒られる。もう、星が見える時間。肌寒くてこのままここに居たら風邪をひいてしまうかもしれない。
僕は馬鹿だから簡単に風邪なんてひかないだろうけど、寒奈さんは気を付けないといけないはず。
「あっうん。そっか。そう……だよね。うん。帰ろうか……途中まで、一緒にいい?」
「もちろん。付き合うのは駄目だけど、送っていくのはいいよ。最近は物騒らしいからねー」
この町だけではない。色々な場所で事件があるので、こんな時間に一人で女性を帰らせるなんて考えるだけで危ない。
途中までと言っているけど、家の近くまで送りたいとも思う。
まあ、迷惑なら途中までにするけど。
「ありがとう。じゃあ、帰ろうか」
扉の近くに置いてあった荷物をそれぞれ持つとドアノブを回した。
鍵はかかっていない。もし、かかっていたとしても、外側から開けられるので問題はない。
だから、開けた。
「やあ」
『…………』
無言で扉を閉めて鍵をかけるが、かけるたびに即座に鍵が開く。
手遅れ感がひどく心に突き刺さる。
「あはは。手遅れだよ。一緒に怒られよ」
「はい」
寒奈さんの声で諦めて扉から離れる。
開け放たれた扉からは先生がやってくる。
そしてそのまま生徒指導室に連れられ、一時間ほどの説教を受けて、先生に送ってもらうことになった。
残念そうに「ゴメンね」と笑う寒奈さんの顔は恐らく忘れられない思い出になるだろう。