夏の話 8
家に帰ってからは息をつく暇もなかった。
隣に引っ越してきた貴船一家の挨拶に始まり、叔父叔母の談笑が弾む。
元々貴船一家は隣の家に住んでいたのだが、事情があり引っ越ししてしまった。しばらく賃貸に出していたが、借り手も付かないため、ならこちらに住もうとなったらしい。
三咲はと言うと、叔父さん叔母さんの話に入るわけにもいかず、ひたすらに気配を消していた。亘理のご両親のことは三咲もよく知っており、話をしたい気持ちはあったが、あまり三咲が楽しそうに話すのを、叔母は好まないからだ。
お馴染みの蓮を褒めたたえる叔母の言葉を聞きながら、三咲はそっとトイレを偽り、玄関へと足を向ける。
外に出ると、同じく話好きの両親に辟易しているのか、亘理が庭でぼんやりと星を眺めていた。三咲に気づくと、ふと口元を緩める。
「さっきは、間に合ってよかった」
「あ、はい、その節はどうも……」
どういう言葉遣いをしていたかが思い出せず、ついぎくしゃくと返事をしてしまう。
幼馴染と言っても、遊んでいたのは三咲がこの家にいた五歳くらいのことだ。
「おじさんとおばさんは?」
「ええと、まだ中で話を……」
「じゃなくて、三咲ちゃんの」
「……」
そうか、先に引っ越してしまったから亘理は知らないのか、と三咲は俯く。
「えっと、亘理くんがいなくなってからすぐ、事故で亡くなって……」
「えっ⁉」
「私もそれから引っ越しちゃって、ここに戻ったのは最近なの。事故の後建て直しして、今は叔母さん――お母さんの妹さんね、の家になってる……」
「そ、うか……ごめん、嫌なこと、聞いちゃって」
「あ、ううん、別に……」
再び沈黙が落ちる。確かに今ではあまり人に話すこともない。
三咲の両親は自宅での事故に巻き込まれて死んだ。
三咲は偶然、一人祖母の家に来ており、巻き込まれずに済んだということだけが知らされた。小さい頃は思い出す度に泣いていたが、あれから十二年も経っている。
亘理はしばらく言葉を選んでいたようだが、どれも言うに及ばず、結果無言の時間だけが続いた。居心地の悪さに三咲は目をそらす。
(亘理って、こんなだったっけ……)
昔の亘理は三咲よりも気が弱く、おまけに薬の副作用かなにかで、いつもぱんぱんに太っていた。その容姿のせいで、よく幼稚園の男子からいじめられていたものだ。
公園で遊んでいた時もよく上級生に絡まれ、その度三咲の方がやり返していたような記憶がある。体が弱くて、たびたび熱を出して、という記憶が嘘だったのではないかと思えるほどの変貌ぶりだ。
だが三咲自身も変わってしまったからおあいこだろう。この変わりすぎた見た目で、よく一目でわかったものだと感心すらしてしまう。
(そういえばさっきの……何だったんだろう)
先ほどの感覚を思い出す。
額を寄せ、大人には聞こえないようにした――約束。
なんだかすごく懐かしいはずなのに、いつのことだったか思い出せない。
「おれ、北校なんだ。ここから遠いけど、三年で転校するのもややこしいから」
「そ、そうなんだ」
なんとか会話をしようとする亘理の優しさを申し訳なく思いつつ、三咲はこの場を離れたいと思うばかりだった。
あまり外にいるとまた叔母さんに怒られるかもしれないし、こんな情けない姿になった自分を、昔の三咲を知る亘理に見られたくなかった。
「わたし、そろそろ戻るね。亘理くんも――」
「亘理でいいよ」
必死に切り上げようとする空気を感じたのか、慌てて亘理が切り出す。
「くん、はいらない。三咲ちゃんはいつも亘理って呼んでたから」
「う、うん、じゃあ……」
玄関のドアを閉めようとする刹那、亘理はもう一度三咲の名を呼んだ。そして。
「――その、……約束の! ことなんだけ、ど」
ばたん、と会話は閉ざされた。
誰かが一人。
泣いている。
「どうしたの?」
なんでもないよ。
「寂しいの?」
そうかも、しれないね。
君は寂しくないの?
「寂しいけど、おばあちゃんがいるから、だいじょうぶ」
そっか。
「でも、おばあちゃんもいなくなったら、ひとりぼっち……」
じゃあ、君がひとりになったら、僕が迎えに行くよ。
いまよりずっと強くなって。
「ほんとに?」
うん。約束。
「えへへ、なんだかけっこんみたい」
結婚?
「本で読んだの。およめさんになって、好きな人と、いつまでもいつまでも幸せに暮らすの……」
我ながら最悪の目覚めだった。
「どうしよう……」
そうだ、確かにそう言った。
いつだったか、男の子が公園にいて、そんなことを口走った記憶がある。
もしかしたら、いやもしかしなくても――相手は亘理なのではないだろうか。そもそも本人が「約束」って言っていたし。
(うわー……)
だが考えてみれば子どもの約束だ。今になってどうこうというものではない――と考えたところで、三咲は亘理の「恐ろしいほどに真面目な性格」を思い出してしまった。
もし。万一。こんな口約束を、本気で守らなければと思っていたらどうしよう。
(いやでも高校生にもなって流石にそれは……ない、はず……)
昔一度だけ、亘理と遊ぶ約束を忘れてしまったことがあった。
三時間ほど経って気づいた三咲が「さすがに帰っているだろう」と走っていくと、亘理は帰るどころかじっと公園で待ち続けていたことがあった。しかも真冬だ。
(とりあえず、あまり関わらないようにしよう……)
幸い学校も違うため、三咲が学校でどんな扱いを受けているか、気づかれることも無いだろう。三咲はそう思い直すと、いつもの通り早朝から学校へ向かった。