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夏の話 6



 随分と軽くなった髪が、夜風に流れる。

 ようやく自宅の明かりが見えたが、安堵ではなく不安がよぎり、思わず足を止めた。


 今日も叔父さんはいない。

 何か言われるのに慣れている、とは言え、自分の心が悲鳴を上げているのも分かる。心が亡くならないというのは、こうも辛いものなのか。

 そこに安らぎはないとわかっていても、自分にはそこしか帰るところがないと、安寧のない家を見やる。




 その視線の先で、ふと何かを感じた。自宅の少し向こうに、一人の男性が立っている。

 街灯はなく、誰か見極めることは難しい。 身長はかなり高そうだが、年齢や表情などは分からない。ただ恐ろしいことに、その眼はしっかりとこちらを見ていた。

 まっすぐな視線。

 暗闇の中にあっても分かるほどの金色の目は、わずかに青く光っているかのようにも見える。その異様さに、三咲の体から嫌な汗が噴き出した。


(……誰?)


 思わず身構え、先ほど来た道に戻って様子をうかがう。

 近づいて来たらどうしようと息を潜める。だが足音が接近するでもなく、しばらくすると男は消えていた。恐る恐る顔を覗かせ、いなくなったことを確認すると、三咲ははあーと深く息を吐く。一体、あれは何だったのだろうか。

 ようやく帰宅した家で、胃が痛むような言葉をぶつけられながら、いつものように台所で一人こっそりとご飯を食べる。……その予定だったのだが。



「なにそのださい前髪。似合うと思ってんの」

「……」

「てか、なにやってんの。いつもこんな遅くないよね」

「ええと……」


 何故か今日もまた、いとこの蓮が向かいに座って何やらぺらぺらと喋っていた。

 いつからだろうか、彼は三咲が一人で食べている時にやってきては、残していた夕飯を温めなおして食べているのだ。


(間食ダイエットか何かかな……)


 昔はそこそこ仲が良く、お姉ちゃんと懐いてくれていた気がしたのだが、今はそんな可愛さのかけらもない。

 そして叔母ほどではないが、彼の言葉もなかなか辛辣で、大抵は「ブサイク」「ごはんがまずくなる」と言われ続けている。正直一人でこっそりと食べたいのだが、嫌がらせだろうか、彼は相も変わらずしゃべり続けていた。

 ついでに三咲が作ったご飯も食べられていくからたまらない。


 両親が残した貴重なお金から捻出している食材費なのだが、そんな思いを知る由もなく、蓮は不機嫌そうに自身が載っている雑誌を眺めていた。

 表紙には濃い金の髪をした美男子が、冷めた笑顔を浮かべている。幅の広いくっきりとした目は綺麗な蜂蜜のような色をしており、ちょっと怖いくらいの整い方だ。


「また表紙が三瀬だよ。ぼくの方がこの雑誌長いのにさ」

「は、はあ……」


 さんぜ、と呼ばれた人物は確か叔母も気に入っている最近人気のモデルだ。

 テレビやドラマにもよく出ているらしく、教室でもよく名前を聞く。こんな顔だったのかという感想もそこそこに、とにかくその場を離れたくて席を立った。食べ終えた食器をなるべく静かに洗う。


 だが愚痴をぶつける相手が逃げようとしていることに不機嫌を強めたのか、一層強い語気で気を引くように蓮がつぶやいた。


「このへんさぁ、最近不審者が出るんだって」

「……!」


 普段なら何を言われても気にしないよう、聞き流すことに終始する三咲だが、今日の話題には思わず反応してしまった。


 不審者。

 先ほど出会ったのは、まさにそれではなかったか。先ほどのあまりに強い視線を思い出し、ぶるぶると頭を振った。だが三咲のそんな様子には気づかず、蓮はどこか得意げに話を続ける。


「まあ、あんたくらいデブでブスなら、狙われたりはしないだろうけど? 一応女なんだし? 遅くなる時は僕に言ってくれたら――って、いないじゃん! なんだよ!」







 翌日も同じように朝早くから家を出た。

 不審者に会うのは嫌だったが、今日も机が荒らされていないかを確認しなければならない。


 幸い昨日は冬木たちもすぐに帰ったらしく、机には何もされていなかった。

 ほっと息をつき、読みかけていた本を開く。そう言えば昨日はこの時間に麻中さんが来ていたな、と思い出したが、今日は姿がない。

 そのことに安堵と残念という複雑な気持ちを抱えて、三咲は始業までの時を待った。



 その日から五日間は、三咲にとってつかの間の平穏となった。

 夏休み前の期末考査が行われており、この時期だけは冬木たちもちょっかいをかけてこないのだ。正確には放課後も残っている人間や教師が多いため、手が出せないというべきか。

 余談だが、ざんばら頭のままだろうと思っていた三咲の髪が、綺麗に整えられていたことに冬木たちは少し驚いていた。

 その理由を聞きたいという顔をしていたが、それを聞く暇はない。

 彼女たちの成績は、補講がすぐのところに控えているからだ。


 一方で叔母に怒られないため、必死に成績を維持している三咲からすれば、この期末考査のつらさは、緊張こそあるものの普段の生活の比ではない。


 そして当然、この間も桐人との契約は続いていた。

 こちらの方がむしろつらかった。





「……! ……‼」


 もはや息を吸う・吐くという単純なことすら難しいような状態で、三咲は参道の端に倒れこんだ。

 考査中は、今までより早い時間から石段上りを始めることが出来るため、気づけば往復する回数が三回から六回に増えていた。ちなみに「試験期間だから休み」なんて、心優しい部活動的なことは一切ない。


 石段往復を始めてから、幾度となく足と腰の筋肉痛が三咲を襲った。

 がちがちになった体を奮いたたせて上っていたら、上空から「どんだけや」という声が聞こえた。なんともひどい言われようである。


「ごくろさん」


 今までどこに居たのだろうか、気づけば桐人が倒れこむ三咲を覗き込んでいた。

 汗だくの彼女に対し、普段通りの涼しい面で影を落とす。ざわめく木々の葉擦れの音、彼の黒い髪がさらさらと流れた。

 たしか今五回半、今日はこれを下ったら終わりのはずだ。


「今日はあと二往復でええ」

「ふえてるー!」


 思わず目を見開く。

 この狐は時々、いや常々こんな感じでさらっと増やしてくるからたちが悪い。


「あのー……」

「なんや」

「これって、いつまで続けるんでしょうか……」


 神社を元通りにしたいということは聞いたが、具体的にあと何日これをすれば終わりになるのか。八つ裂きになるリスクをいつまでも抱えていたくはない。

 桐人は少し首を傾げ、黒い手袋に覆われた指を、ひとつ、ふたつと折り曲げ始めた。体を起こした三咲は、その動きを瞬きで追う。

 指が左手に移動した。あれ、折り返してる。……もう一度折り始めた、ぞ……?


「ざっと」

「ざっと」

「いちまん」


 いちまん。

 一万回。一日六往復したとして、一六六六日。四年半ではないか。盆も正月もない!


「これで上がる神威なんてそんなや。あんたがもっと高い霊力の人間か、もしくは――」


 いや、と桐人はそこで言葉を切った。

 一瞬違和感を覚えたが、すぐに思考を切り替える。


「じゃ、じゃあ、他に方法とか……もう少しこう、早く片付くような……」

「ないことはないけど」


 あるのかよ!


「人間や無くなるけどええの」


 良くないわ!


 心の声が顔に出ていたのだろうか。

 桐人は言うを止め、くっくっと堪えるように笑った。


 以前は気のせいかと思っていたのだが、桐人は意外と笑うことが多い。


「あんた、なんで猫かぶるん」

「……ねこ?」

「よそで。もっと言うてやったらええのに」


 何が言いたいのか、察しは付いた。

 家でも学校でも、こんなに人に言葉をぶつけることはない。

 訳の分からない悪意をぶつけられているからか、言うだけ無駄という徒労感に慣れてしまったのか。叔母や冬木たちに何かを言おうとすると、どもってしまって上手く喋ることが出来ないのだ。

 それが更に相手を苛立たせる。

 そしてひどくなる、その繰り返し。であれば、言わずに事が過ぎるのを待つのが得策だと、口を噤んでいたのだ。

 考え込んでしまった三咲を一瞥し、桐人は拝殿の端に座る。


「まあ、僕にはどうでもええけど」

「……」


 その時、突然目の前にいた桐人が姿を消した。


 


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