冬の話 12
裁きの場は、ただ静寂だけが取り残されていた。
そのあまりに凄惨な映像に、言葉を無くしてしまったのだろう。
「――扇森鼎」
中央の御簾から、重々しい声が響く。
「君は天狐候補に自ら結界を解くように強要した。それはどうしてかね」
「……それ、は」
「結果として彼は襲われ、おそらく悪鬼と化しただろう。……ここからは私の推論だが、彼はそのまま、自身の家族が待つ家に戻ったのではないかな」
前後不覚となった恭一は、そのまま妻と子どもに手をかけようとした。そこを桐人が止めようとしたのでは、と御先稲荷は続ける。
「亡き天狐候補が最後に残した言葉。無下には出来ないよ。……詳しく話を聞かせてもらおうか」
「……ッ」
「扇森鼎を捕らえよ。此度の件は、今一度審議を行うものとする」
武装した狐たちが鼎の体を捉え、武器を以って地へ伏せさせる。磔にされた姿のまま、鼎はただ悔し気に顔を歪めた。
ようやく涙を収めた三咲もまた、鼎――蓮の方を見た。
これできっと、桐人の罪は晴れる。父が残してくれた最後の言葉で救われた。
だが三咲の心は、晴れるどころか悲しみで満たされている。
「蓮くん……どうして……」
「なんであんたが泣くのさ。分かったでしょ、全部嘘だったの」
そう言うとにやりと鼎は笑った。それどころか、桐人を睨みつけて叫ぶ。
「たしかに、結界を外させた罪は認めるよ。でもだめだ。兄さまの罪はこれだけじゃないよね?」
自らの罪を暴かれたと思えない冷静さで、鼎はなおも言葉が突き刺す。
「裁きは終わっていない。だって、扇森の――御霊が失われているんだから」
その言葉に、室内が再びややと騒めいた。
御簾の向こうから、静かに声が返る。
「それは本当かな、扇森の御霊が失われているというのは」
「そうだよ。見栄っぱりな父様は言わないだろうけど。……御霊は家々が引き継いできた宝。それを桐人兄さまが奪ったんだ」
みたま、と聞きなれない言葉に、三咲は桐人を見上げた。
彼もまた感情を見せないまま、ただ黙って三咲の肩を守るように抱き寄せる。
「それは本当かい、桐人」
「……」
何も答えない桐人に、鼎がしたり顔を滲ませた。
「ぼくはおそらく絶縁されるだろうね。でも御霊を損なった体面上、兄さまも扇森には戻れない。……残念だね、これで扇森の血はおしまいだ」
三咲はこの時ようやく、御先稲荷はなによりも血統を尊ぶと聞いた事を思い出した。
「桐人は、もう扇森の家には戻れないの?」
「……元から戻る気ないわ」
「で、でも、戻らなかったら桐人の家は? 白狐は血統を大事にするって、氷坂が……」
「別にどうもせん。扇森は後継ぎがおらんくなるし、たとえ僕が戻ったとして、嫁に来るやつもおらん。自然と無うなるわ」
家を持たない狐は、仕えるべき神も社も持たず、ただ野狐として生涯を終える。同じく後継ぎを失った家も、新たな血を得ることが出来ずに潰える。
役目を果たさぬ御先に、幸せな未来はない。
桐人はそれを受け入れているのかもしれないが、その場合桐人の帰る家はどうなるのだろうか?
三咲は祖母がいなくなって、心から安らげる場所を失ってしまった。桐人もそれと同じになってしまうのだろうか。
それはなんだか――いや、とても嫌だ。
普段と変わらぬ調子で話す桐人を見て、三咲はしばらく俯いて何かを考えていた。
そして何かを決心したのか、桐人と正面から向き合うと、力強く拳を握った。
「よ、嫁なら私がなるから!」
「……は?」
「だって、約束もしたし……」
「自分、何言うとう」
「嫁がくれば扇森の家は続くし、そしたら桐人が帰るところも出来るし」
「あほ、僕のことはええ。意味わかっとるか。狐の嫁ってことは、人や無くなるいうことやぞ」
「でも、このままだと桐人が」
だめだ。話がかみ合わない。
三咲は桐人の家を残したいと申し出ているが、桐人は一度扇森から出された身だ。万一戻れるとしても、同じだけの神威を取り戻さなければならない。
どこか他の社が引き取り、それまで修行の場を与えてくれれば別だが、これだけの問題を引き起こした狐を引き取る家はまず無いだろう。
「……ええから」
見上げてくる三咲の髪を、桐人が撫でた。
その声が優しすぎて、三咲は逆に不安を覚える。まるでこのまま消えることを望んでいるような。
いやだ。自分に出来ることは、もう無いのだろうか。
その時、御簾越しに見ていた御先稲荷の一人が声をかけた。
「まあまあ、せっかくの告白をそこまで無下にしなくても」
「……?」
声の主は、先ほどから鼎に追及をしていた、中央の人物だった。
薄橙の狐火が御簾の向こうでちらちらと揺れている。三つある御簾の真ん中ということは、この中で一番上位の狐なのかもしれない。
「気に入った。桐人、君を私の社の寄席にしよう」
その言葉に、場全体がざわりとさざめいた。
え、と三咲が声をあげる間もなく、横から飛ぶような指摘が刺さる。
「正気ですか⁉ 貴方様の家に、このような前科者を」
「ましてや自らの家の御霊を失い、家を潰した当人を!」
「お考え直しください!」
御先稲荷の家は、子が継いで御先になる。その流れから外れたものは、一生御先にはなれないのが常識だ。ましてや、上位の位である寄席に、野狐を入れるなんて例がない。
言われた桐人も、突然の申し出に言葉を失っているようだった。
「勘違いしないでおくれ、僕はそこのお嬢さんに恩があるんだよ」
「……?」
そこの、と言われた三咲は、自分の方を指さしながら首をかしげた。何のことだか分からない、ときょとんとしている様がおかしかったのか、御簾の向こうからくすくすと笑い声が漏れ聞こえる。
やがて固く閉じられていた御簾がすう、と持ち上げられた。
周りには、陽炎のように揺らめく狐火。
男性用の和装と、とても豪華な外套と袖が隙間から見える。やがて全て明らかになったその人物の姿に、三咲は絶句した。
「……藤田、さん⁉」
「三咲ちゃん、いらっしゃい」
そこには連日通っていた神社の世話人が、穏やかな笑顔を浮かべて座っていた。
おかしい。桐人よりもずっと上、高位の狐がいるはずでは。
「藤田さん、が……狐?」
「うん。これでも元・天狐の一人だよ。いつも買い物を手伝ってくれてありがとね」
「……天狐?」
三咲の頭が、理解の限界を越えつつある。
人間と思っていた藤田さんが実は狐で、おまけに天狐で。隣に立つ桐人も知らなかったらしく、動きが完全に停止していた。
「とはいえ、僕はずいぶん前に引退した身だから、ただの古くて小さい社だよ。それでもいいかな」
その言葉に、桐人はようやく状況を理解したのか、藤田の前に正対するとす、と膝をついた。頭を下げ、深々と礼を述べる。
「……身に余るお言葉です」
こちらこそという藤田の返事に、先ほどまで騒がしかった場が、しんと静まり返った。どうやら桐人の首は皮一枚繋がったらしい、と三咲は嬉しそうに微笑んだ。




