冬の話 10
「お言葉ですが、今一度その真偽を確かめていただけないでしょうか」
「……真偽、というのは?」
「彼が……桐人が、私の父を殺すとは思えないからです」
三咲の言葉に、桐人の肩がわずかに振れたのが分かった。
「ほう、何を根拠にそう思うのかね?」
「天狐の地位を奪うために殺したと言いますが、それであれば、私が生まれる以前に実行することも出来たはずです。ですが彼は、私を殺し損ねるどころか、その数年後死にかけた私を救ってくれました――それに、これを」
言いながら三咲は、手にしていた絵馬を前に差し出した。
下位の狐らしき人物がそれを盆に載せ、上座へと運ぶ。
「これは?」
「私の父が書いたものです。ここに、彼の願いが書かれています」
「……恭一さんの……?」
桐人は思わず面を上げた。どうやら彼も絵馬の存在を知らなかったようだ。
御簾の前に差し出された絵馬を見て、御先稲荷達はふむ、と声を漏らす。
そこには綺麗な筆文字で『三咲と桐人がいつまでも元気でいられますように』と書かれていた。
「このように父は、桐人のことを大切に思っていました。自分を殺そうとしている相手だとしたら、どうして幸せを祈ることが出来るでしょうか」
三咲が生まれる前から築かれていた、父と桐人の絆。
自分の娘と同列に彼の安寧を願っていることが、なによりの証だ。
「きっと何か、他の理由があるはずです。桐人が私の父に手をかけなければならなかった、本当の真実が。どうかそれを明らかにしていただけないでしょうか!」
三咲の哀訴を受けて、場は水を打ったように静まり返った。
大罪人・桐人を裁くはずが、死んだと思われていた当時の生き証人が現われ、その上再審議を願い出ているのだから。
行き場のない結末に、どうしたものかと密やかな声が起こる。もしかしたら桐人が助かるかもしれない、と三咲が安堵の表情を浮かべたその時だった。
「――ちょっと待って。その絵馬に何の力があるっていうのさ?」
澄んだ鈴のような声が、色めき立つ場を諫めた。聞き覚えのある声に、三咲は目を向ける。
狐火の明かりがちらついてよく顔が見えないが、傍聴席らしき一角から、背の高い一人が立ち上がったのが分かった。
「これは扇森の。どういうことかね」
「確かに兄と候補の間には信頼関係があったのかも知れない。でもそれは全て――天狐の地位を得るための準備だったんじゃないの?」
扇森の、と呼ばれていることから、桐人と同じ一族なのだろう。だがその姿が明るみに出るにつれ、三咲は目を大きく見開いた。
美しい金の髪に緑がかった琥珀の瞳、均整の取れた体つき、それら全てに三咲は見覚えがあった。思い出したなどではない。
その姿を三咲は――ずっと見ていた。
「――鼎」
こちらに近づいて来る彼の姿に、桐人は苦々しく呟く。
その言葉に三咲は再度驚いた。
何故ならそれは、彼女の知る名前ではなかったからだ。
「……蓮くん、どうしてここに……」
桐人が「鼎」と呼んだ人物は――三咲にとっての「蓮」という存在だった。
三咲に蓮と呼ばれた青年は、わずかに笑みを浮かべた。
「どうも。今頃気づいたの、ブサイク」
「本当に蓮くん、なの……?」
「あいつは、僕の弟――鼎や」
かなえ、と聞き覚えのない音が隣に座る桐人から告げられた。
しかも弟。桐人の、ということだろうか。
「えっちょっどういう」
「鼎は神威が弱うて、人の子として大きうなった狐や。おそらくその蓮いうんは、ちいそう時に鼎の【シタ】になっとる」
小さい時と言われても、いつのことだ。一体いつから狐として生きていたのか。
「自分で契約できん歳やから、多分オサキモチに近い家柄から扇森が選んだんや」
「で、でも【シタ】ってことは、亘理と氷坂みたいに、入れ替わったり……」
「あいつらは自分の意思で契約をしとう。でもこいつは自我を持つ前の赤ん坊に降りとる。それぞれ別個にはなれん」
人の体と狐の魂。彼は蓮であり、鼎。その二人を切り離すことは出来ない。
見る人によれば、蓮の容姿は狐憑きで成長した者に、特別に与えられる美しさや特徴だとわかったかもしれない。中には、この人離れした顔立ちや体を求めて、自ら我が子を狐に差し出す家もあるという。
桐人は自らの失態に唇を噛んだ。
狐の匂いには気を張っていたが、狐憑きは匂いがほぼ人間と変わらないため、特定が非常に難しい。三咲の叔母に憑いていた狐に気づけなかったのも、鼎が何らかのまじないを施していたからだろう。
再び沸き立つ場内を一括するかのように、鼎は凛とした声を響かせる。
「こそこそうるさいなあ。……兄さまは天狐候補を油断させて、安心しきったところを殺した。子どもが生まれるのを待ったのは、万一の時人質として使うため……そう考えるのが普通じゃない?」
「だから、それは……」
「こんな絵馬一つ、何の証拠にもならないし」
そう言うと鼎は、御簾の前に置かれた絵馬の前に歩み出た。流れるような仕草で、袖口から小さな刀を取り出すと、絵馬の上でくるりと刃先を下にする。
「――やめッ……!」
三咲は慌てて立ち上がるが、ふ、と流れるように鼎は指を離した。
残された、数少ない父の形見。何の証拠にもならないとしても、せめて。




