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??のはなし 3


 そしてあれは、その年初めての雪が、朱色の鳥居に色を添えた季節だった。


 その日は朝から落ち着かなかった。

 病院の廊下を右に行き、左に行き、また右に行くあたりで桐人がたしなめる。


「恭一さん、ちょっとは落ち着きません?」

「桐人だって雑誌が上下逆やし」

「こ、これはこう読む修行やし」


 ぎゃいぎゃいと小声で騒いでいたその時、廊下の向こうから看護師が現われ、満面の笑顔で伝えた。


「おめでとうございます。元気な女の子ですよ!」


 その言葉に、二人して立ち上がり、一目散に病室を目指す。産後の処理やらでなかなか入れないのにやきもきしながら、なだれ込むように飛び込むと、一番に若葉の顔を見る。


「……おつかれ!」


 若葉はさすがに疲れ切っており、弱々しく腕を挙げるとすぐにうつらうつらとし始めた。母親の隣にいる小さなそれを、恭一と桐人は覗き込むように見つめる。

 しわしわで真っ赤なそれは、とても小さかった。

 どれも脆くて小さくて、触るだけで壊してしまいそうだ。

 恭一が恐々抱き上げる。その姿を桐人が見つめていると、若葉がそっと声を掛けた。


「桐人も、抱っこしてあげて?」

「えっ、でも……」


 遠慮しようとする隙も無く、恭一がほい、と目線の高さに下ろしてくる。仕方なく慎重に腕を伸ばして抱き上げた。

 思ったよりずしりと重たい。

 こんなに小さな人間なのに、生気が溢れ出ているかのようだ。しげしげと顔を覗き込むと、桐人を見てかすかに笑った気がした。

 かわいいな、と思った。




 それから、あっという間に季節は過ぎた。

 三咲と名付けられたその子どもは、両親から愛されてすくすくと成長した。桐人もその姿を同じように見守っていた。

 春が来れば桜を見、夏の花火の音に泣き叫び、秋は自らの歯でものを食べるようになり、冬は寒くないかと桐人が甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 その姿に「本当の兄のようだ」と若葉から言われた。鼎と共にいた時はそんなことを言われなかったので、なんだか不思議な気持ちだった。


 三咲が寝返りをうち、這い、座り、立ち上がり。桐人と恭一たちはその度ごとに慌て、喜び、笑った。

 もしも幸せだった時を選べと言われたら、きっとあの六年間のことを指すに違いない。

そしてどうか、あの頃の自分に伝えてほしい。


 ――いつか終わりは訪れるのだと。




 

 あれは何の季節だっただろうか。

 

「きりひと、えほんよんで」

「ええよ、おいで」


 いつものように桐人の膝に座り、三咲が絵本を開く。まるで本当の兄妹のようなその姿を見ながら、若葉は申し訳なさそうに手を立ててみせた。


「桐人君ごめんね、ちょっと三咲と遊んでてもらえる? あの人なかなか帰ってこなくて……なにやってんのかしら」

「ええですよ、どうせ暇やったし」

「ありがとね~ ……桐人君、すっかりあの人の訛りが移っちゃったわね」

「そですか?」

「そです」


 ふふ、と笑うと若葉は夕食の準備に台所へ消えていった。桐人は意識していなかったが、確かにちょっとイントネーションがおかしくなっている気がする。

 誰かに変化する時、影響が出なければいいが、と桐人は少しだけ口角を上げた。


「えっまたこれ読むん? 好きやなあ……」

「うん!」


 三咲が開いたのはお姫様の絵本だった。

 とある国のお姫様が、全てを無くした後、陰ながら守ってくれていた騎士の存在に気づき、結婚するという話だ。

 最近のお気に入りなのか、もう何回も読まされてすっかり内容を覚えてしまった。


「……昔々、あるところに綺麗なお姫様がおりました……」


 桐人のよく通る声を、三咲は眼をキラキラさせながら聞いている。


 数日前、約束をしたはずの幼馴染が公園に来なかったと泣いて帰ってきたことがあった。

あの時は宥めるのに一苦労したが、今ではすっかり機嫌が直っているようだ。

 

 柔らかくて、小さい生き物。

 扇森の家では、鼎とこんな触れ合いをしたことはない。こんなに幸せなものならば、もっとしておけばよかった、と桐人はぼんやり思った。


 絵本のページは進み、弱かった騎士は強くなり姫を守る。

 だが姫はそれに気づかず、隣の国の王子に恋をするばかり。

 読むたびに思うが、このお姫様はどうして騎士に気づかないのだろうか。振り向かない相手より、陰ながら守ってくれている相手がいるというのに。腑に落ちない。


 桐人がちらと外を伺うと、すっかり日は落ち、雪花がちらほらと舞っていた。

 恭一さん遅いな、と首を傾げたその時だった。


「――!」


 ぴんと張った糸がふつと切られたような、嫌な感覚が桐人を襲った。

 まさか、そんな。慌てて三咲を見る。


 すぐに背中にぞわりとした神威を感じた。

 一瞬で汗が噴き出す。振り返ると扉の傍に、長い狐の耳と尾を生やした何者かが立っていた。その邪悪な神威が、三咲に向けられていることに気づき、桐人は三咲を庇うように身を投げた。


「……!」


 だが桐人に衝撃はなく、代わりに目の前に、鮮明な赤が弧を描いたのが見えた。

 その光景に、桐人は扇森の家に飾られていた御霊の組紐を思い出す。


 しゅるり、と宙を舞ったその飛沫が桐人の顔にかかり、斜めに入ったその血筋に桐人は呆然とした。


 桐人の前には若葉がいた。

 彼女は三咲と桐人、二人を庇わんと自らの身を差し出したのだ。



 

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