冬の話 7
三咲は確かに約束していた。
それは間違いない。
公園、男の子という記憶から、てっきり亘理と交わした約束なのだと思っていた。
しかし亘理自身が、約束の場に来ていないことを証言している。
だが三咲には、公園で言葉を交わした記憶がある。
――誰と?
過去の欠片を探る。
歪にゆがめられた記憶が、正しい時間に戻っていく。
そうだ。あの約束をしたのは、両親がいなくなって祖母に引き取られてから。――亘理がいなくなった後のことだ。
カチリ、とバラバラだったピースがはまる音がする。
その『約束』を境に閉じ込められていた「亘理と別れてからの記憶」が、正しい位置に舞い戻ってくる。自分との約束を、勝手に亘理との約束だと誤認させ、その間に起きた事件や事実を折りたたんで隠した奴がいる。
断片的な映像が、三咲の記憶を飛び交う。
でも、本当に大切な部分だけがない。
どうして。
どうして忘れていたのだろう。こんな大切なことを。
違う、忘れさせられていたのだ。あの『約束』の人に。
「三咲ちゃん? 大丈夫、気分悪い?」
「――っ!」
亘理から名を呼ばれ、ようやく三咲は自分のいる場所を思い出した。
三咲はあの人とした『約束』を、亘理としたものだと思い込まされていたのだ。それが正しい位置に戻った瞬間、その間に塗り潰されていた『真実』が映写機のフィルムのように、するすると紐解かれていく。
いてもたってもいられなった三咲は、亘理に頭を下げた。
「ごめん、亘理。私行かないと」
「三咲ちゃん、え、どこに」
答えを待つ間もなく、亘理を残して三咲は飛ぶように帰ってしまった。
恋人たちしかいないデートスポット、しかもクリスマスイブという日に、一人立ち残された亘理は呆気にとられながらも苦笑する。
『あれ、振られました?』
「ま、まだ振られてないよ! 多分……」
頭の片隅に響くように、氷坂の声がする。主導権を渡していないときでも、こうして意識の中であれば会話が出来るのだ。
『まあでも、謝ることが出来ただけで、まずは良かったのでは?』
「それはそうなんだけど……ほんとは、ちゃんと約束しなおしたかったんだ」
『約束のし直し?』
「うん」
亘理はコートのポケットに手を入れると、中から小さな箱を取り出した。可愛らしく包まれたそれには、三咲に似合うよう懸命に選んだブレスレットが入っている。
「もしあの公園で約束をしていたら、おれは言うつもりだったんだ。三咲ちゃんが好きで、絶対に帰ってくるから、その時はお嫁さんになってほしいって」
そう氷坂に答えると、亘理は手にしていたプレゼントを再びポケットの中に戻した。そのままツリーに背を向け、氷坂との会話を楽しみながら家へと戻っていく。
「今日、謝って……改めて、その約束をするつもりだったんだけど、……どうやら、まだそんな状態じゃないみたいだから」
『俺は諦めなくとも大丈夫だと思いますよ。彼女は狐の嫁には最適ですから』
「うん。勝負はまた次回かな」
しかし、どうも相手が強すぎる気がする。
と、亘理と氷坂は口に出さないまでも、同じ相手を考えたのであった。
一方三咲は、いつもの道を全力で疾走していた。
目指すは神社。毎日のように通っていたあの場所である。
(だから、見覚えがあったんだ)
桐人に呼ばれ、最初に神社に上った時、言いようのない既視感があった。
写真か何かで似た風景と見たのかと思っていたが、そうではない。三咲は以前この場所に来たことがあった。
過去最高の速度で石段を駆け上り、参道へとたどり着く。そのまま手水場を抜けて、絵馬の奉納所へと向かった。
ずらりと並んだ古めかしい絵馬。訪問する人か少ないせいか、かなり昔の年代のものも残っており、結びつける紐はボロボロだ。三咲はそっとそのうちの一つを裏返し、続けて次の絵馬、次の絵馬とめくり始めた。
合格祈願、子宝に恵まれますように、と書かれている様々な願いを目で追いながら、ひたすら目的の絵馬を探す。
下の方には端が割れ、文字が読めない絵馬も見える。三咲は一瞬不安になるが、振り払うようにひたすら探し続けた。
そしてようやくたどり着いた一つの絵馬を手に、安堵の息を漏らす。
「……あった……」
表面はなんら他の絵馬と違いのない柄。その裏面には「わたりがげんきになりますように」と書かれていた。これは三咲が書いたものだ。
そんな小さい子どもだけで、ここまで来ることは出来ない。当然保護者も一緒のはずだ。
三咲は震える手で、その隣に結びつけられた絵馬を取る。
「……おとう、さん」
その絵馬は、角が少し泥で汚れていた。
一番下。子どもの付けられる位置にしゃがんで結んでくれたのだろう。
恐る恐る裏返すと、そこには父の綺麗な筆跡で書かれた言葉があった。
それを読んだ三咲は、思わず目頭に熱が宿る。
どうしてだろう。父親の文字なんて、いままで気にしたこともなかったのに。
書かれている言葉が、十数年の時を経て、ようやく三咲に届いた。
それは間違いなく父の言葉だ。
私はこれを――桐人にも伝えなければならない。
三咲ははあ、と白く息を吐き、潤んでいた目を何度かしばたたかせると、涙の塊を散らした。
泣くにはまだ早すぎる。
ごめんなさいちょっと借ります、と父の絵馬をほどいてカバンにそっとしまい込み、三咲は再び走り出した。




