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冬の話 5


「ええと、三咲ちゃん用事って……」

「その……申し訳ないけど、氷坂に代わってもらえないかな。もしかしたら何か知っているかもしれないし」


 え、あ、うん、と慌てた返事のまま亘理は、右親指の腹で目の下の傷を掠めた。瞳が金色に光り、ふ、と一瞬で空気が変わる。




 桐人がいなくなってから数日が経過した。

 あの日、家に戻ると困惑した様子の叔母が意識を取り戻していた。だが三咲の姿を見つけた後、居心地が悪そうに自分の部屋へ戻っていく。狐に憑かれていた間のことも多少は記憶にあるのか、それからは急に大人しくなってしまった。


 一方三咲は、翌日再びいつもの神社へと駆け上がった。

 しかし神社の中を探し回っても、桐人の姿を見かけることはおろか、気配すら探し出せなくなっていた。

 翌日も、また翌日も桐人の姿はなかった。そうして一週間通いつめたものの、彼が現れる気配はなく、最後の手段とばかりに亘理を呼んだのだった。


「――お呼びですか?」

「氷坂、桐人について、何か知っていることはない? いまどこに居るかとか、何をしているとか」

「……それを知って、どうするんですか」

「どうするって……」


 狐に関わるなと桐人は言った。

 確かに桐人のしたことは許せない。だが、どうしても三咲の知る桐人が、そんなことをするとも思えないのだ。

 氷坂は言い淀んでしまった三咲を一瞥すると、仕方ない、とため息をついた。


「……他ならぬ婚約者候補の願いだから聞きますけれども」

「えっなにそれ聞いてない」

「亘理はそこそこ乗り気で……え、あ、はい、黙っときます。で、桐人の処遇でしたね」


 気になる単語も今は聞き流しておく。


「扇森桐人は、いま伏見におります。御先稲荷の総本山です」

「伏見って……京都?」

「はい。今は上位序列殺害の罪で、身柄を拘束されているようです」

「捕まっているの⁉」

「自ら裁かれに現れたと聞いています。今まであらゆる刺客から逃れていたはずなのに、何故今更、と」


 そういえば、冬木に憑いていた狐が「主が呼んでいる」と言っていた。あれは逃亡していた桐人を追ってきていた刺客だったのか。

 と、ここで疑問が生じる。


「氷坂は捕まえなくてよかったの?」

「俺は黒狐。桐人達白狐や御先稲荷に、あまり関わりがありません」

「そ、そうなんだ……」


 氷坂いわく、しばらく拘留ののち、正式な裁判を経て罪を裁かれるとのことだった。

 だが上位序列殺しは重罪で、罪を免れることは難しいと氷坂は眉を寄せた。


「我々狐に肉体的な死はありませんから、血統の剥奪や神威の抑圧、監視、拘留のもとに置かれ続けるといったところでしょうか」

「剥奪……」

「御先稲荷は血統を何より尊びます。それを失うということは最大級の罰です。……彼は既にその罰は負っているようですが」


 確かに桐人は扇森から絶縁されたと聞いている。だがそれに加えて神威を失ったり、自由を失ったりすれば――一体桐人はどうなってしまうのだろう。

 氷坂に礼を言い、亘理に戻ってもらう。

 三咲は不安げな亘理に笑みを返すと、そのままその場を離れた。


(私は、どうしたいんだろう)


 桐人が人を殺した。それが、自分の両親であったと知った。

 本来であれば怒り、嘆き、恨みをぶつけるべき相手なのだと思う。だが三咲自身小さい時に起きたことのせいか、実感がないのだ。正しくはその辺りの記憶が無い。無理もない。年にすれば僅か五歳程度のことだ。


(謝罪してほしい? 償ってほしい? ……違う、そんな、そうじゃない)


 本来は親を殺した相手。憎むべき相手だ。

 だがその事実を知ってもなお、三咲は桐人に向けるべき衝動に迷いが生じていた。

そして疑問は過去へと続く。


(そもそも、なんで私を助けたの? ただの偶然?)


 三咲が身を投げたとき、そのまま捨ておいておけばよかったのだ。

 桐人にとって、三咲は皆殺しにした一家の生き残りだ。当時の記憶が無いとしても、生かしておく必要もない。


 大体何故桐人は、幼い三咲だけを殺さずに生かしておいたのだろうか。

 一緒に殺せばよかったのだ。それをわざわざ見過ごしたのは何故か。考える、が、考えるだけ分からないことばかり。


 気づけば三咲は、いつもの神社の石段を見上げていた。

 よし、と白い息を吐くと、膝を曲げ一段を上る。慣れた様子で石段を駆けていくと、段々と頭の中が真っ白になり、悶々とした思考が晴れていくようだった。


(――桐人)


 彼がいなくなってからも、三咲は毎日石段を往復していた。

 習慣となってしまったのもあるが、なんとかもう一度桐人に会いたいと、度々神社を訪れていたからだ。彼が現れることはないと分かっていても、どうしてもやめることが出来なかった。

 神社の参道にたどり着いた三咲は、ぜいはあと大きく息を吐いた。姿勢を正すと石灯篭と参道、その先に続く拝殿を見つめた。桐人という主を失ったその場所は、ただ暗がりを残すばかりだ。


 三咲は中央を避けて参道を進み、賽銭箱の前に立つ。そしてすうと息を吸い込むと深く頭を下げた。どのくらいそうしていただろうか、やがてゆっくりと顔をあげて小さく「よし」とつぶやく。

そして身を翻し、すぐに石段へと戻り下り始める。

 雪のちらつく夜、三咲は何度も何度もそれを繰り返した。自分でもなんて意味のない行為だろう、と理解しながら、いつかひょっこり桐人が「まだおったんか、あんた」と苦笑してくれるのを待っていた。



 だが、そんな三咲の願いはむなしく、桐人が現われることはなかった。


 

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