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夏の話 4



 その夜、懐かしい夢を見た。


 まだ三咲が小さい頃、父が珍しくテーブルで何かを書いていた。まだ漢字が読めない三咲は、自分の名前が書かれていたことだけ覚えている。


「おとうさん、それなあに?」

「これはなあ、神様へのお手紙や」

「おてがみ?」


 最後まで書き終え、父はえいっと念を込める。


「なんて? なんて書いたの?」

「ん~? みんなを守ってくれますように、ってな。パパがしたらちょっと反則かもやけど、まあええやろ」


 ふうん、と三咲が分かったような分からないような表情を浮かべているのを見、父は嬉しそうに笑った。

 そうだ、神様が皆を守ってくれますように、と。



 ――お父さん。

 ――そんな神様が、私を恐喝してくるんですが、あれは本当に神様なんでしょうか。


 正確には神使なので神様ではないのだが、夢の中まで冷静な理論は回らない。

 三咲は心地よい夢から一転、うなされる様に唇を引き結んでいた。



 




 翌朝、予定より少し遅く目が覚めてしまった三咲は、音を立てないようシャワーをし、制服へと着替えた。万一起きていたら気まずい、と出来るだけ気配を殺しながら、そろりと玄関へと向かう。


「あんた出んの早くない?」

「……!」


 突然の声に恐る恐る振り返ると、寝ぼけ姿も様になるこの家の実子が、不機嫌そうな目を向けながら睨んでいた。

 あまり見つかりたくなかったが仕方がない。波風立てないよう、出来るだけ静かに家を出なければ。


「ちょっと、朝の当番があって、それで……」

「……別にどうでもいいけど。てか、隣の家誰か引っ越して――って、おい」


 最後の言葉を聞くより早く、三咲は玄関の合間をすり抜けて外へ出た。

朝日がようやく全天に広がり、初夏らしい高さを誇っている。早く学校に行きたいわけではないが、正直朝のこの時間は好きだ。


 ふと隣を見ると、大きなキャラクターの入ったトラックが何台か停まっている。

引っ越しだろうか。早朝だから作業はしていないが、近いうちに搬入も始まるだろう。夏休み前に珍しい、と思う一方で、学校のことを思い出し、三咲は進めていた足がずしりと重くなるのを感じた。


 ようやく着いた学校。

 この時間は教室にはまだ誰もおらず、放課後とはまた違った静けさに覆われている。

 自分の机を確かめる。

 今日もいつもの通り、酷い有様だ。

 天板についた上履き跡を消し、泥を払う。マジックの落書きをごしごしと擦っていく。教科書類は置いていると破かれてしまうので、机の中はいつも空だ。


「……」


 おそらく、昨日の放課後にやられたのだろう。以前は朝にされていたのだが、三咲が早く登校するようになってから、自然と時間がずれた。正直朝一にされていると、片づける時間がないので、今の方が助かる。

 どうせ今日の放課後にも書かれるので、マジックの汚れは教師から見つからない程度に落とせば十分だ、と掃除を終え、席に着いた。


 するとそこへ、珍しくクラスの女子が姿を見せる。


(あ、麻中さん……)


 ちら、とこちらを見た気がして、三咲は慌てて視線をずらした。麻中は淡い茶色の髪を波打たせ、こちらに声をかけるでもなく、自身の席へとけだるげに座り込んだ。

 女子の平均より少し高いであろう身長は、ともすればモデルになれそうだ。

 だが、ごてごてと重ね張りされたつけまつげ、陶器のような肌、既定のジャケットを着ることもなく、ワイシャツの襟ぐりを開いたままのその姿は実に迫力があり、三咲とは真逆の、俗にいう「ギャル」そのものであった。もはやその単語すら古い気がするが。


 麻中は三咲の存在に気付いているのかいないのか、そのまま鏡を出してアイラインの増設に執心し始めた。

 もともと登校すること自体珍しい彼女のこと。触らぬ神にたたりなし、とそもそも住む世界が違いすぎる麻中との会話を願うことも、期待することもなく、三咲は持ってきた文庫本を開いた。


 やがて朝礼が始まり、とりあえずは何事もなく、授業と休み時間を織り込みながら学校の時間が過ぎていく。

 放課後を迎え、出来るだけ気配のないまま去ろうとしたその時、三咲は猫なで声に呼び止められた。やはり見逃されるはずはない。


「尾崎さーん、なに帰ろうとしてるのぉ?」

「……」


 だめだったか、と三咲は表情を陰らせた。

 クラスカースト最上位、冬木とそのとり巻きたちだ。

 麻中と同じく非常に目立つ顔立ちをしており、勝気な美人という感じだ。


「昨日はさっさと帰っちゃうからぁ、今日は遊んでくれるよね」


 言うが早いか、冬木は三咲の持っていたカバンを奪うと、勝手に開けてはノートをパラパラとめくる。次いで筆箱の中身を手にとっては、気まぐれにベランダから外へ投げ捨てた。教室には誰もおらず、咎めるものはない。

 ばさ、ばさ、と大きな鳥の羽ばたきのように、教科書やノートが打ち捨てられていく。また拾いに行かなくては。晴れていて助かった。


「なんかぁ、余裕じゃん?」

「そ、んな、ことは……」


 口ごもり、うつむく。その様子に彼女たちは再びくすくすと笑いをこぼした。


「だからさあ、なんてってるかわかんないって」

「もっとはっきり喋ればー? ぐすぐすしちゃってさぁ、そーいうの、うざいんだよね」

「わかるー」


 きゃっきゃと楽しげな彼女達を見ることもできず、ただひたすら嵐が過ぎるのを待った。脇をつま先で蹴られ、内臓が変な動きをする。思わず小さな声を漏らすと、足の力が更に強まった。

 そのうち筆箱を触っていた冬木がはさみを取り出した。先端は丸くなっているものの、その波面は三咲に恐怖を与えるには十分だ。。


「あとさぁ、その髪? やばくない? あたしこーいうの得意だから切ったげる」

「……そ、それは……」

「長くてうざいからさあ、いいじゃん、せっかく切ってあげようってのに」


 耳の下に手を伸ばされ、髪を掴まれる。

 その冷たい指先にぞお、という恐怖を感じ、体が硬直したかと思うと、次の瞬間ざりり、と背を這うような触覚が襲った。硬質な髪と金属が擦れあい、はがれる音。

 ぱたぱたとスカートに黒い線が落ちる。


「あーもー動くから曲がっちゃったじゃん」

「ほんとだ、うける」

「動かないでよねー」


 今度はハサミだけが顔の右横に差し入れられる。そのひやりとした感触に、怯えながら身を固めることしかできなかった。

 再びじゃくりと刃が交わり、左右の長さが随分と変わってしまった。思った以上に切られたらしく、床に散らばる髪の量にぞっとする。


 最後と言わんばかりに、三咲の眼前に刃が向けられた。

 黒目に映るハサミは凶器でしかない。


 泣くとこれ以上酷いことになるのは分かっているので、ひたすら恐怖を堪え、じっとしている他なかった。重ねられた刃が開かれ、思わず目を閉じる。刹那、じゃ、と何かを噛んだような半端な音がしたかと思うと、瞼の上が明るく感じられた。


 目を開く。先ほどまであった前髪が一部分だけ歪に切り取られていた。かなり短く切られてしまったのか、左側だけの視界が広い。


「やっば、ちょううけるこの髪」

「ちょっとオンザじゃん。かわいー」


 ようやく彼女たちも飽きてきたらしく、そこで髪遊びは終わった。ハサミをはい、と突き返され、何事もなかったかのように教室を出ていく。

 その気配を背中で感じながら、三咲はようやく安堵の息を吐いた。よかった、あまり痛いのじゃなくて。


 のろのろと立ち上がり、スカートに落ちた髪を払う。床を見ると獣の毛のような黒い塊が、そこら中に散っていた。このままにしておいたら明日が面倒だと、掃除用具を引っ張り出しては掃き始める。




 

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